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待機室でも色々あった

     *     *     *  



『あなたのせいじゃ、ない』


 脳裏に、泡のように弾けたその言葉。

 瞬間、視界が真っ赤に染まった。


「!?」


 ガタン、と響いたのは、自分の膝がテーブルの天板にぶつかった音だ。

 その衝撃で、悪夢に囚われていた意識が完全に覚醒する。


 ラップトップのモニター画面に映し出されたスクリーンセイバーの中で、骨だけの魚のような図形がにょろにょろと動き回っていた。

 喉の奥に胆汁の味を感じながら、ジェイド・フォスターはセンサーフィールドで指を振ってスクリーンセイバーを消そうとし、自分の指先が細かく震えていることに気がついた。


 オーダーオフィス101、凶悪犯罪対策課の待機室――  

 今ここにいるのは、彼と、イグナシオ、そしてゼファの三人だけだった。  


 ギア・ロックとカース・ブレイドは、今日も連れ立って――と表現してよいものかは微妙だが――巡視に出ている。  

 そしてロッサーナ・ウェルズは、なんと無断欠勤をしたまま、完全に行方をくらましていた。


 何度もコールを入れるのだが、そのたびに『該当ナンバーの端末は、現在、電源が入っていない状態です。おそれいりますが、後ほどおかけ直し下さい』という事務的なアナウンスを聞かされただけだ。


「大丈夫ですか?」


 可変倍率ゴーグルをはめて席につき、机の上いっぱいに細かい部品を並べたゼファが、心配そうにこちらを向いてくる。

 任務がないことを気にかける様子もなく、趣味である移動式小型カメラのメンテナンスの真っ最中らしい。

 そのことを注意する余裕もなく、ジェイドは、蒼い顔で小さく頷いた。


「ああ……大丈夫、だ」


『あなたのせいじゃ、ない』 


 不意に、ぬるりとした感触を手のひらに感じ、はっとして視線を落とす。  

 両の手のひらが、真っ赤に染まっていた。

 愕然として見下ろした足元の床に、忘れようにも忘れられない、血溜まりに横たわった部下の顔があった。

 顔面の半分を失った虚ろな顔が彼を見つめ、半ばで途切れた唇をぱくぱくと動かした。  


 アナタノセイジャ、ナイ――



「っあっ、あ、あああああぁっ!?」  


 がしゃん! という音とともに凄まじい衝撃が襲い掛かり、ジェイド・フォスターは、今度こそ本当に・・・目を覚ました。


「わあぁっ!? 大丈夫ですか、課長!?」  


 心底驚いた、という調子の叫び声は、ゼファ・クラフトのものだ。


「だ……っ、大丈夫だ!」  


 一瞬、何が起きたのか自分でも理解できなかったが、かっきり九十度回転した視界が、その答えを教えてくれた。

 どうやら、悪夢にうなされて身体を跳ねさせた拍子に、椅子ごと床に引っくり返ったらしい。   

 可変倍率ゴーグルを上げ、慌ててやってきたゼファが、こちらに手を差し出してくる。

 その手をつかみ、口の中で礼を呟きながら、ジェイドは立ち上がった。  


 夢でそうだったように、額には、びっしりと嫌な汗がはりついている。

 また、どこかからびっくり箱の飛び出し人形のように過去の幻影が現れるのではないかという不安に襲われて、ジェイドは用心深く周囲を見回した。

 部下の目があることは分かっていたが、そうせずにはいられなかった。


「えーと……あ、そうだ、コーヒーでも淹れますか? うん、それがいいですよね」  


 ジェイドの返答を待たず、ゼファは自分でにこにことうなずき、部屋の隅へと歩いていった。

 そこに置いてあるコーヒーメイカーは、ゼファが持ち込んだ私物で、だからというわけでもないだろうが、初日からなんとなく彼が凶悪犯罪対策課のコーヒー係ということになってしまっている。

 本人がいたって楽しそうにその役をつとめているため、誰も、何も言わなかった。


「えーと、イグナシオさんも、コーヒーでいいですか?」


「ホットミルク……」


「あ、分かりました。じゃ、ちょっと待っててくださいね」  


 機嫌よさそうに言って、新たに据え付けられた小型の冷蔵庫のほうへと歩いていくゼファ。

 ホットミルクを注文した風変わりな白衣の若者、イグナシオ・ファウはといえば、わき目もふらずにラップトップにかじりつき、痙攣かと思うような動きでセンサーフィールドの指先を振り続けていた。

