朝食、乱闘、のち逮捕
朝である。
「ハイらっしゃっ客さん注文はっ!?」
屋台『モウマンタイ』は、今朝も大繁盛していた。
新たに現れた客に、店主がすかさず、人間の限界に挑む早口で問いかける。
その背後では彼の妻が、コマネズミのようにくるくると立ち働いている。
オータム・シティで最も活気ある場所の一つ、テンジン・ストリート。
目覚めを迎えたばかりのダウンタウンの大通りを、まるで大動脈を流れる血流のように無数の人間、自転車、モーターサイクルが行き来する。
ざわめき、呼び込み、クラクションの音。
通りの両側には軽食を出す屋台がずらりと並び、その座席やパラソル付きのテーブルが、車道までをも侵食しつつあった。
オータム・シティの人々の多くは、自炊の習慣を持たない。だから、屋台が生活に欠かせないものとなっている。
朝食時ともなれば、その混み具合は殺人的だ。
それをさばき切る手際の良さ、そして味の良さがあって初めて、この屋台激戦区で生き残ることができるのだ。
「えーとな、えーと……ちょっと待てよ。これも美味そうだし、これも……あー、迷うぜ!」
だから、こういう客が一番困るのである。
パラソルの支柱に貼り付けられたメニューを眺めながら、その若者は、嬉しそうにぶつぶつ言っていた。
見かけない顔だ。
常連なら、席について一秒もしないうちに注文してくれる。
あまり気の長くない店主は、カーン! と鍋を打ち鳴らして、優柔不断な客に迫った。
「ご注文はっ!?」
「うお!? ……あ、えーとな、それじゃ、肉ラーメンとエビチリと胡麻春巻と、あとマンゴージュースと、デザートに杏仁豆腐。全部Lで!」
あれだけ迷ったくせに、結局全部食べるらしい。しかもLで。
店主は思わず、若者の顔をじっと見つめてしまった。
「お客さん、よその人かい?」
「あ? ああ! ヴェロニカ・シティから越してきたばっかなんだ。今度、辞令が降りて、こっちで働くことになったんでね」
言って笑顔を見せ、若者は、だぶだぶの黒い装甲ジャケットを着た肩を小さくすくめた。
店主は、はて? と内心、首を傾げた。
この若者、見た感じでは十七、八といったところだろうか?
よりはっきりした推定が困難なのは、彼の顔の上半分を覆っている、黒いミラーグラスのせいだった。 つややかな偏光プラステックが、彼の目を完全に隠蔽している。
それでも、厳つい印象を与えないのは、やや小柄な体格のためか。
どうもわざとやっているらしいばさばさの金髪や、向こう気の強そうな顔立ちとあいまって、どう見ても、そこらのストリートの悪ガキにしか見えない。
人事異動があるようなまともな職に就いているとはとても思えなかったが、店主は賢明にも、それを口に出すことはしなかった。
かわりに、魔法のような手際で盛り付けた料理を、どんどんとテーブルに置く。
若者は、出された肉ラーメンをものすごい勢いですすりながら、路上に置かれた空き箱の上のモニターを熱心に見つめはじめた。
年季が入って画質の荒いモニターの向こうから、若いキャスターが同じニュースを繰り返し伝えている。
『本日、午前一時過ぎ、オータム・シティ036地区の工場跡地にて、大規模な銃火器の密売組織が摘発されました。
現場に突入した、治安局の特別急襲部隊と、密売組織の構成員とのあいだで激しい銃撃戦が行われ、組織側に、多数の死傷者が出た模様です。
銃火器取引法違反などの罪で身柄を拘束された、ダリオ・デルトロ容疑者は、輸送会社ウイングス・インダストリーの代表で、会社ぐるみで密売に関与していた疑いが持たれています』
「036地区っつったら、ここの近所じゃねーか? なかなか物騒だな」
「おおよ! まったく、物騒なんてもんじゃねえや」
気持ちのいい食べっぷりに気を良くしたのか、若者の独り言に、店主が乗ってきた。
手つきも鮮やかに鍋をさばきながら、鼻息荒く続ける。
「昨日は、マジですごかったんだぜ。寝てたら、いきなりドカーン! だからよ。一瞬、戦争でもおっぱじまったかと思ったね!」
