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伝説の男、目覚める

「主犯はクアン・デルトロ。先日、036地区の工場跡地で逮捕されたダリオ・デルトロの、実の息子だ」


 ジェイド・フォスターが指差したモニターの一角を、彼らは黙って覗き込んだ。

 画面上には、ドラゴンフライ――カメラを搭載した小型の無人航空機――によって上空から撮影され、拡大されたバレット・カーの静止画像が映し出されている。

 車のウィンドウ越しに斜め上から捉えられた、やや浅黒い肌にみどりの目の男の容貌は、遥かに若く、また、それによって荒々しい印象を与えはするものの、ダリオ・デルトロのそれと非常によく似通っていた。


「奴は、既にマスコミ各社に対して犯行声明を出している。要求は、父親の身柄の解放。当初は、秘密裏にターニャ夫人とフアナを誘拐し、裁判をダリオに有利に進めるよう、タイラー検察官を脅迫するつもりだったらしい。だが、オフィスのドラゴンフライが上空から彼らの犯行を撮影、追跡し、計画は大きく狂った……」


「そういう話だったのか」


 妙に納得したように、カースが頷く。

 ここは、クアンたちが立てこもったオールト・ビルから、通りを隔てて斜向かいにあるビルの1階だった。

 本来はファストフード店だが、その敷地は治安局によって一時接収され、クアン・デルトロ事件の仮設捜査本部へと変貌を遂げている。

 ギアとカースが、ジーズの指示によってこのビルに到着したとき、すでに仮設捜査本部の立ち上げは完了していた。


 そこでギアたちを出迎えたのは、意外な面々だった。

 ジェイドとゼファ、イグナシオが、彼らよりも先に到着していたのである。


 組織犯罪課の鉄腕とうたわれるウーゼル・アミンジャー指揮下の捜査官たちがばたばたと走り回り、時折ちらりと胡乱げな視線を向けてくる中、ギアとカース、そしてこちらもジーズの命令によって出向いてきたという三人は隅のテーブルに陣取ってラップトップを囲み、現状の確認を行っていた。


 といっても、真面目にそのモニターを見ているのはジェイドとギアとカースだけで、イグナシオは少し離れた席で私物のラップトップを開いてぶつぶつ言いながら何だか分からんプログラムを打ち込み続けているし、ゼファに至っては、店のエスプレッソマシンを勝手に借りて鼻歌交じりにコーヒーを淹れている。


「バレてるって気付いた時点で、大人しく諦めてくれればよかったのにねえ」


 カースのこの呟きには、誰一人として答える者はなかった。

 起きなかった可能性について云々したところで、現状は何ら好転しない。


「しかし、妙だな」


 続いて口を開いたのは、ギアだ。


「犯行現場の上空を、そんないいタイミングで、署のドラゴンフライが飛んでるなんてことがあるか? カーチェイスの途中にも、ずっと気になってたんだ。ドラゴンフライは、主犯と人質が乗った車をずっと追跡していた。どうして、そんなことが分かったんだ? ことのはじめから撮影していたんでもなきゃ、そんな芸当は不可能なはずだぜ」


 ギアの言葉に、ジェイドは、ぐっと眉根を寄せた。


「その辺りの事情は不明だ。ともかく、現在、彼らはターニャ夫人とフアナを人質に、ダリオ・デルトロの解放を要求している。オフィスが妙な動きを見せたり、3時間が経過してもダリオの身柄が解放されない場合は、人質を片方殺すと言ってる」


