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第二章 「家デート」

「…なんだって?」

 いや、確かに聞こえた。鼓膜は震え、神経はその信号をきちんと脳まで運んだことだろう。しかし、理解が追いつかないのは僕の頭のできが悪いのか、目の前の事象がそもそも人のお脳向けではないのか。


「だから背中から腕が生えたと言っているのよ。」


 香子は先ほどよりも、ずっと簡単そうに言ってのけた。むしろ腕を組んで何だか堂々としている。


 僕は香子の細く、白い腕と香子の背中とを見比べた。刹那、僕のお脳がウォーミングアップを始めた。始めに頭に浮かんだのは、そのビジュアルにユーモアを全振りしたかくとうタイプのポ○モンであった。彼女の背中にそれはもうムキムキの腕を2本足して、チャンピオンベルトを巻かせたところで僕はやっと、それは違うなと自分自身にツッコむことができた。


 どうやら僕の頭のできは悪いらしい。


 「腕が、生えたのか。」

 

 僕は僕を落ち着かせるために、言葉からその事象を我が物にしようと考えた。そしてこれは案外効果的だったみたいで、僕はやっと今彼女の身に起こっているであろうことが理解できた。


 どうやら香子の背中に腕が生えたらしい。


 おいさっきから進んでないじゃないかと思うかもしれないが、それは違う。僕はもう理解した。理解した上で言っているのだ。香子の背中に腕が生えた、なんと簡単な文だろう。主語と述語がハッキリしていて分かりやすい。


「あー、とりあえず背中を触らせてくれないか。いや、背中というか厳密に言うとその腕とやらを。」


 僕は努めて落ち着いていった。


「…いいわよ。」


 香子が振り向き、背中を僕に向けた。ここから見た様子では、あまり違和感はない。近づいて適当に背中をさすってみる。


「…っ!」


 驚いた。ある。何かがある。まるで腕の太さ程度で、まるで腕の長さ程度のものが香子の背中にある。その範囲を確かめるように背中を上下左右に触りまくったが、どうやら腕らしきものは1本のようだ。

 その腕らしきものは細く小柄で、香子の首の下、左右の肩甲骨から挟まれるように生えていた。ちょうど、肩から腕が下に向かって伸びているように、その腕も存在していた。肘関節もちゃんとあるようで、手のひら、指、爪までもができちんと、と言ってもいいのか分からないが、揃っていた。


手の中の指の1本1本までを探ったり、たまにつねったり、皮を伸ばしてみたりしていると香子が声を上げた。


「も、もういいでしょう。ニギニギと触りすぎよ。」


「わ、悪い!」


僕は 慌てて手を離した。香子は恥ずかしそうに後ろを向いたままだ。


「いつからだ?今朝か?それ動かせるのか?」


 つい、僕はぶつけるような形で、香子に質問をした。


「そう。今朝起きたら生えていたの。知っていると思うけど私、寝るとき横を向く派じゃない?」


「いや君の寝相なんて知らないし、知る由もない。僕の健全な高校生という立場が揺らぎかねない誤解を招かないでくれ。」


「だから、よくあるのだけど背中側のパジャマがはだけていたの。そのせいかしらね、今朝私の目覚まし時計を止めたのはこの腕なの。目覚まし時計を止めるのに右と左、どっちの腕で止めようなんて考えないじゃない?だからきっと一番近いこの腕が動いたのかもしれないわ。」


「そ、そんなことって…。」


 ということは、ほとんど無意識レベルでその腕を動かせるということだ。それはつまり香子は午前の間、無意識で動かせる腕を意識して止めていたことになる。それは想像するだけでどれだけ無理難題かがわかる。僕で言えばこの腕を、足を、もしくは指のどこかだとしても、半日以上動かさないのだ。もちろん、休み時間にそれこそ羽を伸ばすように、腕を伸ばすことはできるかもしれないが、並大抵の精神では当然乗り切れないだろう。香子の凄まじさに舌を巻いたのと同時に、彼女に降りかかった理不尽に憤りを感じていた。


「もちろん大パニックよね。夢かとさえ思ったわ。でも違うみたい。背中に触れられているからわかるのだけど、手先が冷たいの。というか腕部分さえもなんだか冷えてるのよね。笑っちゃうでしょう?」


 香子は自嘲するかのように、力のない笑みを浮かべた。


 確かに少しひんやりとしているのが分かった。僕も付き合ってから気づいたのだが、香子はなかなか病的な冷え性だ。どうやらそれは3本目にももれなく適応されるらしい。香子にはそれが、この奇妙な腕が、自分の体の一部だと主張されているように思えたのだろう。


 香子に気の利いた言葉をかけれず、質問ばかりをしているうちに予鈴が鳴った。僕は午後の授業なんてサボってもよかったが、香子はきっと行きたがるだろう。そもそもこの状態で学校に来ていることからして、理解が追い付かない。なんというか石頭どころか、ダイヤモンド級の頑固者である。


「教室、戻るか?」


「…うん。」


 屋上を出て、教室に戻る最中の足取りは重かった。階段を一歩一歩降りるその足は、自分のものじゃないみたいだった。きちんと意識して歩かないと転げ落ちてしまいそうなまでだ。


 前を歩く香子は普段通り、といった感じだった。しかし、そんなはずはないだろう。今しがた自分の異常を、異形を、不可解を、伝えたのだから。恋人に打ち明けたのだから。


だから彼氏である僕は努めて明るく切りだした。


「今朝感じた違和感の正体がいまわかったよ。」


「違和感?私なにか変だったかしら。」


「いやお前が振り返って席に戻ったとき、ちょっと太ったかなって思ったんだ。珍しいなとか。」


「ああ、あのときね。姿勢のせいかもしれないわね。」


「姿勢?」


「あの時は、なんだか、その、落ち込んでいたのよ。有馬君に話すべきか、話さずにいるべきか分からなくて。そうやっているうちに、勝手に落ち込んで猫背になってしまったのかも。」


