41. 玉虫色の時
「セフォラ、元気のようですね」
そう言った笑顔の院長は、村人のような格好をしていた。
「院長様、生きてらしたんですか」
「いいえ。あなたが小箱を受け取ったということは、私はすでに死んでいるはずです」
「でも私は院長さまとお話してます」
「その小箱はセナ夫人からいただいたもので、時間を超えて未来のあなたと話せるのです。あなたにとっては過去にいる私とです」
セフォラは立ち上った。
「院長様がどこで亡くなられたのかアイメに聞いてきます」
「セフォラ」と院長は彼女を止める。
その時、闇夜に、さあっと玉虫色の粉が舞った。
「それを聞いてどうするんです。過去を変えることはできません。私が死んだら小箱を届けるようアイメに言ったのですから、もし私が死ななければ、アイメはそこにいないことになります」
「院長様、そんなこと!」
セフォラの目から涙が溢れ出る。
「泣かないでセフォラ。私はアイメとベノワが無事なのを知ってほっとしています。笑顔を見せてください。私たちが話せるのはその小箱が消えてしまうまで、この時間は貴重ですよ」
モモがキューンと鳴き、セフォラは涙を拭いて座った。膝上の、彼女の両手に包まれた玉虫色の小箱の粉がゆっくりと光を放ちながら上っていく。
「院長様、どうして連絡してくださらなかったのですか。私はずっと待っておりましたのに」
「それは危険だったからです。連絡すればあなたに害が及ぶかもしれません」
「ではベネッサ様のことをご存知なのですか?」
「いいえ、何かあったのですか?」
「院長様が亡くなられて、私を殺そうとしたのです」
「そんなことが、でも無事だということは、その危険は去ったのですね」
「はい。代わりにベネッサ様が亡くなられました」
「そうでしたか。彼女は可哀想な人でした」
「あの方が?私はあの方がセイリオス様の奥様だったとは信じられません。院長様の方がずっとセイリオス様にふさわしいのに。院長様だって」
「セフォラ、それ以上言ってはなりません。私の時間ではベネッサは生きてます」
セフォラは、院長の傷を見た後、自分は院長のことを知らなかったのではないか、ベネッサがいなければ院長は幸福になれたのではと思うようになっていた。ベネッサは姉である院長を憎んでいるようだった。院長の過去に何があったのだろう。セフォラはそれについて聞くべきか迷ったが、これが最後となるなら今しかない。
「あの院長様の傷の跡はどうされたのですか」
院長は少し間をあけ、それから口を開いた。
「傷を治さなかったのは、私が私として生きるためです」
院長は少女時代、王の娘エレイーズとして、かなり年上のザクサー公の元に政略結婚させられた。ザクサーの第一夫人イルダは、第二に落とされることに憤慨し、結婚式の前夜、エレイーズの殺害を企てる。それを救ったのがセイリオスだった。エレイーズはセイリオスの果敢さに驚き恋心を抱くが、それは夜が開ければ終わってしまう短い初恋だった。
企てに失敗したイルダと一族は、その日の内に処刑された。それはザクサーの勢力を弱めるのに役立ったが、ザクサーにとっては不愉快な事だった。そのためエレイーズの初夜は残酷なもので、子を産めない体にされ治療も受けられず、城の奥に閉じ込められてしまった。
数年後、王が亡くなるとザクサーは謀反を起こす。そして新王のラフリカヌスとセイリオスに勝てないのを知ると、エレイーズを斬り燃える城と共に葬ろうとする。彼女を救ったのはセイリオスだった。
炎の中から焼け爛れたエレイーズの体を抱いて現れたセイリオスの姿は衝撃的で、兵士たちは歓声の声を上げた。そして誰もが、エレイーズが彼の妻になるのを望んだのだ。
ところがセイリオスには、すでに妻のベネッサがいた。エレイーズを妻にとの民の願いは、ベネッサにとっては酷で、この時から彼女は姉のエレイーズを憎むようになる。
この妖艶な美しさを持つ妹からは災いの匂いがした。王の妾だった彼女の母親は、すでに王の怒りに触れ処刑されている。王はベネッサが成熟する前にセイリオスに与えることにした。ベネッサは、女性に最も人気のあった青年将校のセイリオスとの結婚に心踊らせ、自分を満足させてくれる夫婦生活に満ち足りていた。ところがセイリオスが命がけでエレイーズを救った時、彼の奥底にある本当の気持ちに気付いてしまったのだ。
