過程がほとんど強盗
「あぁ?」
不意にけたたましく響き始めた着信音に、ギアは、手にしていた《マチルダ》の銃口を下げた。
《マチルダ》をホルスターに突っ込んで、通信端末をオンにする。
表示の内容を確かめると同時、眉がぎゅっと寄った。
「通信司令室……」
ここからの着信とくれば、十中八九は事件に関わるもの――それも、緊急出動を要するような案件と決まっている。
端末を耳に押し当てるギアの表情には、わずかな緊張と同時に、現状が動こうとしていることへの期待感が表れていた。
「ううう……た、助かった」
ギアに胸倉を掴まれて壁に押し付けられ、絶体絶命の状態だったカースが、だーと涙を流しながら呟く。
だが、彼はすぐに、それがぬか喜びであったと悟るはめになった。
「何だと!?」
「ぐえッ!?」
通信端末の向こうから伝えられた情報に、ギアの語調が跳ね上がる。
胸倉を掴む手にも力がこもった。
首を締め上げられたカースがばたばたともがいたが、気にも留めない。
「ああ、ああ、了解だ、急行するぜ!」
通話を打ち切ると同時、
「おい、カース! 仕事だ!」
端末を掴んだ手で、どんと勢いよくカースの肩を叩く。
「ううぅ……」
「コラ、てめぇ! 何をフラフラしてやがる!? しっかりしろ! この件がうまく片付いたら、飯でも酒でも、付き合ってやるからよ!」
「ほんとかい!?」
途端に、がばっ! と復活するカースだ。
現金な男である。
演技なのか、それとも、本気なのだろうか。
「ああ」
もはや、ギアはそんなことは気にもしていなかった。
「アトランティックビル内の《ブリジンガーメン》にて殺人および人質誘拐事件発生。犯人は複数。数台のバレット・カーに分乗し逃走。サジタリウス・ラインを、こちらに向かって北進中」
「アトランティックビルから、サジタリウス・ラインを北進?」
「そうだ」
ギアの視界、ミラーグラスの内側には、いくつもの映像が立て続けに映し出されていた。
オータム・シティの立体的な地図に、バレット・カーによる移動が可能な街路の路線図が重なり、アトランティックビルが赤、サジタリウス・ラインが黄色に明滅する。
「俺たちの方に、向かってきてやがるのさ」
ミラーグラスと接続されたHUDシステムは、さらに、リアルタイムの映像も受信していた。
上空から撮影された、黒いバレット・カーの映像だ。
ギアは、眉をひそめた。
(犯人は、複数の車輌に分乗して逃走中のはずだ……なぜ、この一台だけをクローズアップしてる?
主犯が乗っているのか? それとも、人質が? どうして、それが分かる……?)
だが、その疑問は即座に意識の淵に沈め、ギアは、目の前の問題に集中することにした。
映像の中で、サジタリウス・ラインに流れ込む毛細血管のように、無数の通りを表す光の筋が増殖してゆく。
やがて、その一本が激しく明滅を始めた。
「ここからなら、ペイモン・ストリートに入れば近い。A-6ゲートで追いつける」
「でも今、僕たちに車はない。これじゃ、間に合わないよ」
こちらもギアと同じく、ミラーグラスを装備したカースが呟く。
ギアが見ているのと同じ画像を、彼もまた見ているのだ。
「車か」
映像を消し、ギアは呟いた。
その声は妙に静かで、くちびるには笑みが浮かんでいた。
「大丈夫だ。俺のダチに貸してもらおう」
「そんな人に心当たりが?」
「ねえよ。これから探すんだ」
* * *
オータム・シティのダウンタウンは、地元の人間にとってさえ安全とは言いがたい場所だが、よそ者にとってはそれこそ『危険』以外の何者でもなかった。
表通りは、まだ、比較的安全と言える場合もある。
だが、言葉巧みに誘われて、あるいは猫をも殺す好奇心に誘われて、不用意に裏通りへと踏み込んだ者は、五分と行かないうちに素っ裸にされてしまう。