「組織同士の取引の現場に《特急》が乗り込んだんだろ?」
「おお。ウイングス・インダストリーと、ゴーストヘッドだ。ゴーストヘッド側の構成員は、頭のシャムーザって奴を筆頭に、全員死んだそうだぜ。ウイングスも、あのデルトロって奴の他は誰も助からなかったんじゃねえか?」
若者は顔をしかめた。
「一人を除いて、皆殺しか」
「おお、何しろ、すげえ撃ち合いだったからよ。それでも、特急には一人の死人も出てねえってんだから、すげえよな。……あ! 見ろよ。突入した《特急》の隊長だ」
店主が玉じゃくしで指したモニターに、真っ黒な人物が写っていた。
真っ黒な、というのは、比喩でも何でもない。
全身をくまなく覆う対人制圧用装甲服を身に着けているのだ。
その左胸には、治安局を表す意匠――『裁きの剣』のエンブレムがはめ込まれている。
リポーターにマイクを向けられたその人物は、ヘルメットのバイザーも上げないまま、くぐもった重低音でコメントを述べていた。
『任務に恐怖を感じたことはありません。シティの安全を乱す者は排除する。それだけです』
「カーッ!」
感極まったように叫びつつ、かぱんっ! とチャーハンを皿に盛り付ける店主。
「聞くたびに痺れるぜ、このセリフ! 実は俺、ファンなんだよなあ」
「ファンって、こいつのか?」
「そうそう! いやー、男と生まれて一度は、あんなふうにビシッと決めてみてえもんだ。
あの隊長、どんな危険な現場にも、直接乗り込んで指揮をとるそうだぜ。射撃と格闘技の達人で、犯罪者どもをばったばったとぶち殺しちまうんだと。はぁー! カッコイイねえ!」
「そうかな」
若者の呟きに、何とはなしに奇妙なものを感じ、店主は思わず動きを止めて、彼をじっと見つめた。
だが若者は、ジュースのストローをくわえて揺らしながらモニターを見つめているばかりで、特に、先ほどの発言を補足しようともしない。
と、そこへ、
「きゃああああぁあっ!?」
通りの先で、とんでもない悲鳴が湧き起こった。
若い女性の声だ。
周囲を一瞬にしてざわめきが駆け抜け、人の流れが乱れる。
混乱する雑踏を強引に引き裂き、数名の少年が猛然と走り抜けてきた。
続けて、甲高いわめき声が響く。
「泥棒! 捕まえてーっ!」
つまりは、引ったくりというわけらしい。
「だっ」
れか捕まえろ、と怒鳴りかけた店主の目の前で、すっと若者が立ち上がった。
まるで反射のように素早く、滑らかな動きで。
「悪いな、おっさん」
その詫びが何を意味するのか店主が気付く前に、金髪の若者は流れるような動作で空になった皿を振りかぶり――
突進してきた先頭の少年の顔面に、真正面から叩きつけた。
「うおっ!?」
チリソースが飛び散り、先頭の少年が思わず足を止める。
その隙に、若者は、少年たちの進路をふさぐように立ちはだかった。
くわえたままだったストローを、ふっと吹き飛ばす。
「お前ら。それ、犯罪だぜ?」
言わずもがなの指摘だ。
「クソ野郎が!」
先頭の少年が、唸るように叫んだ。
チリソースと怒りとで顔面を真っ赤に染め、再び猛然と突っ込んでくる。
その手に、ちらりと銀色の光がきらめいたのを、何人が視認できたか――?
どんっ! と少年の身体が、構えたナイフごと若者にぶち当たった。
周囲が凍りつき、引きつったような息の音がいくつも上がった。
若者の腹を刺した少年は、にやっと笑った。
通行人の誰も彼らを止めなかったのは、こういう事態を恐れたからなのだ。
それに気付かずに正義漢ぶった、このマヌケ野郎が悪いんだ――
「痛えだろうが、コラァ?」
その瞬間。
少年は、自分の正気を疑った。
腹にナイフを突き刺されたはずの若者が、にやりと唇を吊り上げて、獰猛な笑みを浮かべたからだ。
「な」
少年は反射的に、ナイフをひねって抜こうとした。
だが、柔らかい肉に食い込んだはずのナイフが、なぜかびくとも動かない。
思わず見下ろした少年は、そこにとんでもない光景を見出し、飛び出さんばかりに目を剥いた。
若者の左手が――素手のままの左手が、ナイフの刃をつかみ止めている!
