ライブ・ブロードキャスト
「何だ!?」
窓辺に寄り、かすかに振動するガラス越しに真下の様子をうかがっていたクアンは、弾かれたように振り返った。
馬鹿げた演説の物音とは違う――発砲音?
いや、それも違う。
もっと重く、腹に響くような、――そう、まるで、荷物を満載した棚が床にぶっ倒れたような物音が響いたのだ。
その音は、間違いなく、上から聞こえた。
クアンはデスク上のモニタに駆け寄り、屋上、続く32階、そしてこの31階の映像を確認した。
何の異常もない。
晴天の上空、無人の屋上、軍用ロボットがうずくまる32階……
『ボス、上から、何か聞こえましたぜ!』
クアンたちと同じく31階で、通路を固めているオコンネルから通信が入った。
この階には今、オコンネルとマーカリスターがいる。
モニタの画像には、二人がそれぞれ南西角、北東角の持ち場で通路を固めている姿が映っていた。
この緊張状態で得体の知れない物音など聞けば、反射的に仲間と合流したくなるものだろうが、びくついた様子もなく持ち場から動かずにいるとは、思った以上に剛胆な奴らだ。
「聞け、オコンネル、マーカリスター」
クアンは低めた声で矢継ぎ早に指示を出した。
「監視カメラの映像には異変はない。だが、念のため、目視で状況を確認しろ。
マーカリスターは持ち場を動くな。
オコンネル、お前は、階段で上へ行け。識別信号の発信機はオンになってるだろうな?」
『ええ、ボス、それじゃ――』
その瞬間、先ほどと同じ爆発音が、今度はもっと大音量で響いた。
天井が揺れ、埃がばらばらと落ちてくる。
グローパネルが一瞬消え、また点いた。
フアナが泣き始め、ターニャがいっそう強く娘に寄り添う。
上階で連続する、くぐもった銃声。
ばりばりと物が砕ける音が響いた。
軍用ロボットの自動排除モードが発動したのか?
「何だ!?」
先ほどから自分が同じセリフばかり繰り返していることに気付きながらも、そう言うしかなかった。
全モニタ、異常なし。
にもかかわらず、耳に届くのは謎の爆発音と銃声。
外からは相変わらずハイテンションな「説得」が、くそったれたCMのように響き続けている。
いったい、どういう状況なんだ――?
「坊ちゃん、俺が見てきますか」
「いや、動くな、デレク、お前は人質を見てろ」
モニタの中のオコンネルとマーカリスターは、凍りついたようにその場にとどまっている。
間抜けども! クアンは、ぎりぎりと歯を軋らせた。
ここは、指示がなくとも即座に駆け上がり、状況を確かめるべきだろう。
「何をしてる、オコンネル! マーカリスターもだ! さっさと上へ行け!」
『えっ?』
『俺たち、今、階――おっ』
二人からの通信が、同時に途絶した。
「どうした? オコンネル! マーカリスター! 応答しろ!」
怒鳴りつけても、返事はない。
モニタの中では、二人は相変わらずこの階の南西角、北東角に留まったままなのに――
違和感。
同時に、クアンの意識を掠める何かがあった。
(まさか)
この違和感、「ずれ」を説明する、ただひとつの言葉……
(映像が――遅れている?)
「坊ちゃん!」
鋭いデレクの叫びが稲妻のように意識を刺し貫き、クアンは反射的にひとつのボタンを叩くと同時、その場を横っ跳びに離れた。
爆発!
天井の一角が冗談のように真下に噴出し、辺りに火花と焦げ臭いにおいを撒き散らした。
何だ、これは? まるで『危機一髪200連発』動画じゃないか。
デレクはどこだ? 人質は?
