43. 生きる道
アルバは避難民でごった返していた。そんな人混みの中を、アルスランはセフォラの手を引いて進んで行く。それはまるで兄が小さな妹を守るように連れていく様だった。
「あちこちで騒動が起こっているようだな」とアルスランが言った。
キトロン人の気性の激しさをセフォラは知っている。アルスランもそれを分かっているが、しばらくの間、この騒がしさから離れていたので違和感を感じていた。
「アルバは恒星の近くに位置してないから他国から離れている。エネルギーも異次元から供給するし、避難民をここに収容するにはいいかもしれない」
その言い方にセフォラは引っかかる。
「それって、ここに避難民を隔離するってこと?」
「そうなるかな」
「セナ邸からの子供たちもここに送られて来るんでしょう。セナ夫人は納得しているのかしら」
「気になるんなら自分で聞けばいいだろ」
アルスランの投げやりな言い方に、セフォラは違和感を感じた。彼はこの状態を怒っているのか、それとも関心がないのか。とにかく今は、彼の言う通り、セナ夫人に聞くしかない。
二人が目指す球体はアルバの奥深くにあった。そこにたどり着くには検問がいくつかあり、セフォラは心配したのだが、簡単に通り抜ける。それはライーニア家が球体の管理を任されていたからだが、セフォラはその時、アルスランに課された責務を知る由もなかった。
そして二人は、球体の前に立つ。
セフォラは、球体が巨大な真珠のようだと思っていた。ところが近づいてみると、その色は青に近いくすんだ玉虫色の模様が形を変えながら流れており、より複雑だった。
アルスランは、セフォラの右手の手首を掴み球体へと近づける。セフォラは球体に触れる寸前で躊躇した。それでもアルスランはそのままズフズフと球体の中へ手を入れる。球体は、冷たくも熱くもなかった。むしろなま暖かい。
「あっ」とセフォラが言った。
球体の中に入った手から何かが入ってきたのだ。それはどんどん体の奥へと進んでいき、突然、衝撃が起こった。ふわっと、体のあちこちから光の糸のようなものが飛び出す。それらは球体めがけて飛んでいき、セフォラの体は前のめりになる。アルスランが彼女の体をつかんで後ろへ引っ張ったので、光の糸がプツプツと切れて宙に舞う。それらは辺り一面に広がり、セフォラは、まるで光の糸の演舞のようだと思った。
「だめだ。つながらない」
アルスランが言った。
光の糸が球体の中へと消えると、辺りは元通りの静けさを取り戻し、セフォラは「何が起こったの?」と思った。
「俺の意識だけでは無理だ」そう言うアルスランは、いくらか気落ちした様子だった。
「君自身が球体とつながらないと上手くいかない。どうするかな・・・明確な映像があると捉えやすいんだけど。どこか行きたい所はないか?」
「行きたい所・・・」
セフォラが行きたいのは、院長のいる所だった。それなのに院長はどこにもいない。いや、一つだけ行きたい所があった。
「エルナトへ行ってみたい」
アルスランは目を輝かせる。
「そうか。あそこだったら連れて行ける」
セフォラが「連れて行ける?」と思った次の瞬間、また衝撃が起こり目を瞑った。そして目を開ける。すると自分は、青緑色の宙に浮かんでいた。
「ごぼっ」気泡が、セフォラの口から出る。
「水の中?」
息を止めてもがく。
「大丈夫、俺はここにいる」
「アルスラン、どこ?」そう言おうとしても、気泡が出るばかりだ。
「君の体は俺が支えている。緊張を解いて。俺の腕を感じるか?」
セフォラは、アルスランが自分を覆っているを感じたが、彼の腕は半透明で消えている所もある。前を向くと、球体が小さく見えた。どうしてあんなに遠くに見えるのだろうと思っていると、自然に息ができるようになった。
「ここはどこ?」
「エルナトにある堰き止め湖の中だ。あれはエルナトの球体だ」
「エルナトの球体?大きな湖の中にあるのね」
「ああ、深い湖底に沈んでいる」
「私たちは湖の底にいるの?」
「いや、俺たちは湖の表面にいる」
「え?」
「後ろを見てみろ」
そう言われ、セフォラが後ろを向く。するとキラキラ光る水面が見えた。自分は、水面から下を向いていたのだ。ここは上も下もないらしい。
ふっとアルスランの腕の感触が消える。セフォラは解放されたように湖を飛び出し、空中高く放り上げられ、湖に突き出ている大きな岩のテラスの上に降り立った。
「ここが、エルナトだ」耳元でアルスランの声がする。
「ここが?」
