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そしてレースは始まった

       *     *     *



「坊ちゃん、オフィスが動き出したようですぜ!」


 運転席で治安局の通信を傍受していたデレクが叫んだ。

 スピーカー出力に切り替えられた通信機器が、オフィスの動向を逐一伝えてくる。


『車輌は現在、サジタリウス・ラインを北進中。

現場近くの捜査官は、直ちに急行せよ……』


 クアンは後部座席で手の中の銃を弄り回しながら、みどりの目を凶暴にぎらつかせた。


(なぜだ、こんなに早く!)


 現在、クアンたちの車に同行しているのは、部下が乗った一台のみだ。

 後尾にぴったりと続き、背後の守りを固めている。

 まだその向こうに治安局の車輌は見えないが、ここまではっきりと場所を特定されている以上、彼らが追いついてくるのは時間の問題だ。


(部下の誰かが裏切ったのか? アントンのように? いや、そんなはずはない、全員、試験済みなんだ。だとしたら……)


 猿轡をされたまま声もなくすすり泣いていたターニャ夫人とフアナは、不意にクアンの視線に射すくめられて、びくりと身をすくませた。


「あんたたちの仕業かい?」


 妙に優しげな声が、不吉な予感をかきたてる。

 母子の怯えきった眼差しを、クアンは凍りつくような目で見返した。

 考えられるのは、この二人のうちのどちらか、あるいは両方が、発信器を所持しているということだ。

 車に連れ込む前に、私物は全て取り上げて破壊し、衣類を調べ上げた。

 そのときは、何も出なかったのだ。

 だとすれば……


「教えろよ」


 ターニャ夫人の口からテープを剥ぎ取り、彼女の顎を掴みあげて、息がかかるほど近くに顔を寄せる。

 高価な香水に混じって、恐怖のにおいまでも嗅ぎ取れるほどの距離だ。


「発信器をどこに持ってるんだい?」


「な、何のこと」


 震える声は、途中で悲鳴に変わった。

 クアンが彼女の頬を思い切り張り飛ばしたのだ。

 窓際に押し込められていたフアナが猿轡の奥で必死に唸り、母親を守ろうとするかのように、クアンとターニャのあいだに身体を割り込ませようとする。

 だが、クアンは気にも留めなかった。


「とぼけるんじゃねえよ! そうでもなきゃ、治安局のクソイヌどもが、これほど早く俺たちの動きを嗅ぎつけられるはずがないだろうが……? 正直に言う気がねえなら、可愛いお嬢ちゃんの腹掻っ捌いて確かめてやったっていいんだぜ!」


「やめて、やめて! 本当に知らないわ!」


 ターニャは気も狂わんばかりに身をもがき、絶叫する。


「発信器なんて持ってない、本当よぉ!」


「クソアマが」


 静かな声で呟き、クアンはナイフを抜き、逆手に握った。


「あんたの内臓から確認してみようか?」


 フアナが泣きながら母親にすがりつこうとする。

 ターニャ夫人の目は、死に魅入られた獣のように、ナイフの刃に吸い寄せられた。

 そのときだ。

 凍りついたようなバレット・カーの車内に、遠く、微かな音が響いた。


 

     *   *   *



「ギア、危ない! 危ない危ない危ないぎゃああああっ!?」


「助けてくれぇぇぇ! 私はまだ、死にたくないぃぃぃぃ!」


「おらおら、てめぇら邪魔だ、どけえええっ! 俺たちの前を、塞ぐんじゃねぇよっ!!」


 サジタリウス・ラインとの合流地点であるA-6ゲートを目指してペイモン・ストリートを驀進するバレット・カー。

 その狭い車内は今、三者三様の叫び声でけたたましい有様となっていた。


「警告灯、持って来とけばよかった」


 前を行く車を二台まとめてぶっちぎりながら、ぼそりと呟くギアだ。

 市民から徴発したバレット・カーである。

 もちろん、治安局仕様の装備など一切ない。

 警告灯もなければ、スピーカーもないのだ。

 いくら車内で叫んでも、周囲のドライバーに伝わるはずもなく、このぶんでは単なる暴走車と間違えられてオフィスに通報されているかもしれない。


 ちなみにフランケン氏は気絶したまま、とっくの昔に後部座席から床に転がり落ち、前後の席の隙間にみっしりと詰まった状態になっていた。

 当初は左右にGがかかるたびに情けない悲鳴をあげていたモーガン氏も、今や恐怖が一線を突き抜けてしまったらしく、天を仰いでぶつぶつと支離滅裂な祈りの文句を唱えている。


