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エルナトの女王  作者: Naoko
38/52

38. 野心

「ヴオッ!」

セイリオスの唸り声が、雷のように星の見える広間に轟いた。彼の髪は乱れ、目は爛々として赤い。息も荒く、前かがみの背中は、この戦いがいかに凄まじかったかを物語っている。そして、彼の怒りはまだ治っていなかった。


血で覆われた床、むせるような血の匂い、横たわるシムアト、そのカッと開いた目、半開きの歪んだ口、肩から胸、腹にかけて斜めに切られた体。二人の将校たちにより両脇を抱えられ引きずられて来たベネッサは、シムアトの有様を見て「ヒッ!」と声を上げ、その場に崩れた。

その全てを、ヒューゴは黙って見ていた。


ヒューゴは、状況が難しければ難しいほど冷静になっていくところがある。父親の裏切りを知ったのも、二人が戦い始める直前で、そして父親の死をも見た。

彼の脳は情報で埋め尽くされ、整理していく。同時に回りも見ていた。皆は誰かが動くのを待っている。特に、バサンの家の者たちが自分に目を向けていた。


ここにいるのは、バネッサを除き、セイリオスの側が五名。そしてシムアト側は自分を含めて五名。シムアトが生きていれば六名なので数が平等ではないことから、自分は付け足しで、元々数に入ってなかったのだと判断する。いや、これは初めから平等ではない、今アルバにいるのはシムアト側の方が多い。シムアトを倒しても、セイリオスの勝ちにはならない。それを知りながらセイリオスはここへ来た。セイリオスには敵を制する自信があったか、それともアルバを脱出できると思っていたのか。いや、自分は父親が策士なのを知っている。そう簡単にセイリオスを逃し勝ちを譲るとは思えない。キトロンの再生技術は優れており、死んでも短時間であれば生き返らせる。準備は万端のはずだ。


シムアトがセイリオスを裏切るのは、今が最良の時だった。

セイリオスは、前王ラフリカヌスの元で存分に力を発揮していた。戦うことを最小限に抑え、兵力を温存しつつ諸国に圧力をかけていた。もちろん闘争好きの兵士たちを退屈させていたのではない。限界を見極め、血の気の多い兵士たちを満足させ、報酬や栄誉も十分に与えていた。その故、セイリオスの部隊は最も統制が取れ、優れた将軍として国の内外から恐れられてきたのだ。

ところがゲルノア王の時代になり、その統率力に陰りが見えてきた。ゲルノアはセイリオスを上手く使う能力に欠けている。セイリオスの人気に嫉妬し、セイリオスと彼の部隊を疲弊させることしか考えない。それでも忠実に従うセイリオスに、兵士たちの不満は膨らんでいった。


参謀のシムアトは、ラフリカヌスを失ったセイリオスは、勢いを失ったのではと疑うようになっていた。このまま部隊を疲弊させ兵士の不満が爆発するのを待つか、それとも再び栄光を取り戻すために立ち上がるか。

彼はセイリオスを倒し、自分がキトロンの栄光を復活させようと決意する。セイリオスが疲労し、ラフリカヌスの妹レディ・エレイーズを失った今が好機で、その上、妻の裏切りは追い風になる。


「では自分はどうするのか」とヒューゴは考える。急にこんな状況に追いやられて何の準備もできていない。いや、全く考えていなかったわけではない。自分は父親・シムアトの才智に劣ると思ってない。経験は劣るとしても、自分には勝てる自信があった。そして自分なりにこの国のことを考えていた。どちらにしてもこの国に未来はなく、それは以前から分かっていた。ただ、ラフリカヌス王の支配下では起こらない。それを理解しない馬鹿どもが王を暗殺し、自分たちの終わりを早めてしまったのだ。それをライーニア将軍は知っている。ベネッサやレディ・エレイーズを使ってこの国の支配者になり、ラフリカヌスの意志を継げたはずだが、それをしなかったのも、すでに諦めているからなのか。


今、自分の前には二つの道がある。

一つは、ライーニア将軍に服すること。これには屈辱が伴う。父の失敗を自分が背負うことになり、これから先、自分の出世の道は険しくなる。叔父や親族の者たちは、自分の能力を評価しているが、使い物にならなければ、自分を捨て、他の誰かがバサンを引き継ぐことになる。

二つ目は、今、ライーニア将軍を倒すことだ。彼は疲労している。激しい戦いの後、彼の残った体力と気力を計算しても、勝率は高い。自分がキトロンの栄光を取り戻す。この国が滅ぶかどうかは問題ではない。自分がこの国を輝かせる。何てワクワクすることだ!


