46. 終の住処
エルナトに移民が押し寄せてきた。収容しきれなくなった移民を分散させるため、移民の世話をしていたガスは、堰き止め湖から流れる川の下流の湿原を埋め立てて輸送船が発着できるようにする。その地は、サライと名付けられた。
「セフォラ、採取にいく時は声をかけてくださいね」とキアラが言った。セフォラが一人で森に入るのを心配したのだ。
セフォラは、笑顔でキアラに答える。
キアラは、アイメと共に孤児たちから母親のように慕われいた。そんなキアラに、セフォラは複雑な思いを抱いている。彼女がロランに会えないままだったからだ。息子のケレブも、日増しに大きなっていく。ロランがケレブに会えたのは、生まれた時だけだった。
「キトロンの軍人とはそんなものさ」とガスが言った。
ガスは、サライとエルナトの間を行き来している。彼はセナ夫人からセフォラを守るよう頼まれていた。
セフォラは普通のキトロン人ではなかった。母親の受精卵に遺伝子操作が施されて出来た子だった。それを実行した祖父と関係者は反逆罪で処刑されている。母親も胎児ごと処刑されるはずだったが、サクマティ修道院で保護され、レディ・エレイーズの願いで恩赦が出され、セフォラが生まれた。
「オイラが守るよ」とモモが言った。
セフォラは、ぎゅっとモモを抱き締める。モモはロボットなのに縫い包みのような感触があった。
以前のモモは、他人の前では話せず、セフォラの長いスカートの下に隠れていた。そしてセナ邸で機能が強化されると、体も軽く柔かくなったので、エルナトではセフォラの背中に張り付いている。
修道院を出た頃のセフォラは、野獣の中に放り出された獲物のようだった。今は、モモが人の気配を察知すると、そこを避けて通るか、気配を消して彼らが通り過ぎるのを待つ。セフォラは「ここで生きていける」と思えるようになっていた。
ある日の夜更け、セフォラを呼びに来る者がいた。それはセイリオスの従者で、彼の案内で湖まで降りていくと、カンテラの光がセイリオスの後ろ姿を照らす。雨の中、セイリオスは杖で体を支え、暗い湖をじっと見つめていた。
「セイリオス様」とセフォラが叫ぶ。
振り向いたセイリオスは、怪我をしていた。
セフォラは皆を呼び、傷の手当をするためにセイリオスを洞穴住居に運んで寝台に寝かした。応急処置が施されていたので命に関わる程ではなく、従者に自分が朝まで様子を見るので休むように勧め、アイメや他の者たちも下がらせた。
部屋の中央には、火の燃える円台があり、炭がチリチリと息をしているかのように赤く燃えている。
ラーウスは熱帯の惑星だが、高地にあるエルナトの夜は冷えるので火は欠かせない。良い香りのする虫よけ薬草を燻し、湿った空気は空気穴から外へ逃すので部屋の中は心地よかった。
薪をくべると炎がパッと上がり、煙が天井へと登っていく。
するとセイリオスが目を覚ました。
「エルナトか」
セイリオスはそう言いながら体を起こした。
「喉は渇いていませんか」
「そうだな。一杯もらおうか」
セフォラは、火の横に置かれたやかんから茶碗に湯を入れ、セイリオスに渡した。
彼はそれを飲むと、茶碗を脇に置き、頭を垂れ、ふーっと息を深く吐く。疲れている様子だった。
セフォラは、従者から何があったのか聞いていた。
ゲルノア王が立てた作戦は血気盛んなキトロン人には受けが良かったが、無謀なものだった。セイリオスは味方が全滅する前に戦場離脱を命じ、自分は最後まで残った。怒ったゲルノア王がセイリオスに追放命令を出したので、セイリオスは敵中を突破し、湖の球体の導きにより命からがらエルナトへたどり着いたのだ。彼は傷ついていても弱気になっていなかった。それはセフォラが今まで感じたことのないような、落ち着いて親しみやすい雰囲気だった。
「セイリオス様は、エルナトを忘れたと思っていました」
セフォラは、茶目っ気を含んだ口調で言った。
「忘れるはずはない。お前がいるのに」
「まあ、私がここにいるのをご存知だったとは。ええ、そうでしたね。あなた様は、私の後見人でした」
セイリオスはニヤリとする。
「その言い方は、まるで私が世話してないかのようだな」
セフォラはクスッと笑った。こんな夜更けに、地位も名誉も剥奪され、傷つき疲れ切った元将軍と冗談めいた会話をするとは思ってもみなかったのだ。
