プロローグ 「いつもの朝」
初めましてこんばんは。僕の名前は有馬京 (ありまけい)。ここにいるってことは僕がこれから話す物語を聞く準備はできてると思っていいよな。
まぁそう身構えなくていい。楽にしてコーラのつまみ程度に聞いてくれ。
じゃあまずは物語の幕開け、始まりの朝からはじめよう。誰かが蝿になったわけではないのだけれど、プロローグはその日の朝からはじめるものだろう。たとえそれが何でもない、いつもの朝だったとしても。
この日はもう記憶の隅っこあたりに追いやられているようなものだけど、意外と覚えている。たしか僕は起きてすぐ仮病の練習をしていたはずだ。理由は定かでないが、おそらく前日の夜更かしのせいだろう。僕は夜更かしが苦手なくせに、画面越しの敵達を煽りに煽って煽りぬいて、気持ちよくベットに入るのが趣味なんだ。だから、煽られに煽られて煽られぬかれた日にはとてもじゃないけど寝付けない。早い話、朝までゲームをしていんだよ、うん。だからお腹を痛くするか、頭を痛くするか、はたまた体温計で摩擦熱を測ってみるか…、そんなことに頭を悩ませていたはずだ―。
「お兄ちゃーーん、もう朝だよー!」
「新しい朝だよ、希望の朝だよ!喜びに胸を開こう!」
僕の部屋のドアが勢いよく開いたと、頭で感じた時にはもう遅かった。
僕がまだ患う部位を決めていないのにも関わらず、突然に騒音とおよそ40kgが襲いかかってきた。それは馬乗りになってとても五月蝿い。
いつものことではあるのだけれど、我が家の中学3年生は今日も元気を押し売りしてくる。ラジオ体操の歌を素でいける奴がこの世とは言わず、我が家にいるのだから恐ろしい。
「お兄ちゃん!朝ごはん冷めちゃうよー。せっかくのサニーサイドアップぅー!」
この年中ご機嫌なラジオこと僕の妹は、名前を有馬洸 (ありまこう)という。
「お兄ちゃん!」
「わかった!わかったよ!朝も目玉焼きも!」
毎朝こんなやりとりをするんだ、僕の気苦労は察するに余りあるというものだろう。
「ただ、お兄ちゃんは今日頭が割れるように痛いんだ。学校も休もうと思うから朝ごはんは後で食べるよ。」
一瞬、洸が納得しかけたような顔をしたがその視界に昨日のゲームの痕跡が入ってしまったようだ。
「お母さーん、お兄ちゃん遅くまでゲームしてたから学校休…」
「あー!いい朝だなあ!こんな日は学校が楽しみでしょうがないんだよなあ!」
なるべく頑張って、大きな声で、ラジオ体操をしてみた。洸は満足げな顔で僕を眺めている。ちくしょう、妹様よ覚えておけ。
妹様、渾身の目玉焼きを平らげた僕はさっさと準備をして、家を出た。さもないとあのテンションに身を焼かれ、やがて朽ち果てるからだ。痛くない頭も痛くなってしまう。
「行ってきます。」
僕は靴を履いて、ドアを開けて、家を出た。
僕の通う高校、市立赤根ヶ原高校は家から電車を使って2駅、そこから歩いて20分程度のところにある。この絶妙な登校時間に魅かれて入学を決めたのだが、我が校は十人十色の平凡な青春を送るのにはもってこいだとも思う。
新学期が始まっても特に変わることはないのだけれど、この4月の空と、気温と、風景達は少し特別に感じられる。この町が盆地ゆえに春と秋が短いから、といういかにもな理由ときっと僕の心情からだろう。
僕がいま過ごしているこの時間を「青春」、と呼ぶぐらいなのだから、それはやはり季節的な春と何らかの親和性があるのかもしれない。
僕は青春を愛している。この未熟さも無敵さも、きっと今だけに許されたものなのだろう。愛さなければ損である。
電車に差し込む8時前特有の柔らかさを持った光が、僕の読みかけの文庫本を穏やかに照らした。暖房とはまた異なった暖かさが車内に広がっている。始まりは散々だったが、なんとなくいい日になってくれるかもしれないと、そんな風に思える日だった。
何事もなく登校できた僕は、その道中と「わりと当たりめの文庫本」によって今朝の喧噪をすっかり忘れることができた。穏やかなテンションと理由もないワクワク感で、教室のドアを開けて中に入った。
教師が来る前の教室は、電灯を誰がつけるわけでもない。この光源が窓際にしかない光景も僕のお気に入りだ。光源が限られているからこそ、男子生徒の他愛もない会話や、女子生徒の仕草の隅々が、教室に彩りを与える。
しかし、限られた青春の陽光をひと際に集めてしまう存在がこの教室にはいる。
だから今日も、僕が最初に目に入ったのは御縁香子 (みえにしこうこ)だった。長めの髪に、少しのきつめの性格。成績は優秀、容姿も端麗。
「おはよう。」
僕はいつも通り、胸の高まりを悟られない程度のトーンで声をかけた。
御縁香子。
長めの髪に、少しきつめの性格。成績は優秀、容姿も端麗。
そして―、正真正銘の僕の彼女だ。