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ORDER‐OFFICE 101 ―治安局101分署―  作者: キュノスーラ
第2章  「バディ」
8/30

オフィサーなのに仕事がない

 治安局オーダーオフィスの通信管理センターには、平均して12秒に1件、市民からの通報が飛び込んでくる。  

 そのうちの3分の1は、急を要するものだ。 

 そんな通報には、通称《制服組》と呼ばれる、警邏部のオフィサーたちが対応する。

 青白ツートンカラーのパトロールカーに飛び乗り、彼ら流に言えば『ケツにブースターでもついてるみたいに』現場に急行するのだ。


 無論、殺人的な忙しさに走り回るのは、警邏部のオフィサーたちだけではない。

 所属がどこであろうと、このオータム・シティのオフィサーである限り、その日常は安寧とは無縁だった。

 オフィサーたちの詰所は通称《待機室》と呼ばれているが、実際には、のんびり「待機」していられるような余裕などない。

 他の誰かが待機室をのぞいたとしても、ほとんどの場合、無人のデスクと、山積みの雑用が主の帰りを待っているだけだ――


「おい、てめえらっ!?」

 

《凶悪犯罪対策課》のプレートだけが真新しい、おんぼろ待機室。  

 その入り口で、この日3度目の「市街地の巡視」から戻ったギア・ロック捜査官がとうとう怒鳴り声をあげたのは、課の設立から丸2日と、15時間目のことだった。


「この3日間、ずっと言おう言おうと思ってたんだが……今、言うぞ! てめえら、一体、何をしてるんだ!?」


 ジェイド、ロッサーナ、ゼファ、イグナシオ。

 ギア自身とカースを除く、凶悪犯罪対策課のメンバー全員が、デスクに・・・・ついて・・・いる・・


 課のほぼ全員が待機室に揃っているなどという事態は、他の課ならばほとんど有り得ないことだった。

 彼らに、揃ってぽかんとした目を向けられ、ギアの苛立ちはますます募ったが、とりあえずは何も言い返さずに、一人一人を睨み渡す。

 そうして、十秒ほども睨み合っていただろうか。


「見て、わからない?」


「わかるに決まってんだろ、ンなもん!? わかった上で、敢えて聞いてんだ! てめえは、一体、何をやってんだ!?」

 

 椅子を回してこちらを向き、あからさまに面倒くさそうな調子で答えてきたロッサーナに対し、ずかずかと歩み寄って、全力で指を突きつける。

 女優か何かのように毎日変わるロッサーナの衣装は、今日は反射の具合で色合いが変わる光素材を使ったタンクトップと、ローウエストの黒いパンツ、編み上げのブーツというものだった。

 引き締まった腹と、肩から先を惜しげもなく剥き出しにした彼女は、自分の鼻先に突き出された指先をうっとうしそうに見やり、二度ゆっくりと瞬きをしてから、告げた。


「ネイルケア」


 かたちのいい右手を持ち上げ、甲のほうから見せつけてくる。

 タンクトップに合わせて玉虫色に色を変えるネイルエナメルが、中指の分だけきれいに拭き取られて、爪本来の色を見せていた。


「昨日ネイルサロンに行ったとこなのに、さっき見たら、中指の先のとこが剥げてんの。ほんと有り得ないわ」


「有り得ねえのは、この状況だろうがっ!」


 ギアは、どんとロッサーナのデスクを叩いた。

 ずらりと並んだネイルカラーの小瓶が、衝撃で何本か倒れる。

 さすがに眉を寄せ、苦情を述べようと口を開きかけたロッサーナを、彼の更なる怒鳴り声が遮った。


「何なんだよ、この状況はっ!? ここへ来てから、ほとんど丸々3日間――」


 だん! と天板がへこみそうな強さで、再びデスクを叩く。


「俺たちは、全然、丸っきり、何ひとつ、これっぽっちも仕事を・・・してねえ・・・・んだぞっ!?  その上、何だ!? 疑問もなしに、これ幸いとダラダラしやがって! 仮にもオフィサーが、こんなことでいいとでも思ってんのか!?」  


