それは誕生日の夜の悲劇
* * *
『お誕生日、おめでとう!』
にぎやかなかけ声とともに、少年は、きらきらと輝く蝋燭を一気に吹き消した。
部屋は一瞬にして真っ暗闇になり、歓声と、拍手が湧き起こった。
照明が点灯し、主賓席に座った少年の得意げな顔と、彼を囲んでテーブルについた親しい友人たちの笑顔――
そして、テーブルに載った、大きなチョコレートケーキを照らし出す。
『すっげー! 超うまそう!』
ころころと太った少年が思わず手を伸ばし、
『こら、デニー! まだ食うなよっ!』
友人のひとりが、その手をバシンとはたき落とす。
もちろん、冗談だ。
デニーは、自分で自分の食い意地をネタにして、みんなから笑いをとるのがうまい。
今夜も、みんながげらげらと笑った。
『だって、僕、もう腹へって死にそうなんだよ~!』
『あれだけ料理のおかわりしといて、まだ食えるのかよ!?』
ここで、また笑いが起こる。
つっこみを入れた少年――キムは、オホンと咳払いをし、もったいぶった調子で、上座に座った少年を示した。
『何てったって、今日の主役は、ギアなんだからな! ギアが最初に食べるのがスジってもんだろ。このケーキだって、ギアのお母さんが作ってくれたもんだし』
『いいよなー、ギア! 母さんが優しくて、料理が上手でよ』
『お母さん、料理人さんなんですよね? うらやましいです。やっぱり、ご飯が美味しいというのは、重要なポイントです』
『ウチなんか、メシを手作りしてもらったことねーよ! オレも、この家の子どもに生まれたかったなー』
『あらあら。みんなまだ小さいのに、お世辞が上手いね!』
取り皿と包丁を運んできた女性が、少年たちのことばに、笑顔で応じた。
ジーナ・ロック。
オーダーオフィス003分署のオフィサー、フェイド・ロックの妻。
ギアの母親だ。
着ているものは飾り気のないTシャツにジーンズで、まっすぐな金髪を後ろでひっつめにしている。
化粧っ気もほとんどない。
だが、ぱっと華やかな顔立ちや、晴れた空のように青い眼が、まるで太陽のように明るい雰囲気を放っている。
『ギア、あんたもみんなを見習って、ちょっとは母さんの料理を誉めてくれたらどうなのさ?』
『ええ?』
ギアは、みどりの目を困ったようにまたたかせた。
九歳の少年にとって、友人たちの前で母親にこんなふうに言われるというのは、何ともいえず恥ずかしく、複雑な心境だ。
『だって、別に、普通だもん。味』
『はぁ、これだもんねぇ! いいよいいよ、そんなこと言うんだったら、せっかく作ったこのケーキ、あたしが全部一人で食べるよ』
『あああ、お母さん、それはダメ~! そ、そんなことしたら、太りますよ! 美人が台無しですよ!』
わざとらしくつんとしてケーキの大皿に手をかけたジーナに、デニーが必死にしがみつき、
『お前は、自分が食べたいだけだろうがっ!?』
キムが、バシバシと彼の背中を叩く。
また、どっと笑いが起こった。
『そういうことなら、仕方ないねぇ。ほら、ギア、自分で切り分けな』
『うん』
ギアは友人たちの頭数を数え、慣れない手つきでケーキを切り分けていった。
『僕らが五人、あと、お母さん……あれ、ギア、一個多くない?』
目ざとく指摘するデニーの後頭部を、またもキムがばしんと叩く。
『アホ! ギアの父さんの分、取っとかなきゃならないだろーがっ!』
その瞬間、部屋の空気が、微妙に変化した。
ギアの表情が、目に見えて硬くなる。
二ヶ月前に招かれたキムの誕生会には、キムの父親と母親、祖父母、親戚一同までもが集まっていた。
その前の、オーランドの誕生会のときは、アウトドア用品店をやっている父親が屋上でバーベキュー・パーティを企画してくれた。
だが、今夜、この部屋に、ギアの父親の姿はない。
子どもは、大人以上に空気の変化を敏感に察知する。
あ、しまった、という表情をデニーが浮かべたのと、ジーナが明るい声をあげたのはほぼ同時だった。
『そうなの! この子の父さん、今日は帰ってこられるはずだったんだけど、ちょっと、大事なお仕事が入っちゃってね』
『あ、ギアくんのお父さんって、オフィサーなんですよね? カッコいいなあ! 憧れます』
誰よりも空気を読むオーランドが、大きな声で言う。
それを皮切りに、何とか主賓の気持ちを引き立てようと、少年たちは口々に言った。
『危ない仕事なのに、勇気あるよなぁ』
『ほんと、ほんと! オレは絶対、無理。強盗とかとバトルすんの怖いもん』
