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第九章 「エンドロールの回し方」


 ザンッ!っという効果音までが聞こえる程、我ながら見事な太刀筋だった。まぁ正しくは鉈筋だが。僕の眼下には切り離された腕と背中を丸めて横たわっている香子以外にはなにもない。狙い通り一滴の血も出る事はなかった。


(やったか……!?)

僕は敢えてフラグを立ててみたが、本心では今回の騒動の終幕を確信していた。


ベットの揺れか、それともわずかな背中の腕の感覚によるものか僕には分からないが、香子もその終幕を感じたようだった。


「香子……大丈夫か?」


「え、ええ。なんともないわ」


 香子はゆっくりと体を起こし、自らの背後を確認した。そこに先程まで体の一部であった腕を視認すると、ふぅっと溜めていた息を吐いた。期末試験の最終科目を終えた後のような、疲れた笑みを浮かべながら香子は言った。


「あれだけ騒いでいても、終わりは案外あっさりしているのね」


「そういうものさ。急転直下のバットエンドよりはずっとマシだろう」


 たしかにね、香子は下を向いてふっと笑った。


「それにしても…切り落としてみたところで不可解は不可解のままだな」


「どういうこと?」


 首を傾げる香子に僕は腕を拾って、その断面を見せてやった。


「な、なんなのこれ?バームクーヘンみたいね。あとは、そうね木の年輪とか…」


 香子は口に手をあてブツブツと呟いた。

 僕も香子の感覚に概ね賛成であった。切り落とされた腕の断面には、骨はおろか細胞や血管さえも見当たらず、ただ樹木の年輪のような跡が刻まれているだけであった。血が通っていないからか、その断面は赤黒くくすんでおり、これが香子の意思を反映し、動いていたというのが今更になって信じられなくなった。


「木の年輪は幹の肥大成長によってできるはずだけれど、この腕も木みたいに生えてきたのかな」


 一夜にして生えた腕にしては全くもって立派である。もしかしたら大きな怪獣と中くらいの怪獣と小さな怪獣達が香子のベットを囲んで万歳三唱でもしてくれたのかもしない。ありがた迷惑といったところである。やめよう、通り魔生育。


 ふと香子の方に目をやると、必死に自分の背中を見ようとしていた。恐らく切り落とした跡を見ようとしているのだろうが、なかなかうまくいかないらしい。あいつ体固いからな。


「どうしたんだ、切ったところ何か変か?かゆいとか?」


「違うわよ、痛くもかゆくもないわ。ちょっと跡を見たいだけ。どうなってるの?」


「そうだな…切り株みたいになってるよ」


「えぇ……」


 香子は口を歪めて嫌そうな顔をした。しかし、事実なのだから仕方がない。


「いえまあ背中に鉈が当たった感覚がなかったから、どうしたのかしらと思っていたのだけど」


 香子はヨガみたいなポーズになりながらも、なんとか切り株に手で触れることができた。そしてぷにぷにと弄っている。


「やっぱりいくらかは私の体に残っていたのね」


「鉈でぎりぎりを切るわけにもいかないからな。もし香子の背中に傷でもついたら笑えないだろ」


「剣士の恥ですものね」


「お前はいつから剣士になったんだ!」


 三刀流か!背中の腕を自在に操る三刀流なのか!


「ところで、この切り株はどうしたらいいの?放っておけば私の体に還ってくれるのかしら」


「いや、それも今から切ってしまうよ。鉈よりももっと小振りな、ほらこのナイフとかでさ」


 僕は道具箱の中に入っていた刃渡り8 cm程度のナイフを取り出した。鉈で切り落とした時も、腕の強度というか、耐久性みたいなものは全く感じなかったからこれでも削ぐことができるだろう。