このまま勢いよく刃を引けば、指が落ちるはずだ。
それなのに、ナイフはまるで石にでも突き刺さったかのように、1ミリも動かない。
「往来のド真ん中で」
驚愕と、それを上回る恐怖に引きつった少年の目の前で、若者の顔が、鬼のような形相に変わった。
「ヒカリモンぶん回すんじゃねぇよ、このクソ馬鹿野郎がぁぁぁっ!」
風を巻く唸りすら上げ、若者の右拳が少年の頬にクリーンヒットする。
少年の身体はコマのように回転し、為す術もなく地面にぶっ倒れた。
それを見た残り三名の少年たちは、最も賢明な選択をした。
ひっと息を飲むが早いか、我先に踵を返して、手近に開いていた路地に突進する。
「逃がすかよ!」
怒鳴るより早く、若者はジャケットの懐に手を突っ込む。
抜き出された手に光る、小型の銃。
それを目撃した人々が、悲鳴を上げ、一斉にその場にしゃがみ込む。
三度、連続する銃声――
路地の入り口を目の前にして、少年たちは、折り重なるように倒れ込んだ。
「ひッ、ひ、いやああぁぁっ!?」
「人殺しだ! 人殺しだぁっ!」
「うお!?」
たちまち湧き起こった悲鳴に、若者は、驚いたように片耳をふさいだ。
先ほどの一瞬に見せた獰猛な表情は、嘘のようにかき消えている。
彼は慌てて銃を収め、落ちていたナイフを拾うと、恐慌に陥っている周囲を見回し――
「だあああぁっ!? うるせえーっ!!」
両手をラッパにして叫んだ。
「ありゃ、ただの衝撃弾だ! 死にゃしねえよ!」
「衝撃弾!? あんた、一体」
屋台の陰から、店主が恐るおそる問いかけたが、若者の耳には入らなかったようだ。
「うう……」
そのとき、最初に殴り倒された少年が意識を取り戻し、低い呻き声をあげたのだ。
「おう」
若者は、少年の胸倉を片手で引っつかむと、その身体を軽々と引き起こした。
ノックか、西瓜の品定めでもするみたいに、こんこんこんと拳で額を叩く。
「おーい。生きてるか?」
「くそったれ」
あくまでも軽い口調の若者を、少年は腫れ上がった頬の上から、憎悪の眼差しで睨み上げた。
「てめえ……こんな真似して、ただですむと思うなよ」
「何だ、意外と元気じゃねえか。よかったよかった。で、どうなるって?」
「粋がりやがって……俺は《デビルナンバーズ》のメンバーだ! 俺の仲間が、てめえをぶっ潰すぜ。 二度と、このへん歩けねえようにしてやる!」
「へえ、そうかい」
若者は、呆れたように笑った。
「ご親切にどうも。背中には気をつけるようにするぜ。――おっと。そういや、こっちの名乗りがまだだったな? 俺は、ヴェロニカ・シティから来た、ギア・ロックってんだ」
その瞬間、少年の顔から、表情が消えた。
だが、それはほんとうに一瞬のことだった。
白紙になった顔に、次第にひとつの色がじわじわとにじみ、広がってゆく。
紛れもない、恐怖の色が。
「う……そ」
若者――ギア・ロックは、その呟きに、言葉では答えなかった。
右手で相手の胸倉をつかんだまま、左の手のひらを見せつける。
人差し指から小指までの第二間接内側の皮膚が、きれいに一直線に裂けていた。
いや――
生身の皮膚としか見えなかったそれは、人工の外装だ。
その裂け目からのぞいているのは、人間の血肉ではありえない、金属的な輝き。
「りょ……両腕が、サイバーアームの……012の狂犬……バッ……バイオレントオフィサー!」
まなじりを裂かんばかりに目を見開いた瞬間、少年は、何かに憑かれたように絶叫しはじめた。
「やめてくれぇ! こ、こ、殺さないで! お願いだ! 助けてくれぇぇ!」
「へえ、死にたくないって?」
若者――ギア・ロックは、鼻がぶつかりそうなほど相手に顔を寄せて囁いた。