「3時間か」


「バレてると分かった時点で、それを、先に、マスコミに宣言しちゃったってわけですか。巧いな」


 ぼそりと、カース。

 脅迫に屈して犯罪者に対して譲歩するなど、治安局としては有り得ない選択肢だ。

 だが、世論が何よりも重視するのは、人質の生命の安全。

 特に、その人質が女性と、年端も行かぬ少女であることを考えればなおさらだ。 


 治安局が強硬な姿勢を貫けば、犯人たちは、自分たちが本気であることを見せ付けるために、ためらいなく人質の一人を殺害するだろう。

 そうなったとき、世論の矛先は、犯人よりもむしろ、治安局に向けられることになる――


「はっ! 要するに、こそこそやろうとしてたのが失敗して、開き直ったってだけじゃねえか。クソガキが、こんな中途半端な失敗するくらいなら、始めからやるんじゃねえ」


 画像の中の若者を睨みつけ、ぎりぎりと拳を固めながらギアは唸った。

 その怒りの半分以上は、後部座席の窓から助けを求めるようにわずかに覗いた、悲痛に歪んだ少女の顔のためだ。


「で、俺たちは一体、これから何をすりゃいいんだ?」


「分からん」


 答えるジェイドの表情にも、戸惑いの色が濃い。

 組織犯罪課が捜査本部を立ち上げた以上、この場に、自分たちの出る幕はない。


「分からん、じゃねぇだろうが! こんなとこまでバレット・カーを飛ばしてきた挙句に、捕り物の見物かよ? ガキの使いじゃねえんだぜ」


「いや、私たちも、署長からの命令を受け、取るものもとりあえず駆けつけてきたという状態で……」


 と、そのときだ。

 表の自動ドアが開く音が聞こえ、それと同時に、ざわっと室内の空気が変わった。


 かつかつとヒールが地面を打つ音が聞こえてくる。

 顔を上げ、その足音の主の姿を見た瞬間、ギアたち一同は一瞬、状況を忘れ、かくんと顎を落とした。


「な……何? その格好……」


「見て判らない?」


 絶句してしまったギアに代わり、ようやく問いかけたカースに答えたロッサーナの口調は、最後に会ったときと、全く変わりがなかった。

 だが、その姿は、変わりがないどころではない。  

 彼女の長い髪は、今や、一筋も残さず髪巻き用のカーラーで巻かれ、しかも正体不明の液体を塗られててかてかに光っていた。まるで、伝説の蛇女だ。


「冗談じゃないわね」


 マントのように肩に引っ掛けた、ヘアサロンのロゴ入りのクロスを邪魔げに払いのけながら、彼女は至極あっさりと言ってきた。

 その手には、一体何が入っているのか、楽器を収めるような、巨大な黒いケースが提げられている。


「スタイリングの真っ最中に、いきなりドンパチだもの。まったく、いい加減にしてもらいたいわ」


「ふ」


 あまりといえばあまりな発言に、一瞬、何と言っていいかすら思いつかなかったが――

 一秒後には、ギアは置かれたラップトップが飛びあがるほどの勢いでテーブルに左手を叩きつけていた。


「ふざけんな! てめえは、一体、無断欠勤して、何してやがった!?」


「うるさいわね」


 鼻先で蚊の羽音がしたほどにも感じない様子で、長い睫毛をゆっくりと瞬かせ、ロッサーナ。


「連中を見失わないようにドラゴンフライを呼び出して追跡させたのが、誰だと思ってるのさ?」


「……何だと?」


「私はね、ここ二、三日、署長命令で極秘任務に就いてたってわけ。ターニャ夫人に張り付いて、その動向を逐一報告するってのが、任務の内容」


「いや……しかし……そのようなこと、私は、全く」


「だから、極秘任務だったんだってば」


 慌てたように呟くジェイドに、あっさりと、ロッサーナ。


「あれこれ気を揉ませたことについては、悪かったと思ってるわ。けど、こうして大急ぎで仕事道具持って駆けつけてきたんだから、こっちの誠意も酌んでもらいたいね」


「何が誠意だ!? おい、どういうことだよ。ターニャ夫人に張り付いて――ってことは、ハゲ坊主は、この事態を予期してたってことか!?」


 平然としているロッサーナに詰め寄るギアだが、


「あー、もう、嫌になっちゃうわ。私らがここに来た意味、ある?」


 彼女はくるりと向きを変え、『仕事道具』と呼んだ黒いケースをつま先で突ついて、気だるそうに呟いた。

 床に横たえられたそれは、何を収めるためのものか、小型の黒い棺を思わせる。

 彼女は直前までのギアとの論争などなかったような顔で遠くへ視線をやると、頭に軽く手を触れる真似をした。


「どういうわけで召集されたんだか、全然、意味が分かんないんだけど。こんなの、明らかに組犯の管轄じゃないの。用がないなら、私はとっとと帰って、新しいヘアスタイルを完成させたいんだけどね。ていうか私の髪、薬剤塗ってから明らかに時間が経ち過ぎてるんだけど、大丈夫かしら」