「じゃあ、香子。今度はベットに座って……」


 僕が言い切るよりも先に携帯の着信音が鳴った。同時に僕は電話の相手が誰であるかと、そいつがもう帰ってくる時間であることに気付いた。


「ま、まずいぞ。いつの間にかこんな時間になっていたのか…!」


 僕は慌てて机の上の携帯を取り、画面を確認することもなく電話に出た。


「もしも…」


「おにいちゃーーーーーん!!」


 元気なことはイイことだ、と僕らが小さいときに周囲の大人達は言ってくれた。しかし、何事もやりすぎは良くない。中学生ながら元気を極めてしまった彼女は、ロックギターのような声を出せるようになってしまった。恐らく屋外だろうがなんて声を出しやがる。近所迷惑を考えろ。


「今ね、家の近くのコンビニにいるんだけどね!!」


 屋内じゃねーか。店員さん僕の妹がごめんなさい。


「なんだよ、もう家まであと少しなのに寄り道するなよ。なんかあったのか?」


「んっとね!おでん100円セールやってた!!お兄ちゃんも何か食べるかなって!」


 そうか、洸はお兄ちゃんに幸せを分けようとしてくれんたんだね。お兄ちゃんがいつも100円セールの度にテンションが上がって、おでんいっぱい買ってきていたのを覚えてくれていたのね。そう考えると何だか感慨深く感じる…はずもない。


「100円セールだからねー!牛串とか餅巾着とか、ウィンナー巻きとか、えーっと」


 わかった。もうわかったから。すごいわかった。わかり過ぎてやばいから。

 しかし、この状況は和やかに見えて意外に緊急性が高い。いま洸がいるコンビニは家から徒歩8分程度の距離にあるのだが、洸はその日のテンションによって歩く速度がめちゃめちゃ変わる。このテンションなら手に汁物を持っていようがお構いなくまき散らし、全力疾走してきそうな予感さえ感じられた。


「とりあえず何か適当に買ってきてくれ!大根とか!」


「え!ちょっとお兄ちゃ…」


 僕は半ば強引に電話を切った。まずいな、今から香子の切り株を削ぐ時間があるだろうか。


 しかし、その心配は意外な形で解決してしまった。電話を切って慌ててベットを振り返ると香子は既に上着を着てすっかり元の制服姿に戻っていた。


「いやお前、残りの腕切らないと…」


 香子は制服のほこりをコロコロで取りながら言った。


「今の電話洸さんでしょう?その慌てようだと10分もかからずにこの家に着きそうね」


 さすがお見通しであった。実質さっきの電話では僕は大根のリクエストぐらいしか言っていないのにさすがだ。


「でも、いいのかそのままで。なんていうか気味悪くないか?」


「むしろ気味悪さの8割を切り落としたのだからいい気味じゃない。大丈夫よ、背中も軽いわ」


 香子は肩に手を当て、右腕をぐるぐると回して見せた。勿論、僕を気遣ってのセリフであったがどうやらあながち嘘でもなさそうだ。今回の責任者として非常に心苦しくはあったのだが、僕は香子の気丈に甘えることにした。


 香子の帰り支度がものの3分で終わり、僕らは駅に向かった。家に置いてあるママチャリを引っ張り出し二人乗りをした。日が暮れかかり、空や家々はオレンジ色に照らされている。薄く伸びた雲は紫も混ざり、夜の予兆を感じさせた。


 心地よい時間だった。香子は少し疲れているようで、後ろで僕の背中に若干身を預けている。その重みや温かさはペダルを漕ぐ僕の燃料に十分なりえた。


「そういえばあの腕どうするの?」


 駅までの道も半分を過ぎ、住宅地を抜け川の土手に差しかかったとき、香子が思い出したような口調で言った。


「切った方の腕か?とりあえず今は洸が来てもいいようにベットの下に隠しておいたけど…まあ埋めるしかないだろうな」


「屋根の上に投げればまた生えてくるのかしらね」


「そのおまじないは歯だろ!というか、また生やそうとするな!」


「冗談よ、私だってこんなのはもう嫌よ」


 香子はいつの間にか昨日までのように屈託なく笑うことができるようだった。その顔は僕をすっかり安心させた。


「それにしても腕を埋めるだなんていよいよ物騒ね。犬に掘り起こされて警察沙汰なんてならなきゃいいけど」


「そうだな、僕の家の周辺はダメだ…近くにいいとこあったかな」


 香子はあっと声を上げ、僕の顔を覗き込むように身を乗り出した。その勢いにバランスを崩して、顔が一時的に近づいたがドキドキしたのは内緒である。顔が赤いのはもちろん夕日のせいである。