服も、財布も、臓器も、シチズン・カードの情報も何もかもだ。
だが、裏通りには――『危険』には、と言い換えてもいい――抑えがたく人々を惹き付ける何かがあるらしい。
これだけその危険性が喧伝されているにも関わらず、裏通りに踏み込んでは行方不明になる者が、後を絶たないのだ。
おそらくはそのうちの全員が、あの根拠のない確信――「自分だけは大丈夫」という、あの恐るべき思い込みに支配されていたのだろう。
そして今、ここにも、そんな犠牲者候補の一人がいた。
「ねぇ旦那、サービスするよお」
「ハンサムさん、遊ぼうよ、安くするよ」
次々と差し出される売春婦たちの手を、ゴリラとブロック塀とをかけ合わせたような外見の用心棒が、ほとんど蹴散らすような剣幕で払いのける。
忠実な護衛に守られて、でっぷりと突き出た腹を揺すりながら、ゴール・モーガン氏は満足しきったよちよち歩きで《クラブ・スターライト》から自分の車へと向かった。
《ヴァーロン》と同じ、裏通りの汚らしい店だ。
だが、こちらは酒場ではなくダンス・ホールだった。
トップレスの、あるいは遥かに刺激的な格好をした娘たちが耳を聾する大音響に乗って踊りまくる、この街の裏通りにふさわしいホットなスポットだ。
もちろん、相応の金を支払えば、ダンスを見る以上のお楽しみにもありつける。
街の中心部の高層階に住むような上流の人間が、お上品な娯楽には飽き足らなくなり、より大きなスリルと快感を求めて裏通りに繰り出してくるのは珍しいことではない。
彼らエグゼクティブは、危険な地域に出入りすることが、自分がタフな人間であることの証明だと思っているのだ。
薄汚いビルの陰にうずくまるハイエナたちがそれを聞けば、馬鹿にしてせせら笑うに違いない。
図体ばかりでかくて鈍いゴリラに守られた、丸々太った仔豚ちゃんだ。
踏んづけてキーキー悲鳴をあげさせるのもよし、それに飽きれば、ぺろりと平らげてやるもよし――
「出せ、フランケン!」
バレット・カーに乗り込んだモーガン氏は、かんしゃくを起こす寸前の子どものような声で喚いた。
追いすがってきた女たちの、垢だらけの手で車のボディを触られたくなかったのだ。
「しかし……」
いかにも血の巡りの悪そうな用心棒は、運転席におさまって、困ったように呻いた。
いまや、女たちは車体の前にも群がり、ボンネットをステージにしてショーを始めつつあった。
薄いスカートをひらつかせ、窓に舌を押し付けて舐め上げる。
「出せ!」
エアコンから吹き出してくる風にすら、彼女らの安香水と饐えたような体臭が混じっているような気がして、モーガン氏は、もはや我慢ならないといった声で叫んだ。
「構わん! 発車しろ。女どもを振り落とせ!」
バレット・カーが動き出すと、女たちは一斉に罵り声を上げて跳び退いた。
ボンネットから転がり降りた拍子に、ヒールが折れて転倒した者もいる。
先ほどまで甘ったるい媚を売っていた唇が、背後で聞くに耐えないような悪罵を連発したが、バレット・カーの後部座席にゆったりとおさまったモーガン氏の耳には届かなかった。
さあ、これからオフィスに戻って、取引先との打ち合わせだ。
それにしても、今日の踊り子はなかなか良かった。
あれは、何という名前だったかな――
「うおっ!?」
フランケンが、喉の奥で唸るような悲鳴をあげたのと、凄まじい爆発音が轟いたのが同時だった。
反射的にブレーキを踏み込んだフランケンの身体が、大きく前にのめる。
セーフティ・ベルトを締め忘れていたモーガン氏のほうは、ぷきゅ!? と本物の仔豚のような悲鳴をあげて、運転席のヘッドレストにまともにキスをする羽目になった。
「何だ、何だ!」
