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ORDER‐OFFICE 101 ―治安局101分署―  作者: キュノスーラ
第1章  「ゴミ箱」
4/30

新しい職場がヤバい

「な……」

 

 五分後、十四階の北の端。


「何だ、こりゃあ……」


 言われた通りの部屋を探し当てたギア・ロックは、その入り口に呆然と突っ立って、内部の惨状を見渡していた。


「新手の新人イビリか? いや、それにしても壮絶すぎるだろコレは」


 室内は、一言で言って、まるで古代の遺跡のような様相を呈していた。

 中央に固められたデスクの上には骨董品級のラップトップが鎮座し、床にはこれでもかとばかりに物品や資料が散乱し、それら全てを覆い隠すように、分厚い埃の層が堆積している。

 角部屋のくせに、窓は、部屋の右手にひとつきり。

 外はよく晴れた朝だというのに、ほとんど光が射し込んでこないのは、閉まった窓があまりにも汚れすぎているからだ。


 この部屋は、いったい、いつから使われていないのだろう?

 いや、この部屋だけではない。

 何かの因縁でもあるというのか、十四階丸ごとが空きフロアなのである。

 心なしか、空気すらもよどんで黴臭かった。


 やはり、嫌がらせなのだろうか。

 少なくとも、そうではないと思わせてくれるような要素は、何一つ見当たらなかった。


「あのハゲ坊主、まさか、他の奴らが着くまでに、ここを一人で片付とけってんじゃねえだろうな……?」


 不穏な口調で呟きながら、とりあえず照明をつけ――奇跡的にも、天井のグローパネルはまだ生きていた――空調のスイッチを入れる。

 その途端、天井から、何かの発作のような物音がきこえてきた。

 ぎょっとして見上げた瞬間、真上の換気口から、ぶわっと黒いモノが噴出する。


「ぐおおぉっ!?」


 大量の塵に顔面を襲われ、ギアは慌てて跳び退った。

 しかし最初の一瞬、驚きのあまり硬直して見上げてしまったせいで、少し吸ってしまった。


「馬鹿野郎! こんな職場で働けっか! 三日で肺病になるわ、ボケ!」


 怒り狂って、デスクの脚を蹴りつける。

 その凶行に抗議するように、古ぼけたデスクはがたんと傾き、積んであった資料の山を崩して埃ごと床に散乱させた。

 空調は、なおも喘ぐような音を発しつつ、怪しい塵を吐き出し続けている。

 ミラーグラスの下でこめかみをひくつかせながら、ギアはしばし、黙然とその場に突っ立っていたが、


「落ち着け落ち着け落ち着け……よし。そうだ。今、暴れてこのへん一帯を壊滅させるわけにはいかねえ。冷静に、なすべきことを考えろ。そう、まずは」


 胸元のペンダントを握りしめてぶつぶつと呟いていたかと思うと、突如、右手でびしっ! と空調を指差す。


「換気だ! 管理部に殴り込んで、即座に空調を直させてやる! そのついでに、ダストブリンガーを持って来させて、部屋ん中のゴミを全部葬り去って、それからデスクやらラックもいったん放り出して、徹底的に拭き掃除を……あ、それよりも、先に天井の埃を掃っといたほうがいいかな……」


 周囲を見回しつつ、指を折りながらそこまで呟き、


「って、凶悪犯罪対策課に着任早々、部屋の掃除ってのは、どういうことだッ!? ざけんな、この野郎!」


 がん! と再び手加減なしに蹴飛ばされ、罪もないデスクの脚は断末魔の軋みをあげてぼっきりと折れた。


「おっと」


 さすがに折れるとは思っていなかったらしく、一瞬しまったという表情を浮かべてデスクを見下ろすギアである。

 続いて、用心深くきょろきょろと辺りを見回すが、無論、誰も見ていない。


「まあいいや。元々壊れてたってことで。どうせボロだし」


 大雑把な男だ。

 デスクひとつ破壊して少々冷静さを取り戻したギアは、管理部への殴り込みを一時中止して、手近なところから労働環境の改善にとりかかることにした。

 装甲アーマードジャケットのポケットからストレッチタオルを引っ張り出して鼻と口を覆い、なおも黒い塵を降らせている空調に近付いて、スイッチを切る。

 んごごががッ、と呻いて沈黙した空調をしばし胡乱げに見上げた後、とりあえず、換気のために窓を開けることにした。


 窓は、亡者のむせび泣きのような音を立てながらも、どうにか開いてくれた。

 どろどろの窓枠にはまった強化プラステックには、スモーク加工が施されていたが、どこまでがスモークでどこまでが汚れなのか判別しがたいほどに薄汚れている。

 窓の下には低い棚があり、その上に、分厚い埃の層に半分埋もれて、古めかしい立体画像ホロ再生器が放置されていた。

 投射レンズ部の埃を払い、スイッチを押すと、数人の男たちの顔が浮かび上がる。

 宴会の最中に写されたものだろう、派手な三角帽子をかぶった奴やピエロの鼻をつけた奴、厚塗りにルージュで女装している者までいる。


 こいつらが、ここの元の住人だろうか。

 部屋くらい片付けていきやがれと叫んでぶっ飛ばしてやりたいが、仮にも先輩格であるオフィサーたちの集合写真をぶっ飛ばすというのも、少々寝覚めが悪い。

 むかつきながらも、手近のカーテンでごしごしとこすっておいてやる。


「ふっ。俺も人間が丸くなったもんだ」


 ひとりで頷きながら、かたりとホロ再生器を棚に戻す。

 瞬間――

 ギアは、ふと表情をこわばらせた。

 それは微かな火花の閃きのような、言葉では説明しがたい予感のようなものだったが、ギアは、自分の感覚を信じた。

 声を立てる暇すらなく、思い切り、横手に身を投げ出す!