 上司が突然椅子ごとぶっ倒れるという事態にも、まるで動揺していない様子だ。

 時折キイを打つ様子は、彼自体がマシンの延長かと思わせるほどに速く滑らかだった。


 ようやく鼓動が平常のリズムを取り戻してきたのを感じ、ジェイドは、深いため息をついた。

 現在、待機室には、彼とゼファ、そしてイグナシオしかいない。


 ギア・ロックとカース・ブレイド、そしてロッサーナ・ウェルズがここにいないのは、夢ではなく、現実だった。


 ギアとカースは、巡視に出ている。

 彼ら二人は、バディを組んでからというもの、ほとんど待機室に戻ってくることがない。

 彼らが昨日、特別急襲部隊の隊員たちと揉め事を起こしたらしいと人づてに聞いたときには、思わず血の気が引いた。

 相手の第一部隊は、よりにもよって、あの悪名高い《虐殺ジェノサイドアスカ》の隊だったからだ。

 慌てて謝罪のコールを入れたジェイドに対し、しかし、アスカ・ブルーシード隊長は『こちらこそ部下が失礼した』と淡々とした調子で詫びてきた。


虐殺ジェノサイドアスカ》とまで呼ばれた人物である。

 相当、苛烈な性格の主なのだろうと思っていた。

 一体何を言われるかと内心冷や冷やしていたのだが、彼女の受け答えは、いっそ平板と呼べそうなほどに理性的で、激昂の気配など微塵もなかった。

『どうかお二人にもよろしくお伝え願いたい』と丁寧に締めくくられ、いささか拍子抜けしながら通話を切った。

 前評判だけでは、人物の見極めはつかないものだ。


 そして――

 こちらのほうが、事態としてはより深刻なのだが、ロッサーナと連絡がつかなくなっているのもまた現実だった。

 女子寮の管理人にも連絡し、部屋を確かめてもらったのだが、恐ろしく乱雑なその部屋に、主の姿はなかった。

 携帯端末へのコールも繋がらず、完全に「行方不明」の状態だ。


 ロッサーナが急に姿を消した理由については、まったく分からなかった。

 しかし、理由がどうあれ、自分には部下の管理責任というものがあるのだ。

 ジェイドは、胃のあたりを手で押さえた。

 課長として着任して以来、みぞおちの辺りから、吐き気のような嫌な感覚が消えない。

 食欲も無論なかった。

 栄養剤でかろうじて持たせているが、どこまで続くか、という状態だ。


 これではいけないと分かっている。

 いかなる場合にもベストのコンディションを保つことができる……それが、プロフェッショナルの条件だ。

 特に、他者の命が懸かった任務につく、自分たちのような職業の者にとっては。


(私は……もはや、上に立つ者としてだけではなく、オフィサーとしても、失格なのかもしれない……)

 

 そのときだ。

 急に、目の前のラップトップの画面に『着信あり』のサインが現れた。  

 ジェイドは一瞬、我が目を疑った。  

 発信元は『イグナシオ・ファウ』。

 メッセージが送信された時間は、〇コンマ三秒前――


『課長 顔色悪い

 大丈夫か 心配

 無理しないで』


 ばっとそちらを向くと、イグナシオは、何事もないような様子でラップトップに向き合っている。

 内容もそうだが、ジェイドは、このメッセージが送られてきたこと自体が信じられなかった。

 イグナシオは、このアドレスを知らないはずだ。  

 半信半疑のまま、返信してみる。


『君なのか?

 お気遣いありがとう

 しかし、なぜこのアドレスを?』


 すると、間髪を入れずに返信があった。


『ボク こういうの 得意

 簡単にわかる』                   


「だが、セキュリティが……」


 ジェイドがそう声に出したのは、思わず、ということもあるが、それ以上に、このやりとりの痕跡を残すことを恐れたからだった。

 オフィスのセキュリティ・プログラムを破ることは、あらゆるネット犯罪者たちにとっての勲章だ。

 彼らは日々、新しいプログラムを開発しては、セキュリティを打ち破ろうと、あるいはごまかしてすり抜けようとする。

 これらの挑戦に対して、オフィスに所属する専門のプログラマーたちが、日夜、全力で対抗し続けているのだ。

 それを、彼は、破ったというのか?  


 イグナシオは、視線を合わせてはこなかった。

 独り言を呟くような調子で、静かに言った。


「ボクに……破れないプログラムは……ないよ」


「えーと、お待たせしました! コーヒー、入りましたよ」  


 トレイに三人分のマグカップを載せて、ゼファが部屋の隅から戻ってきた。 

 

「はい、どうぞ。カフェオレにしてみました」


「あ、ああ」


 まだ呆気に取られながらも、反射的に礼を言って受け取り――


(カフェオレ?)


 ふと、気付く。

 ゼファが、こちらの体調を気遣って、ブラックを避けてくれたのだということに。

 いつの間にか、みぞおちの嫌な気配は薄らいでいた。


 何の操作もしていないのに、ジェイドの目の前でメッセージボックスが点滅し、最前のイグナシオとのやりとりの記録が、砂が崩れるようにあっという間に消えていった。

 自分の仕事ぶりに満足した職人のように、イグナシオはラップトップの前で両手をこすり合わせ、ゼファに渡されたホットミルクをすすった。


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