歯車は動き始めた
ヴァイブ・モードにセットした端末が、サイドテーブルの上で鈍い音を立てている。
濡れた髪をタオルで押さえながら、ロッサーナは部屋中にちらばった衣服や化粧品、雑貨類を踏みつけないように、猫のような足取りでそちらに歩み寄った。
彼女の動きにつれて、芳香が部屋じゅうにたちこめる。
彼女は高価な香水と、もっと高価なランジェリーしか身につけていなかった。
男たちが見れば悶絶しかねない大胆な艶姿だ。
まあ、顔に貼り付けられたパックシートと、この部屋の乱雑さを目にしては、百年の恋も一気に冷めてしまいそうだが。
部屋そのものは何の変哲もない、オーダーオフィス101分署の敷地内にある女子寮の一室である。
ここが彼女の私室となったのはつい二日ばかり前のことなのだが、とてもそうとは思えない散らかり具合だ。
端末を取り上げ、そこに表示された番号を見て、ロッサーナは顔をしかめた。
覚えのない番号だ。
通話ボタンを押さないまま、しばらく待ったが、コールが止む気配はなかった。
いくつかの可能性が彼女の頭をよぎった。
彼女の色香に迷って正気を失った男からしつこく通話がかかってきたことは、これまでに何度かある。
単なるコール間違いという可能性もある。
あるいは――
どういうわけだか彼女のナンバーを知っている何者かが、何だか知らないが急いで彼女につなぎをつけたがっている、という可能性もあった。
ロッサーナは、心を決めた。
通話ボタンを押し、威嚇のつもりで、なるたけ不機嫌な声を出す。
「はい? ……はぁっ!?」
彼女の表情が大きく動いた。
もう少しでパックが顔から落ちそうになり、慌てて片手で押さえる。
「ちょっとあんた、どうして……はぁ? ……私に? 何故? ……ええ。……ふん。なるほどね。ふん……」
当初は見開かれていた目が、すうっと細められる。
ロッサーナはベッドに腰を下ろして、通話相手のことばに注意深く耳を傾けた。
やがて、大きくひとつ頷く。
「分かったわ。ええ。……ええ。それじゃ」
ボタンを押し、ロッサーナはしばらくのあいだ、ぼんやりと壁を見つめていた。
やがて、その肩が、小さく震え始める。
泣いているのだろうか?
いや――
魅力的な唇がにいっと吊り上がり、宝石のようにきらめく長い爪が、内心の昂揚を表すようにシーツの上で激しく踊った。
「やっとだわ」
歯車が動き始める。
明日からは、忙しくなりそうだった。