「ギア、あの人、どっかで下ろしといてあげたほうがよかったんじゃないの?」


「何言ってんだ」


 そちらを見ようともせず、忙しくハンドルを切りながら、ギア。

 前方にA-6ゲートが見えてきた。

 ナビゲーションシステムのモニターの端にリアルタイムで中継されている映像が、逃走車輌が間近であることを告げている。


「こんな食いごたえのありそうな肉の塊、放り出していったら、あっという間に獣どもに襲われちまうだろうが?」


「なるほど、さすが、僕のギア! 一応、他人のことも考えてるんだね!」


「一応ってのが気になるが、まあそうだ。――いやがった!」


 A-6ゲートを通り抜けた瞬間、まるでこちらの鼻先をかすめるように、漆黒のバレット・カーが凄まじい速度で通過していった。

 ミラーグラスの奥で、ギアの目の色が変わった。


「逃がすかよ、犯罪者どもがァ!」 


 床を踏み抜かんばかりの勢いでアクセルを踏み込む。

 モーガン氏の甲高い絶叫が、カーチェイスの始まりの合図だった。


 

     *   *   *



 三台のバレット・カーが三つの黒い流星のように、極限のスピードを競い合う。


「覆面か!? それにしちゃ、警告灯も出しやがらねえが」


 ミラーを覗き、デレクが怒鳴る。 


「スタンレー、てめぇら、ケツ振って連中を足留めしろ!」


 上司からの通信を受けて、それまでは後尾にぴったりとついていた部下の車が、蛇行運転をしながら徐々にスピードを落としていく。

 逆に、デレクは一気にエンジンの回転数を上げた。

 この隙に、追っ手を一気に振り切るつもりだ。

 目の前に立ちはだかった車に、ギアも当然、その意図を悟った。


「あっ、このヤロ……主犯を逃がす気だな!? 邪魔だ邪魔ぁぁぁ! ブッ殺すぞ!」


 右へ左へと目まぐるしくハンドルを切りながら、口汚く敵を罵る。

 クアンの叫びを受けて、セーフティ・ベルトを外したマーカリスターが助手席に逆向きに膝立ちになり、上半身を窓から出してグレネード・ランチャーを構える。


「おっと、やべぇ」


 ギアが引き攣った声音で呟くと同時、ランチャーが火を噴いた。

 激しい爆発がギアたちのバレット・カーを飲み込み、悲鳴さえも炎と爆音の中に消え去る。


「やったか!?」


 マーカリスターが呟いた、そのときだ。


「だあぁらっしゃあああああぁ!」


 シャフトが軋む異音をあげながら、炎と黒煙とを突っ切り、バレット・カーが飛び出してくる!


