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ORDER‐OFFICE 101 ―治安局101分署―  作者: キュノスーラ
第1章  「ゴミ箱」
6/30

このメンツ、むしろ犯罪

『畜生! こりゃひでえ――!』

『動かすんじゃないぞ、今、記録を』

『いや、待て……』


 耳の中に、いくつもの声が無数の泡のように弾けては消える。

 彼は、それが実際の記憶ではないことを知っていた。


 あのとき、自分は、今と同じように横たわっていた。

 そして、まるで誰かがスイッチを切りでもしたかのように、身体のどこも動かすことができず、五感のうち、かろうじて働いていたのはただ視覚だけだった――

 鼓膜はひどく損傷し、焼け爛れた皮膚には感覚がなかった。

 自分がそんな状態にあるということさえ、その時には、判らなかったのだ。


 黒焦げになった天井を背景に、黄色い服を着た数人の救急隊員がこちらに屈み込み、口々に何かを言っている。

 あのときには聞こえなかった声が、記憶の中で捏造され、彼らの口の動きにぴったりとあてられる。


『生きてる!』

『奇跡だ! この子は、まだ生きてるぞ!』


(……生きてる?)


 そう意識した途端、彼は不意に、あることに気付く。

 とっくに知っているはずなのに、彼は、その瞬間を何度も繰り返し体験する。 内臓をわしづかみにされるような恐怖が襲いかかる。

 そうしたくない、と思いながら、彼は静かに眼球を動かして、そのことを確かめる。

 ぼろぼろになった自分の身体の上に、何かが、おおいかぶさるように乗っていて、それが、自分を致命傷から守ってくれたのだということを……


『守ったんだ』


 ひどく感激したような救急隊員の声が、幾千もの合唱となってこだまする。


『守ったんだ』

『彼女は、この子を守った』

『自分を犠牲にして』

『犠牲にして』

『犠牲にして……』


(ア……)


 片方だけになった眼球から、涙がこぼれた。

 そこにはないはずの両腕をあげて、彼は力一杯耳を塞いだ。

 それでも、まるで頭蓋の内側で反響しているように、救急隊員たちの言葉は消えなかった。


『急いで、搬送を――』

 

「えーっと……この人、亡くなってるんですかね?」

 

「縁起でもないことを。呼吸している。眠っているだけだろう」


(何?)


 彼は不意に、違和感にとらわれた。

 これまで何千回も繰り返し、繰り返し再生されてきたはずの会話が、いつもと違う展開を見せているのだ。


「おそらく、同僚だろうな。我々の」


「どうして、こんなとこで寝てるんでしょうね?」


 割り込んできた二つの声――生真面目な声と優しげな声――が、意識の中で、徐々にはっきりとした現実の音声に変わってゆく。

 無数の幻の声は、遠い波の音のようにかすかになって……



 ギアは、両目を開いた。

 最初に視界に入ったのは、ミラーグラスのディスプレイ・レンズの内側に表示されたAM 09:12という時刻。

 それから、困り果てたような表情でこちらをのぞき込んでいる、金髪の男の上半身。


「よう」


 まったく見覚えのないその顔に向かい、ギアは、目覚めたことを示すために小さく片手を挙げてみせた。

 驚いたように身を引いた男に笑いかけ、ゆっくりと起き上がる。


 彼は今まで、ソファに横になって眠っていたのだった。

 このソファは、埃まみれの物置と化していたのを、一時間ばかり前に発掘したものだ。

 片方の肘掛けが半分もげ、スプリングは全部いかれているという代物だったが、激しい労働が一段落した三十分前、まともに休めるようなものがこれしか見つからなかったのである。

 そのせいで、悪夢など見る羽目になったのかもしれないが。


「ようやくのお出ましかよ。なかなか現れねえから、これ以上、誰も来ねえんじゃねえかと心配したぜ。このボロ部屋に来たってことは、あんたらも凶悪犯罪対策課のお仲間だろ? 俺はギア・ロック捜査官だ。よろしくな」


