「坊ちゃんのお望みのままに」
「ご苦労だったね、アントン」
部下の報告を聞き終え、クアンは、満足げに微笑した。
彼は、古風な天蓋つきのベッドの上に、シルクのナイトガウンを羽織っただけのしどけない姿で寝そべっていた。
サイドテーブルの上にいくつも並べられたキャンドルからは、エキゾチックな香りが漂っている。
虫を誘い込む花の香りには、催淫効果のある成分が含まれていた。
この豪奢な部屋を含む邸宅と、家具のすべては、クアンが愛人に与えたものだ。
彼女は今、クアンに命令されたとおりに、シャワーを浴びにいっている。
おそらく、これからの行為で彼を充分に楽しませようと、念入りに体を磨き上げているに違いない。
彼女は、クアンが自分に夢中になっていると思っている。
馬鹿な女だ。
クアンにとって、女性は一時の気晴らしの道具、単なる欲望の捌け口に過ぎない。
今夜、ここを訪れたのも、彼女に逢うためではなかった。
現在進行中の計画を、アルフォンソに勘付かせないためのポーズだ。
大きな秘密を抱えた人間は、それを隠しておこうとするあまり、無意識に普段とは違う行動を取りがちになる。
警戒心から慎重になり、いつもしていることを取りやめたり、内心の不安を覆い隠そうと、むやみに大胆に振舞ったりするのだ。
自然だと思っているのは当人だけで、そいつが何かを隠しているということは、顔に書いてあるのと同様にはっきりと読み取れる。
――自分は、そんな間抜けな真似はしない。
クアンは薄い笑みを浮かべながら、アントンに渡された銀色のパネルを見つめた。
そこに写し出されているのは、ひとりの女性の姿だ。
上品な身なりをしている。
背景は高級デパートの玄関口で、どうやら、買い物を終えたところらしい。
「タイラー検察官夫人、ターニャ・タイラー。きれいな奥さんだよね。もうすぐ、本物に会える」
呟いたクアンの目が、ぎらりと不吉な輝きを放った。
「アントン、例の口の軽いハウスキーパーから聞き出した日付と時刻は、間違いないだろうね?」
「ええ、ターニャ夫人は三日後の午後二時に《ブリジンガーメン》に予約を入れています。店のほうにも確認を取ってあります」
「君がそのことを調べたという証拠は、ちゃんと消してあるよね?」
「《ブリジンガーメン》は新しい従業員をひとり補充する必要がありますね」
涼しい顔で答えたアントンに、クアンはにやりとした。
古い従業員がどうなったのかは、聞くだけ野暮というものだ。
「なら、行動開始は三日後の正午だ。君のように有能な部下を持って僕は幸せだよ、アントン。この作戦が上首尾に終わったら、僕から、ファミリー内での君の序列を上げるように、パパに口添えしてやるよ」
「いえ、そのような。私はただ坊ちゃんのために働けるだけで光栄です」
アントンは、深々と頭を下げた。
だが、ことばとは裏腹に、声音には喜びと期待がにじみ出ている。
クアンは内心でほくそ笑んだ。
そう、犯罪者にただで忠誠心や誠実さを求めるのは馬鹿のすることだ。
彼らを統率するコツは、犬を訓練するときと同じ。
意にかなう行動には褒美を与える。
ボスに従えば見返りが得られることを、徹底的に教え込むのだ。
「あとは、デレクが間に合うかどうかだ。三日後の正午までに間に合わなければ、彼もおしまいだね。僕は、仕事が遅いやつが一番嫌いなんだ」
クアンは、わざとデレクのことを話題に出した。
褒美を与えるだけでは足りない。
常に鞭を振るう用意があることを見せ付けておくことも必要だ。
欲望と恐怖。
これらこそが、人間を動かす最も大きな力になる。
「《ディアブロ・ロホス》とまで言われた男です。必ず間に合わせるでしょう」
従順に目を伏せて、アントンが答えた。
だが、それが底意からのことばではないことを、クアンは知っている。
最も重用する部下は常に二人置け、という父ダリオの教えを、彼は忠実に守っていた。
ただの一人に全てを任せるのは危険すぎる。
裏切りの危険は、常に忘れてはならないのだ。
腹心を二人置けば、そのリスクを分散することができる。
そして、互いにライバル意識を持たせ、競い合わせることで、よりよい成果を上げさせることもできる。
「ああ、そうだね。僕もそう思うよ」
クアンは、ぬけぬけとそう言った。
競争心の火花を、爆発はしない程度に、適度に煽ってやる。
その加減をうまくつけるのも、部下を操縦するセンスというものだ。
ノックの音が聞こえた。
「クアン、入ってもいいかしら?」
クアンはにやりと笑った。
「帰るかい、アントン? それとも、一緒に楽しんでいくかい?」
アントンはおどけて肩をすくめた。
「坊ちゃんのお望みのままに」