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笑顔が異様に怖かった

 オータム・シティのダウンタウン。

 周辺に住む者たちは、その呼び名を「地獄」と同義語であると考えている。

 そして、実際にそこに住んでいる者たちも、それとほぼ同じ見解を持っていた。


 辻ごとに、がりがりに痩せて顔色の悪い客引きの女たちが立ち並び、薬代だか、飲んだくれのヒモの酒代だかを稼ぎ出そうと、飢えたハイエナのような目をして客を待っている。  

 ぼろぼろのコピー革のジャケットを着た、合成ドラッグの密売人が、自分の商品に毒された身体をずるずると引きずりながら路地の奥へと消えていく。  

 清掃車など一度も通ったことがなさそうな街路には、煙草の吸殻と、酔っ払いの反吐と、そのほか何だか考えたくもないようなものがこびりつき、うずたかく積まれたゴミの山と同様、永遠に消えない異臭を漂わせている。


『ヴァーロン』と呼ばれるそのバーは、この最低な街の最低な側面を全部合わせてぶち込んだような店だった。  

 クアンが経営するカジノと同じ、人間のありとあらゆる欲望の吹き溜まりだ。

 だが、そんな場所にも、貴賎というものがある。

 ここでは何もかもが下劣で、騒々しかった。

 それが、常連たちにとってはたまらない魅力なのだ。


「触らないで! 放してよぉ!」


 半地下の店内のそこここに据えられた汚いテーブルの上には、ありとあらゆる禁制品、銃、賭博の掛け金が積みあがっている。

 真っ昼間だというのに、店内は薄暗く、ドラッグ煙草や、毒性の強いコピー煙草の煙がスモッグのように天井を覆い、頼りない照明をぼやけさせていた。


『ヴァーロン』はいつも大勢のクズどもで盛況だったが、今夜の店内は、一種異様なまでの熱狂に支配されていた。

 奥のビリヤード台を、揃いの赤いジャケットを着た男たちの一団が取り囲んでいる。

 この辺りを――今のところ――仕切っているギャング団、レッド・ウォリアーズのメンバーたちだ。


「ふざけんじゃないよ! あんたら、こんな真似して、ただで済むと」


 叫んでいるのは、一人の若い娘だった。  

 服装から見て、商売女だ。

 うっかり仲間たちから離れたところを、無理やりに連れ込まれたというところだろう。

 彼女はまるでステージの上にいるように、男たちに取り囲まれてビリヤード台に乗っていた。

 それが、彼女の自由意志による行動ではないことは明白だった。

 むき出しの太ももとその奥を、男たちの視線が這い回っている。  


 彼女の目には、この界隈を生き抜いてきた人間特有の鋭い殺気が宿っていた。

 だが、そんなものは、レッド・ウォリアーズの男たち相手には脅しにもならない。


「どうなるってんだ、ええ?」  


 ビリヤード台を取り巻いた男のひとりが、にやにやしながら言った。

 男は片手に通信端末をつかんでぶら下げ、見せびらかすように軽く振った。


「お前のヒモがここに駆けつけて、俺らを蹴散らしてお前を救い出してくれるとでも言うのかよ? 今ここで、お前の名前を出してコールしてやろうか? 賭けてもいいが、そいつは、俺たちの名前を聞いた途端に、そんな女は知らねえって言うだろうよ」


「あたしの持ち物に触るんじゃないよ!」  


 娘は金切り声をあげて通信端末を取り戻そうとしたが、飢えた獣みたいに衣服に爪をかけて引き裂こうとする男たちの群れに阻まれて後ずさった。


「返してやってもいいが、まあ、そう焦ることもねえだろ? お楽しみはこれからだ」  


 通信端末を仲間の一人に押し付け、男は、自分もひらりとビリヤード台に飛び乗った。

 街のチンピラにしてはなかなかの身ごなしだ。

 周囲の男たちから、野卑な歓声とはやし声が起こった。


 にじり寄ってくる男に、かろうじて保っていた虚勢が崩れ、娘の目に本物の恐怖があらわれた。  

 逃げ場を求めて視線が左右に振れるが、周囲は興奮して拳を振り回す男たちに埋め尽くされている。

 怯え切って動きを止めた娘の身体に、男の手がゆっくりと伸ばされ――  


 出し抜けに、その顔面で、パシャン! と透明な液体が弾けた。

 不意打ちを喰らい、男は慌てふためいて顔をこすった。

 液体は周囲の男たちにも降りかかり、何人かが悪態をつきながら両手を振り回す。  

 そして二秒後、全員の視線が、その液体が飛んできた方向に集中した。


「無理強いは、みっともないよ!」  


 いったい、いつの間にそこにいたのか?  