 署長直属の凶悪犯罪対策課の設立から、2日と15時間。

 通常ならば通信管理センターからの出動要請と事件の情報を絶え間なく表示し続けるはずのラップトップは、石のように沈黙を守ったままだった。

 他の課は、どこもフル回転をオーバーしている状態だというのに、自分たちにだけ、全く仕事が回ってこない――

 どう考えても不自然、かつ不経済な状況の中で、ギアの疑問と苛立ちは、とっくに臨界点を超えていた。


「この街で、オフィサーなのに仕事がねえって、有り得ねえだろ! どうなってんだっ!?」

 

 怒り狂うギアを、ロッサーナはしばし冷ややかな半眼で見つめていたが、


「なあんだ。そんなこと」


 吐き捨てて、馬鹿ばかしい、と言わんばかりの態度で椅子を元に戻した。


「そんなこと、だと?」


「何よ」


 犯罪者たちが一瞬で血の気を失う、ギアの底冷えした口調にも、ロッサーナの態度は毛ほども変わらない。


「そうやってイライラしてみたところで、どうせ、私らに仕事なんて来やしないわ。それなら、せいぜい有意義に暇を潰したほうがいいでしょう?」


「何だって?」


 さばさばと口にされた言葉に、ギアは、思わず訊き返した。

 一体なんなのだ、この悟り切った態度は。

『どうせ、あたしたちに仕事なんか来やしない』

 とは、一体、どういうことだ?  


 倒れたネイルカラーの小瓶を優雅につまみあげては並べ直していたロッサーナは、その作業を完了すると、戸惑ったように言葉を途切れさせたギアに、じろりとはしばみ色の目を向けた。


「解説されなきゃわからないってわけ? 意外とおめでたい頭をしてるのね。この状況がどういうことか、なんて、判り切ったことじゃない。

 要するに上は、私らを一箇所に集めて、せいぜい邪魔にならないように閉じ込めとくつもりなのよ。ま、そのうち、お望み通りに派手な仕事が回ってくるかもね。そう、全員でかかって一発であの世行きになっちゃうような、とんでもないヤマがね……」


「何だと?」


「陰謀は常に優雅であるべきよ。これは見え見えすぎるわね。私が気に入らないことがあるとすれば、その点だわ」


 ロッサーナの発言に、ギアは、混乱していた。

 今、この部屋にいる全員が二人の会話を聞いている。

 それなのに、誰一人として懐疑や否定の声を上げるものはない。

 ならば――


「ふん、やっと理解できた? むしろ気付くのに3日もかかったってことのほうが驚きなんだけど。だって、このメンツを見た時点で見え見えじゃない。見事なまでに、全員が札付きなんだもの」


「全員が……札付き? じゃ、まさか」

 

 思わずそのまま繰り返し、ギアは、あんぐりと口を開けた。


「お前らも、全員、そう・・なのか?」


 パールルージュの唇がにんまりと歪み、次の瞬間、ロッサーナは愉快そうに笑い出した。

 彼女が声をたてて笑うのを見るのは初めてだったが、そうしていると年上の女の迫力がなりをひそめ、少女のような印象になった。


「あらあら、これも今、やっと判ったのね? その通りよ、012の《バイオレントオフィサー》ギア・ロック捜査官。二つ名に似合わないその罪状は『精神的惰弱』――

 残念ながらこっちのはつまらないけど、教えてあげるわ。 私、前の分署では、同僚と反りが合わなくてね。行きがかり上、その一人と、殴り合いの喧嘩になっちゃって」

 

 機嫌の良い猫のように目を細めて、続けた。


「相手を、階段のてっぺんから突き落としてやったの。あんなバカ女、適当にあしらっとけば良かったんだけど、こっちも、ついカッときてね。ふふ……ゼファ、あんたも聞かせてやりなさいよ」


「はあ」

 

 それまでの会話に熱心に耳を傾けていたゼファが、促されて、にっこりと人懐こい笑みを浮かべてくる。


「えーと、ですね。実は、俺、移動式の超小型カメラを作るのが趣味でして」


「超小型カメラ……?」


「これです!」


 言いながら、嬉しそうにゼファが指差してきたものは、デスクの上――

 両手におさまる程度の大きさの、天板が透明になったコレクション・ボックスだった。

 そこには、体長1cm弱の羽虫のようにしか見えないものが、ぎっしりと並べられている。  


「これが、カメラか?」


「そうそう、そうなんですよ! こんなに小さくても、ちゃんと操作できるし、映像もクリアに写るんです。これ全部、俺が作ったんですよ。凄いでしょう?

