48. 別れ
夜中にモモが起動し、頭を上げた。セフォラも目を覚ます。
「モモ、何か聞こえるの?」
「うん、アルスランが迎えに来たみたい」
「そう」とセフォラは言って、モモを毛布の中に引きずり込む。
「朝までまだ時間があるわ。もう少し寝てようよ」
外は雨だ。そして洞穴の部屋は心地よい。
「そうだね」
モモは毛布の中で、くるんと丸くなり目を閉じた。
セフォラはしばらくの間、目を開けていた。部屋の中央の円台には火の残りが燻っている。仄かな火の光は部屋全体を照らし、温められた空気が天井の空気孔へと逃れていく。その静けさに誘われ、セフォラは、いつしか眠りについた。
朝になった。
目を覚ましたセフォラは、院長からもらった白いドレスをリネンチェストから取り出す。
袖を通すのは久しぶりだ。初めて着た時は大きめだったのに、今はあつらえたようだ。
「モモ、行きましょう」
そう言って、セフォラはストールをひらりと広げ、頭から被って外へ出た。
いつもの乳白色の朝だ。水汲みをしていたアイメが声をかけようとするが、セフォラとモモはそのまま湖へと降りていく。
霧の中のから穏やかな波の音が聞こえてくる。水面で青い光が揺れているので、アルスランは近くにいるとセフォラは思った。そして彼の頭と肩のあたりが、ぼうっと現れる。その後ろ姿がセイリオスに似ていたので、一瞬セイリオスかと思ったが、そんなはずはないと思い返す。セイリオスがここへ戻ってくるはずはなかった。
アルスランは振り返り、セフォラがいるのに驚く。
セフォラは「あなたは、モモを迎えに来たのね」と言った。
彼が黙っていたので、セフォラはやはりそうかと思った。
モモは、セイリオスが去って後、眠る時間が増えていた。充電不足ではなので何かが起こる前兆ではないかと思ったりする。人々がアルバへ戻り、輸送船が来るのは減り情報も少なくなっていた。アルバとエルナトの球体に変化が起こっているのかもしれないとか、セフォラがエルナトでの生活に慣れたのでモモに頼る必要がなくなってきたから眠っている時間が多くなったのかもしれないと思ったりしていた。
セフォラを見たアルスランは、「そのドレス」と言った。
セフォラは、被っていたストールを外す。裾にはアルスランの血のしみが残っている。
「ええ、もしかしたら、モモとお別れかもしれないと思って着てみたの」
セフォラは、これがモモとの別れになって欲しくない、アルスランがここに来たのは別の理由ではと願うのだけれど、他にどんな理由があるのだと思ったりする。
「あの時、あなたはとても怒ったわね。私が短剣を持っていたから」
「そうじゃない」と、アルスランはセフォラを遮った。ずっと心に引っかかっていたことがある。今、それを話せたらとアルスランは思う。
「俺の生まれた都市が全滅する数日前、その、幼馴染みに会って、あの、その時に、彼女が白いドレスを着てたんだ」
「幼馴染み?初恋の人だったの?」
「いや、会ったのは十年ぶりだった。『迎えに来る』と約束してたらしいんだが、それすら忘れていた」
「じゃあなぜ怒ったの?私が白いドレスを着ていたから?」
「・・・分からない」
セフォラは、どうしてアルスランがそんな話をするのだろうと思った。
キトロンの戦争は激しさを増している。もしかしたら、何か良くないことが起こるのではないか。
「アルスラン、あなたは死んでしまうの?」
「死ぬつもりはないよ。危険はあるけどね」
「それならモモが助けてくれるわよ。ねえ、モモ」
ところがモモは済まなさそうに言った。
「う・・・ん。でもオイラはセフォラを守るために行くんだ」
「私を守るため?どういうこと?」
「オイラは、生まれた所に戻るんだよ」とモモは晴れ晴れしい顔で言った。
「生まれた所?」