床に転がった一瞬のうちに、それだけのことが頭に浮かび、身体はそれとは関係なく、叩き込まれた反応を示して受け身を取り――
『おいおいカース、何してんだよ。ドブネズミ野郎に逃げられちまったじゃねぇか』
『さっき、殺すなとか言ってなかった?』
床に片膝をつき、両手それぞれに引き抜いた銃を構えたクアンの前で、場違いなほどのんびりした会話が響いた。
変声器による恐ろしげな重低音と、会話の中身のちぐはぐさが不気味だ。
崩れ落ちた天井。垂れ下がる配線。立ち込める白煙。
その中に、二つの黒い人影が浮かびあがる。
「動くな、てめぇら!」
『動くな、お前ら』
デレクの警告と、黒い人影のひとつが発した音声が重なる。
そして、彼らは、ゆっくりと踏み出してきた。
* * *
「やれやれだぜ。今の爆発で一匹仕留めときゃ、後が楽だったのになぁ」
『さすがに、連続で二度はうまくいかないよ』
呆れたようなカースの声を聞きながら、ギアは、素早く室内全体の状況を把握していた。
対象は二名。人質二名。こちらも二名。
手にした機関銃が小さく見えるほど馬鹿でかい男は、その銃口を部屋の隅の母子に向けている。
かなりの場数を踏んだプロに違いない。
こんな状況で、現れた敵ではなく人質のほうに銃口を向ける度胸のある男は、ざらにはいないのだ。
こちらが対人制圧用装甲服を装着しており、なおかつオフィサーであることから、直接、銃口を向けるよりも人質の命を盾にとったほうが有効だと、とっさに判断したのだろう。
ありがたくもないことに、その判断は、実に正しい。
クアン・デルトロは床に片膝立ちになり、両手に拳銃を構え、一方をギアに、もう一方を人質に向けている。
ギアは、険悪な視線を向けてくるクアンに笑いかけた。
顔面を覆うヘルメットのために、どうせ相手からは見えてはいないのだが。
「悪いな。上のデカブツ、高い買い物だったらしいが、スクラップになっちまったぜ」
そう余裕を見せたものの、ゼファの小型カメラがもたらした敵戦力の情報がなかったら、軍用ロボットの存在に気付かず穴だらけになるところだった。
ギアとカースは、例の黒い円錐――突入経路を確保するための指向性爆弾――を駆使し、屋上から、真下の32階へ、それも軍用ロボットの真上へと飛び降りたのだ。
ビル内の構造と、そこに存在する対象の位置を正確に再構成するリアルタイムの透視視覚がなければ不可能だった戦法だ。
後で、画像処理チームの連中全員に、シューアイスでも奢っておかなくては。
軍用ロボットは、同じ爆弾を使ってカースが片付けた。
奴が衝撃で床に叩きつけられた一瞬のうちに頭部に取り付き、爆弾を貼りつけ、銃弾を撒き散らしながら回転する頭部から振り落とされないよう9秒粘ってから跳び下がるという神業を披露したのだ。
まあ、ギアはその様子を実際に見たわけではなかったが。
床に飛び降りたその瞬間からローラーをフル回転させ、流れ弾を喰らう寸前で階段の角を曲がり、昇ってきた男たちを衝撃弾で片付けるのに忙しかったのである。
ギアの発言だけで、それらの経緯を全て悟った――とも思えないが、クアンの表情は大きく歪んだ。
だが、その表情はすぐに、絶望ではなく、馬鹿にしたような薄笑いに変わっていった。
「まったく、うんざりさせるじゃないか」
クアンは銃口をずらさないまま、ゆっくりと立ち上がり、ギアたちと向き合った。
これだけの至近距離であっても、対人制圧用装甲服を装備したギアたちに、通常弾は通用しない。
それが分かっていないのか、それとも、何か、別の策があるのだろうか。
「これだから、イヌどもは嫌いなんだ。そこらじゅう嗅ぎまわっては、どこにでも鼻を突っ込んでくる。お前たち、そもそもどこから湧いて出たんだい?」
「地面から湧いて出たわけじゃねえ。空の上からヒュー・ズドンさ」
「モニタにも映らずに?」
クアンはとぼけたような調子で呟いた。
「超能力者かな?」
「その監視システムの映像、全部5分遅れてるぜ」
ギアもまた、わざと何でもないような調子で言った。
「うちの課に、いい仕事する奴がいてな。お前らをぶっ潰した後で、アイスを奢っておく」
つまり、イグナシオが言っていた「目隠し」というのがこれだ。
警備システムにアクセスして、遅延再生プログラムを割り込ませ、過去の映像をリアルタイムだと思い込ませて、監視の目を欺く。
不自然さに気付かれずに行動できる時間は限りなく短かったが、ギアとカースの機動力が、その無理を上回った。
「ふん、なるほど」
クアンの口元が引きつった。
「そういうわけか。……悪いが、帰ってもらいたいね。このささやかなパーティに、お前らを招待した覚えはないよ」
「悪いが、こっちも仕事でな。でなけりゃ、誰が好き好んでドブネズミの宴会なんかに顔を出すかってんだ」
答えたギアはクアンの、カースは大男の腹に、それぞれレーザー照準器のマーカーをポイントしている。