「ヒューゴ!」


突然、セフォラの呼ぶ声がした。

ヒューゴが声のする方を振り向くと、セフォラとアルスランが走ってくるところだった。


「あいつら・・・」

ヒューゴは、肩の力が抜けていくのを感じた。急に我に返る。そしてこの異常な状況が、自分の判断を鈍らせているのを感じた。バサンの者たちが動かないこと、それには理由があるはずだ。


セフォラはヒューゴが無事なのを見て笑顔になった。

「ああ、その笑顔」とヒューゴは思う。この国に対し自分が出来ることは、権力闘争に身を投じ国を乱すことではない。

ヒューゴはセイリオスを向き、胸に手を当て、服従の意を示した。



その時、

「まだ生きてるなんて。しぶとい娘」とベネッサが言った。


するとセイリオスは、冷たい声でベネッサに問う。

「なぜ私を裏切った」

ベネッサは微笑すると、甘ったるい声で答えた。

「あなたがいらして下さらないからよ」


セイリオスには、ベネッサとの結婚に関し、課された事があった。ベネッサの母親は美しい魔性の女で、王との間に娘を産んだ後、王を裏切る者たちに加担し処刑されている。その娘・ベネッサが母親より美しく育っていき、母親のようになるのを懸念した王は、彼女が女に目覚める前にセイリオスに与えた。それはラフリカヌスの時代になって明らかになり、セイリオスの目を盗んでは男たちを自分の寝床に引き入れようとする。そうして命を失った男たちは数知れず、彼女をアルバに閉じ込めたのもその理由からだった。アルバは政治色が薄く、芸術の都として栄え、ベネッサは満足していた。ところがラフリカヌスが死ぬと、自体は一変する。

ベネッサは、ゲルノアの元で自分をほったらかしにしているセイリオスが悪いのであり、こうしてシムアトが倒された今、セイリオスの元に戻るだけだと思っていた。彼女は、母親の失敗を忘れていたのだ。


「お前は、シムアトを愛したのか」

その質問にベネッサは一瞬息を止める。今回の裏切りは、今までとは違う。シムアトは自分の夫の命を狙っていたからだ。とはいえ王家に忠実なセイリオスが自分を捨てるとは思わない。

「私が愛するのはあなただけですわ。私は寂しかったんです。それに付け込んだのはシムアトの方です。さあ、愛しいあなた。私をこんな所から連れ出してくださいな」


ヒューゴは、ここにいる者たちが動かないのはこれだと思った。王家の血を引くこの美しい女の扱いを誤れば、セイリオスだけでなくバサンも危うくなる。ゲルノアはベネッサのことなど気にかけてないが、これを理由に潰しにかかれる。


「アルバはお前の者だ。好きにすればいい。誰もいなくなったこのアルバで、美術品に囲まれて暮らすがいい。私はもう二度とお前と床を共にすることはない」

そう言ったセイリオスにベネッサは愕然とする。

「あなたは私の夫です!」

「ああ、そうだ。離縁はしない。お前は、セイリオス・ライーニアの妻としてこれからも生きていくんだ」

するとベネッサは、半狂乱になって叫ぶ。それを慰める者はだれもいない。そして彼女は指輪に隠されている毒を飲んだ。血を吐き倒れた彼女は、自分を見下ろすセイリオスに笑ってみせた。

「あなたは、私の命の終わりを、その目に刻むんだわ」

そうして彼女の息は絶えた。


セイリオスは、妻の死に何の感情も表さず、翻ってそこを去ろうとする。そこにいる者たちは、その後ろ姿に、彼を超えるものがいないことを悟った。


「あの女の記録を消せ」とセイリオスが言った。

それは、ベネッサの汚名を歴史の記録に残さないためだったが、同時に彼女は、王家の血を引きながら存在しなかったという罰を下されることになったのだ。

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