「てめえなぁっ!」


 飽くまでも真剣味を欠いたロッサーナの発言に、とうとうギアの堪忍袋の緒が千切れ飛びかけた、まさにその瞬間――


『あ~ら、どうもご苦労様、凶悪犯罪課の皆さん。まずは、順調な滑り出しといったところかしら?』


 テーブルの端に置かれていたラップトップのスピーカーが、突如として言葉を吐き出し始めた。

 その場の全ての視線が弾かれたように画面に集中したときには、そこに浮かんでいたオーダーオフィスの徽章――『裁きの剣』はかき消え、代わりに、どこか事故実験人形に似た男の顔が結像している。


「あ! ハゲ坊主!」


『誰がハゲだゴラァッ!? てめえに用はねぇんだ、クソガキ! 課長を呼びなっ!』


 どうもこの署長は、ギアと関わると我知らず言葉遣いが悪化する傾向にあるらしい。

 青筋を立てて怒鳴りつけたジーズだが、慌ててやってきたジェイドが画面の前に立つと、すっと表情を元に戻した。


『フォスター捜査官。捜査本部に、あなたの部下たちは集合を完了しているわね?』


「はっ」


 ジェイドは、背筋を伸ばして敬礼した。

 本来は、これが正しいのである。ギアが不謹慎過ぎるだけだ。


「これからの我々の行動に関して、ご指示を願います。現場の指揮権は、ウーゼル・アミンジャー捜査官に?」


『いいえ』


 ジェイドの言葉に、ジーズはゆっくりとかぶりを振り、にっこりと、まるで鼠を目の前にした猫のような笑みを浮かべた。


『現場の指揮は、あなたが執るのよ。ジェイド・フォスター捜査官』



     *   *   *



 仮設捜査本部の空気が、一瞬にして、沈黙の中に凍りついた。

 ジーズからの通信は、組織犯罪課のラップトップでも受信されている。

 組犯の男たちは一様に硬直し、ついで、突き刺さるような視線を向けてきた。

 だが、ジェイドは、そのことにすら気がつく余裕はないようだった。


「い……今、何と」


『あなたが、指揮を執るの』


 震える声で問いかけたジェイドに、ジーズは落ち着き払って繰り返してきた。 口調は変わらず穏やかで、まるで子どもに言い聞かせるように、幾分かゆっくりとした話しぶりだった。


「…………です」


『何? 聞こえないわ』


「無理です!」


 ジェイドの声が跳ね上がる。彼は、両手をテーブルに叩き付けた。


 命令を受けて、こんなふうにそれを拒否するなど、オフィサーである以上は許されることではなかった。

 処罰の対象になるばかりか、オフィサーとしての適性そのものを疑われかねない。


『聞こえない』


 静かな声だった。


 逆らうことはおろか、疑問を差し挟むことすらも許さないような、冷静で、断定的な口調。


『これは、署長命令よ。本件に関わる捜査・制圧活動は、凶悪犯罪対策課に一任します。だとすれば、その指揮官は、あなたしかいないんじゃなくて?』


 言葉を失ったジェイドに向けて、淡々と、ジースは告げた。


『アタシにあなたたちの存在意義と……可能性を見せてちょうだい。期待しているわ。以上、通信終了(アウト)


 画面が暗くなった。

 ジェイドは、動かない。

 テーブルについた両手を動かしもせず、その場に根が生えたように立ち尽くしている。


 彼は、凄まじい吐き気と眩暈に耐えていた。

 暗転したモニターのように、今にも目の前が真っ暗になりそうだった。

 何度も生唾を飲み込み、こみ上げる嘔吐感を押し殺そうとする。


 鉄臭いにおいがした。

 顔面の半分が吹っ飛んだ部下たちの顔が目の前にちらついた。

 それとも、噛み締めた唇が切れて血が流れたのだろうか?


 一方、組織犯罪課の男たちは、そんなジェイドの様子を目の当たりにし、露骨に眉を顰めていた。

 武装した複数の犯人が、複数の人質を取り、ビル内に立てこもっている。

 オフィスにはダリオ・デルトロ解放の要求が突きつけられ、三時間というシビアなタイムリミットが設定されている。


 この状況を捌き切ることができるのは、どんなぎりぎりの局面でも冷静さを失わない鉄の神経と、どれほどのプレッシャーをかけられても鈍ることのない高度な判断能力を兼ね備えた人物だけだ。


