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第六章 詭弁論者は今日も謳う

香子は驚いていた。自分の背中で起こっている現象を、首をひねり見ているのだが、困惑し、狼狽している。しかし、彼女の口から漏れた言葉はというと。


「うそ…やっぱり…。」


「ああ、みたいだな…。」


 そう、僕らは知っていた。ボールペンで穴を開けようが、包丁で傷をつけようが、この腕から血が出ないという事を知っていたのだ。まあ厳密に言うと僕だけが知っていて、それを先程香子に言い伝えたのだ。



 放課後、道端でしていた僕らの会話を覚えているだろうか。


 “人はいくら麻酔をしている状態でも、ただ腕を切り落とせば普通は死ぬ”と香子は言った。

 常識的にはその通りだろう。ではその時の死因とはなんだろうか。痛みの有無とはあまり関係がない死因。


 そうだ、出血多量。


 僕が今回、腕を切り落とす筋書きを思いついたのは背中の腕の感覚の有無がきっかけではない。確かに痛みを感じる状態では腕を切り落とすのは難しかったかもしれない。しかし、それ以上に問題だったのは切り落とした後の処理だった。適切な止血、適切な保護に、適切な縫合。これらをただの高校生二人ができるはずもない。たとえ生物教科担任の平谷を呼んだところで、専門以上の外科知識と技術を持ち合わせている人間でなければ不可能だ。


 だからいくら腕に感覚がなかろうと、関係がなかったのだ。なす術がなかったのだ。僕は何度も香子を大病院にでも連れて行こうと思ったが、そこで香子がどんな扱いを受けるかは明らかだ。どうせ「君で論文を書かせてくれ」だなんて言われるのがオチに決まっている。それに、香子は大の病院嫌いで、もう十数年も行っていないと聞く。首に輪をつけても、連れていくことはできないだろう。


 手詰まりだった。いくら考えても妙案は浮かびそうにない。


 だから仕方なしに僕は、筋書きを書くことにしたのだった――



 これは僕が今まで何度か書いてきた筋書きの、共通している「書き方」というものなのだけれど、簡単に言うと僕は「伏線」を仕立て上げている。


 通常、「伏線」とは物語の中であらかじめ用意されているものの事を指す。事前に用意されていて、後の展開のために伏せられていたもの。だから物語の中で伏線とは、大概が劇的な発展を呼び起こすきっかけとなる。

 ハッピーエンドのため、あるいはバットエンドのため、まぁいずれにせよエンドロールを回すために用意された道筋が伏線なのだ。


 では、現実において「伏線」とは何だろうか。1秒先でさえ、隣の行さえも盗み見ることができない現実では。


 僕らが生きている「今」では伏線という言葉はふさわしくない。僕らの人生は起こったことしか起こらないのだから、物語で言う伏線とは現実で言う「原因」であり、それによって生じる次なる展開とはただの「結果」である。どの「原因」がどんな「結果」をもたらし、いくつもの「結果」によってできた道筋が、どんな最後を迎えるかなんて僕らには知る由もない。


 だから時に事実は小説よりも奇怪で、この世界は理不尽なのだ。小説がページ数さえ決まっている美しい予定調和であるなら、現実はでたらめな音楽会だ。勝手に盛り上がって、いつの間にか終わっている。


 朝の一杯のコーヒーが下痢の原因になるかもしれないし、地球の終わりの原因になるかもしれないという事だ。


 トンデモ理論に聞こえるかもしれないが、こんな事を言えてしまうのは僕らがこの目で見ることができるのが今と過去しかないからだ。だってそうだろう?ある「結果」が生じたからあれが「原因」だったと、やっと言えるのだ。

 これはトンデモ理論武装でも詐欺でもない。因果関係とは原因→結果ではなく、原因と結果は同時に生まれるのだ。結果が生まれるまではこの世界に原因なんて存在しない。


 ここまでOK ? 理解できたなら分かるだろう。


 ―これが至極真っ当な詭弁であると。


 賢いみんなは言うだろう。「原因」というものが、言葉として生まれていないだけで、両者の時間軸を考えると「原因」は「結果」よりも必ず前に存在している。「結果」が前に発生し、「原因」がその後に生じるなんてことはパラドックス以外の何物でもない、とか。


 その通りだ。


 つまり、この世界に「原因」が発生し、その後「結果」が生じるまではいくばかの時間が存在することになる。その時間の中では、言葉として存在しない「原因」は「原因予備軍」とでも名付けてやろう。この「原因予備軍」こそが、僕が筋書きを書くときにかき集める「伏線」なのだ。


 この世界は「原因予備軍」もとい「伏線」で溢れている。例えば僕らの生活の一部でしかないもの、平凡な生活の一端でしかなりえないもの。ただの挨拶だとか、無意味な感想だとか、無意識の仕草はそれぞれが何かの「原因」となるかもしれないのだ。


