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生かすか、殺すか


    *      *      *


 ぎりぎりと金属の軋む音がする。

 渾身の力で握りしめている拳の、指の金属骨格が悲鳴をあげているのだ。

 医師からは、金属疲労の原因になるので避けるようにと言われている。

 だが、そうせずにはいられなかった。


 そうでなければ、俺はまた、この手で、あいつらを――


「ギア……」


 バー《ヴァーロン》を出て三十歩と行かないうちに、背後から、感無量といった調子でカースが唸ってくるのが聞こえた。


「カッコよかったよ! オフィサーもののドラマでだって、あんなにばっちり決まったシーンは見られないだろうな。君に惚れ直したよ!」


「さっきの言葉、半分以上、てめぇに向かって言ってたんだが……」


「え!? 嘘!?」


「本当だ」


 その薄汚い通りには、今、彼ら以外の人間は影も形もなかった。

 裏の世界の情報伝達能力は、時に光ラインをも上回る。

《ヴァーロン》を制圧した二人組のオフィサーの噂は、すでにこの地域一帯に広まっているらしい。


「つうか、てめぇ……何だ、さっきのザマは? 情けねえにも程があるだろうが」


「うう。だって、いきなりあんな大勢で武器を持ち出すなんて反則だよう」


「くそ……何の因果で、こんなへらへらした野郎とバディ組まされなきゃならねぇんだ……!?」


 拳の角でごりごりと額をこすりながら、苛々と呻く。


「いいか。金輪際、特に俺の隣では、犯罪者どもの前であんなへらへらした態度を見せるんじゃねえ。 奴らは、獣と同じだ。自分よりも弱いと思った相手には嵩にかかるが、自分よりも強いと思った相手には逆らわねえ。最初に、格の違いってやつを見せ付けとかなきゃならねえんだよ」


「分かった、気をつけるよ」


 ギアは、足を止めた。


「本当に、分かってんのかよ?」


 自分でも分かるほど、語調がきつくなった。

 いけない、と自覚する。

 これでは単に自分の苛立ちを相手にぶつけているだけだ。

 それでも、止められなかった。


「俺たちの仕事は、常に、ぶっ殺される危険と隣り合わせだ。命がかかってるんだよ。どうも、お前を見てると、そこのところが分かってねえような気がするんだがな」 


「僕は……」


「分かってるなら、そんな態度は取れないはずだ」


 その言葉を聞いた瞬間、カースの表情に、奇妙な揺らぎがあらわれた。

 黒い目が平板になり、底知れない淵のようになった。


「分かってないのは君のほうだよ、ギア」


「何?」


 どん、と、不意に伸びてきたカースの腕がギアの胸の真ん中を突いた。

 完全な不意打ちに、体勢が崩れる。

 後ろ向きに倒れこみながら、ギアは、路地の曲がり角から赤いジャケットを着た男たちが飛び出してくるのを見た。

 全員が、もはや間に合わせの武器ではなく、銃を手にしている。

 一瞬前にこちらの頭があった場所を、弾丸が飛びすぎていった。


(クソ野郎どもが、尾行してきやがったか!)