 外見をいかに小さく、目立たなくするか。移動をいかに速く、スムーズにするか。操作可能な距離を、いかに長くするか……こういうのを極限まで突き詰めていくのが、何ともいえず面白いんですよね!

 それで、前の分署でも、よく休憩のときなんかに、自作のカメラの試運転をしてたんですけど……あるとき、ちょっとばかりヤバいものを写してしまいましてねー、ははははは」


「ヤバいもの、って……」


「聞きたいですか?」


「いや……いい」

 

 今となっては、ゼファの笑顔が、何だか底知れないものに見えてくるギアであった。  

 ロッサーナが、何に同意したつもりなのかは不明だが、とにかく、深々とうなずく。


「棒人間は、ま、見ての通りの棒人間だし。納得がいくわね」


 既に『棒人間』というのが呼び名になっているらしい。

 当のイグナシオは、怒る様子もなく、何やら一人でブツブツ言いながらラップトップに向かっている。


「それじゃ、あいつ……カースは? 何をやらかしたんだ?」


「あら。そういえばあんた、あいつと一緒じゃなかったの? あいつは、どこに行ったのよ」


 問われて、ギアは隠そうともせず、げんなりとした表情を浮かべた。


 基本的に、オフィサーは、通常任務中に単独行動を取ることはない。

 常に、二人一組となって動き、互いをフォローしあい、カバーしあう。

 

 彼らは、互いを『バディ』と呼ぶ。

 運命共同体――  

 命を預けあう相棒だ。

 

 初日、『カース・ブレイドとバディを組むように』と発表された直後、ギアは猛反発したものの、


(他に、マシな奴が誰もいねえ!?)


 という限りなく後ろ向きな理由により、渋々同意したのだった。

 そんなわけで、巡視に出たときは確かに連れ立っていたのだが、今、ここにいるのはギア一人だけである。


「あんまりうるせえんで、ゴミ捨て場に捨ててきた」


「あ、そう」

 

 それで本当に納得したのかどうかはわからなかったが、とりあえずロッサーナは頷いて顎に手をやった。


「噂だけど、あいつは、上司の息子に手を出したのがバレたとか何とか」


「最低だな」


 がっくりと脱力して、呻く。

 ややあって、ギアはのろのろと顔を上げると、最後の一人――

 一番奥のデスクについたジェイドを指差した。


「彼は?」


 ロッサーナは、剥き出しの肩を小さくすくめてみせた。


「そのへんの事情は有名よ。誰だって知ってると思ってたけど。もし、知らないんなら、直接聞けば?」


 当のジェイドは、ギアの怒鳴り声に驚いて一度顔を上げて以降、我関せずといった様子で、黙々とモニターに向かっている。

 こちらの会話が耳に入っているのかどうかすら、判別が難しい。  

 ここ二日というもの、ギアは、彼がこうしてモニターを睨みつけている以外の様子を見かけたことがなかった。  

 とりあえずロッサーナの言葉に従うつもりで、彼女のデスクを離れると、ぶらぶらとそちらに近付き――


「何してんだ? さっきから」

 

 ひょいと、モニターを真上からのぞき込む。


 ジェイドは表情をこわばらせ、同時に、パネルの上で指を踊らせた。

 モニター上に幾つも重なっていたウインドウが、恐ろしい速さで閉じられてゆく。

 彼の操作には、ただ手慣れているというのではなく専門の訓練を受けたことを感じさせる素早さがあったが、ギアはミラーグラスのディスプレイ・システムの助けを得て、閉じられていったウインドウが自分たちのオフィサーとしての経歴を示すファイルであることを確認していた。

 ギアたちには、アクセス権のない情報だ。


「へえ、戦力の把握ってやつか? だが、いくら俺たちが優秀でも、それを発揮する機会がなくちゃ意味ねえよな」


 言いながら、ギアは再び、あの奇妙な感覚が脳裏をざわめかせるのを感じていた。

 この神経質そうな男の容貌に、以前から見覚えがあったわけではない。

 だが――


(ジェイド・フォスター。確かに以前、どこかで聞いた名だ。どこかで――)