 ノー・ミス・ジェイド。その名は知っている。

 だが、今の彼を見ろ、タフさの欠片もないじゃないか。

 この任務は、彼には、荷が重過ぎる――


「おい」


 ジェイドの肩に、背後から手がかけられ、強く握りしめられる。

 彼が振り向いた、その瞬間だった。

 その顔面に、拳が叩きつけられた。


「あら」


 ロッサーナが呟き、ゼファがコーヒーを取り落とし、イグナシオがラップトップから顔を上げ、カースがあんぐりと口を開ける――


「腑抜けてんじゃねぇぞコラァ!!」


 上官の胸倉を掴み上げ、ギアは怒鳴った。

 ジェイドのほうが、体格も、身長も上回っている。

 だが、彼は、ただ呆然とギアを見返すだけだった。

 口元を押さえた手の、指の隙間から血が滲んでいる。唇を切ったのだ。


 ジェイドの胸倉を掴んだギアの手は、怒りに震えていた。

 事故を避けるため、不随意運動をできる限り抑制する構造になっているサイバーアームがわなないている。

 ギアの全身から放たれる凄まじい怒気が、その場の全員を釘付けにしていた。

 仲間たちも、組織犯罪課の男たちも、誰一人として、割って入ることができなかった。


「ふざけるなよ、なあ、おい。てめえが昔、何をしでかしたかなんて、知ったこっちゃねえが……今、あのビルに犯罪者どもがいて、今、二人の人質が、助けを待ってんだよ! 昔のことで、てめえが自分の殻に閉じこもるのは勝手だが、そうやってグジャグジャやってる間に、手遅れになっちまったら、責任とれんのか、てめえ!?」


 ひとつひとつの言葉を肺腑に叩き付けるように、渾身の力で怒鳴りながら、ジェイドを揺さぶる。


「毎日毎日、シケた面してデータ睨んでたのは何のためだ!? こういう時のためじゃねぇのか! 今、俺たちを一番効果的に動かせるのは、てめえなんだよ! てめえしかいねえんだ!