『なあ、ギアも、大人になったらオフィサーになんのか?』
『えー? 多分、ならねえと思うよ』
ギアは、そっけなく言ったが、友人たちの努力の甲斐あって、その表情には柔らかさが戻りつつある。
『俺は、どっちかっつうと、レーサーとかの方がいいな!』
『そうですか? オフィサーも、レーサーと同じくらい、カッコいいと思いますよ!』
『そうかな? オフィサーなんて、忙しいし……あんまり、家族といられないしさ』
『さあ、さあ!』
ぱん、と手を叩き、ジーナが明るい声を張り上げた。
『ごちゃごちゃ言ってないで、さっさと食べようよ! それとも、あたしが全部食べちゃってもいいの?』
『ああ~、お母さん! それだけは!』
『落ち着け、デニー! 食欲丸出しは見苦しいっての!』
デニーとキムの漫才が、硬い雰囲気を完全に吹き飛ばす。
少年たちは、年齢相応の旺盛な食欲で、ジーナが腕をふるったパーティメニューとは別腹にケーキを詰め込んだ。
子どものお祝い用のノンアルコール・シャンパンが開けられ、ボトルの口から大量の泡が噴出して大騒ぎになり、選りによってデニーのケーキがびしょ濡れになって彼が男泣きに泣き、ジーナが自分の分を彼に分けてやるという一幕もあった。
とうとう全員の取り皿が空になり、さすがのデニーも『もうこれ以上何も入らない』と呻くころになって、お待ちかねのプレゼント交換の時間がやってきた。
『ギアくん、おめでとう!』
『おめでとう、ギア』
『おめでとう!』
色も形も様々の、きれいにラッピングされたプレゼントがギアの前に集まった。
『ありがとう! 開けてみていいか?』
『ぼ、僕のは最後にして! つまんないから』
『ギア、やめろ~! それは俺の奴だから、最後にしろって、あああ~!』
なぜか開封の段になって大騒ぎする少年たちである。
赤い包みをびりびりと豪快に破ったギアの顔が、ぱあっと輝いた。
『うおっ、すげー! 《タイドライン》のヒップバッグだ!』
『伯父さんの店で売ってるやつ! 親戚だと、けっこう割引にしてもらえるからさ』
『サンキュー! 明日から使うよ。――こっちは何だ?』
『あああ! それ僕の! 最後にして、最後に~! むしろ見ないで!』
不意にインターホンのブザーが鳴り、モニターを覗いたジーナが『あ、届け物だ』と呟いて玄関に向かった。
やがて、戻ってきたジーナの手には、丁寧に包装された平たい箱があった。
『ギア!』
彼女はにこやかに叫んだ。
『父さんから、プレゼントが届いたよ!』
『え、マジ!?』
『すげ~! ナイスタイミング!』
その瞬間、ギアよりも、まわりの友人たちのほうがどっと盛り上がる。
『中に、ホロのメッセージカードが入ってるって、宅配会社の人が言ってたよ。開けてみたら?』
『そうそう、開けてみろよ!』
『後で、開けるよ』
ギアは言った。
平静を装っているが、実は相当嬉しいのだろうということが、付き合いの長い友人たちにははっきりと分かった。
彼らは心得たように目を見交わし、それ以上、開封を迫ることはなかった。
ギアは、それからパーティが終わるまでのあいだ、ずっとその箱を側に置いて、目を離したすきにどこかに消え去るのではないかと疑うように、ときどきそちらを見て確認していた。
ジーナは、その様子を微笑ましく思うと同時に、息子のことが少し気の毒でもあった。
オーダーオフィサー。
社会の秩序と、市民の安全のために奉職する者たち――
自分は、選んで彼を愛した。
だが、息子は、父親の職業を選ぶことはできない。
職を持つ親ならば、忙しいのはどこの家庭も同じだが、勤務時間が不規則で、残業も当たり前のフェイドは、ギアと共に過ごす時間が極端に少なかった。
せめて息子の誕生日には、と、フェイドは毎回、何日も前から時間を空けようと努力していたが、ひとたび事件が起これば個人的な予定など全て吹き飛んでしまうのがオーダーオフィサーというものだ。
そういうときは、何日も遅れて帰宅してから『遅れてすまなかったな』という言葉とともに、息子にプレゼントを手渡すのがならわしだったが――
(今回は、嬉しい驚きを仕掛けたってわけね)
手渡すことができない代わりに、ホロのメッセージカードを同封するというあたりが、家族想いのフェイドらしかった。
(あたしのほうは、欲しがってたベルト買ってやったけど……それは、後回しでいいや)
任務の合間にばたばたとメッセージを吹き込み、配送の手続きを済ませるフェイドの姿を想像すると、自然と笑みがこぼれた。