「いい所知っているわ!人通りなんてほとんどないし、私のお気に入りの隠れ家なんだけど」


「へぇ、お前にもそんな所があったのか。1年経っても知らない事はあるもんだなー」


「私自身行かなくなったから忘れていたわ。というか行く必要がなくなったというのが近いわね、特に有馬君に出会ってからは」


 香子は風にそよぐ髪を耳にかけ、遠い昔を懐かしむ風に言った。望郷を感じさせる彼女の横顔と、キラキラと夕日に光る川はとてもマッチしていて何となく僕を哀しくさせた。僕らは付き合っておよそ1年になる。スピード違反を余儀なくされる青春時代の1年はとても長い。香子の事は大体知っていた。


 彼女が何を考えているかとか、本日の機嫌とか、好きなものとか嫌いなものとか、僕がどれだけ彼女を好きかとか、彼女がどれだけ僕を好きか、とか。


僕と出会ってからの香子について、大体は知っているのだけど、僕は僕と出会うまでの香子をあまり知らなかった。


 知っているのは香子が天涯孤独の身で、中学まで施設を転々と移っていたということぐらいだ。本来、身寄りのいない児童は18歳、高校卒業までは施設で面倒を見てくれるはずだ。しかし、周囲と馴染むことができず、職員からも疎まれた香子は中学を卒業すると追い出される形で一人暮らしを余儀なくされた。


 香子が今使っているアパートの家賃や光熱費、その他諸々の生活費は児童施設から振り込まれている。

一応、普通に暮らすには十分な額が振り込まれてくるらしいが贅沢をする余地はなさそうだった。僕らの学校は特別な理由がある場合はアルバイト等をしてもよい、とされているが彼女にそんな気はなかった。必要最低限の家具しか置いていないあの家は、彼女にとってきちんと帰るところと認識されているのだろうか。


 僕も香子の見ている景色を見ようと、川に目を落としてみたがそこには僕の知っている景色しかなかった。当たり前か、僕はそう心で呟き、ペダルを漕ぐ力を強めた。



 洸にばったり合わないように遠回りをしたため、駅に着くと日は落ちきってしまった。街灯のみが僕らを照らしていた。


「送ってくれてありがとう。今日はその、お世話になりました」


 香子が妙に恭しく別れの挨拶をするものだから、少し笑ってしまった。今日は色々な香子が見られた気がする。


「お互い大変だったな。まあ無事に終わりそうで何よりだ。明日の放課後、背中にある残りも切っちゃおうな」


「うん、お願いするわ」


 それから十数分程度雑談をしていると電車が香子を迎えに来た。僕に向って大きく手を振り、改札を抜けた香子は明るい車内へと入っていった。程なくして電車が前進すると、今度は控えめに手を振ってくれた。僕は隣にある自転車を倒さないように、大きく手を振った。また明日!声には出さず、口だけで約束した。


 昼、屋上で感じた世界的脱臼はすっかり元に戻ったことだろう。僕らは僕らの日常を守ることができた。


 香子を乗せた電車が見えなくなると、僕も自転車にまたがり帰路へと着いた。ふと携帯を見ると画面を埋め尽くす不在着信の通知があった。相手はもちろん洸だ。大方、おでんが冷めてしまう事を伝えたくて仕方がないのだろう。電話を返すと面倒くさくなりそうなので「もうすぐ帰る」とだけ書いて送った。


「ふぅ、長い一日だったな」


 四月の夜はまだ少しだけ寒い。家で待つ大根に思いを馳せ、僕は漕ぎだした。

ペダルは回り、僕を日常へと帰していく。


「ああ、なるほどな」


 そのペダルを踏みこむ確かな手応えに、思わずほくそ笑んだ。


「これか」


 いま僕はエンドロールを回していることに、気づいた。



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