「俺たちをこんなとこに閉じ込めて腐らせようなんて、上の奴ら、ふざけた真似してくれやがるぜ。  なあ、あんたは、どうしてここに来たんだ? そんな真面目な顔して、一体何をやらかしたんだよ?」


「答える義務はない」

 

 彼は、早口で囁くように答えた。

 こちらと目を合わせようとしない。

 何に対して緊張しているのか、顔色が蒼ざめている。


「何だよ。俺たちのデータには好きにアクセスしといて、自分のことは話したくねえってのか?」

 

「部下のデータを把握するのは上司の義務だ」


(上司、だと? 上司……ああ、そうか!)


 その瞬間、稲妻が閃いて空と地面とを繋ぐように、ギアの中で、おぼろげな記憶の糸がようやく繋がった。

 だが、まだ確認が取れたわけではない。


「部下にだって、上司のことを知る権利はあってもいいと思うぜ」  


 思わず手を打ちそうになるのをどうにかこらえ、何気なさを装って言葉をかける。


「そうじゃないか? 《ノー・ミス》ジェイド」

 

 その瞬間の彼の反応は、予想したよりも遥かに激しかった。

 彼は一瞬、凍りついたように動きを止め、それから目を見開いてギアを見た。

 ギアは大きく頷いた。


「やっぱりそうか! 道理で、名前に聞き覚えがあったはずだ。あんたのことは、012分署でも有名だったぜ。皆で、あんたみてえな男の下で働きたいって言い合ったもんだ……」  


不敗のノー・ミス》ジェイド。

 若干20歳で005分署の組織犯罪課に入って以来、五年間、つまらない事務仕事から込み入った事件の捜査まで、何一つ手落ちなくこなし続けたという伝説の男。

 その実力が評価され、異例のスピードで一班を任されるに至った。

 誰一人として、彼の栄光に満ちた将来を疑う者はなかった――


 だが、不敗の記録は、彼が班長となって9ヶ月目に破られることとなった。

 それも、最悪の形で。  

 ある連続殺人犯を逮捕寸前まで追い詰めておきながら、ジェイドの判断ミスによって逮捕は失敗し、犯人との銃撃戦の中で、多くのオフィサーが負傷し、うち二名が命を落とす惨事となったのだ。

 そのことが原因となって、彼は005を離れ、以後は、各地の分署を転々としているという噂だったが――


「たった一度の失敗であんたを手放した005の連中は大馬鹿野郎だ。あんたは、こんなとこでくすぶってていいタマじゃねえ。そして、俺たちもな!」  


 ギアは拳を握り、ジェイドに詰め寄った。


「こうなったら、あのハゲ坊主……バンタム署長に直訴するしかねえ! あんたがリーダーになってくれりゃ、俺たちがバックアップするぜ。俺たちに、まともな任務を回させてやる!」


 唾が飛ぶほどの勢いで力説したこちらを、ジェイドは無表情に見返した。

 やがて、その視線がデスクに落ちる。


「私を買いかぶるな」

 

 疲れたような口調。

 ギアの拳がわなないた。

 あと五年、若ければ、この瞬間に目の前の男をぶん殴っていたかもしれない。


「ああ、そうかい」

 

 十秒後、ギアは拳を相手の顔面に叩きつけるかわりに、指を開いて静かにデスクに置いた。

 そのまま、相手の顔を間近からのぞきこむ。


「なるほど。確かに、俺はあんたを買いかぶってたらしいな。たった一度の失敗をいつまでも引きずってうじうじしてるような腑抜けた野郎には、そりゃ、上司に文句をつける度胸もねぇだろうよ!」


 これは、ぶん殴るよりも効いた。

 ジェイドが椅子を蹴倒し、立ち上がる。

 表情はまだ冷静だが、底冷えした青い目と蒼白な顔色が、内心の激昂を物語っていた。

 

(来る)


 そう判断して、ギアはデスクから素早く両手を離し、身構えた。

 ジェイド・フォスターについて聞いていた評判が確かなら、彼は訓練校アカデミー時代から、教官も相手をするのを敬遠するほどの捕縛格闘術の名手だったはずだ。  

 結局殴り合いだが、別にかまわない。

 男の絆は、拳で語り合うことによって育てられるのだ。

 ギアの信念である。

 もちろん、違う場合もあるが。


「えーっと。あのー」


「止めるなよ、ゼファ」

 