もしエレイーズがベネッサを押しのけてセイリオスの妻になれば、イルダのようにエレイーズの命を狙うかもしれず、王に逆らって国に害を及ぼすかもしれない。彼女を生かしておくのは危険なのだ。
エレイーズは、妹の命と引き換えにセイリオスの妻になるつもりはなく、他の誰の妻になることも望まなかった。それで再生治療を途中で止め、傷を残すことにした。回復すれば、王の妹としての誰かと結婚する務めがあるが、醜い姿のままであれば誰にも求められない。エレイーズは、セイリオスと共に、王と民のために生きることを選んだのだ。
そうして彼女は、平和のため、国・民族を超えて傷付いた人々を助ける修道女として国の内外で賞賛されるようになっていった。
その話を聞いたセフォラの目からまた涙が溢れた。院長の穏やかさは、辛さを乗り越えた強さの故だったのだ。そして院長を迎えに来たセイリオスは、その醜い傷を見せられ、彼女の意思が不動のものだと知り、無言で従ったのだ。ではエルナトにはどんな意味があるのだろうとセフォラは思った。
「院長様はセイリオス様に『自分はエルナトの女王ではない』とおっしゃられましたね。ロセウスでは、エルナトの薬草が栽培されています。院長様が修道院で栽培されてたのと同じものです」
「ええ、キトロンを救うため、あらゆることがなされました。あなたのお爺様もそのために命まで落とされました。そしてあなたが生まれたのです。あなたは、この呪われた民が再生できるという希望です。そしてあなたを育てながら、エルナトの薬草を使った自然治癒が最も良い方法だと確信できたのです」
「では院長様こそエルナトへ行くべきではありませんか」
「いいえ、私はエルナトへは行けません」
「どうしてですか」
「私の体が持たないでしょう。あそこは過酷な土地です」
「人が住めるようになったと聞いています」
「そうですね。ですが、ここにも私の助けを待っている人々がいます。それに」
と院長は言いかけて一呼吸し、それから続けた。
「それに、セイリオスが私に仕えようとするでしょう」
「仕えることが良くないのですか?」
「私はセイリオスの荷を軽くしてやりたいのです」
「荷を軽く?」
「いずれゲルノア王はセイリオスを退けるでしょう。ラフリカヌス前王が亡くなられ、私もいなくなれば、セイリオスは自由です。彼は私を助けた時から王家のために走り続けてきました。私は彼に、これからは自分のために生きてもらいたいのです」
その時、院長は、セイリオスがラフリカヌスから命ぜられていた最後の任務について言わなかった。セイリオスの試練を思うと心が痛むのだ。
「もしセイリオスがあなたの元にやってきたら、彼を癒してやってください」
「私にそんなことが出来るのでしょうか」
セフォラは、以前にセイリオスが修道院に来ると聞かされた時、薬草の治療をしに来るのかと勘違いしたことがあった。キトロンの最先端の治療からすると自分の知識は乏しい。とはいえゲルノア王の仕打ちを考えると、薬草治療は助けになるのかもしれない。
「あなたなら出来ます。ああ、セフォラ、あなたと別れた時はまだ子供だったのに、こんなに成長してくれたのですね。そんなあなたを見ることができて私は幸せです」
「私は院長様にもっと幸せになってもらいたいのです」
「セフォラ、私は幸せでしたよ。王家の娘たちが政略結婚で不幸になり、若くして死ぬのはよくあることです。私たちは権力争いの道具でしかありません。そんな中で私は命を長らえ、生きる道を自分で選び、多くの人々に会い、そしてあなたを育てるという特権にも恵まれました。そのことをあなたに伝えたくて、セナ夫人にお願いしたのです」
そう言った院長の笑顔は、残り少ない小箱の粉でぼやけていく。
「院長様、小箱が無くなろうとしています」
「セフォラ、私はこれからあなたの心の中で生きていきます。あなたの中で、もっと親しくなりましょう」
セフォラはどういう意味だろうと思うが、それより最後の言葉を探そうとする。もっと優しく、もっと愛を込めて。
「院長様。さようなら」
それしか思いつかない。
小箱が崩れ、ふわっと最後の粉が煙のように広がった。
「さよう・・・」
院長の最後の言葉は途切れ、その笑顔も闇夜の中へ消えていった。
エレイーズの恋
http://ncode.syosetu.com/n3738cm/1/




