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ORDER‐OFFICE 101 ―治安局101分署―  作者: キュノスーラ
第6章  「ライト・スタッフ」
26/30

ハミング・バード

 両の平手を思い切りデスクに叩きつけたような音がして、オールト・ビルの照明が一斉に落ちた。


「慌てるな!」


 一瞬にして暗くなった無数のモニタに囲まれながら、クアンは鋭く叫んだ。

 側にいたデレクへの警告というよりは、反射的な苛立ちを打ち消し、平静を保つためだ。

 デレク自身は、髪の毛一筋ほども身動きすることなく、人質に銃を向け続けている。

 部屋の片隅にうずくまったターニャ・タイラーは、自分たちを襲う運命を見まいとするかのように先ほどからずっと膝に顔を埋め、フアナは、その母親の太腿にぴったりと顔を押し付けていた。


 クアンは鼻を鳴らし、消えたグローパネルの並ぶ天井を睨みつけた。

 オーダーオフィスの悪あがきに違いない。

 このビルへの送電がストップされたのだ。

 だが、そうだ、慌てることはない。このような事態も織り込み済みだ。


「すぐに、補助電源に切り替わる」


 クアンが呟くと同時、天井のグローパネルに再び輝きが戻った。

 無数のモニタが、次々とかすかな音を発しながら立ち上がる。

 それらが映し出すのは、オールト・ビル内のほぼあらゆる場所に設置された警備システムのカメラが撮影する、リアルタイムの映像だ。

 必要とあらば手元の操作ひとつで任意の場所をクローズアップすることもできる。

 エレベータ内……階段……全ての階の通路。

 屋上。上空。地下配電室、そしてビルの周囲、全方位の地上……

 全て、異常なし。


 オールト・ビル内の映像には、各部署で配置についているデレクの部下たちの姿しかなかった。

 今回の作戦に従事する者は、クアン本人を除けば11人しかいなかった。

 いや、スタンレーがやられた今、10人だ。

 ドン・デルトロの目を掠めながら、物の役に立つほどの人間を大勢動員することは難しかったし、何よりもアントンの裏切りは計算外だった。


 だが、クアンは、悲観してはいなかった。

 人間よりも遥かに忠実で、遥かに攻撃力を持つ戦力を用意してある。

 それは玄関ホールのど真ん中にうずくまっていた。

 軍用の迎撃ロボットだ。クアン自身が任されている、いくつかの武器密輸ルートのうちのひとつを使って手に入れたものである。


 一世代前のモデルに改造を施した代物だが、破壊力は充分だ。

 うずくまった巨大な蜘蛛のようなシルエットの中で、いくつもの複眼のようにカメラとセンサーが光る。

 自動排除オートスイープモードに設定されたロボットは、登録された識別信号を発さずに近付いた人間を誰であれ一瞬で肉塊に変える。

 間抜けなオフィサーどもが正面から突入してきたら、辺り一帯は血と臓物の海になるだろう。

 同じモノが、この真上の32階と、下の15階にもいた。


 クアンは席に深く身を沈め、時計を睨みつけた。

 あと15分で、一人目を殺す。

 その様子を放送すれば、冷酷な犯罪者に対する非難以上に、人質への同情とオフィスの対応への批判が爆発し、膨れ上がる世論の圧力に屈する形で、当局はダリオ・デルトロを――パパを釈放せざるを得なくなる。

 はじめに殺すのは母親のほうだ。

 そうすれば、皆は思うだろう。「これ以上の遅延によって、あの子まで殺させてはならない。せめて、あの子の命を救わなくては」と――


 自分自身の完璧な計画に満足して、クアンは微笑んだ。

 フアナの存在は偶然の成り行きだったが、一人の人質を痛めつけ続けるよりも、二人の片方をさっさと始末したほうが、むしろこちらに対する感情的な批判は抑えられるし、インパクトも大きい。

 このことを予め考えておかなかったのは、まだまだだった。こんなことでは、パパに笑われるな……

 その時だ。

 正面玄関のほうから、とんでもない騒音が伝わってきた。


「何事だ?」



    *     *     *     *



『お前たちいいィー!! 聞こえるかあー!!』


 耳を聾さんばかりの大音響で響き渡った呼びかけが、付近一帯の緊張状態をいっぺんに吹き飛ばす。


 オールト・ビルの正面玄関――無論、シャッターで閉ざされている――の真向かいに、馬鹿でかいスピーカーを搭載した車が到着していた。

 見れば、災害の際の避難勧告などに使用される全方位スピーカーだ。

 6キロ先まで音が到達する化け物みたいなやつである。

 あらかじめ知らされ、心構えをしていた仮設捜査本部コーヒーショップの面々でさえも、思わずびくっと肩を上げたほどだ。

 近隣住民の中に、驚いてぶっ倒れた人がいなければいいですけど……とゼファが控えめに呟いたが、それは誰の耳にも届かなかった。

 何しろ、普通の声量でさえ会話が不可能なほどうるさい。


『お前たちのしていることはァー! 人間として、許されない行いだァー! 今すぐに人質を解放し、投降せよォー! お母さんは、泣いてるぞォー!!』


「何です? あのセリフ……」


 両耳を手で塞いだ――それでもまだ聞こえてくるのである――組犯の若い捜査官が不思議そうに呟いたが、その声もまた、誰にも届いていない。

 放送車の傍らでマイクを握るのは、ついさっきまで仮設捜査本部にいたウーゼル・アミンジャー組織犯罪課長だ。

 上からの銃撃に備え、ヘルメットをかぶり、防弾ベストを着た上に、透明なシールドを斜め上にかざしている。

 スピーカーの音量を最大まで上げ、本人も、幾多の現場で鍛え上げた声帯を最大限に震わせての熱弁だ。

 間近にいる本人が一番ダメージを受けそうなものだが、スピーカーの真下は意外とましな上、マイクとシールドで両手が塞がることを見越して、ちゃんと耳栓を装備しているのである。

