第三章 「筋書き家 Aパート」
「い、いやよ!」
香子は反射的なスピードで反抗して見せた。まぁ、予想はしていたのだけれど。しかし、戯言で茶化さないあたり、僕の本気は伝わったのだろう。
「有馬君は何を言っているの?いくら生えてきた腕と言っても、余計な腕だとしても、そんなことできるわけがないじゃない。私を殺す気なの?」
「もちろん、そんなつもりはない。殺す気も、傷つける気もない。まだ検証は少し必要だけれど、もしかしたら切り落とせるんじゃないかと思っているんだ。」
「な…っ!どうやら本気のようね…。本気で私の腕を詰めようとしているようね。」
香子はキッと僕を睨みるつけるのと同時に、バックステップで距離をとった。次に鞄を下したかと思うと筆箱からハサミを取り出した。それはもうゴツい、てかそれ絶対料理用のやつだろ!
「それなら私も、有馬君を詰めることにするわ。詰み合いになるわね。詰む詰むよ。」
そんな名前のゲームがあった気がするから、あんまり物騒な響きを持たせるんじゃない。ああ、それにしても失敗だ。結論からいき過ぎた。僕の悪い癖、というか僕の間抜けなところだ。
失敗を取り返すように、僕は慌てて釈明に入った。
「ま、待ってくれ!ちゃんと根拠があるんだ。」
「なによ。それは私の腕を詰んでもいいという根拠?それとも有馬君の命を摘んでもいいという根拠?」
「僕の命を摘んでいい根拠があってたまるか!」
「同じじゃない。私の腕を詰んでいい根拠がどこにあるのよ。」
香子はハサミを構え、目を吊り上げている。彼女が僕に向けているのは紛れもなく敵意だ。付き合って1年の彼氏に、本物の敵意を出せるのだから僕の彼女は凄まじい。
僕は一度大きく息を吸った。しかし、僕らを取り巻くのは張りつめた空気ばかりだった。そのせいかうまく肺に空気が入らず、逆効果となってしまった。どうやら失敗はできなそうだ。
だが、香子には悪いがここからは僕の番だ。ハサミではないけれど、武器はある。強情な彼女を守るための筋書きはもう見えている!
「根拠ならある!僕は命でも腕でも、詰まれれば、摘まれようがものなら痛いし死んでしまう。だからだめだ。許可できない。だけど香子、お前の腕は、その背中の腕は詰んでも痛くないだろう!」
香子ははっとした顔をした。しかし、すぐに元の表情を取り戻し、変わらない目で僕に対面している。
「…何を言っているの?その説明では根拠の根拠が必要になってしまうわ。」
その目を見る限りでは、まだ僕に対する敵意は消えていないようだ。構わず、僕は続けた。
「香子、ごまかさないで答えてほしい。お前、その腕感覚ないだろう。」
香子は目を見開いてひどく驚いているようだった。今度はなかなかその表情が戻らない。額にはうっすらと汗が見える。ハサミを持つ腕は細かく震え、もはやさほど脅威には感じられない。それから少し経つと香子はうなだれるように姿勢を崩した。ハサミはもう僕に向けられていない。
「よく分かったわね…。まぁ正しくは異常に鈍い、というのが正解よ。この腕で何かに触れたぐらいでは、私はそれが何か認知できない。それどころか多分、この腕に針を刺そうが私はそれに気づかないと思うわ。」
「やっぱりか…。」
僕は、今度は大きく息を吐いた。一息ついた、というには状況はあまり変わっていないのだけれど、ひとまず僕が描いた筋書きに正しく乗れたのかもしれない。
僕がそれに気づいたのは香子の言葉だった。香子はその腕と手先をとても冷たいと言った。あの時の僕は、その言葉を冷え性まで再現されているのかと、ただ驚くだけであったが今思うと少し違和感がある。
「もちろん大パニックよね。夢かとさえ思ったわ。でも違うみたい。背中に触れられているからわかるのだけど、手先が冷たいの。というか腕部分さえもなんだか冷えてるのよね。笑っちゃうでしょう?」
その口ぶりからは、香子が自身の元々の2本の腕が感じる冷たさとは感じ方が違うようだ。
香子は、背中の腕が冷たいのを直接的に、感覚で認知しているのではない。背中の腕が触れている香子の背中が、その腕の冷たさを認知したのだ。
背中の腕は感覚がないのだろうか?しかし、何らかの理由で温度感覚だけがないのかもしれない。人の皮膚上にある感覚受容器は温度感覚の他、触覚、圧覚、痛覚があると生物教科担任の平谷が言っていた。つまり、背中の腕は本来の腕と比べて、温度感覚だけ消失し、痛覚は残っているという可能性もなくはないだろう。
しかし、もし痛覚も、いや感覚全般が消失しているのであれば…。
僕は思考した。授業中であるのにも関わらず、熟慮を重ね、想像を膨らませ、妄想を巡らせ、創造した。そして、この物語の筋書きを閃いたのだった。
しかし、まだ僕の推測には根拠が足りなかった。これではまだ与太話の類である。だから僕は確かめることにした。帰る途中、こっそりと香子の背中の腕を触ったり、かなり強い力でつねってみたりした。だが、香子は気づかなかった。本来なら電光石火の肘撃ちでも飛んできそうなものでもあるけど、香子はただ歩くのを続けるだけだった。
ここで僕の愚にもつかない与太話は、この騒動の終幕を見据えた筋書きに変わった。
いつの間にかハサミをしまってくれた香子が、力ない声で僕に言った。
「だからって、いくら感覚が鈍いからといったって、いきなり切り落とそうだなんて野蛮だわ。確かに痛くはないかもしれないけれど、死なないとは限らないじゃない。だって麻酔をしているうちに腕を切り落とされたとしても、下手をすると死んでしまう気がするのだけれど。」
まあ下手をしなくても、普通に考えたら死んでしまう気はするのだけれど。
「言いたいことはわかる。だから検証が必要なんだよ。だから家に来て欲しいんだ。」
香子はまだ僕を怪訝な顔つきで僕を見ている。もう一押し、何かないだろうか。根拠とか、証拠とか。僕は必死に頭を働かせた。そのうち何か言葉が頭に浮かんできたので、僕はその言葉を全く精査せずにそのまま口に持っていった。
「大丈夫だ。僕を信じろ。ちゃんと筋書きは見えている。」
出てきたのはただの精神論的なものだった。もはやいつも通りの決めセリフとか、そういう類のものだった。
「はぁ…。またそれなのね。」
香子はわざとらしく大きなため息をついて見せた。呆れたようにも見えたが、どこか優しい顔をしている…、気がした。
「有馬君はいつもそれね。どうせまた何か肝心なところは隠しているんでしょう。私がそんなにあなたに対して信心深いように見えるのかしら。あと勝手に私の処遇を筋書き化しないでもらえる?」
香子は僕に叩けるだけの憎まれ口を叩きつけた後、こう続けた。
「信じてあげる、あなたの言葉だしね。…私をよろしくお願いします。」
ああ、この子はなんて可愛い顔で微笑むのだろう。その顔は僕の筋書きにはなかったのだけれど、信じてくれてありがとう。
「おう、僕に任せろ!」