 なるほど。猫背になればその分、多少は腕の輪郭も浮き出てしまうだろう。


「そうだったのか。ということは隠すのは難しいかもなあ。」


「うーん、そうでもないわよ。」


「ほら、こうしていつも私がしているみたいに背筋を伸ばして堂々としていれば。」


 香子は僕よりも2、3歩前に出てから、くるりと回ってみせた。


「ね?案外気づきにくいものでしょう?」


 たしかに見ている分にはあまり違和感を感じさせない。

幸いなことにもともと体が細目で制服を余らせていた彼女は、ちょうど腕1本を背中に生やせるぐらいのスペースはあったようだ。


「お前が猫背じゃなくてよかったよ。やっぱ姿勢って大事だな。」


「そうね、姿勢は大事だわ。下なんて向いていられないもの。」


「そうだよな!つらい時こそ強く気を持ち続けないとな!」


「みんなが、私の顔で目の保養ができなくなってしまうものね。」


「自分で言うのか!」


「疲れ目でクラスの平均視力が下がってしまうわ。」


「そこまで言うのか!」


 どんな神経してんだこいつ!てか、見られてる自覚あったのか!


「でも有馬君は、私が猫背の方が都合がよかったんじゃない?」


「ん?なんでだ?」


「だって、ごまかせるじゃない。」


「なにを?」


「身 長 差」


「…僕は器が大きいから聞かなかったことにしてやるけど、あまり人のコンプレックスは刺激するものじゃないぞ。」


「あら、ありがとう。とても器が大きいのね。どうやら男性の器の大きさと身長は反比例するのかもしれないわね。」


「二度も触れたな!妹も最近じゃ気を遣って言わなくなったのに!」


 許さんぞ、大体お前と同じくらいだろうが!


「身長が伸長しなくなった程度、今の私に比べたら大したコンプレックスじゃないじゃない。」


「確かにそうかもしれないけれど、それなりに僕も気にしているんだぞ。」


 そんなことを言われてしまえば、僕はなにも言えなくなってしまう。今日の香子はいつもより3割増し程度に、意地が悪い。


 ふーー、と大きめの深呼吸をしたあと香子が珍しく謝ってきた。今日のこいつは情緒が少し不安定なのかもしれない。まあ無理からぬ話なのだけれど。


「悪かったわ。ごめんなさい。つい、いじめたくなってしまったの。許してちょうだい。」


「まあ、いいさ。僕も小さなことで騒ぎすぎたよ。身長が伸長しないだなんてオヤジギャグ、笑って流してやるべきだった。」


「まぁ私の腕は治るかもしれないけれど、有馬君の身長はどう足掻いても変わらないのだけれどね。」


「お前反省してないだろ!!」


 こいつ、もともと性格が悪いのかもしれない!


 微笑ましいカップル会話を続けているうちに僕達の教室に着いた。僕らは何もなかったかのようにそれぞれの席に着き、教師が始めようとしている授業の準備に移った。



 香子から離れ一人になると、やはり色々なことが頭を巡った。整理、というにはあまりにきりもみ的で、気持ちを落ち着かせることさえも難しかった。

 一体なぜこんなことが起きたのか、これからどうすればよいのか。分からないことだらけだ。吉野に相談してみようかとも考えたが、まだ香子が精神的にも安定しきっていない状況で他言するのは悪手だろう。それに、吉野を巻きこんでしまうのも少し気が引けた。


 窓際の僕の席から、グラウンドを見ても黒板に目を移してみても、答えは見つからなかった。学校も教科書も、あるいは教師達も、正義ぶった顔でそこにいるくせに僕らには何の頼りにもなりそうにない。汚れなど全く感じさせないような白い教科書に、僕は何だか無性に腹が立った。



 最後の授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。香子はなんとか周りのクラスメイトにバレることなく、1日を過ごしきった。あとは帰るだけだ。僕は香子に近づいて行った。


「香子、一緒に帰ろう。」


「…別にいいわよ。」


 2人で玄関に行き、靴を履き替える。今の時間は人が多く、靴を履くためにかがむのもままならない。だから僕らはこっそりロッカーの死角に隠れて、手早く僕が靴を履かせた。香子は少し恥ずかしそうだったが、なんだか少し満足げな、S心が満たされたような顔をしていた。そして、かく言う僕もいい顔をしていたかもしれない。


 校門を出てしばらく歩くと生徒の数もまばらになってきた。香子はあまり喋らない。若干の気まずい沈黙が僕らを包んでいたのだが、文字通り、僕は切り出した。


昼休み以降、ただ分からないとのたうち回っていたわけではない。僕が午後の授業のまるまるを犠牲にして思いついたこと。香子のためにできること。もし、僕の考えが正しかったのなら―。


「香子。実は今日父親も母親も帰るのが遅いし、妹は友達の家で遊ぶみたいなんだ。だから、まあ僕の家、いま誰もいないんだ。」


「…だからなに?そんな旧時代的なセリフで私を誘っているの?」

 

 香子は少しむっとしたように、眉を寄せた。気のせいかもしれないが、何かこう僕を哀れむような視線をよこしている。あなたはこんな状況でも馬鹿なの?みたいな。


「そうだ。僕の家でしたいことがあるんだ。」


 だけどそれは誤解だ。僕はちゃんと君を守るために、考えたんだ。


「なによ、恥ずかしくないなら言ってみなさいよ。」


「その腕、切り落とそう。」


 部屋、ちゃんと綺麗だったっけ。まったく家デートってドキドキするよな。


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