8. 美の人
小型犬ロボットのモモは、セフォラのスカートの中に隠れていた。そしてご主人様の一大事と悟ると、ピョンと長椅子に飛び乗り、緊張で体を強張らせている彼女の背中に張り付き耳をペロッと舐める。セフォラが振り返るとモモは尻尾を振ってもっと舐めようとする。彼女がモモを抱くと少し落ち着いたようだった。その様子を見ていたセイリオスは院長に言った。
「私はこの娘の審判に呼ばれました。それは口実で、院長はここに残り私に彼女の後見人になって連れて行って欲しいと言う。私はそれを断るとしたらどうでしょう?彼女も納得しているとは思えません」
セフォラも何か言いたかったのだけれど「院長から離れたくない」ということだけしか頭に浮かばず何も言えない。院長は続けた。
「ライーニア将軍、私はあなたと共に行けません。新王の戴冠式を二日後に控えた今、世間を混乱させてしまうだけです。それに私を必要としている人々をここに残して去れません。私は、ここで生きていこうと決めたのであり、私の場所はここにあるのです」
そこでセフォラはやっと声を上げた。
「院長様、私もここで院長様のお役に立たせてください!それが私のやりたいことです!」
院長は振り向く。セフォラの気持ちは分かっている。そしておもむろに被り物の布を取り首まで覆っている頭巾の後のボタンを外しはじめた。
「院長様・・・」セフォラを支えていたアイメが震える声で言った。
院長は頭巾を外し袖を脱ぎ服を胸元まで下ろす。セフォラは、ぎゅっと音がするのではないかと思えるほど胸が締め付けられるのを感じた。
セフォラは、院長を「美しい人」だと思っていた。その美しさは、院長の生きていく姿勢、内面からもにじみ出ていて憧れていた。そして今、表にされた院長の姿は、古い火傷と深い刀傷の跡が生々しく、髪もほとんど生えていない。そのあまりもの惨さにセフォラはアイメにしがみついた。ところがセイリオスは驚いた様子はなく、眉間にしわを寄せて院長を見つめているだけだった。セフォラは、セイリオスとアイメがこのことを知っていたのだと思った。
「セフォラ、私がこのような姿になったのは、あなたのように、まだ若い頃でした。こんな目にあわせたくなくてあなたを守ってきましたが、もうそれも出来ません。将軍と行きなさい。これからは彼があなたを守ってくれるでしょう」
セイリオスは、黙ったままだ。院長は彼の方も向いた。
「ライーニア将軍、いえセイリオス。あなたは、あの炎の中から私を、傷を負い焼け爛れたこの体を救い出してくれました。そうして私は別の生き方を見出せたのであり、それを全うさせてください」
それから院長は、絞り出すかのように懇願する。「セイリオス、あなたはもう私を救わなくて良いのです。ただ、この娘だけは、あなたにお願いしたい」
「では、そのようにしましょう」
セイリオスの答えは即座であっけないものだった。彼は一礼すると翻って部屋を出ようとする。が、すぐに足を止め、院長の元に戻ってきてその修道服を正し、はだけていた胸元を覆う。彼には、彼女が自分と共に来ることは無いと分かっていた。分かっていたからこそ、前王、自分が心から尊敬していた王が亡くなっても彼女に会おうとしなかったのだ。ところが突然、彼女に呼ばれ、全てを後にし、ここへやってきた。「説得できるかもしれない」その小さな希望に賭けたのだ。
院長は彼の手に優しく触れた。そして、彼の目を見て静かに言った。
「セイリオス、ありがとう。私はあなたに出会えて幸せでした」
それから後、セフォラは自分がどうしたのかよく覚えていない。気がつくと将軍たちが乗ってきた貨物船の角に座っていた。小さな窓から修道院が見える。すでに夕暮れで日は沈み、全てが青く染まっていく。突然、騒がしくなり、兵士たちが戻ってくると、にわかに貨物船は浮かび始める。ぽっと、修道院に火が上がった。
「火事だわ! 修道院が燃えている!」
セフォラが叫ぶが誰も答えない。
膝の上のモモを見る。モモも彼女を見る。人がいるので喋ることができない。突然火が大きくなり明るくなった。再び窓から外を見る。修道院の門の外に修道女たちが立っていて、荷物が積まれた馬車もあり御し台にアイメとベノワが乗っている。セフォラは修道女たちが火をつけたのだと分かった。火はあっと言う間に広がり、風が起こり、修道女たちの服をたなびかせる。一番手前で見上げているのは院長だ。白ユリの花を抱えている。あの自分が朝に摘んだ野の白百合だ。
どんどん小さくなっていく火にまかれた修道院を見ながら、セフォラは大声で泣いた。