「そうなんだ」とアルスランが口を挟む。「だからモモを迎えに来た」
セフォラはモモを抱きしめた。
「そうなの。あなたが行ってしまうのは悲しいけど」
セフォラは、セナ夫人が、モモを助けてくれるのだと思った。モモはセナ公が作ったロボットだ。セナ邸でモモが壊れた時もすぐに治してくれた。今モモは寝てばかりいるから、それを治してくれるのかもしれない、と思ったのだ。
「あの時から」とアルスランは言った。「俺はアデーテに会ったのを後悔していた」
セフォラは、アデーテとは幼馴染みのことらしいと思った。
「アデーテに会って、そっけない態度を取ってしまった。俺のことを待っていたのに、数日後に街は攻撃され全滅し、死んでしまった。あの時、彼女を連れ出せば良かったと後悔したけど、士官学校の生徒の俺にそんなことが出来るはずはなかった」
セフォラは、アルスランがそのことで、ずっと苦しんでいたのだと知った。
「ええ、でも、彼女はあなたに会えて嬉しかったんじゃない」
「嬉しかった?」
「きっと、あなたは恥ずかしがってるって思ったんじゃないかしら。会えないままでいるより、最後に会えて良かったのよ」
「そうかな」
「そうよ」
するとアルスランはにっこりした。その笑顔に、セフォラはドキッとする。なんて爽やかな笑顔だと思った。そして初めてアルスランを見た時のことを思い出す。男の人をまじかに見るのは初めてだったし、首を絞められていたから普通の状態ではなかったのだけれど、彼の顔を彫刻のように美しいと思ったのだ。
「とにかく、あなたはモモを迎えに来てくれたのね。良かったわ」とセフォラは、自分で何を言っているのだろうと思った。つじつまを合わせようとするのだけれど、何も思いつかない。そして、急に寂しさが込み上げてくる。そしてモモを抱きしめた。
「モモ、あなたは、本当にいなくなるのね」
「うん、でもオイラは、普通の犬より長くセフォラといられたと思うよ」
「そうなんだけど・・・」
ロボット犬だからか、モモが悲しそうでないのが寂しくもあるが、かえって良いような気もする。もしモモが寂しそうにすれば行かせにくい。モモを行かせなければ、いつかモモは、眠ったまま目覚めなくなるかもしれない。
セフォラはアルスランを見た。
「あなたは戻って来るのでしょう」
「ああ、そのつもりだ」
「つもり?」
「敵に見つかるかもしれないから、戻ってくる時はキトロンの宇宙船には乗れない。三年はかかると思う」
「三年⁉︎」それは長い時だとセフォラは思った。
「アルバの球体を使っても駄目なの?」
「アルバは無くなると思う」
「どういうこと?」
「今はそれだけしか言えないけど、俺は必ずこのエルナトへ戻ってくる」
セフォラは、自分には理解できない難しいことがあるのかもしれないと思うのだけれど、それでも失うものは大きい。セイリオスは去っていき、モモもいなくなり、そしてアルスランも・・・
「モモ、行こう」とアルスランが言った。
モモは、ぴょんとセフォラの腕から飛び降り、アルスランを見上げる。
「オイラは、今でも、あんたのことが気に入らないんだけどね」
そんなモモに、アルスランも言い返す。
「俺だってそうさ。お前に何度も噛まれたんだ。宇宙船の中ではおとなしくしてろよ」
「そっち次第だけどね」
「ロボットのくせに、お前は生意気なんだよ」
そう言ってアルスランは、湖面に現れた青い光の台に乗った。
それは「ちょっと出かけてきます」という感じで別れのようではない。セフォラは不思議に思った。
モモは、タタッとアルスランを追いかけ、振り返る。
「バイバイ、セフォラ。楽しかったよ」
その言い方があまりにもさっぱりしていたので、戸惑ったセフォラは、ぎこちなく手を降る。
アルスランとモモは霧の中へ消え、エンジンの音が響き、そしてその音は遠のいていった。