エルナトの岩のテラスは広かった。テラスの根元には植物が生い茂り、鳥の声や虫が飛ぶ羽音がする。雑音のある古いスピーカーから聞こえくるような音だ。ぱっと景色が、幾つかのパネルに切り分けられた。その一枚一枚が少しずつ横にずれていき、古い方から薄れ消えていく。頭がくらくらする。
突然、鳥が飛んできたので顔を背けた。
「私を呼ぶのは誰?」
女性の声だ。
「セナ夫人⁉︎」
セフォラが叫ぶと同時に、エルナトの景色は色を失って消えた。代わって霧の中に包まれたセナ邸が現れ、セフォラの足の下には闇があり何もない。辺りは暗かった。
「セフォラね」
ポッと灯りがともり、何かにもたれかかって座り込んでいるセナ夫人が見えた。彼女の顔には生気がない。
「セナ夫人!どうなされたんですか」
セナ夫人がもたれていたのは、セナ公の入っていたプールの淵だった。プールの中にセナ公の顔は浮かんでない。
「セナ公は?」
「亡くなられました」
突然セナ夫人は立ち上がった。彼女の長く垂れていた黒髪は舞い上がり、くるくるっと舞って結われていく。そしてセナ夫人は、驚いているセフォラの前に立って微笑んだ。
「球体はあなたを受け入れたようですね」
セフォラは、自分が幻想の世界にいるのかと思った。セナ公が亡くなられたと聞いても、どこか遠くの事のように思える。
「セナ夫人、私はどこにいるのでしょう」
「あなたはアルバにいるのではありませんか」
「でも私は、エルナトに行ったみたいです」
「そうですか、それは良かった。あなたは、私に用があるのですね」
セフォラは、やっと自分が何のためにセナ夫人と話したかったのかを思い出した。
「お願いがあります。院長様を、レディ・エレイーズを、エルナトへ行かせてくれませんか」
「エレイーズは亡くなられたのですよ」
「分かってます。ですから私は、過去の院長に会って・・・セナ夫人ならその方法をご存知でしょう」
セナ夫人は目をつむり、しばらく黙っていた。そして目を開ける。
「私も、何度も何度も、あなたと同じように考えました」
その言い方は悲しそうだ。
「会いたい人、救いたい人は沢山います。その多くの者たちが、この国を救おうとして死んでいきました。私の息子もそうです」
「息子さん?」
「ええ、息子はエルナトに第二の球体を持って行き、困難を極めた末に命を落としました」
「エルナトは、人が住むには難しいと聞いていましたけど」
「これから住めます。あなたのおかげです」
「え?」
「あなたが子供たちの森を作ってくれたので、次世代ならあそこで生きていけるのを知りました」
「子供たちの森が?」
「そうです。大人は、子供たちの可能性を信じていませんでした。無知で未熟だと決めつけていたのです。アルバが失敗したのも同じ理由かもしれません」
「ベネッサ様がアルバでキトロンを救おうとしていたとは思えません」
「彼女なりに救おうとしていました。そして困難に直面し、諦め、アルバに引きこもってしまったのです。ベネッサは美しさの最高傑作、キトロンが作り出した男を魅了する芸術品の極みでした。彼女の誤算は、セイリオスがいつでも許すと高を括っていたことでしょう」
「セイリオス様は、ベネッサ様を愛しておられたのでしょうか」
「愛していたでしょう。ただそれは、ベネッサが求めていたものではなかったのです」
「どういうことですか」
「前王のラフリカヌスとセイリオスは、キトロンのために尽力しました。セイリオスのラフリカヌス王への忠節心は、女への愛よりも強かったということです」
「ラフリカヌス王が亡くなられたのにですか?」
セナ夫人はふっと笑った。
「セフォラ、過去をさかのぼってはいけません。セイリオスを愛したエレイーズは、十分に自分の命を使い切ったのです。彼女をエルナトに連れていくのは、あなたが望んでも、彼女が望んでいることではありません」
それは、セフォラが院長のためにと思ったことが、実は自分のためだったという意味だった。セフォラは戸惑う。
「セナ夫人、アルバはこれからどうなるのでしょう。私は未来のセナ夫人と話しているのですね。院長を失った私は、どこにいるのでしょう。エルナトですか?」
セナ夫人はにっこりして答える。
「それはあなたが決めることです」
セナ夫人の姿がぼやけてきた。
「セフォラ、あなたの生きる道は自分で決めなさい」と言ったのを最後に、その姿は消えた。
急に辺りが明るくなった。セフォラはアルバの球体の前に立ったままだった。彼女が後ろを振り返ると、そこにはアルスランがいた。
「アルスラン」と言うと、彼女はその場に倒れた。




