蟻とかげろう
六人の老若男女が横並び一列に座っている。眠っている老婆。疲れたのか何度も船を漕いでいるサラリーマン。新聞を読んでいる男性。三人の女子学生は制服から同じ学校だと推測される。三つ編み(以降 繭)とショートヘア(以降 円)の女子生徒は友人同士らしい。後ろにひとつ縛りをした女子生徒は、どうやら彼女たちとは親しい間柄ではないようだ。
円 あっつい。
繭 ね。
円 本当に十一月かって疑うレベル。
繭 うん。
円 朝はそうでもなかったのにな。
繭 ……そうだったっけ?
円 朝は普通に涼しかった。多分。
繭 ふぅん。(スマホを弄る)
ところどころノイズが入った車内アナウンスが聞こえる。がたん、と音を立てやがて電車が停止する。振動で目を覚ました老婆が電車を降りる。
円 ……あれ、今どの辺?
繭 うーん。
円 まあ、いっか。
円、老婆の降りたドアをぼんやり見つめる。
円 こんな酷暑の中、出ていこうなんて到底思えない。
繭 うん。
円 おばあちゃんってさぁ、何気あたしたちより根性あるんじゃないかって思うよね。
繭 うん。
円 (手で扇ぐ仕草)あっつ。早く閉まってくんないかなぁ。
繭 うん。
間。円、繭のスマートフォンの画面を覗き見て顔を顰める。
円 ……あのさ。
繭 何?
円 さっきから見てるそれ、何なの。
繭 ……ああ、これ?
繭、スマートフォンの画面を一度タップし、円に見せる。
円 いい!動画で見せなくていい!きもいから!
繭 聞いてきたのはそっちじゃない。
円 (両手で顔を覆う)そういうことじゃなくて、なんでそんな大量の蟻?
繭 うーん。経過観察用?
円 なんの!?
発車ベルが鳴り、間もなくドアが閉まる。再び音を立て車体が傾き、電車が動き出す。
繭 実験かな。
円 どんな実験よ。
繭 デススパイラル。
円 デス……なにそれ。
繭 詳しくは自分でググって。
円の隣に座っているサラリーマン、数回船を漕いでやがて眠ってしまう。円がスマホを取り出そうとした時、男が寄りかかりそうな体勢であることに気がつく。円、繭の方へ詰める。繭、円に目線でどうしたの?と目線で訴える。円、隣のサラリーマンを見上げる。
円 (小声で)繭、もうちょっと向こう詰めて。
繭 え、うん。
繭、右側に詰める。そこでようやく隣に同じ制服を着た女子生徒が座っていたことに気がつく。車体が揺れてサラリーマンが円の肩に凭れる。
円 うわっ。
円、思わず席を立つ。
男 (聞こえないほどの声)すみません。
円 (舌打ち)
再びノイズ混じりのアナウンスが聞こえる。電車が停止する。円はサラリーマンを睨みつけ、サラリーマンは彼女の視線から逃れるよう縮こまりながら電車を降りる。
円 おっさんが凭れかかってくるとか、さすがに勘弁。
円、肩を払う仕草をしながら座る。繭は女子生徒をじっと見ている。円もようやく女子生徒に気づいた様子。
円 知り合い?
繭 知らない。
円 見たことある?
繭 どうだろう。
女子生徒、顔を上げて無言で二人を見る。妙な空気が流れる。繭、ぎこちなく笑って誤魔化すように会釈する。
円 他学年かな。
繭 ……どうだろう。
円 どうだろうって、うちの学年じゃないでしょ。見たことないし。
繭 うん、そうだね。そうだと思う。
発車ベルが鳴り響き電車が動き出す。暫しの間。新聞を読んでいる男の大きな欠伸が静かな車内に響く。男は新聞紙を開いているが目を閉じている。
繭 (欠伸)
円 ……あのさ。
繭 うん?
女子生徒 寝ない方がいいよ。
繭 うん。……ん?
円 は?
女子生徒 眠ったら帰ることも出来なくなるから。
円 いや、着いたら起こすくらいはしてあげるよ。
ノイズ混じりのアナウンスが流れる。電車が止まる。男、電車から降りる表紙に新聞紙を落としていく。
繭 落としましたよ。
繭、足元に落ちてきた新聞紙を拾うが男は気付かないまま。電車のドアが閉まる。
繭 まあ、いっか。
円 あれ?(新聞紙を覗き込む)
繭 どうしたの?
円 いや、この眼鏡。
繭 眼鏡……?ああ、この人。
円 それ。さっきのオヤジじゃない?
繭 ……凭れかかってきた?
円 そうそう。
繭 ……そうかなぁ。
円 そうだよ。あたし、ちゃんと顔見たし。
繭 でもさ、さすがに……ねぇ。
円 あたしもさすがにこれは……とは考えたよ。でもさぁ。
間。女子生徒が眠たげにうとうととしている。
繭 そういえば。
円 何?
繭 いや、円は何か言いかけてなかったかと思って。
円 ああ、そう。って、それ今掘り返す?
繭 気になったので。
円 えー……なんだったかもう忘れちゃったって。
繭 ええ、じゃあどうでも良いけど。
円 あ、思い出した。
繭 思い出したんだ。
ノイズ混じりのアナウンス。電車が止まり、女子生徒が降りる。
女子生徒 さようなら。
繭 ……え、あ。さようなら?
円 (睨みつける)
ドアが閉まる。車内には円と繭の二人のみ。
円 なにあれ、不気味なやつ。
繭 まあまあ。怒らない怒らない。
円 別に怒ってないよ。
繭 どうかなぁ。円ちゃん短気だし。
円 はぁ?
繭 そういうところだよ。そのうち背後から刺されても擁護出来ないな。
円 動物虐待の趣味を持つ繭には言われたくありません。
繭 虐待じゃなくて実験だって。
円 どっちもどっちでしょ。
間。
円 あのさ、さっきの。
繭 うん。
円 思い出したってやつ。
繭 うん。
円 あたしたちってさ、なんで電車乗ってるの?
繭 というと?
円 歩きで帰れる距離じゃん。お互い。
繭 ……暑いからかな。
円 そうだったっけ。
繭 こんなに日が出てるんじゃ、歩いて帰れないなんて言ってたのは円だよ。
円 ……ああ、そういえば、言ったような?
繭 どうせ環状線だし、日が暮れるまで涼もうよ。
円 ……そーね。暇だし。(欠伸)
繭 うん。
間。繭、眠たそうにしている。いつの間にかアナウンスも電車が止まることもなくなった。
円 それにしても誰も乗ってこないね。
繭 うん。……ねぇ。
円 ん?
繭 デススパイラル、やっぱりググらない方がいいかも。
間。
円 今の今まで普通に忘れてたわ。
繭 ……そう。なら良かった。