相手がジャケットの下に防弾ベストを着ていたとしても、衝撃は通る。
くだらないお喋りをやめて、引き金を引きさえすれば、間違いなく相手にダメージを与えることができるのだ。
そして、さらにあと一発もあれば、確実に、片をつけることができる――
「終わりだ、クアン・デルトロ。武器を捨てて投降しろ」
「黙れ、クソイヌ。お前ごときの指図を受けるいわれはない」
とぼけた態度の仮面を脱ぎ捨て、クアンは牙を剥いた。
「臆病者の考えそうなことだよ、ええ? そいつを着てさえいれば安全だと思って、ここまで乗り込んできたんだろう? だが、残念ながら、こちらのお嬢さんたちにはスーツはない」
そうだ、撃てば、片をつけることができる――
ギアたちがそれをしないのは、そうすれば人質に危害が及ぶ可能性があるからだった。
クアンたちを撃てば、彼らが人質を撃つかもしれない。
はずみでトリガーが絞られる可能性は充分にあるのだ。
衝撃で、狙いは逸れるかもしれない。
だが、逸れないかもしれない――
「武器を捨てろ」
そう言ったのは、クアンのほうだった。
「両手を挙げて、そこにひざまずけ。従わなければ、人質の頭を吹っ飛ばす」
「やれるもんならやってみな」
牙を剥くように、ギアは応じた。
「その瞬間、てめえの顔面が消し飛ぶぜ」
「オフィサーが、市民を見捨てるのかい?」
そう言ったクアンの顔には、奇妙な薄笑いが浮かんでいた。
「この部屋は、今、ライブ中のスタジオなのさ。現役オフィサーのお二人が、今日のゲストってわけだ」
「何だって?」
「この状況は、今まさに全世界に向けた生放送中なんだよ。
お前たちが降ってくる前に、撮影開始のボタンを押した。ここまでのやりとりも全て、リアルタイムで放送されてるんだ。さすがに、音声はカットしてあるけどね。今も、僕たちの一挙手一投足が、市民たちの目に晒されてるってわけだ」
* * *
「畜生!」
カウンターに分厚い両手を叩きつけ、心底忌々しげに叫んだのはウーゼル・アミンジャー課長だった。
ギアとカースが犯人と接触したと分かった時点で、わけのわからん「説得」のふりはさっさと切り上げ、仮設捜査本部に駆け戻ってきている。
「何だ、こりゃあ? なめた真似しやがる。まずいな、おい」
「これは……」
アミンジャー課長と並んで立ち、ジェイドもまた難しい顔で唸った。
彼らが見ているのは、いくつものモニタのうちのひとつだ。
そこに今、ネット生中継で、現場の映像が流れている。
瓦礫の山、二人の人質、二人の容疑者、二人のオフィサー。
まるで『危機一髪200連発』の動画だ。
だが、これは編集された番組の映像ではなく、何が飛び出すか誰にも分からないリアルタイム中継なのだ。
映像のアングルからして、カメラの位置は室内西側の壁の天井付近。
先ほどから、ゼファが必死に自分の小型カメラを操作して、正確な位置を特定しようとしている。
「これじゃ、二人が大胆な動きをすることができん。放送をストップさせろ!」
「それは、難しい」
吠えるように言ったアミンジャー課長に、ジェイドが答える。
声は静かだが、その爪先が、細かく床を打っていた。
「一般人による『捜査上明らかにするべきでない情報』の漏洩とは違い、これは、犯人が直接、放送しているものです。規制することは難しいかと」
「くだらん!」
アミンジャー課長は怒鳴ったが、その怒りはジェイドにではなく、犯人たちに向けられたものであるようだった。
「わけのわからん真似をしやがって、アホか? 自分たちの犯罪を、全世界に宣伝するとは」
「追い詰められて、開き直ったということでしょう。自分たちの位置は、既に特定されている。この上、隠すことなどないというわけです。捨身の戦法とはいえ、確かに、これで人質の有効性が跳ね上がる。彼らが強引に動けば、市民の非難の矛先はオフィスに向けられることになります……」
そこまで言うと、ジェイドは通信端末を掴み、早口に指示を出し始めた。
「くそっ! 馬鹿が開き直ったほど、始末に負えんものはないな。こいつはまずいぞ。外野がどんどん騒ぎ出してる。こいつは、まずいぞ」
別のモニタを睨みながら、アミンジャー課長は太い眉を寄せた。
自分が全く同じ言葉を二度発したことにも、気付いていない様子だ。
ネット上の書き込みで、市民たちが喧々囂々の議論を始めている。
書き込み件数は瞬きひとつのあいだにも跳ね上がり、留まるところを知らないようだった。
議論にすらならない、単なる怪気炎も無数にぶち上がり、飛び交い、ぶつかり合い、炎上する。
うねり、寄り集まり、まるで核融合反応のように「世論」のエネルギーが爆発する――
オフィスは一体何をしている? あの二人は何だ?
やり方が強引すぎる。人質の命が最重要だ。
誰が責任を取る? 人質を危険に晒すな。
必ず救え。
必ず!




