「この街を派手に引っくり返してやるんだ」
「坊ちゃん。本当に、やるんですかい?」
部下からの問いかけに、クアンは、馬鹿にするように笑った。
ここはデルトロ・ファミリーが本拠を置く巨大ビルディングではなく、クアン自身が経営を任されているカジノのひとつだった。
彼は若いが、秘密の謀議に、与えられた私室を使うほど愚かではなかった。
あそこには、ドン・デルトロ――アルフォンソの目と耳が届かないところなどないのだ。
ここならば、もちろん、話は違う。
このオータム・シティに何百となく存在する他の店と同じように、表向きは合法のカジノ――
だが、一歩裏側に踏み込めば、ありとあらゆる非合法の愉しみが手に入る場所だ。
無論、金が続くかぎりは、だが。
その、もっとも奥まった一室に、彼らはいる。
「怖いのかい、デレク」
ぎらつくみどりの目が、対面に座った男を見据えた。
クアン自身はソファに腰を下ろさず、傲然と腕を組んで、相手を見下ろしている。
「僕は、命令してるんじゃない。お前たちに、お願いしてるんだ。この僕のお願いでも、駄目かい?」
苛烈な目の光とは対照的に、その口調は甘く、口元には笑みが浮かんだままだ。
クアンの対面に腰を下ろしている男は、二人。
どちらも、端整な仕立てのスーツに身を包んでいる
しかし、与える印象は正反対だった。
一人は、いかにもその腕に物を言わせてのし上がってきたと思わせるような、筋骨隆々たる大男。
節くれ立った指にいくつも嵌められたダイヤの指輪が、装飾品というよりも、ブラスナックルの代用品に見える。
男は、逆立てた黒髪に太い指を突っ込んで頭をかくと、ぼそりと答えた。
「ドン・デルトロの決定に、真っ向から逆らうとなりゃあ、正直なところ、二の足を踏まないと言っちゃ嘘になる」
「はっ!」
隣に腰かけた男が、あからさまな嘲笑を向けた。
「意外じゃありませんか? 《赤い悪魔》と呼ばれたデレクが、そんな臆病者だったとは」
そう言った男は、柔らかそうな金髪を束ねた優男だった。
大男のデレクとは違い、ほっそりとしなやかな体格をした、どう見ても荒事向きには見えない男だ。
「私は、やりますよ。坊ちゃんのご決断なら、それだけで私にとっては命を懸ける価値がある。何なりと仰ってください」
「よく言った、アントン」
クアンは金髪の男――アントンに微笑んでみせ、
「お前はどうするんだ、デレク?」
組んでいた腕をほどくと、ゆっくりと歩いて部下たちの背後に回りながら、続けた。
「考えろよ。もうすぐ過去の男になる老人と、未来のドン……どっちにつくのが利巧か、お前なら、理解できるだろう?」
ほんの微かな物音がした。
何の感触もないはずなのに、デレクの首筋が、わずかにこわばる。
低出力レーザー照準の赤い点が、デレクの首の後ろを這い上がり、後頭部でぴたりと止まった。
「ねえ。答えろよ」
凄みの効いた問いに、
「この《ディアブロ・ロホス》を、見損なってもらっちゃあ困りますぜ」
デレクは、振り向いた。
ぎらつく指輪を嵌めた手を伸ばし、至近距離からまともに眉間を向いた銃口を、あっさりと指先で押しのける。
彼は、にやりとくちびるを曲げた。
「ちょいと、坊ちゃんの決心の程ってやつを確かめさせていただいただけでさあ。カジノの用心棒から取り立てていただいて五年。俺の命は、坊ちゃんに差し上げたモンだ。好きに使っていただきましょう」
クアンは、牙を剥くようにして笑った。
銃をおさめ、矢継ぎ早に指示を下す。
「アントン、情報を集めてもらいたい相手がいるんだ。それから、ある場所の『地均し』を頼みたい」
「何なりと」
「デレク、おまえは資材の調達と、使えそうな部下の招集だ」
「お任せを」
男たちは目の前にグラスを掲げ、きつい酒を一息で飲み下した。
クアンは、窓のない部屋の壁をじっと見つめた。
「すぐだよ、パパ」
その目には、暗い情念の炎が燃えているようだった。
「僕が助けてあげる。イヌどもとジジイの目の前で、この街を、派手に引っくり返してやるんだ」