 たとえ相手が名高いバイオレントオフィサーといえども、恥をかかされてそのまま引き下がっては、レッド・ウォリアーズの名がすたるというわけか。

 それだけのことをコンマ数秒のうちに悟って、ギアは身体を丸めた。

 アスカと戦ったときのように、肩口から鮮やかに後転を決める。

 ビルの壁際にうずたかく積み上げられたゴミの山の陰に身を隠したときには、すでにその手に《マチルダ》が握られていた。


「カース、衝撃弾だ! 撃ちまくれ!」


 反対側のゴミの山に身を隠したカースにそれだけ叫んでおいて、ギアは、弾丸が飛んでくる方に向かって撃ち返した。

 命中するたびに、小規模な光の花が咲き、赤いジャケットの男たちがばたばたと倒れる。


 だが、次の瞬間、ギアは目を見開いた。

 衝撃弾の命中を食らって倒れた男たちが、次々と胸から血を噴き出してのたうち、糸が切れたように動きを止めていくのだ。


「お前っ……!?」


 言葉は、間に合わなかった。

 カースが使っているのはホワイトジャケット、通常弾だ。

 貫通力は高いが、殺傷力は低く、急所に命中しなければ死ぬことはない。

 だが、カースの技量は、ホワイトジャケットの弾丸を確実な死の一撃に変えていた。

 心臓、肝臓、脳――

 まるで糸に引かれるようにまっすぐに、人体の急所を貫く弾丸。


 カースの表情は、平静だ。

 まるで何も映していないかのような静謐な眼差しで、死にゆく男たちを見据えている。


「カース!」


 もはや、生きて立っているレッド・ウォリアーズはただの二人だけになっていた。

 そのうちの一人を、ギアが放った衝撃弾が打ち倒す。

 最後の一人が構えた銃と、カースが構えた《マチルダ》の弾道が、完全に交差し――


「くそぉっ!」


 裏返った声で悪態をついたのは、男のほうだった。

 弾切れだ。

 そして、カースもまた。

 男は、ベルトの後ろからナイフを引き抜いた。

 カースは、黙って《マチルダ》を放り捨て、素手のままで男の方へ突進した。

 止める間もなかった。


 ギアは、マチルダで男を狙った。相手は、武器を持っているのだ。

 だが、ギアの射撃よりも速く、獲物に襲いかかる肉食獣の動作でカースが飛びかかっていった。

 あっという間もなく若者の首に彼の腕が巻き付き、二人は激しい音をたてて路面に転倒した。


『大丈夫か』


 そう言おうとして開きかけた口が、言葉を吐き出す前に、凍りつく。

 もつれ合うようにして若者とカースが倒れた路面に、急速に、真っ赤な染みが広がりはじめていたのだ。

 見慣れた、だが何度見ても慣れるということのない色。

 ガーネットよりも、ルビーよりも遥かに明るく、鮮やかな赤。  

 動脈からとめどなく噴き出す、血液の色だ。  

 急に、目の前が暗くなったような錯覚に襲われた。


「カース!」


 駆け寄って、傍らに膝をつく。


「おいっ! どこをやられ……ッ!?」


 両肩をつかんで慎重に抱き起こしたギアは、思わず硬直した。

 ぐったりしていると見えたカースが、いきなり、怪我人とは思えない仕草でひょいと首を起こすと、至福の笑みを浮かべてきたからである。

 こちらが固まっている間に、彼は熱い吐息をついて、頬に手をかけてきた。


「あぁ、ギア……そんな大胆な」


「死ね!」


 一瞬前とは正反対の雄叫びをあげて、ギアはカースの頭を路面に叩きつけた。

 ぎゃあ、という悲鳴にももはや耳を貸さず、男の様子を確かめる。


 商売柄、死体にはとっくの昔に慣れ切っていた。

 だが、それでも目を剥いて見つめてしまったほど、凄惨な傷だった。

 ナイフを握りしめた男の顎の真下を、耳から耳まで――三日月状の傷が、恐ろしいほど深く、綺麗に口を開けている。


「お前……」


 振り向いた先で、カースは、静かに立ち上がっていた。

 その手に、いつの間にか、大振りなナイフが握られている。

 初めて会ったとき、ギアの首筋を狙ったものだ。

 抜いた瞬間は見えなかった。

 それまで、どこに収めていたのかすらも、ギアには分からなかった。


 カースは、無言でナイフを一振りし、血糊を払った。

 特殊なコーティングが施された刃は、ただの一振りで汚れを跳ね飛ばし、冴え冴えとした輝きを取り戻す。


「見られちゃったね」


 彼は呟いた。

 ギアは、背筋を寒気が這い上がるのを感じた。

 地面の上の血溜まりを見つめるカースの口元には、淡い笑みが浮かんでいた。


「君には、見られたくなかったな。これをやると、皆、怖がって避けるんだもん。でも、仕方ないよね。君を、傷つけさせるわけにはいかない」


「ふ」


 カースの物言いに、かっと頭に血が昇った。


「ふざけるな! この俺を、守ろうってか? お前、俺を馬鹿にしてんのか!? こんなクズどもに、むざむざとやられる俺じゃねえ!

 だいたいてめえ、何のつもりだ! 俺が衝撃弾で無力化した相手に、止めをさしたな? 殺す必要は――」


「分かってないのは、君のほうだよ」


 先ほどと、まったく同じ言葉を繰り返して、カースは、こちらに向き直ってくる。

 その瞳に、底知れぬ闇を見たような気がした。

 いや、違う。 

 この闇は、かつて、そして今も、自分の奥底に眠っているものと同じ――


「僕たちの仕事は、常に、殺される危険と隣り合わせだ。だから、殺さなきゃならない。敵を生かせば、必ず、後に禍根を残す。災いの芽は、早いうちに摘み取っておかなきゃならないんだ。ねえ、そうだろう? バイオレントオフィサー」  


 ぎりり、と、拳が鳴った。

 今と同じようなやりとりが、昔にもあった。



『なぜ、殺した? そんな必要は、なかったはずだ――』


『必要だって? あるさ! どうせ、更正する可能性もねえクソどもだ。税金で飯を食わせてやるだけ無駄さ。あんた、ゴキブリが出たらどうする? 虫かごに入れて餌をやるのか? 馬鹿馬鹿しい! 害虫は駆除するもんなんだよ! 犯罪者どもは皆、ぶっ殺しちまえばいいんだ――!』



 そうだ、殺せ。

 目に付いた犯罪者どもは、ことごとく叩き潰すんだ。

 それが、一番手っ取り早い――



『ギア、それは違う』



 我知らず、胸元に手があがって、服ごしにロケットを押さえる。


「それは……違う……」


「違わないよ。どうして、君は、そんなふうに無理をするんだい?」


 カースは、さらりと言った。いつも通りの彼の声で。

 彼があまりにも当然のようにそう言ったので、ギアは一瞬、面食らい、無言で相棒の黒い目を見返した。

 その間に、カースは続けた。


「きみは、犯罪者を憎んでるよ。僕よりも。君の目の中に、それが見えるんだ。君は、彼らの首を自分の手で締め上げて、へし折ってやりたいって思ってる……」


 カースの視線は、バイザーに覆われたギアの目をまっすぐにとらえていた。

 まるで、色つきの強化ガラスと二つの眼球を貫き通し、その奥にある精神を読み取ろうとするかのように。

 ギアは視線を逸らしたい衝動に駆られたが、できなかった。

 カースの言葉は、真実だったからだ。


「君は、犯罪者を憎んでるんだ。そうだろ? 毛嫌いしてるとか、そういうレベルじゃない。心の底から、憎悪してる。でも、君はいつも、最後の瞬間に手を止めているんだ。

 なぜ? どうして、そんなふうに無理をするんだい」



『何故だ? いったいどうしてしまったのかね、ギア・ロック捜査官』


『敵を殺すこともできない男は、我ら012の《特急》には必要ない』



「宗教的な理由、ってやつ?」


「そうじゃねえ」


 ギアは呟いた。


「俺には……わからねえんだ」



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