「僕が必ず助けてあげるよ」
オータム・シティの東側を一望のもとに見下ろす部屋で、二人の男が顔を突き合わせていた。
彼らの容貌は、まったく異なっているようでいて、どこかしら似通ってもいる。
血族だ。
「話は聞いたよ。冗談だよね」
細身のスーツに身を包んだ若者が言った。
地味ではあるが最高級品の衣服も、洗練された立ち居振る舞いも、内面の荒々しさを完全に覆い隠してはいない。
うなじでひとつにまとめられた褐色の長髪には丁寧に櫛が入れられていたが、淡い緑の目は獣めいてぎらぎらと光っている。
その押し殺された激情は今にも爆発しそうだったが、彼と向き合った小柄な老人には、何の感慨も与えていないようだ。
「決定に変更はない」
老人が、このオフィスの主だった。
オフィスの内装のあらゆる部分に、主の趣味が反映されている。
戸棚のガラスの向こうに隙間なく陳列された大判の書物。
黒がかった緋色の絨毯に、どっしりとしたデスク。
つややかな表面を見せるデスクは紛うかたなき天然オーク材のアンティークで、無疵であれば値をつけることさえできない品だ。
そのデスクについた老人その人もまた、年輪を重ねた古木のようであった。
髪と口ひげは、長年の風雨に晒されて色素が抜け落ちたかのように白い。
だが、色褪せることのない緑の両眼は深沈として、揺らぐことなく若者を見返している。
「理解せよ、クアン。組織のために、そうせねばならないのだ」
「組織だって!?」
クアンと呼ばれた若者は、突然激昂して両手をデスクに叩きつけた。
「組織のために、血族を切り捨てるって言うのかい! 治安局のイヌどもが捕まえたのは、他の誰でもない、僕のパパで、あなたの息子だ! それなのに、何の手も打たず、見殺しにするなんて!」
「ダリオの失策は、あまりにも大き過ぎた。庇いようがない。取引の現場を直接、101の連中に押さえられたとあってとはな……」
「パパの失敗じゃない。あのくそったれが治安局に情報を流したせいさ、裏切り者のシャムーザがね」
若者の声は、急速に落ち着きを取り戻していた。
老人の声音には、もとより何の変化もない。
「彼の裏切りを見抜けなかったことが失策なのだ、クアンよ。そのシャムーザも《特急》の弾を浴びて死んだ。見せしめとして、奴の家族の死を命じておいた」
「101の奴らには、何の手出しもなしで?」
老人は、痩せた肩を沈ませて息をついた。
「報復は、このわしが許さん。今度の署長は、狡猾な男だ。あれと正面切って戦をするのは得策ではないぞ、クアンよ」
「でも、それじゃデルトロ・ファミリーが治安局を恐れていると思われる!」
クアンは再びデスクを叩いた。
その手を動かさないまま、牙を剥く闘犬のように、食いしばった歯のあいだから軋るような声で唸る。
「このままじゃ、僕らは業界中の笑いものになっちまう。101のイヌどもを殺して、僕らに手を出したことの馬鹿さ加減を思い知らせてやるんだ。並行して、パパの身柄を奪還する。パパを、イヌどもに捕まえさせたままになんかしておくもんか!」
怒鳴ったクアンの頬が、ばしりと鳴った。
「愚か者!」
立ち上がった老人の怒声は驚くほどの声量で、クアンのものを気迫で遥かに上回っている。
一歩よろめき、きっと老人を見返したクアンの視線は、白い眉の下から睨みつけてくる緑の目に弾き返された。
「治安局とのあいだに、全面戦争を引き起こすつもりか!? 確かに、百人のオフィサーを血祭りにあげることもできる。だが、それでどうなる? 奴らも黙ってはおらんぞ。こちらも、大勢殺される。治安局との戦争でファミリーが弱体化すれば、わしらの隙を血眼になってうかがっておる他の組織がどう動くか、考えずとも分かるじゃろう!」
不意に、老人のことばが途切れた。
痩せた肩が、ふいごのように上下している。
老人は小さく震える手を胸に当て、布張りの椅子に崩れるように腰を下ろした。
やがて、彼は顔を上げぬまま、片手を振って言った。
「刑務所での待遇は、どうとでもなる。戦争は認めん。ただ一人のために、集団を危険に晒すような者に、人の上に立つ資格はないぞ!」
クアンは、じっと祖父を睨みつけていた。
その視線が一瞬デスクの上に流れ、手頃な凶器でも探すように、古い文鎮や時計のあいだをさまよった。
しばしの後――
彼は、黙って踵を返した。
黒檀の扉が音もなく横向きに開き、閉まった時、老人は顔を上げた。
怒れる若者の姿は、視界から消えていた。
「馬鹿者め……」
クアンの祖父であり、ファミリーの長――アルフォンソ・デルトロは椅子に深く身体を沈め、呟くように言った。
その声音は、どこか哀しげでもあった。
彼はデスクの下でずっと握りしめていた最新型のレーザー・ガンを置き、手元のコンソールを操作した。
なめらかなデスクの表面に四角い線が浮かび上がったかと思うと、その部分が音もなくスライドし、一枚のディスプレイが現れた。
一方、クアンは、誰もいない廊下を荒々しく歩いている。
敷き詰められた高価な絨毯のせいで、足音で怒りを表現するというわけにはいかなかった。
そんな些細なことすらも、彼の神経を苛立たせる。
「パパ……」
抑えられた照明が陰影を強調し、整った造作に、凄みを帯びた陰を作り出していた。
「僕が、必ず助けてあげるよ」
密やかな誓いが、通路の闇へと溶け込む。
クアンは、監視システムの存在を知りながら、わざとそれを口にしたのだった。