爆発を起こしたのは、バレット・カーのほんの数メートル前方の路面だった。
爆弾か、と思ったが、違う。
通りの少し先、三十メートルほど離れた地点に、ひとつの人影があった。
黒いジャケットを着て、黒いミラーグラスをかけた、金髪の少年――
彼がこちらに向けてまっすぐに銃を構えているのを見た瞬間、モーガン氏は完全に裏返った声で叫んでいた。
「バ、バックだ! バックしろ!」
コンコン、と、ノックの音が響く。
反射的に首をひねって真横を見たフランケンの眼前に、満面の笑顔があった。
「あの、すみません。ドアを開けてもらってもいいですか?」
黒髪の優男が、窓の向こうから、にっこりと微笑んでいる。
真正面の金髪の少年は、銃を構えたまま、歩いて近寄ってきた。
このバレット・カーの窓は防弾仕様になっているが、路面を爆裂させるほどの威力を持った弾丸――おそらくは撤甲炸裂弾をこれほどの至近距離から撃ち込まれては、防ぎきれるはずもない。
フランケンは、魅入られたようにドアのロックを解除した。
「どうもありがとう」
高級ホテルのボーイのような仕草でドアを開け、蕩けるような笑みを見せて、黒髪の男。
「悪いんだけど、ちょっと、この車を貸してもらいたいんだよね」
「な、な、何者だ、お前たちはっ!?」
「ああ、申し遅れました」
黒髪の男は、こともなげに左手をジャケットの内側に差し入れた。
「僕たちは――」
その瞬間だ。
出し抜けに、フランケンが運転席から飛び出し、拳を繰り出した。
やわな頭蓋骨程度ならば粉々に粉砕してしまいそうな一撃だ。
その拳は、黒髪の男のにこやかな顔面のど真ん中にめり込み――
それが残像に過ぎないことにフランケンが気付くよりも速く、突き出した腕に蛇のように巻きついたものがある。
フランケンの肘を一瞬でがっちりと拉いだそれは、素早く身を沈めた黒髪の男の手だった。
ぶん! と世界が回転し、路面に叩きつけられて失神するその瞬間まで、フランケンは、自分の身に何が起きたのか理解できなかった。
「ひっ、ひ……」
用心棒の巨体が華麗な一本背負いで吹っ飛ぶのを目撃し、モーガン氏の顔は凄まじいまでに引きつった。
「ま、待て、待ってくれ! か、金なら払う! 車も――」
「おう! 貸してくれるのかっ!?」
反対側の窓に駆け寄ってきた金髪の少年の剣幕に、モーガン氏はまたまた情けない悲鳴をあげた。
金髪の少年は後部座席のドアを開けようとし、そこがまだロックされていることに気付くと、たちまち不機嫌な顔になって窓を叩き始めた。
本人は軽いノックのつもりなのかもしれないが、まるで金属パイプで殴りつけるような物凄い音がする。
モーガン氏はすくみあがり、思わずドアロックを解除してしまった。
黒髪の男が、開いた運転席側のドアからじっと見つめてくるのも怖かったのだ。
「ゆ、誘拐業者かぁっ!? 頼む、お願いだ、命だけは――」
「あの、すみません。僕たち、オーダーオフィス101の者です……」
改めて懐から身分証を取り出し、申し訳なさそうに呟く黒髪の男――カース。
「話が早くて助かるぜ、おっさん!」
ギアは景気よく言った。
「おうカース、その気絶してるごっついのを、後部座席に放り込むぞ! いいか、おっさん。あんたは、ただそこで大人しくしててくれりゃいいんだ。さもねえと、命の保障はできねえぜ?」
発言が、ほとんど強盗である。
「運転はどっちが?」
「俺が運転する。お前は助手席に乗れ!」
哀れなフランケンをモーガン氏とともに後部座席に詰め込んでおいて、ギアとカースは、それぞれの座席に飛び乗った。
「さあ、レースの始まりだ」
ハンドルの上で指を踊らせ、ギアは叫んだ。
「セーフティベルトを締めな、てめぇら! ド派手にぶっ飛ばすぜっ!」