やがて友人たちの保護者が迎えに来て、パーティもお開きとなり、クラッカーの紙テープやプレゼントの包み紙が散らかったリビングで、母と息子は、父親からのプレゼントをテーブルの上に載せた。
『母さん、これ、何が入ってると思う?』
『さあ? 全然、分かんないね』
『この大きさってことは、フロンテック社のMZ‐55かな!?』
『何、それ』
『モデルガン! 前に、買ってって言ったけど、ダメって言われたんだよな』
『とりあえず、開けてみなよ』
『うん!』
友人のプレゼントのときよりもずっと丁寧に包装紙をはがすと、有名な玩具店のロゴが入った箱が出てきた。
『メッセージカードってどこかな?』
いまや隠そうともせずに顔を輝かせて見上げるギアに、ジーナも微笑み返す。
『箱の中に入ってるんだよ、きっと』
『うわー、何だろうな! 父さん、きっと』
蓋に指をかけ、ぐっと持ち上げた瞬間、箱の中で何かがカチリと鳴った。
そして――
* * *
「あらゆる犯罪者に対して、力による復讐を……」
アスカ・ブルーシードが口にしていた言葉を、ギアは繰り返した。
だが、内容とは裏腹に、声音は静かだ。
「そうだ。俺も、それが正しいと信じてた。
俺のおふくろは、殺されたんだ。俺の誕生日に、親父の名前を騙って送りつけられた小包爆弾のせいで」
カースが、目を見開いてきた。
「じゃあ……君の、腕」
「ああ。ご丁寧に、二段構えで爆発するように仕込んであってよ。最初の爆発で、俺の両腕はキレイに吹っ飛んだ。そのときに意識を失ったせいで、二度目の爆発の熱風を吸い込まずに済んだんだが――おふくろが、俺を守ってくれなきゃ、まともに喰らって死んでただろう」
意識とは関わりなく指がわななき、ギアは、再び渾身の力を込めて拳を握りしめた。
「勇敢な人だったぜ。自分は黒焦げになりながら、一人息子の命を守ったんだ。思い出すよ。いまだに、夢に見る。
目を開けると、消し炭になった天井が見えて、救急隊員たちが俺を取り囲んでる。俺の上に、おふくろがおおいかぶさっていて……その顔にだけは、不思議と、ほとんど傷もなくて……」
「いいよ、ギア。もう、無理に話さなくても……」
「いいから、聞け!」
強い語調でさえぎったが、腹を立てているわけではなかった。
ただ、こいつに説明しておきたい、と思った。
通じないかもしれないが、言葉にして、伝えておきたかった。
このことを他人に話すのは、初めての経験だった。
なぜ今、こいつに話そうと思ったのか、自分でも分からない。
ギアがゆっくりと両手を上げ、ミラーグラスを掴んで外すのを、カースは何も言わず、食い入るように見つめていた。
「眩しいな」
初めて、強化軽量グラスを通さずにカースの顔を眺め、ギアは目を細めた。
その右目の虹彩は、ほんのわずかに茶色がかった緑。
そして、左目は、晴れた空のような青。
「この虹彩異色症は、先天性じゃねえ。例のブルーシード隊長と同じで、俺たちの身体は欠ければ機械と入れ替えるか、誰かのパーツと入れ替えるしかねえんだ。右目は俺の目……左目は、おふくろの目だ。この腕は機械。我ながら、ややこしい身体になったもんだぜ」
カースは、じっとギアの両目を見つめながら小さな声で「とても綺麗だ」とか呟いたようだったが、ギアはそれを聞かなかったことにして、ミラーグラスをかけ直した。
「結局、実行犯も、指示した奴も捕まらなかった。親父は麻薬取締課にいたから、ひょっとすると、そっち関係の組織の連中の仕業だったのかも知れねえ。
俺は、オフィサーを目指した。骨格の成長が安定するのを待ってサイバーアームの装着手術を受けて、腕立てだの、機器の操作だの、射撃だの、鬼みてえに特訓してな。おふくろをやった奴らに、復讐するためだ。
だが、親父は言った。
『そんな気持ちでオフィサーを目指すな。復讐は虚しいものだ』……
俺は、怒り狂ったね。家族を殺されて、よくもそんな口が叩けるもんだって。親父を憎んだよ。仕事ばかりで、家にも滅多に帰ってこなかったあんただから、そんなふうに言えるんだろうってな。
俺はオフィサーになって、何十人もの犯罪者をぶっ殺した。命乞いをされても関係なかった。おふくろや、俺のような目に遭う人間を少しでも減らすために、犯罪者を絶滅させることが俺の使命だと信じてた。必要がないときにも喜んで撃ったよ――そう、お前と、同じだった」
そこまで一気に喋って、大きく息を吐いた。
無意識に手が挙がって、胸元のロケットの感触を確かめる。