 黒髪を束ねた、すらりとした長身の若者が、空になったミネラルウォーターのボトルを手に、にこにこしながらレッド・ウォリアーズの男たちを見つめている。


「おいおい、カース」  


 そのかたわらから顔を出したのは、ミラーグラスをかけた金髪の若者だ。

 黒い装甲アーマードジャケットのポケットに両手を突っ込み、にやつきながら言う。


「ここは仮にもバーだぜ。店内への飲み物のお持ち込みは、ちょっとまずいんじゃねえか?」


「仕方ないじゃないか。だって、たとえ砂漠で行き倒れ寸前になってたって、こんな店で出されたものを飲もうって気にはならないからね」


 いまや、ビリヤード台の周囲だけでなく、『ヴァーロン』の店内全体が、恐ろしいほどに静まり返っていた。

 顔面からミネラルウォーターを滴らせた男が、無言のまま、ゆっくりと娘から離れ、床に飛び降りる。

 すでに形相が変わっていた。

 怒りのあまりに顔色が赤黒くなり、目が血走っている。

 仲間たちがさっと脇へよけ、彼を通した。


 その隙をつき、包囲されていた娘が素早くビリヤード台から飛び降り、店内をすり抜けて入り口から飛び出していく。

 だが、男たちはもはや、そんなことには気づきもしないようだった。

 徐々に間が詰まる男とカースの睨み合いに、静まり返っていた周囲から囃し声が起こる。


「殺せ! 殺せ! ぶっ殺せ!」


 しかしカースは動じず、笑みに少々危険なものを混ぜて、悠然と男を指で招いた。


「できるならね。遠慮はいらないよ。かかっておいで!」


 レッド・ウォリアーズのメンバーたちが、手近のテーブルの下から一斉に武器を取り出した。

 定番の銃やナイフから、鉛のパイプ、鉄釘を埋め込んだバットまで。


「ええっ!?」


 一瞬で凶器の見本市に変わった店内に、焦ったのはカースだ。


「ちょっと待ってよっ! 飛び道具まで!? しかも、一人に大勢でかかるっていうのは、どう考えても卑怯――」  


 正論だ。

 しかし、そんな正論を聞くような連中なら、こんな店にたむろしていたりはするまい。


「ぶっ殺せ!」


 狂喜にも似た男の号令が響き、殺戮ショーが始まる――

 と、その瞬間だ。


「馬鹿野郎座りやがれてめぇらッ!!」


 金髪の若者が、内臓を突き抜けて腹の底まで響く怒声とともに、拳を振り下ろす!

 問答無用の一撃を受けた手近のテーブルの天板は、冗談のように爆砕した。


 一瞬にして、何かの奇跡のように、再び静まり返る店内。  

 血まみれのショーに加わろうと店のあちこちで立ち上がりかけた男たちはもちろん、レッド・ウォリアーズの面々さえも、反射的に、きちんと椅子に座りなおしている。


「よし。そのまま、聞け」  


 その静寂をあっさりと破って、にこにこと、ギア。  

 彼がポケットから抜き出した手――

 そこに握られた身分証を目にして、男たちの表情が面白いように変わった。


「俺はギア・ロック捜査官。こいつは、カース・ブレイド捜査官だ。俺たち、今度101に来たオフィサーでよ。これから、このへん一帯の面倒を見ることになったわけなんだなあ」  


 むやみに友好的な笑顔が、異様に怖かった。


「ギア・ロックだと!?」  


 男たちのあいだを、引きつったようなささやきが飛び交う。


「《012の狂犬》か!?」


「やべぇ! 皆殺しにされる!」


「俺はまだ死にたくねえ――!」  


 見苦しいまでの狼狽ぶりに、ギアの額にくっきりと青筋が浮き上がった。


「人が、黙って聞いてりゃあ……ごちゃごちゃうるせぇんだよ、てめぇら! そのくそったれた安モンの武器をとっとと仕舞いやがれ! 一秒でもぐずぐずしやがる野郎は、頭から混合燃料カクテルぶっかけて火ィ着けるぞっ!!」