恐怖一色に染まった顔が、ミラーグラスの表面にゆがんで映っている。
「あ、あ、あんたが、この街に来てるなんて、知らなかったんだよ! 本当だ! さ、財布なら、ここにある! 今すぐ返す! 返すから、殺さないでくれよぉ!」
「お前さ、そんなこと、言われたことなかったか?」
「へ……?」
静かな問いかけの意味が、少年はすぐには理解できなかったようだ。
ギアは、穏やかな口調を変えることなく続けた。
薄笑いを浮かべたまま。
「お前、俺を刺すとき、迷わなかったな。前にも、やったことがあるんだろ? 『お願い、助けて、殺さないで』――さて、お前はどうした……?」
シャツがくぼむ強さで腹に切っ先を押し付けられ、少年は泣きそうな顔になった。
「やめてくれよぉ……!」
「泣き言は」
吊りあがった唇の奥で、ぎりりと奥歯が鳴ったのを、少年は聞いただろうか。
「ムショで刑務官に聞いてもらいな!」
がっ! と見えない速度のアッパーカットを顎に受け、少年は壊れた人形のように路面に転がった。
ギアはそちらに銃口を向け、それから、すぐに下ろした。
「ああくそ、くそ、ムカつく。ムカつくぜ! いっぺん死んであの世から出直してきやがれ、くそったれが! この場で全員、ドタマぶち抜いてやろうか……!」
唸りながら犬歯を剥き出し、指をわななかせる。
餓狼のような凄味に呑まれ、周囲の人間たちは言葉もない。
ギアは、猛禽の爪のように曲げた右手を、自分の胸元に押し付けた。
かすかな金属音があがった。
銀の鎖で胸元にさげられたロケットペンダントに、指先が触れたのだ。
その瞬間――
彼の表情から、鬼気が抜けていった。
彼は大きく息を吐き出すと、倒れた少年に歩み寄り、その尻ポケットから財布を抜き取った。
身分証の写真をちらりと見て、人ごみの中の一人に軽く放る。
「そのまま持って帰りな。手続き、めんどくせえから」
驚いた顔をしている若い女性にそれだけ告げると、思い出したように、屋台の店主を振り向く。
いたずらを見つかった悪ガキのような表情で。
「あー、悪い。なんかコレ、微妙に曲がっちまったみてえだけど、今から直すから」
言いながら拾い上げたのは、エビチリが入っていた皿だ。
薄い金属製のそれは、混乱の中で誰かが踏み付けたらしく、縁が大きく歪んでいる。
「いよっ!」
ギアが両手で皿をつかみ、力を込めると、皿はぐにゃりと変形し、極めて前衛的なオブジェに生まれ変わった。
「………………」
もう、直すのは無理そうだ。
そこへ、けたたましいサイレンの音が近付いてきた。
人ごみの向こうに、警告灯の光と、青白ツートンカラーの車体が見え隠れする。
市民からの通報を受け、治安局の警邏隊が駆けつけてきたのだ。
「おう、ここだぜ! ご苦労さん」
ばらばらと走ってくるオフィサーたちに、ギアは愛想よく手を振った。
ついでに、変形した皿をさりげなく後ろ手に隠す。
「あんたら、テンジン・ストリート北詰所だな? 最初の悲鳴から、6分49秒。ちょっと遅いぜ。 ま、治安最悪って評判のオータム・シティじゃ、仕事もなかなか大変――」
振ったその手をギアが友好的に差し出したのと、その手首にがちりと手錠がかかったのが、ほぼ同時だった。
「へっ?」
ぽかんとした表情を浮かべたギアの鼻先に、黒光りするいくつもの銃口が突きつけられる。
「傷害。武装規制法違反。治安擾乱。器物破損……」
警邏隊のリーダーと思しき厳つい中年男がずらりと罪状を陳述し、部下たちに向かって、重々しく告げた。
「連行しろ」
「器物破損って、まさか皿のことかっ!?」
現行犯逮捕だった。