5、百合の「ハッピーボックス」
その後、家に帰った拓郎は、妻百合に、父親に紹介された「藤谷印刷株式会社」を辞めてしまったこと、小説家として独立するために頼った「村山出版」で思うような返事がもらえなかったことなどを正直に話した。ただ、退社のために百合を病気に仕立ててしてしまったことだけは、言わなかった。
百合は最初、ベビーベットに眠る友美をあやしながら話を聞いていたが、やがて友美がむずがり始めたので、なだめるためにだっこをした。拓郎は話を続ける。
「昔、『ムーミン』というアニメがこっちでやってたんだけど、知ってる?ムーミンはパパ、ママと娘の3人家族で、パパは小説家でいつも家にいて、ママとお互いに思いやりながら、ムーミンの成長を見守りながら、静かに暮らしているんだけど、・・・ホントは僕も、ムーミンのムーミンパパのようになりたかった。でも、どうやら僕には無理みたい。才能がないんだ。いつも一緒にいたかったんだけど、それも無理みたい」
そう言うと、拓郎は目を真っ赤にしてうつむいた。そんな拓郎を見ながら、クリープを抱えた百合は微笑んだ。
「何言ってるの?今だって、離れてたって、いつも一緒じゃない」
百合はそう言うと、抱えていた友美を拓郎に預け、部屋の奥から、何やら取り出して戻って来た。
「これ、覚えてる?『ハッピーボックス』」
徳郎は、何の箱だかは分からないが、箱の存在は知っていた。百合が九州の実家から持って来たものの1つだ。
「嫌なこと、悲しいことがあった?だったら、この箱の中に、全部、入れてしまうの。そうすれば、そんなこと忘れてしまうよ」
手で簡単に持ち上げられるくらいの大きさの直方体の箱。宝石箱といった外観の箱のフタを、百合が開けると、・・・中には、オモチャの指輪やら指人形やら、大したものは入っていない。
「さあ、やってみて」
そう言われ、拓郎は何をするのか戸惑ったが、百合は、ジェスチャーで何かを箱の中に入れる真似をした。そして、百合は箱を閉じ、
「はい、これで大丈夫」
「これだけ?」と拓郎が尋ねると、
「そうよ。さあ、すべてを忘れたら、今日は外食・・・じゃなくて、ピザでも取ろうか?ワインも持って来てくれるお店があるの」
その後、百合はピザ屋さんに電話をして、そのお店で一番ゴージャスなピザとワイン、と言っても数百円のワインだが、それを注文し、それを飲むと、久しぶりに顔を赤らめた。拓郎もピザでお腹をいっぱいにし、その日は、そのまま寝てしまった。いつもはベビーベッドで夜泣きをする友美も、何故か、その日は静かだった。