「ある時、親父が死んだ。捜査活動中、犯罪者に、撃ち殺されたんだ。もう、ずっと親父に会ってなかった。俺は、葬式に行った。指差して思い切り笑ってやろうと思ったよ。ほら見やがれ、甘いこと言ってるからこんな目に遭うんだ、ってな。
そしたらよ。葬式に……なんか、大勢、来てんだよ。もちろん、親父の職場の連中は正装で整列してたさ。でも、オフィスの関係者でも何でもねえ、よく分かんねえ連中が隅っこに集まって、めちゃくちゃ泣いてんだ。
何モンかと思ってたら、そのうちの一人が俺に気が付いてよ。ごっつい男が、鼻水流しながら、俺の手を握りしめて言うんだよ。『あんたの親父さんは、凄い人だった』ってな」
「凄い……人?」
「今でも忘れられねえよ、あのオッサンのセリフ。
『あんたの親父さんは、凄い人だった。あの人がいなけりゃ、俺は今頃、どっかの溝ン中でゴミクズみてえに死んでただろう。あんたの親父さんは、凄い人だった。ものすごい人だった。俺が立ち直ることを、信じてくれたんだ。こんな俺なんかを、信じて……』
後は、ドデカい図体して、子どもみてえに大泣きしてやがんの。他の連中も寄ってきて、慰めてんだか、一緒に泣いてんだが――
そいつら、みんな、親父が逮捕した連中だったのさ」
ギアは、肩をすくめた。
「俺は、分からなくなったよ。それまでは、自分の考え方が間違ってるはずがねえと思ってた。犯罪者は社会のゴミで、生きるに値しねえ連中だ。他人の迷惑になる前に、さっさと始末するのが、一番効率がいい方法だってな。
だが、それは――気に入らねえ連中や、都合の悪い相手をぶっ殺して物事を解決しようとするのは――俺が復讐しようとした相手と、まったく、同じなんじゃねえのか?」
「ギア……」
「そいつらと会ってから、俺は、犯罪者はとにかく処刑するってやり方を、変えたんだ。
ひとりの人間をぶっ殺すってのは――そいつの人生の可能性全部、丸ごとを、消去するってことだ。それがどういうことなのか、ちょっとだけ、分かったような気がして――
怒りはある。復讐心も捨て切っちゃいねえ。殺さず逮捕した連中が、全員更生して真人間になるだろうなんてアホな夢物語は、もちろん期待してねえ。
だが……俺は、殺すことをためらうようになった。
それを『精神的惰弱』って呼ぶなら、そうなんだろう。012の連中の言うことも、お前の言うことも分かるさ。昔の俺が今の俺を見たら、人を撃つ重さを背負う度胸もねえ臆病者だって笑っただろうからな。
だが、昔の俺は、その重さってのが、本当はどういうものなのか、分かっちゃいなかったんだ」
最後は呟くように言ったギアを、カースは、じっと見つめていた。
何かを言おうか、それとも言うまいか、迷っているというように。
「でも」
やがて、彼は静かに言った。
「そんな、素晴らしい人であっても……君の父さんは、殺された」
ギアは、ちらりと口の端を上げた。
目の前の、へらへらした色男の中に、鋼のように強靭で刃のように鋭い何かが潜んでいる手応えをはっきりと感じた。
かつての自分と同じ――
あるいは、それを上回るほどの、強固で揺るぎのないひとつの信条が。
『どんなに恩情をかけたって、いつかは裏切られるだけさ。犯罪者なんて、所詮はそういう連中なんだよ。だから、僕は――』
それが、今の自分の考えとは相容れないものであったとしても。
こいつは、俺のバディとして不足のない、男だ。
初めて、心の底から、そう感じた。
「あっ。でもさあ、ギア!」
不意に、ぱっとスイッチを切り替えたように笑顔になって、カース。
「何だよ?」
通報のために携帯端末を操作しながら、問い返す。
カースは満面の笑顔で、自分とギアとを交互に指差しながら、
「あ、ほらほら! 僕たち、さっきから、これまでになく会話が弾んでるよね? ギアって呼んでも、こんなに近づいても怒らないしさ! もう、僕たちは一心同体だね!」
言って、いったい何を想像しているのか、うねうねと怪しげに身体を揺すった。
「ああ」
大きく頷き、ギアは《マチルダ》をまっすぐにカースの眉間に向けた。
「自己申告とは潔いな。その潔さに免じて一発で決めてやるから、安らかに眠れよ」
「わわわわわ! 待ってよっ!? 君、軽々しく人を撃つことはしないって、ついさっき――」
「更正する見込みゼロの色ボケ野郎は例外だ。覚悟しやがれ!」
「ひゃああぁぁあ~!?」
銃撃の音と、激しい足音が風のように路地を駆け抜けていく。
結局、その日、ロッサーナが101分署に戻ってくることはなかった。