「ああ」


 焦げ跡と穴だらけの壁を眺め回していた金髪の男は、我に返ったように、慌てて手を握り返してきた。

 ギアよりも数歳年長とおぼしき男である。

 オフィサー募集広報のモデルに選ばれそうな、理想的な体格をしていた。

 顔立ちについても同様に、かっちりと男らしく整っている。

 だが、容貌とは裏腹に、動作や口調の端々には、やや神経質さを感じさせるところがあった。

 その特徴は、表情にもはっきりと表れている。

 短髪をきっちりと撫でつけ、一分の隙もなくスーツを着込んだ姿は、凶悪犯罪課などよりも、経理課あたりに似つかわしく思われた。


「よろしく。私は、ジェイド。ジェイド・フォスター」


「ジェイド?」


 その響きが微弱に記憶を刺激するのを感じ、ギアは口の中で相手の名乗りを反芻した。


「えーと。俺は、ゼファ・クラフトといいます」


 ギアが記憶の底から何かを引っ張り出すよりも先に、ジェイドの傍らに立っていた優しげな声の持ち主が、天真爛漫に自己紹介をした。

 ジェイドとほぼ同年代と見えるが、こちらは、壁が歩いているのかと思うほどの大男だ。

 ギアなど、向かい合って立ったら、彼の胸あたりまでしかない。

 しかし、体格の割に、さほどの威圧感は感じさせなかった。

 おそらく、人懐っこい笑顔と、柔らかそうな銀髪のためだろう。


「今日付けで、凶悪犯罪対策課に配属になりました。なんか、すごいところに来ちゃった感じですけど、これから一緒に頑張りましょう。えーと、ちなみに趣味は――」


「ところで」


 にこやかに自己紹介を続けるゼファをさえぎり、ジェイドが口を出してきた。

 眉間に皺が寄っている。


「さっきから、気になっていたのだが。表のあれ・・は、君が?」


「おう」

 

 部屋の外を控え目に指差してくるのに、ギアは、あっさりと頷いてみせた。

 そこは今や、二時間前まではこの部屋の中に収まっていた様々なガラクタの墓場と化していた。

 古い整理ボックスの山に、巨大な埃のかたまり。

 変形したハンガー掛けに古びた棚、脚の折れたデスク、骨董級のラップトップ等々が、その他の何だかよく分からない様々な物品とごたまぜになって積み上げられている。


「とんでもねーだろ? だが、俺が初めてここに来た時は、もっととんでもなかったんだぜ。何しろ、あれが全部、この部屋に収まってたんだからな。とりあえず、片っ端から放り出したところで、さすがに力尽きた」

 

 結局、生き残ったのはデスクが五つと、例のおんぼろソファだけだ。


「そうか。それは、大変だったな。で……その……」


 妙に歯切れの悪い口調で、ジェイド。


「あそこに転がっている、黒焦げの棒のような物体は……?」


「ううううう」


 廊下にうずたかく堆積したガラクタの一番上で、ぼろぼろになったカースが呻き声をあげていた。


「ああ、アレか? 気にすんな。ただの馬鹿だ」


「いやあの……」


 さすがに困ったように、ジェイドが食い下がろうとする。

 が。


「あ痛ぁっ!」


 がつん! という音とともにいきなり廊下から響いた悲鳴が、男たちの注意を否応なしに入り口に引きつけた。


「っつぅーっ……! 畜生! どこの馬鹿よ、こんな粗大ゴミを廊下に出しっぱなしにした奴はっ!? 邪魔だっつうの!」

 