 それらの「原因」によってやがて迎えるであろう「結果」が、望ましいものでないのなら変えてしまえばいい。僕が作者として思い通りに書き換えてしまえばいいのだ。

この時、ただの「原因」となるはずだったものが「伏線」となり、予想もできなかった「結果」は僕が描く「物語」へと姿を変える。


 僕が書く筋書きとは、つまるところ対抗手段なのだ。理不尽な世界に立ち向かい、でたらめな楽団を指揮するための武器、それが筋書きだ。


 例えば、今回のケースではどんな風に伏線を探したかというと、ざっとこんな感じである。


なぜ香子の背中に腕が生えたのか。

なぜ香子はあの時僕におはようと言ったのか。

なぜ香子は朝の時点で僕にしゃべろうとしなかったのか。

なぜ燈木吉野は香子の異変に気付いたのか。

なぜ香子の背中の腕は目覚まし時計を止めたのか。

なぜ香子は病的なまでの冷え性なのか。

なぜ香子の背中の腕さえも冷え性なのか。

なぜ、なぜ、なぜ…。


なぜ制服の中にあり、比較的温まる場所であるはずの背中の腕までもがあんなにも冷えているのか。


 これらの多くに意味なんてないかもしれない。何となく、ってやつかもしれない。だけれど僕はこれらが、そのまま時に埋もれる事を許さない。無意味に意味を持たせ、無意識を意識する。


 伏せられた線を這いつくばってでも探して、そこから物語を描く。……しかし、実はこれが尋常ではない。


 無数と呼べるような言葉・やり取りからは、やはり無数の物語ができる。先程みたいに一杯のコーヒーで世界が滅亡してしまう支離滅裂な話はもちろん考えないが、それでも10や20は下らない。

 

 それは幾多にも枝分かれしていくパラレルワールドを想像してもらえると分かりやすい。ひとつのきっかけから書いた物語でも、多くは書いていくうちに幾多もの可能性の分岐点にぶつかる。小説を一度でも書いたことがある人はわかるだろう。辻褄を合わせるのはそう楽ではないし、ご都合主義では書いていくうちに世界の方が崩壊する。

 

 だから僕の物語も書いては詰み、描いては消えていく。それを繰り返していく中で、一つの終幕にたどり着くのだ。


 しらみつぶしのような、長いながーい道のりのように感じるが、実はここで僕の本領発揮。能ある鷹が猛威を振るう。



 僕は、これらの物語を同時進行で書いている。ドヤァ


 10にも20にも枝分かれした物語を、未来を、僕は同時進行で進めているのだ。ドヤァァ



……い、意味分かるかな?


簡単に僕の頭の中で起きていることを示すと…


Q1:あなたの昨日の晩御飯は?

A1:サバの味噌煮  


Q2:あなたが好きな作家とその理由は?

A2:太宰治、天才だと思うから。


 これを同時に行っているみたいな感じである。端的に言うと物事を同時に、独立して考えることができるという、まぁ、なんていうか、ちょっと地味な、気持ち悪い、能力というか。うん。


いやでも普通の人には難しいらしいと聞いている。中学とかで披露して、わりとちやほやされた事もあったりするのだけれど、うん。


 まぁ小学生の頃は同時に3つ、それも簡単なことしか考えることはできなかったのだが、ある出来事がきっかけで今では同時に10の事を、それに物語を考えるなんて高度なことまでできるようになった。


 特殊能力、とまでは言う気はないが、僕のちょっとした特技みたいなものだ。


 さて、ここまでさも未来予知のような、名探偵ばりの名推理のように思わせているが、僕のしていることは「数うちゃ当たる」だ。僕は決して頭が良いわけでも、推理力に長けているわけでもない。僕の頭の中で、香子は何回も大病院に行っているし、何度も死んでいる。その度に、別の分岐であったり、伏線になりそうなものをまた拾ってきて考えるのだ。もしこの能力が、頭の良い輩に身に付けば、それはもう有効活用してくれるだろう。なんちゃらの最終定理だって、解いてくれるかもしれない。


 僕には、筋書きを書くだけで精一杯なのだ。


 あと僕は今まで何度か筋書きを書いているが、今回の香子のケースは運がよかった。僕がこれを筋書き、と言っているのは単純に精度が低いからだ。今までこんなに僕の思った通りに伏線がハマったことはそう多くない。


 もしかしたら幾分、筋書きの精度が上がったのかもしれないと思うのだけれど、実のところは分からない。ただ今回の騒動において言えるのは、ハッピーエンドは遠くない、ということだ。


 香子の背中に腕が生えることによって、本当はどんな結果が用意されていたかなんて僕にとってはどうでもいい。運命とか、そういうものもきっとあるのだろうけど、僕はそれを許さない。


理不尽なこの世界なんかに、エンドロールを回させるものか。香子の、僕らのエンドロールを回すのは、僕らだ。



――長い独白となってしまったが、香子は僕の書き方については軽くではあるが知っている。だから香子には一から伝える必要はない。今からは自分の背中に生えた腕に恐れをなしている彼女に、なぜ血がでないと分かったか教えることにするよ。



 ちなみに、僕が背中の腕から血が出ないかもしれないと気づけたのは、香子の冷え性を伏線にして筋書きを書いたからだ。そして、それを確信できたのは先程消えてしまったあんぱんのおかげであった。


 あの瞬間、僕の筋書きは完全なものになった。演者を確実に動かすことができる、言わば「脚本」。

ここからは物語の見せ場、解決章だ。さあさあみなさんお立合い。ああ、浜にはあまり近寄っちゃあいけないよ。


 何でかって?そりゃあ今から物語が最高潮(...)を迎えるからさ。


なんてね。



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