 俺たちは、てめえを信じて、命を託す! 躊躇(ためら)いはねえ!」


 ギアの叫びに、それまで泳いでいたジェイドの目が、はっと見開かれた。

 ミラーグラス越しに、ふたつの視線がぶつかる。

 噛み合う。

 心の奥底で止まっていた時間が動き出す、スイッチが入る――


「黙るな! 命令を出せ! ビシッと決めろ! 指揮を執れ、ジェイド・フォスター捜査官!」


 そこまで、叫んで。


「おっ? う、おうわぁあぁぁぁっ!?」


 ギアは絶叫し、慌てふためいてばたばたと二メートルも後ずさった。

 うっと一声呻くやいなや、ジェイドの顔色が劇的に急変し、次の瞬間、その場に胃の中身を全部ぶちまけてしまったのである。

 あと一瞬、ギアが下がるのが遅ければ、もろに顔面に浴びる羽目になっていたところだ。

 どうやら、ストレスが胃にきていたところを思いっ切り揺さぶられ、吐き気が一線を超えてしまったらしい――


「すまねぇ! いや……つうか、大丈夫か!?」


 うずくまったジェイドに、恐る恐る声をかけるギアだ。

 他の面々も、この状況にどう介入していいものか全く分からないといった様子で突っ立っている。

 仮設捜査本部に、先ほどとは全く違った種類の、何ともいえない沈黙がわだかまった。

 一瞬だけ。


「ふ……」


 不意に、その沈黙を破る声があった。


「ふ、ふふ……ふふふふふふふふふふふ」


 笑い声、だ。


「おい?」


 さすがにやや腰の引けた様子で、ギアは、その男に声をかけた。

 うずくまったままで、ぶるぶると肩を震わせているジェイドにだ。


「マジで大丈夫か、課長……? ちょっと、アレか? 活を入れすぎて、アレになったか?」


「そうか」


 ふらり、と。

 呟くように言いながら、ジェイドが、その場に立ち上がってくる。

 その表情を見た瞬間、一同のあいだに流れる空気が変わった。


 チーム・リーダー。

 この男になら、命を預けて、後悔はない。

 そう思わせる何かが、彼の姿に戻っていた。


「よくぞ言ってくれた、ギア。そこまでお望みとあらば、応えなくてはな。

 ああ、いいだろう! リクエスト通り、ビシバシゴスボキグチャメリッ! と! 徹底的に仕切りまくってやろうじゃないか! 覚悟しろ貴様ら!」


「ふ、復活した!?」


「つか、何の音だ今の!?」


「黙れ!」


 交互に呻いたカースとギアの台詞を、一言のもとに切り捨てて、ジェイドは、ずっとラップトップに張り付いたままだった部下の名前を呼んだ。


「イグナシオ!」


 返事こそしないものの、長い髪を揺らして頭を傾け、イグナシオが指示を求める。

 ジェイドは彼の側に歩み寄り、その肩に手を置いた。


「あのビルのセキュリティ・システムにアクセスできるか? オールト・ビル内の全てのセンサー、警報装置、侵入者迎撃システムについて知りたい」


「簡単……」


 ただそれだけ呟き、ラップトップに覆い被さるイグナシオ。


「おお」


 組犯の猛者たちも思わずぞろぞろと集まり、その手捌きに見惚れた。

 イグナシオの手が凄まじい速度でセンサーフィールドを行き来し、モニターにいくつもの画像が立ち上がる。

 目まぐるしく現れ、重なり、あるいは消えるウインドウは、まるで奇術師が客の目の前で次々に入れ替えるカードのようだ。

 やがて、不意に壁に突き当たったように、イグナシオの動きが止まった。


「閉鎖ネットワークだ……」


「何?」


 イグナシオは爪を噛みながら、かたかたと貧乏ゆすりをした。


「外部からの不正なアクセスを防ぐための、極めて有効な手段……完全独立型の、有線ネットワーク……」


 その口調は、一同に向けて説明しているというよりも、独り言を呟いているかのようだ。


「メインコンピュータを中心に、ビル内でネットワークが完結している。アクセスするためのゲートウェイが存在しない……つまり現状では、ネットワーク経由の侵入は、事実上不可能……」


「100%か?」


 ジェイドの問いかけに、イグナシオがちらりと彼を見上げる。


「いや……方法はある……物理的に、ネットワークに介入すればいいんだ」


「というと?」


 再び魔法のようにイグナシオの指先が踊り、オレンジ色の光の線で構成されたビルの構造図が浮かび上がった。


「たとえ、ビル内のセキュリティ・システムは独立させても……ネットワーク上で、すべてを秘密にしておくことなんてできない……ビルを建造した業者と、配線を担当した業者のコンピュータにアクセスしたよ……ここだ」


 ビルの構造図の中を、無数の血管のように赤いラインが走り、その一点をイグナシオが指差す。


「ビルの外壁と配線の最近接ポイント……ここなら、できる。大昔のスパイたちみたいに、コードを繋いで、回線に直接割り込むんだ……」


「できるのか、イグナシオ?」


「もちろん……機材さえ取ってくればね……」


「よし、それなら、俺たちに任せろ!」


 不意に、背後からそんな声が上がった。

 声の主は、ブルドッグのような顔をした大柄な男――組織犯罪課を率いる、ウーゼル・アミンジャーだ。

 今にも噛み付きそうな顔を近づけられても、イグナシオは微動だにしなかった。


「今回、俺たちはサポート役だそうだ。いいだろう、あんたらに手を貸してやる。車で送ってやろう。壁をぶっ壊すなら、部下に手伝わせても構わん」


「ご協力、感謝いたします」


 横手から言ったジェイドに、ウーゼルは頷いた。

 声を潜めて――もともとの声が大きいため、全く意味はなかったが――続ける。


「大きな声では言えんが、俺たち組織犯罪課は、逆に、組織絡みの大捕り物では動きにくい面がある。分かるだろう?」


 ジェイドは頷く。

 組織犯罪課の捜査官たちの中には、時に癒着と呼ばれかねないほどの深いつながりを組織の人間と結ぶ者もいる。

 そうやって個人的な関係を持ち、互いの「顔を立てる」ことによって、ある程度の勢力均衡を保つのだ。

 それゆえに、正面切っての戦争は、できる限り避けたいところなのである。

 ジーズ・バンタムの思惑も、あるいは、その辺りにあったのだろうか……?