 腹立たしげな怒鳴り声は、間違いなく女性のものだった。

 続いて、がっしゃんがっしゃんと騒がしい物音が近付いてくる。

 どうやら、散らばるガラクタを蹴り飛ばしながら、こちらに進んできているらしい。

 そして――

 彼女が部屋の入り口に姿を現した瞬間、ギアもジェイドもゼファも、完璧に言葉を失った。


『出会い頭のパンチ並み』


 そう形容したくなるほど、強烈な女性だった。  

 背の半ばまである豊かな鳶色の巻き毛を垂らし、派手な色合いのペイズリー柄のスカーフで頭を包んでいる。

 たっぷりと襞をとり、無数の金色のビーズを縫い付けた――信じ難いことに――真っ赤なドレス。

 色合わせのつもりなのか、金糸を荒編みしたショールを肩に巻きつけている。


 美女だ。

 とびきりの、と付けてもいい。

 ただし、化粧は濃すぎた。

 総体として見れば、そんなことはほとんど問題ですらなかったが。


「あら」

 

 並んでぽかんと口を開けている男三人を、順に見渡して、彼女は言った。

 明るいハシバミ色の虹彩を、瞼と長い睫毛で覆い隠すようにして――

 感銘が一割、面倒くささが九割といった調子で。


「ふうん、そう。それじゃ、あんたらが今度の同僚ってわけね。私、ロッサーナ・ウェルズ。まあ、ロスって呼んでちょうだい」


「ギア・ロックだ」

 

 握手を求めようともせず、ゆっくりと腕を組んで言った彼女に、こちらもだらしなくソファに座ったままで、ギアは応じた。


「ちなみに、表に粗大ゴミを放り出した馬鹿野郎は俺だよ。よろしくな」


「ふうん」


 ダークレッドのルージュをのせた唇を軽く尖らせ、大して興味もなさそうに呟いたロッサーナは、すっと視線を移した。


「そっちの坊やは?」


「わ、私は、ジェイド・フォスター」


 どうやら最初の衝撃が抜け切っていないらしく、『坊や』呼ばわりされても不快そうな素振りすら見せずに、ジェイド。


「えーと、どうも。俺は、ゼファ・クラフトです」


「ふうん。で、これで全部なわけ?」


 ロッサーナの問いに、ギアは無言で、ゴミの山の頂上を指差した。

 つられるようにそちらを振り向いたロッサーナは、そのまま、たっぷり十秒ほど固まった。


「あの……棒は?」


 十秒後に口にされたそのセリフには、今度は、感銘が二割程度は含まれているように聞こえた。


「気にするな。ただの馬鹿だ」


「ううううううう」


 やはり動かないまま、弱々しく呻いてくるカース。

 これに対してもロッサーナが「ふうん」を言うかどうか、ギアは少々興味があったのだが、それは結局、判らずじまいになった。


「あー……」


 いきなり入口のほうから、ぼへー、とした、まるで空中分解でも起こしそうな声が聞こえてきたのである。

 申し合わせたかのように同時にそちらを向いた一同の目に映ったのは、ひとりの若者の姿だった。

 その瞬間、全員が、思わず黙り込む。


(棒人間、か?)


 背丈は普通なのだが、病的なまでに痩せているせいで、実際以上に身長が高く見えた。

 なぜか、白衣を着ている。

 目にかぶさるほど伸び放題になった茶髪には、少なくとも三日は櫛を通した形跡がない。

 背を軽くかがめたような姿勢で、じーっとこちらを見ているのだが、どう考えても、こちらの誰とも視線が合っていなかった。

 とりあえず、沈黙したままで、全員が順送りに視線を交わしあい――


「おい。兄ちゃん」


 数秒後、全員に押し付けられたかたちで仕方なく口を開いたのは、ギアだった。

 眉をしかめて指を立て、


「悪いが、ここは、部外者は立ち入り禁止だぜ。この部屋は今日から――」


「凶悪犯罪、対策課……」


「あ?」


 呟くように言った若者は、ひたり、とギアに視線を据えてきた。

 大の男に、上目遣いでじーっと凝視されるというのがこれほど不気味なものだと、ギアは、無駄に思い知らされることとなった。


「ボク……イグナシオ・ファウ……今日から……仲間……よろしく」


 ギアをはじめ、全員が言葉を失っているうちに、彼はつつつ、と室内に踏み込んでくると、ためらいもなく部屋の一番奥まで進んでいき、


「はぁ……」


 部屋のもっとも奥まった角に三角座りをして、満足げに溜め息をついた。


「何? あれ」


「さあ」

 