「ははは! やるな、おっさん! 防弾仕様の車でドライブとはイカすぜ!」


 ハイテンションで叫ぶギア、


「ひいいぃぃぃぃぃぃ!」


 ひたすらに悲鳴をあげるモーガン氏、


「今、窓閉めるのと空調止めるのが一瞬遅かったら、相当ヤバかったよね……!?」


 ますます蒼褪めてぶつぶつ呟くカース。


「くそっ!」


 リアウインドウからその様子を確認したクアンは、毒づきながら銃のグリップをドアに叩きつけた。


「今度はしくじりませんぜ。もう一発、喰らわせてやりまさぁ!」


「いや、待て」


 意気込むマーカリスターを手で制したクアンの目に、暗い色が宿っている。


「どうせ、もう、こっちの動きは掴まれているんだ。こうなったら……」


 ぎろりと視線を向けられて、母子が息を呑み、身を固くする。

 クアンは、片手を懐に突っ込んだ。


 ややあって、


「ちっ、往生際の悪い連中だぜ! 一体、どこへ向かう気だ!?」


 不機嫌そうに唸った瞬間、不意に、イヤーカフスから通信のチャンネルが切り替わる音が聞こえ、


『はぁ~い、二人とも?』


 続いて聞こえた妙な声に、ギアは思わずハンドル操作を誤りそうになった。


『受信状況は快適かしらん?』


 その声には、はっきりと聞き覚えがあった。


「ハゲ坊主かっ!?」


「バンタム署長!?」


 治安局101分署署長、ジーズ・バンタムからの通信だ。


『てめぇコラァ! 誰がハゲ坊主だ、このドチクショウが!』


「てめえだ、てめえっ! 何の用だコラァ! こっちは今、史上最強に忙しいんだゴラァァァ!」


 これが署長と捜査官のやりとりだなどとは、聞いても誰も信じるまい。


『くそったれが、戻ったら覚えてろ!』


 ぎりぎりと歯のなる音の後、すーはーっ、と深呼吸らしい息をひとつ挟んで、


『あんたたちに、指令を下すわ』


 不意に改まった口調で告げたジーズに、ギアとカースは、ぴたりと口を閉じた。

 そもそも、一介の捜査官に署長が直接指令を下すという状況そのものが尋常ではない。

 それだけ、事態が重大だということだ。


退きな』


「はあぁぁぁぁ!?」


 ただ一言、告げたジーズに、ギアは思い切り唇をひん曲げた。


「ざけんな、このドハゲがぁ! 俺らのここまでの苦労はどうしてくれんだ! カースなんてなぁ、もうちょっとで顔面すり下ろされるとこだったんだぜ!」


「いや、それはギアのせい……」


 カースが控えめに呟くが、誰の耳にも入っていない。


「そうまでして、俺たちに仕事をさせねぇつもりなのか!? これ以上ふざけたことぬかしやがると、眉毛引っこ抜いて頭に植え付けるぞゴラァァァ!」


『阿呆かぁぁぁ! 誰がンな下らねぇ嫌がらせで指令出すっつーんだよッ!? ぐじゃぐじゃぬかしやがると、鼻毛引っこ抜いて耳の穴に詰め込むぞゴラァァァ!?』


 ひとしきり言い争った後、


『犯人から、オフィスに直接、通信が入ったんだよっ! てめえらを退かせなきゃ、人質を片方殺すってなっ!』


「何だと!?」


 ジーズの言葉に、ギアとカースは、同時に目を見開いた。


『向こうには、二人の人質がいる! 主犯格の男は、やりかねねぇ野郎だ。ここは大人しく退きな!』


「おいハゲ! 何言ってんだ、ンな真似はできねぇ! あっちは既に、オフィスに勘付かれたことに気付いてんだ! ここで中途半端に退きゃあ、奴ら、邪魔な人質を始末して、車を乗り捨てて雲隠れしやがるぞ!?」


『その可能性については――だぁぁっ! いちいちこの場で説明してられっか、ボケェッ! とにかく、大丈夫だから、退けっつーの! でねぇとマジで、ただの警告のために、一人殺されることになる!』