 ためらいがちに呼びかけてきた同僚のほうは振り向かないまま、ジェイドの目を見据え、にやりと唇の端を吊り上げてみせる。


「いくらあんたでも、俺の腕をへし折るにはちょっとばかり手間がッぐぇっ!?」

 

 出し抜けに背後から首を締め上げられ、一瞬、視界が真っ赤になった。


「ギア~!」

 

 聞こえてくる、底抜けに明るい声。

 三秒ほど、何が起こったのか理解できなかったが、それはすぐに判明することとなった。


「後ろにカースがいるから気をつけて、って言おうとしたんですけど……」

 

 困ったような調子で、ぽつりと、ゼファ。


「ひどいじゃないかぁ、ギア」

 

 音もなく接近して首に腕を巻き付けてきたカースは、肩越しにこちらの顔に頬摺りして、拗ねるように言ってきた。


「相棒を、掃除用ロッカーの中に閉じ込めるなんて! しかも、ゴミ捨て場に捨てるなんてっ。暗いし狭いしおまけに臭いし、もう最あぶほっ!?」


「ダストプレッサーに潰されて滅びろ、てめえはっ!」

 

 容赦ない裏拳をカースの鼻柱に叩き込み、その腕を振りほどいて、ギア。


「状況を読みやがれ、この野郎! こっちは今、てめえに関わってる場合じゃ……」

 

 怒鳴りながらジェイドのほうに向き直ったところで、思わず、言葉を途切れさせる。

 カースに気を取られたわずかな時間のあいだに、彼は元通りの体勢で椅子にかけ、黙々と事務仕事に戻っていた。

 まるで、最前の凄絶な睨み合いなどなかったかのような様子である。


「ううう。ひどい」


 こちらが沈黙しているあいだに、鼻の頭を押さえつつ、ごそごそとカースが起き上がってきた。


「よく、出てこられたな」


 色々と納得のいかない点はあるものの、ジェイドとの直接対決を避けることができたという結果は、ある意味では幸運なものだったと言えるかもしれない。  

 情けない顔をしているカースに視線を向けると、ギアは、幾分か語調を緩めてそう言葉をかけてやった。

 その途端に、カースの表情が一変する。

 たちまち弾むような笑顔になって、


「それがさ、聞いてよ! 偶然、壊れたハンガーラックを捨てに来た人がいたから、助けを求めたんだ。ハンガーラックが壊れるなんて、そうそうあることじゃないよ。このタイミングの良さ! 運命の女神が、僕たちの恋に微笑みかけているとしか思えないよね!」


「こいつを食らってもまだそんなめでたいセリフが吐けるかどうか、試してやろうか?」

 

 ギアは装甲アーマードジャケットの懐からマチルダを抜き、カースに見えるようにゆっくりと安全装置を解除した。

 一瞬でも、こいつに感謝した自分が馬鹿だった。

 やはり、甘い顔など見せるものではない。  

 二日前の恐怖がよみがえったか、慌ててデスクの陰にしゃがみ込む『相棒』の姿に深い溜め息をつくと、ギアは再びロックしたマチルダを懐のホルスターに突っ込み、踵を返して扉に向かった。


「え? ギア、どこか行くの?」


「巡視だ」


「ええっ、また? あっ、じゃあ、僕も――」


「お前は残れ」

 

 あたふたと腰を浮かしかかったカースは、言下の拒絶に、一瞬目をぱちくりとさせたが――

 やがて、うそっ、というようにその目を見開き、自分の胸を指差しながら言ってくる。


「でも……僕は、君のバディだよ?」


「いらん」


 身も蓋もなく言い捨てて身をひるがえし、足音も荒く待機室を後にするギア。


「そんなあ……ねえ、ちょっと待ってよ!」

 

 その後を、ばたばたとカースが追いかけてゆく。

 ジェイドは静かにデスクに両肘を突き、頭を抱えた。

 ロッサーナは、それを見ないふりをして、美しい玉虫色に染まった爪に、静かに息を吹きかけた。



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