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第五章 「恋の検証DBV」


「香子、開けていいか。」


 僕は3度ノックをして香子の返事を待った。15分程経過しただろうか、さすがに着替え終わっているだろう。


「別にいいわよ。」


 僕はなぜか慎重に、ゆっくりドアを開け中の様子をうかがうように部屋へと入っていった。目に入ってきた香子はなかなかに官能的な恰好…ではなく、僕としては何だか滑稽に見え、吹き出しそうになってしまった。


 香子はブレザーとブラウスを脱ぎ、その上にタオルを巻いて胸から下を隠すようにしていた。だが、制服のスカートは脱ぐ必要がないので、当然だがそのまま着ている。ピンク地のタオルを上半身に巻いて、黒のスカートとタイツを履いた、ブラ紐が見える女子高生がいたら、それはエッチというよりはどちらかというとギャグに近い。


「有馬君、気のせいかな?あなたが笑っているように見えるのだけれど?」


 僕はハッとしてすぐにシリアスな表情を取り戻した。多分だけどこういう時に笑うと香子は本当にキレる。そして、拗ねる。


「何を言ってるんだよ。何から始めようか考えていたところさ。」


「…本当かしら。この格好、寒いんだから早くしてよね。」


 とりあえず、実際に僕の目で見てみないことには始まらない。僕は香子の後ろに回って、何となくタオル越しに香子の背中の腕に触れてみた。あの屋上で触った感覚よりも、よりリアルに感じることができた。より華奢に、より冷たく、その腕を感じた、


「タオル、背中だけ外していいかな。」


 香子は無言で巻いたタオルをほどいた。器用にも右手で体の前のタオルを保持し、左手でゆっくりと背中だけが見えるおようにタオルをはだけさせた。そしてついに、僕は香子の背中の腕に対面した。


「うおっ…。これは…少し、信じられないな。」


 まさに背中から生えている、といった感じだった。結合部、と呼んでいいのか分からないが、香子の背中とその腕は、何事もなく共存していた。香子の両腕と比べても変わり映えはしなかったが、強いて言うなら背中の腕の方が少し細く長いだろうか。元々の腕に備わっている部位は全て揃っているし、結合部にも特に違和感はない。何もおかしな所は見られなかったのだが、そこにある、というだけでおかしいのだ。逆にこれらの正常さがかえって気味が悪かった。


 香子のブラ紐に目もくれず、その腕を触ったり、細部まで観察しているとクチュンと、可愛いくしゃみが聞こえた。たしかにいつまでも背中を出して入れば体も冷えるだろう。つい夢中になってしまったが、十分に観察できたので、香子にタオルを巻きなおしてもらった


 それにしても、いやはや、思ったよりもしっかりとそこに存在しているようだ。香子がこの腕を生えている、と称したのも頷ける。くっついているのではなく、結合しているのでもなく、そこから生えている。

 

 体が作られる仕組みについても、生物教科担任の平谷から授業を受けているけれど、遺伝子的な力がそこにあるかのように思えた。外部のものが何か寄生して香子の背中に宿っているのではなく、そのまま背中にひっついたのではなく、内部から、香子の中から生えてきた。香子が感じたであろう感覚を、恐らく僕も感じていた。