 叫びながら、目の前の男たちを撫で斬りにするように右腕を振る。

 笑顔のままなのに、その動作には、ただの冗談や脅しとは思わせない鬼気があった。

 薄紙一枚を隔て、かろうじて狂気のような怒りが封じ込められている。 

 そう感じさせるような言葉、動きだった。

 逆らうことなど、誰も、思いも寄らなかった。


「ああ……それでいいんだよ。このへんで楽しく酒を飲みてぇなら、俺たちの機嫌を損ねないほうがいいからな……」 


「新しいオフィサーさんか」  


 そのときになって、ぼそぼそと口を開いたのは、冴えない顔のマスターだ。  

 これまでは、店内の騒ぎも我関せず、カウンター内で黙々とグラスを磨いていた人物である。


「着任を祝して、一杯おごらせてもらおうか」


「へえ?」


「え? ちょっと、ギア?」  


 マスターの言葉を聞いてカウンターに歩み寄るギアに、思わず胡乱げな視線を向けて、カースが呟く。

 この状況で杯を受ければ、収賄罪に問われても文句は言えない。

 実際はかなりのオフィサーがやっていることだが、ギアには似つかわしくないように思えた。  

 カースの戸惑いなどは意に介さずに、ギアは高いスツールに腰を下ろした。  

 カウンターについていた男たちが、びくりと肩をこわばらせる。

 できれば逃げ出したいが、急な動きを見せてギアを刺激することを恐れているのだ。


 ギアの前に、ことりとグラスが置かれる。  

 だが――そのグラスに入っているのは、酒ではなく、弾丸のようにきつく丸められた高額紙幣の筒だ。


「へえ」  


 にや、と笑みを浮かべて、ギアは言った。


「随分と変わったレシピだな?」


「なかなか口当たりのいいやつでね。こいつを飲めば、たちどころに、嫌な事はすっと忘れられる……」


「なるほどな」


「え!?」  


 ひょいと紙幣を取り上げたギアに、カースがまたもや声をあげるが、それも無視して、ギアはにこやかに言った。


「そういうことなら、今日のところは珍しいカクテルに免じて、皆殺しは勘弁しといてやろうか」  


 すたすたと出口へと向かうギアを、一同、あっけにとられたような面持ちで見送る。

 彼がこれほどあっさりと引き下がるとは、誰も思っていなかったのだ。

 ギアの通り道の近くに座っていた連中が、テーブルの上いっぱいに広がっているヤバい品物を、今さらのようにばたばたと隠す。  


「おお。そうだ」  


 思い出した、というようにポンと手を打って、ドアのところに立ったギアは、くるりと振り向いた。


「帰る前に、これだけは言っとかなきゃな。俺の方針の話だから真面目に聞けよ。いいか? 俺は、てめぇらが博打を打とうがそれで儲けようが首をくくろうが、てめぇらの勝手だから、ちっとも構わねぇ。だからこれから先、妙な気兼ねするこたぁねえぜ」  


 このセリフに、一同は、またもやあっけにとられた。

 前評判と違って、ずいぶん物分かりのいいオフィサーだ。


「ただし」  


 その瞬間、男たちは例外なく、背筋に本物の寒気を感じた。

 にやぁっ、と笑ったギアの表情に、悪魔のような凄味があったからだ。


「嫌がる女に手ェ出すのは、金輪際よすんだな。今日みてぇなことが、今度、あってみな。その時は、俺がこの店を根こそぎ潰す。主も客も一緒にだ……

 嫌がる人間を無理やり犯すなんて連中は、人間のクズだ。俺は、クズには容赦しねえぜ」  


 くるり、と一同に背を向け、  


「今言ったこと、俺は絶対に忘れねぇ。てめぇらも、よく覚えとくんだな」  


 それだけを言い残して、すたすたと店から出ていく。  

 その肩越しに紙幣の筒が飛んで、側のグラスに勢いよく沈んだ。


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