「お世話をしているのは私の方ですのに」
意地悪く言ったセフォラに、セイリオスは済まなさそうな顔をする。
「そうだな」
セフォラは、彼の表情にドキッとした。
院長から、セイリオスがいずれゲルノア王から退けられると聞いていた。それなのに実際にそうなると、戸惑っている自分がいる。
セイリオスが忠誠を尽くした王の妹だった院長は、静かに、自分の思いを心の奥にしまっていた。美しい妻のベネッサは、激しく自分だけを見て欲しいと願った。異国の女王デルフィーヌでさえ彼を慕っている。父親ほど年が離れていても力強く、威厳があり、それでいてチャーミングな笑顔を見せる彼は、どこか遠くにいる人のようだった。ところが今宵、従者に自分を呼んで来させた。今、彼は、自分のすぐそばにいる。
セフォラは、セイリオスの茶碗を取ろうとして手を伸ばした。ふいに彼は、その手を握る。彼女の小さな手が、彼の手の中にあった。
「苦労した手だ」
セフォラは慌てて手を引っ込めた。森で食べ物や薬草を取っている手で淑女のように美しくない。恥ずかしさで顔が熱くなる。
「私は全てを失った。もうお前に与えるものは何もない」
そう言ったセイリオスに、セフォラは笑みを浮かべる。
「それでよろしいではありませんか。ここはエルナトです。自由があります。私たちは、好きなように寝て起き、森を歩いて食べ物を探します。誰にもとやかく言われることはありません。生きていさえすれば良いのです」
セイリオスは驚く。
「生きていさえすれば?」
「そうです。それでもあなた様には、私の後見人を続けていただかねばなりません」
「後見人を続ける?」
「私には守ってくれる人が必要でしょう。襲われないように守っていただきたいのです」
セイリオスが笑った。
「お前の方が、私を蹴散らしていきそうな勢いだが」
「もう!」
セフォラは、リスのように頬を膨らませる。
セイリオスは、そんなセフォラを抱き寄せた。セフォラは驚くが、男性に抱かれるのは初めてなのに嫌な気はしない。むしろ心が安らぐ。そうして彼を労わるように背中に手を回し、その耳にささやく。
「セイリオス様、傷口が開きます」
「開けばお前が治してくれる」
「そんなことをおっしゃって」
「このままいさせてくれ。ああ、お前の体は柔らかい」
そうしてセイリオスはセフォラの胸に顔を埋める。セフォラは、彼の髪を優しく撫でた。
「初めてお前に触れた時、その柔らかさに驚いたよ」
「そうでしたか?私は、あなた様が驚いてたなんて思いもしませんでした」
「私が触れる前に気絶したからな」
「よく覚えてらっしゃるのですね」
「忘れるものか。レディ・エレイーズに、お前に触れる最初の特権を失ったと言われたんだ」
セイリオスがその名を口にしたので、セフォラは胸が締め付けられるような気がした。院長を思い出したくないのではない。こうしている自分に、うしろめたさを感じるのだ。
しかも、先に自分に触れたのは、アルスランだった。
「お前は、希望で未来だそうだ」
「希望で未来?」
「ああ、今ならその意味が分かる。お前はこんなに柔らかい」
そうしてセイリオスは、セフォラの膝に頭を乗せると全ての力を抜いた。それがまるで生気さえ消えてしまうようで、セフォラはこの人を失いたくない、離したくないと思ってしまった。
「セイリオス様」
「なんだ」
彼の言い方は眠そうだ。
「あなた様からいただけるものはまだあります。ここで私と生きてください。そしてあなたの子を孕ませてください。その子たちをエルナトで産み、育て、共にこの地を守っていきましょう」
セイリオスは、ふふふと笑った。
「面白いことを言うな。やはりお前は、レディ・エレイーズが育てた娘だ」
セフォラは自分に驚いていた。何が自分にそう言わせるのか。この薬草の香りのする洞穴の部屋に二人きりだからなのか。ここがエルナトで、自分たちが逃れられる最後の地だからなのか。セフォラの中で、ふつふつと湧き上がってくるものがある。彼女は、セイリオスとこのエルナトで生きたいと思ったのだ。
「そうだな。それもいいかもしれない。ここを終の住処にするか・・・」
そう言って、セイリオスは眠りについた。