 それと同時に銀色のきらめきが、視界の端を切り裂いた。

 背後から近付いていた何者かが、攻撃を空振りして、やはり声をあげずにたたらを踏む――


(ここまで接近していた!? 冗談じゃねえ!)


 相手の忍びの技への驚嘆と、それを察知できなかった自分への怒り――

 二つの感情が一瞬で混ざり合い、獰猛な戦闘衝動となって爆発した。

 半ば床に倒れ込むような姿勢になりながら、ギアは身体を捻って振り向き、一挙動で抜き放った銃を相手に突きつける。

 同時、顎の下に硬い感触があたった。


 ナイフの刃だ。

 それも、完璧に手入れされた一級品。

 冷たく滑らかに肌に馴染み、たとえその刃が肉にもぐり込んでも、しばらくは気付かないのではないかと感じさせるくらい――


「てめえ」


 無意識に顎を逸らしつつ、ギアは、低い声で問いかけた。

 圧迫された首筋に、自分自身の鼓動をはっきりと感じる。


「何モンだ?」


 そいつは、男だった。

 若い。

 ギアと同じか、せいぜい二、三歳上といったところだろう。

 まっすぐな黒髪を長く伸ばし、後ろでひとつに束ねている。  

 そいつの、前髪が垂れかかった色白の顔を見た瞬間、背筋にぞくりと寒気が走った。 

 抜群の男前だ。

 だが、表情がない。まるで抜け落ちたように。

 黒い瞳が、ミラーグラス越しにこちらの目を見据えている。

 きっと、この目は、悲鳴を聞いても、血飛沫を浴びても、揺らぐことはないのだろう――


「あれ?」


 突然、そんな声が聞こえた。

 それが、目の前の男が発した声だと理解するのに、三秒かかった。


 同時、男の顔に表情の色がつく。

 そいつは訝しげに眉を寄せ、きょろきょろと目を動かして、ギアの顔と、自分自身の脇腹に押しつけられている銃を見比べた。 

 ガヴインパルス社の《マチルダ》。

 オーダーオフィサーの標準装備だ。


「あのー」


 こちらが黙って見ていると、やがて、男は、少しばかり困ったような調子で話しかけてきた。


「ひょっとして……君、オフィサーなの?」


「当ったり前だろーがッ、このボケェェェェェッ!!」


 瞬時に裏拳でナイフを跳ね飛ばしたギアのパンチが、男の顔面に炸裂した。


「ぬわぁにをスットコドッコイな寝言ぬかしてやがんだこのクソ馬鹿野郎がっ!? ここにいるならオフィサーに決まってんだろが! いきなりナイフなんか向けやがって驚いたぞこの野郎!? てめえみてえなモヤシ男がこの俺を倒そうなんざ、百億年早えんだコラァァァッ!」


 なす術もなく床にぶっ倒れた相手に対して、がすがすがすがす! と容赦のない連撃を加える。

 無抵抗の相手を《マチルダ》のグリップで殴りつけるという凶悪な攻撃ぶりは、さすがバイオレントオフィサーと言うべきか。


「あああああ!? 痛い痛い痛い! ちょっと待ってよぉぉぉ!」


 驚いたことに、男は床をごろんごろんと転がりながら、こちらの攻撃を八割方かわしてのけた。

 しかし、命中した二割は充分堪えたらしく、外見からは想像のつかない、すっとんきょうな口調で抗議をしてくる。


「ひどいじゃないか! 同僚に対して、暴力を振るうなんてっ!」


「何?」


 その瞬間、ぴた、とギアは動きを止めた。

 呟くように、繰り返す。


「同……僚?」


「そうだよ」


 ギアが攻撃を止めた隙に、男は素早く立ち上がった。

 まっすぐに立つと、ギアよりも頭一つ分は背が高い。

 彼はすらりとした長身のあちこちをぱたぱたと叩いて、服に付いた埃を掃い落とした。まあ、大して効果はなかったが。

 ポケットから身分証を取り出して掲げ、にっこりと、完璧な笑みを向けてくる。


「はじめまして。僕は、カース。――カース・ブレイド捜査官。今日付けで、ここの凶悪犯罪対策課に配属になったんだ。よろしくね!」


 ギアはミラーグラスの下で目を細め、じっと相手を見据えた。

 これまでに幾つもの修羅場をくぐり、生命の危険を肌で感じたことも一度や二度ではなかったが、ついさっき、目の前の男にナイフを突きつけられた時には、危険を危険と認識する暇さえなかった。

 仮にこいつが殺し屋だったとしたら、自分は今頃、確実に死んでいただろう。あのナイフに、頚動脈を絶ち切られて。


 いや。死んでいたのは、自分だけではないはずだ。

 あのタイミングなら、首を掻き切られながらも、トリガーを引くだけの時間はあった。  

 相討ちだ。

 そう考えて、ギアはようやく、受けた衝撃を少しだけ和らげることができた。


「まあ、そこ座れ」


 最初の驚きから脱け出した今、彼は落ち着いて、なすべきことに取りかかるつもりだった。

 この優男が、敵ではないことは分かった。

 では、何のつもりで自分を襲ったのか問い質さなくてはならない。

 

 背中にびっしりと噴き出した冷たい汗は、ようやく乾き始めていた。



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