「ありがとうございます、ウーゼル・アミンジャー捜査官。イグナシオ、彼の部下と共に行け!」


「了解……」


 ラップトップを抱え、イグナシオが仮設捜査本部を出て行く。

 続けて、ジェイドはもう一人の部下を呼んだ。


「ゼファ!」


「はいっ」


 手回しよく掃除用具のロッカーからモップを持ち出して床を拭いていたゼファが、元気よく敬礼をする。


「イグナシオがネットワークを切り崩すまでのあいだ、ぼんやり待っているには及ばない。お前の『趣味』が役に立ちそうだ。例のもの、持ってきているか?」


「え?」


 一瞬、目を丸くしたゼファだが、何事かを悟ったらしく、すぐに笑顔になった。


「ああ、はい、もちろん! コレクションは、いつでもどこでも、肌身離さずに持ち歩いていますから」


 言って、荷物の中から、移動式小型カメラを収めたコレクション・ボックスと、コントローラーまでをも取り出してくる。

 勤務中に趣味の物品を持ち歩くのもどうなのかと思うが、今ここには、そんな指摘をする者は誰もいなかった。

 それどころか、ジェイドは満足げに頷き、ゼファの腕に手を置く。


「今、それが人命救助に役立つときだ」


 そして彼は、早口で作戦の詳細を説明した。

 ゼファはにこにこしながら耳を傾けていたが、ジェイドの説明が終わるやいなや、


「了解しました。では、早速始めますね!」


 言って、ジェイドの手にモップを押し付け、コレクション・ボックスとコントローラーを手に隅のテーブルに引っ込んで、何やらごそごそと準備を始める。


「彼の趣味の、移動式小型カメラです。換気用のダクトを利用して移動させれば、ビルの内部の様子を探ることができる。あれで、人質の正確な位置を確認させます」


「なるほど」


 さりげなくモップの柄を手近の壁に立てかけ、静かに言ったジェイドに、ウーゼルは深々と頷いた。

 当初は、若造どもの手並みを見せてもらおうじゃないかという空気をありありと漂わせていたウーゼルだが、徐々にジェイドのやり方に引き込まれてきたようである。


「ビルに近付く必要があるなら、我々でカバーしよう」


「ありがとうございます。――ロッサーナ!」


 気迫のこもった声で名を呼ばれて、彼女は、にっと笑みを浮かべた。


「仕事道具を持ってきたと言ったな?」


「ええ」


 座って頬杖をついたまま、つま先で、足元に置かれた大きな箱をつつく。

 クロスをかぶったまま、髪はくるくる巻きなので、全く様になってはいなかったが。


「ハイオール・シティ大会で優勝の栄誉に輝いたという君の技術を、披露してもらうことになるかもしれない。スタンバイを頼む」


「あら、あれは個人的に出た大会よ。よく調べたのね」


「君たちのことなら何だって知っている。それが仕事だ」


「やるじゃないの、坊や。いえ……課長、ね」


 しなやかな動作で立ち上がり、大きな箱を持ち上げて、ロッサーナ。


「いいでしょう、見せてあげるわ、伝説と言われたあたしの技、キス・オブ・デスをね。期待していいわ。ああ、護衛は要らない。この仕事は、一人でやるもんなのよ」


 言って、マントのようにクロスをなびかせ、颯爽と立ち去る。


「いい尻だな」


 あながち間違いでもない感想をしみじみと漏らすウーゼルに、ジェイドは生真面目な表情を向けた。


「彼女は、狙撃手です。それも、神の指先と賞賛されるほどの、超一流のスナイパーだ」


「えっ、嘘……」


「マジかよ!?」


 言ったのはウーゼルではなく、カースとギアだったが、ジェイドには動じた様子もない。


「彼女が放つ銃弾は《死神のキス(キス・オブ・デス)》と呼ばれ、二km先からでも確実に標的を倒すことで知られている。業界では、相当な有名人だ」


「業界……」


「どの業界だよ。暗殺関係か?」


 茶化すように交互に呟く二人だが、それは、高まる緊張感を逃がすためのちょっとしたジョークだった。

 ジェイドの視線が、ぴたりと自分たちを見据えたとき、ギアとカースは表情を引き締め、姿勢を正した。


「さて、ギア、カース。お前たちの仕事は、最も危険で、かつ困難だ」


「そんなことだろうと思いました……」


「何でもいいぜ。言えよ」


 半ば諦めたような顔のカースと、今にも牙を剥きそうなギア。

 ジェイドは頷き、ギアの両肩に手を乗せると、重々しく言った。


「アスカ・ブルーシード隊長を、脱がせてこい」




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