 ギアは顔を歪め、舌打ちを漏らした。


「了解したぜ、ハゲ」


「えっ!?」


 驚いたのはカースだ。

 ギアの性格から考えて、たとえ署長からの指示であっても、ここで大人しく引き下がるとはとても思えなかったのだ。


「カース。タグ、持ってるか?」


「タグ……」


 その瞬間、カースは、ギアの意図を理解する。


「いや、持ってない。君は?」


「はん、バカが。心構えがなってねぇな! 俺のジャケットの内側にあるから取れ」


「分かった!」


「妙な場所触りやがったら殺すからな」


「う……了解」


 ギアのジャケットの内側を探ったカースの指が、銀色の弾丸をつまみ上げる。

 ドッグタグ、通称「タグ」――

 小型の発信器を内臓しており、命中した対象の位置を追跡することができる。


 手早く弾丸を入れ替えたカースが、再び窓から身を乗り出し、発砲した。

 それは神業のような素早さで、隣にいたギアでさえも、ほとんどその動きが認識できないくらいだった。


「逃走車輌にドッグタグを撃ち込みました! モニターしてください!」


『よくやったァ! 追跡はタグに任せて、戻りな!』


「了解……!」


 まるで粘りつく水飴の中に沈むように、法定速度に戻っていく。

 彼我の距離があっという間に開き、敵の黒いバレット・カーはあっという間に見えなくなった。



     *   *   *



 署長室の周辺は、慌ただしい足音と指示、確認の声が入り乱れていた。

 そしてジーズ・バンタム署長その人は、幾つものモニターとスピーカーに囲まれた執務机に就き、情報のシャワーを浴びていた。


「逃走車輌、停止。344地区オールト・ビル。犯人は、人質と共にビルに入りました」


「今のところ、犯人からの通信はありません。引き続き、待機し……いえ! ただ今、犯人から、マスコミに対し、直接、犯行声明が入りました!」


「マスコミ各社から問い合わせが殺到しています。至急、会見の準備を」


「組織犯罪課、スタンバイ完了しています。ウーゼル・アミンジャーが、署長の指示を伺いたいと。一番モニターに回線を繋いであります」


「《特急》スタンバってます。ギリアム大隊長は、第一部隊ニーズホッグを出すと決定しました。第一部隊隊長アスカ・ブルーシードより直接、指示伺いの通信が入ってます。二番モニターに回線繋がっています」


「分かったわ」


 静かな声で、そう呟いて、


「あと三分。三分だけ、待ちなさい」


 ジーズは、ぶつりと全てのモニター、スピーカーの回線を切断した。

 彼は手元に幾つも並んだ端末のひとつを取り上げると、迷いもなくひとつの番号をコールした。


「あら、どうも」


 しばしの呼び出し音の後、相手が出たようだ。


「アタシよ、ジーズ・バンタム。久し振りねえ。ニュースは観たでしょうねえ? どうなってんの、これ」


 口調は、まるで親しい友人とでも話しているかのように穏やかで、友好的だ。

 だが、そのことばの裏には、永久凍土のごとき冷ややかさとプレッシャーが潜んでいる。


「そう……ああ、そうなの。坊やの独走……ああ、そう。じゃあ、始末は? ……ええ、ええ。……そう。判ったわ。詳しくは、この件が片付き次第、ゆっくり話をしましょう。じゃあね」


 通話を切ったジーズは、目を閉じ、気に入りの赤い椅子に深々と身体を沈めた。

 彼のまぶたの裏側では、精密な法則に従って宇宙を周回する恒星や惑星や衛星のように、様々な駆け引きと計略が複雑に絡み合って動いていた。


 そして、その一分後。

 彼はおもむろに、双方向通信の回線を繋いだ。

 ふたつのモニターに光が灯る。

 その向こうに立っているのは、組織犯罪課の課長であるウーゼル・アミンジャーと、《特急》第一部隊隊長、アスカ・ブルーシードだ。


 アスカは直立不動の姿勢で立ち、かつて炎の洗礼を生き延びた大脳の前頭前野を働かせて、ジーズの思考の内容を推し量っていた。

 一方、ウーぜルは落ちつかなげに身動きし、この火急の事態にも関わらず上司が泰然としている理由が理解できずに、気を揉んでいた。


 やがて、ジーズ・バンタムは静かに告げた。


「組犯も、特急も、そのまま待機してちょうだい。必要とあればいつでも動いてもらうから、気を抜かないで」


「はっ?」


《組犯》の隊長は間の抜けた声を上げたが、アスカは表情ひとつ変えずに頷いた。


「了解した。それではようやく『彼ら』を使うつもりなのだな?」


 ジーズはにやっと笑った。

 彼女はいつも、生身の人間の女性が時折発揮するような素晴らしい洞察力を見せてくれる。

 彼は、話が早い相手が好きだった。

 いまだ合点がいかない様子の《組犯》の隊長は無視して、アスカに満足げな頷きを返す。


「そう。獣を、鎖から解き放つときがきたのよ」


 ずっと待っていた機会が、ようやく到来したのだ。

 後は、彼らの手並みをじっくりと拝見するとしよう。



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