 誰にともなく、ずばりと問いかけたロッサーナに、にこやかに首をかしげるゼファ。


「えーと、でも、仲間っておっしゃってましたよ。多分、この凶悪犯罪対策課に招聘されたメンバーの一人なんじゃないですか?」


(マジかよっ!?)


 イグナシオ、とかいっただろうか?

 彼が、オフィサーとしてものの役に立つとは、到底思えなかった。

 というか、あの体格で、いったいどうやって訓練校時代を生き延びたのか、真剣に疑問だ。

 それ以前に、人間としてまともに付き合えるかどうかも怪しい。

 見た感じ、ほとんど妖怪である。


「ところで、課長はまだかしら?」

 

 ロッサーナが長い髪をかきあげ、極めてドライに話題を変えた。


「そういや、そうだな」


 言われて初めて、気がついた。

 ロッサーナが、今頃何言ってんの、というように目を細めるのが見えたが、敢えて見なかったふりをする。


 ここは今日から、凶悪犯罪対策課。

 となれば当然、チームリーダーとなるべき「課長」が存在するはずだ。


「えーと、あれじゃないですか? ほら、一番偉い人は、最後に登場するという」


「けどよ、これって、もはや遅刻じゃねえか?」


 あくまでも機嫌よさそうに言ってくるゼファに、ギアがそう言い返したところで。


「あの……すまないが」

 

 それまで黙っていたジェイドが、唐突に、そして申し訳なさそうに挙手をした。


「課長は、私だ」

 

 この言葉に――

 ロッサーナは、面倒くさそうな半眼を変えなかった。

 ゼファは相変わらず微笑んでおり、イグナシオは不動――

 カースに至っては、いまだ完全に伸びている。


「はぁ!?」

 

 結局、あからさまに驚いたのはギアだけだ。


「お前……いや、あんた、課長って、そんな話、一言も」


「いつ言おうか迷っているうちに、タイミングを逃した……」

 

 煮え切らない男である。


「なあんだ、そうだったんですか? 水臭いなあ。もっと早く教えてくださいよー」


「で。結局、これで全員なわけ?」

 

 煮え切らない課長に代わって、いきなり、ロッサーナが場を仕切りはじめる。


「あ、ああ……」


「ふうん。六人? ってゆうか、え? 外で焦げてるアレって、数に入るの? それとも死んでる?」


「生きてるらしいですよー。とすると、デスクがひとつ足りなくて……えーと、備品の申請って、庶務課でいいんでしたっけ?」


「これは、物を入れるよりも拭き掃除が先だろう。どこかに、モップか何かないか?」


「モップ……あった……こっち……」


「あら。棒人間、意外と使えるのね」

 

 何やら全員、さらりと状況に順応して、それぞれ作業にかかり始める。


(おい、おい、おいおいおい!)

 

 そんな中、ギアは一人、冷や汗を垂らして立ち尽くしていた。


(冗談じゃねえぞ!? 変態セクハラ男に、押しの弱い課長。すっとぼけた大男にド派手な女、妖怪棒人間……って、アホかっ!? 何が、凶悪犯罪対策課だっ!? このメンツ自体、既に犯罪じゃねーかコラァァァッ!?)


「ううううううゥ……」


 これが。  

 近い将来、オータム・シティ中のあらゆる犯罪者たちを震え上がらせ、『オーダーオフィス史上最強』と呼ばれることになる人々の――

 非常にろくでもない、出会いの日の光景であった。


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