 しかし、まあ、少なくとも一歩前進というとこだろう。僕は整理しきれない頭を無理やりに納得させ、次の検証へと移ることにした。



検証 その2 「感覚」

「次は背中の腕の感覚について詳しく調べるよ。」


「改めて冷静になると変な名前ね。背中の腕だなんて。」


「まあ、言いたいことは分かるけど。でも、そう呼ぶしかなくないか。何か名前でもつけるか?第三の腕とか、異形の腕とか。」


「そ、それは背中の腕よりも気が乗らないわ…。もう少しマシな名前はないの?異形の腕、だなんて可愛げがないわ。」


「うーん、考えてないわけじゃないけど。じゃあ片翼の(エンジェルボディ)、とか神の采配(バックディスティニー)っていうのはどう?」


 香子はなぜか大きくため息をついて見せた。どうしたのだろう、検証に疲れていしまったのだろうか。


「前から思ってはいたのだけれどあなたって中二病の気があるわよね…。もういいわ、背中の腕でいいです。」


 どうやら香子のため息の理由は僕のネーミングセンスについてらしい。


「中二病なんかじゃないよ。少なくとも僕は気にしてない。病は気からって言うだろ。僕は普通だ。」


「あなたは少し気にしなさい。そして治してもらいなさい。心と頭のお医者さんに。」


「ひ、ひどい。病院をハシゴだなんて笑えない。」


 と、またつい関係ない雑談に花が咲いてしまった。無駄話に華を添えてしまった。どうやら僕らは話が逸れやすいらしい。さっさとやらなければ。


 次に調べるのは、痛覚。


「じゃあ、香子。バスタオルを背中だけ外して後ろを向いてくれ。」


「また?別にいいけども。何をするの?」


 香子はくるりと振り返った。


「そうそう、そのまま振り向くなよ。じゃあ痛かったら右手を挙げてくださいね。」


「そんな歯医者みたいな。」


「ちょっとチクッとしますからねー。」


「さっきからなんなの、その病院シリーズ。」


 お医者さんは小さな子に注射を刺すときは、努めて和やかな会話でごまかそうとする。それは勿論、小さな子達が注射針に怯えないように、今からするのはさもなんでもないことのよう見せるためである。しかし、あの行為にはお医者さんが自分自身をごまかすためのものを含んでいるのではないかとも僕は思う。小さな子供達の腕に、針を突き立て、血管まで刺し込む。治療のため、あるいは予防のためとは言え、その行為にいくばかの緊張を持つ者は少なくないのではなかろうか。

 

 今から自分が突き立てる針に怯えないように、その行為がさもなんでないことであるかのように、和やかな会話でごまかす。


 なぜ僕がこんなことを急に思ったのかというと、僕もいま、同じ心境であるからだ。繰り広げられた和やかな会話とは裏腹に、僕は右手に隠し持っていたボールペンを、香子に向って、思い切り突き立てた。



 ボールペンが柔らかいその腕にぐさりと刺さった。それは思いのほか、簡単に刺さった。いや、というか正直、こんなに刺さるとは思わなかった。背中の腕の手の甲に刺したのだが、ボールペンの取手付近まで埋もれている。あれ、これ大丈夫?


 普通、いくら強くボールペンを突き立てたところで、こうも簡単に腕に刺さるとは思えない。触っている時には気づかなかったが、たしかにこの腕はいやに柔らかい。骨のようなゴツゴツとした硬さが感じられず、腕全体がまるで硬いゴムのような、とても硬いかまぼこのような、そんな妙な感触だ。いやでも、だからといってこれはビビる。


 僕の目の前には「背中から生えた腕にボールペンが刺さっている女子高生」という、なかなかSF的な光景が広がっているのだが、香子は声をあげるどころか、まったく気づいていない様子だった。


 もちろん、香子に痛い思いをさせるつもりはなかった。この腕の感覚は相当に鈍いことは分かっていて、恐らくボールペンを刺した程度では何も感じないか、ちょっと痛い程度で済むだろうと僕は踏んでいた。まあその読み自体は間違っていなかったのだが。


 しかし、ボールペンが刺さるとは予想外だった。香子にバレる前に抜くべきだろうか。


「香子、痛くなかったか。」


「ええ、殴ったりでもしたの?体が押された感覚はあったけど、痛くはなかったわ。」


 特に我慢している様子はない。どうやらちっとも痛くないようだ。もはや痛覚と呼べるものはこの腕には無いんじゃないのか?


 何はともあれ香子は痛くなさそうだし、それなら多分怒られないだろうから香子にも見せてやろう。


「そうか。じゃあ香子、君のその背中の腕を持ち上げて手の甲あたりを見てみな。」


「うん?わかったわ。」


 初めて香子が腕を動かす様子を見たが、造作もないといった感じだった。まあ自分の腕を動かすのにいちいち集中するわけもないのだけれど。


 香子は右に生えている右手でその背中の腕を持ち、自身の目の前へと持っていった。そして次の瞬間、香子は分かりやすく動揺した。


「ちょ、ちょっと、刺さっているじゃないの。ボールペンが刺さっているじゃないの。チクッとするどころかズブリと黒のボールペンが刺さっているじゃないの!」


 そうだな、黒のボールペンだな。


「なにしてくれてんのよ!もう立派なDVじゃない、むしろBVじゃない!ボールペンバイオレンスじゃない!D・B・Vじゃないー!」


 そんな言葉はない。


「お、落ち着けよ香子。でも痛くなかっただろ。」


「それは!そうだけど!何かひと言言ってくれてもいいでしょ!バカじゃないの!?」


 香子は手の甲にボールペンを刺したまま、背中の腕をぶんぶんと振り回している。やはりボールペンは見せる前に抜くべきだった。縦横無尽に軌跡を描くその腕はなんだかもう感情を表現する尻尾みたいに見えてきた。


「悪かった!ごめん、ごめんなさい!やめて振り回さないで!危ないからー!」


 天井の照明類が壊れる前に、なんとか香子をなだめてベットの上に座らせることができたのだが、すっかり機嫌を損ねてしまった。香子は頬を膨らませて腕を組み、僕と目を合わせようともしてくれない。