 アミンジャー課長の「説得」はいっそうの熱を帯び、さっきから店舗の窓ガラスがびいんびいんと音を立てて振動している。そのうち砕け散るかもしれない。


「えーと、課長! これって、めちゃくちゃ、怪しくないですかー!?」


「一瞬でいいんだ!」


 わざわざ真横まで近付いてきて叫んだゼファに、ジェイドも思い切り怒鳴り返した。

 どちらも、両手で耳を塞ぎながらだ。


「ほんの少しのあいだ、奴らの耳を引きつけることができれば、それでいい……」


 言いながら、ジェイドはちらりと上を見た。

 それを追いかけるように、ゼファも見上げる。

 視線の先にあったものは、コーヒーショップの天井のしゃれたライトだ。

 だがゼファには、課長がライトでは・・・・・ない何を・・・・見ようとしたのか、はっきり分かっていた。

 今、彼ら・・が動き出したはずなのだ。



    *     *     *     *


 

「カース。お前、バンジージャンプってやったことあるか?」


『学生の頃、2、3回やったかな。どうして?』


「紐なしバンジージャンプは?」


『それってつまり飛び降りだよね? さすがに経験ないなあ』


「じゃあ」


 凄まじい風の中で、ギアは口元を歪めた。


「俺もお前も、今回が記念すべき初体験ってわけだ」


『初体験ッ!』


「そこだけリフレインするな」


 この風の中で空中に吹き飛ばされずにいられるのも、会話が成立しているのも、《特急》から借りてきた対人制圧用装甲服ブラックスーツのおかげだ。

 握力は500キロ、通信システムの受信状況も快適。

 正義のヒーローになるには十分すぎるほどのコンディションだ。


『ほな、お二人さん、そろそろ行きまっせー! しっかりがっちり、掴まっときなはれや!』


 耳元で、知らないおっさんの陽気な声が響く。

 テーマパークのアトラクションにいるスタッフみたいなノリだが、彼が握っているのはこの小型翼機ハミングバードの操縦桿、ひいてはおっさん自身を含めたギアたち3人の命だ。


「このおっさんの操縦でビルの隙間を飛ぶのと、そこから飛び下りるのと、どっちがスリルだろうな……」


『ロック捜査官、聞こえとりまっせー!』


 軽やかな抗議の声と同時、おっさんの両手が神業のように動いた。


『はい! ほな……行っきまーす!』


 ふっと全身の血が重さを失う感覚――

 ハミングバードは反比例のグラフみたいに急降下しながら、林立する巨大ビルの間をすり抜け始めた。

 極限までリアルな戦闘機の操縦追体験システムの中にいるみたいに、周辺の景色が後方へとすっ飛んでいく。

 ギアは両脚の筋肉を限界まで緊張させながら、歯を食い縛って目を見開いていた。

 激流のような視界に表示される無数の情報の中で、着地予定地点とタイマーの数字がひときわ鮮やかな赤に輝く。


(3……2……1)


「ゴー!」


 手を放し、慣性で放物線を描きながら飛ぶ。

 いや、落下する――

 ジャイロシステムの補助を受けて、ギアは空中で完璧なキャットロールを決め、2秒後、爆発のような音を立ててオールト・ビルの屋上に降り立った。

 スーツの爪先のローラーとブレーキを巧みに駆使して勢いを殺さなかったら、激突の衝撃でド派手に自爆するか、そのまま屋上のフェンスをぶち破って転落していたであろう勢いだ。


「生きてるか、カース!」


『ご覧の通り』 


 カースは無駄に華麗なスピンを決めながらギアの真横にやってくると、胸に装備していた耐ショックケースを手早く外し、床に置いた。

 そのまま、手早く作業にかかる。

 ギアはすばやく周囲を見回した。

 この視界のどこかにカメラが設置されており、今も、クアンはその映像を見ているはずだが――


『設置完了』


 一瞬の物思いを、カースの落ち着いた声が破る。

 片手で握り込めるサイズの黒い円錐が、屋上の床に置かれていた。

 円錐の下からはみ出したピンク色のねばねばは、強力な接着剤だ。


「必ず、救出するぞ」


『もちろん』


「殺すなよ」


『ああ、人質はね』


 極限まで静かに引き絞られていく緊張の糸の中で、そんな会話は、まるで意味をなさないリズムのように響いた。

 ディスプレイシステムの視界を流れてゆく、情報の奔流。

 オールト・ビル内のあらゆる動きが、まるでひとつの巨大な生物の体内をスキャンしているかのように、はっきりと見える・・・

 無数の情報と、イヤホンから矢継ぎ早に聞こえてくる指示が、やがて自分自身の鼓動とひとつになり、ふっと消えた――ように、感じた。


「10秒前! オン!」


 円錐の頂点を強く捻ってからギアは鋭く叫び、それを力いっぱい押し込んだ。

 ローラーをフル回転して5mだけ後退し、衝撃に備えた。

 10秒後。

 爆発が起こった。


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