「香子さん、いや御縁様ごめんなさい。次はちゃんと事前に全部言います。」


 香子はちらりと、正座する僕を見下して、呆れた口調ながらも口を開いてくれた。


「まったく、それが普通というものでしょう。大体いま思えば有馬君、今日何やるか結局私に話してくれてないし。」


 香子は腕を組んだままいーっと口を結んで、僕を見る目つきをまだ緩めてはくれない。


「いやあ、それはほら、ちゃんと理由があるんだよ。」


「なによ。言ってみなさいよ。」


「君を驚かせようと思って☆」


 香子が無言のままベットから降りて僕のゲーム機の電源を入れようとした。


「ウソ!ウソですごめんさい!ゲームをしようとしないでください!」


 確かに、僕は検証の仕方については、その大方をはぐらかしてはいるが、今日の目的、それもとびきり具体的なゴールは初めに彼女に提示しているはずだった。


 そう、腕を切り落とす。


 香子はその言葉を忘れているのか、冗談だと思っているのか、それとも何かの比喩だったと思っているのか。現時点で彼女の気持ちは分からないが、まあ今は言及しなくていいだろう。

 もちろん、僕のあの言葉は冗談でもなく、比喩でもなく、腕を切り落とすという言葉の意味以外は持たせていない。


 香子がゲーム機の電源をつける前に僕はなんとか謝り倒し、今度はきちんと同意のもとで検証を続けた。

 この背中の腕の感覚については筋書きをなぞるためのとても重要な要素だ。だから僕らは背中の腕に、先ほど淹れた熱い湯呑みを持たせたり、逆に氷を持たせたり、叩いたり、逆に撫でたり、舐めたり、逆にかじったりと、いろいろなことをした。


 どれも大したことは分からなかったのだけれど、検証中1つだけ信じられないようなことが起きた。それは香子にあんぱんを放り投げた時だった。



 「ふーん、まあなんかどれも予想通りというか、大したことが起こらないな。味もしなかったし。」


 「当り前よ、なにぺろぺろと舐めてくれてるのよバカじゃないの!? というか自分だけあんぱん食べないでよ。」


 「食うか?」


 「…ちょっとちょうだい」


 「じゃあ背中の腕で取るんだぞ?ほらいくぞ!」


 「え、ちょっと待ってよ!まっ…」


 僕は下から香子にあんぱんを放り投げた。やまなりの軌道で取るのはそう難しくない。香子は両手を差し出し、さらに背中の腕を体の前まで伸ばして三本の腕でキャッチの姿勢にはいっている。いかにも不器用な様子が微笑ましい。


 しかし、香子はしっかりと背中の腕であんぱんをキャッチした。

 

 「おーナイスキャッチ!」


 「投げないでよ!」


 悪い、悪い。そう言いかけた時だ。なんだか様子が変だ。香子でも背中の腕でもない。あんぱんの様子が変なのだ。なんだか背中の腕に触れている部分が、溶けてないか。


 「こ、香子。ちょっとそのあんぱん、握り潰しててくれないか?」


 「え、なんでよ。食べたいんだけど。」


 「いいから早く!ジャムパン持ってくるから!」

 

 「なんなのよ……ほら」

 

 次の瞬間、あんぱんは消えた。消えた、というよりは高速に溶けた、と言った方が正しい。背中の腕に触れた部分から溶けていき、消えていった。それは分解、という言葉が最も適切かもしれない。


 「な、なにこれ!?あんぱんが…」


 「……そうか、そういうことか!まったく、ご都合主義のストーリーだ。」


 僕らにとって、なんて都合のいいストーリーだ。僕の筋書きはいま完全なものへと補填された。 


 「どういうことなのよ。あ、あんぱんがなくなったじゃない!」

 

 「香子、まだ腹減ってるか?ジャムパンいる?」


 「ジャムパンって、それどころじゃ……!」


香子は言いかけたが、僕の顔を見ると呆れたような、諦めたような表情をした。


「はぁ、もういいわ。そんなにいい顔をしているという事はあなたの書いた通りに進んでいるということでしょう。どうせ後で得意気に話してくれるだろうから、まとめて聞くことにするわ。えーえーわかりました。ジャムパンね、もらえる?あんぱんが消えたんだから仕方ないわ。小腹が減ってるの。」


 香子は大げさにため息をついて、笑っていた。さすが、僕のことをよく分かっている。


 その後、先程の現象に関する検証を何個か行ったが、得られた結果はどれもが最高の材料だった。検証から分かったことをまとめると、大きく2つの事が分かった。


 まず1つに、この腕は温度感覚を含む全ての感覚が恐ろしく鈍いこと。そして、先程のあんぱんがきっかけとなって分かったこと、それは――


 背中の腕が有機物を分解すること。



 それら結果に確信を持った僕らはついに、包丁で背中の腕を大きく傷つけてみることにした。


「いくぞ…!」


「うん…!」


 結果はというと、何も起こらなかった。そう、何事も起こらなかった。

 

 背中の腕に深く切り傷をつけたにも関わらず、痛みはおろか、血の一滴さえも出てくることはなかった。



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