36. 誇れる人
朝、早くに目覚めたセフォラは、一人で薬草畑に出た。
ロセウスの朝の空気はピンク色をしている。その早朝の淡い色に、薬草の若葉がよく映える。セフォラは、気配を感じ振り返った。風が吹き、畑の薬草が波のようにざわめく。そこには誰もいない。気のせいかと思ったのだけれど、心の中で何かがくすぶっている。
「院長様はお元気かしら」
時折セフォラは、院長だったレディ・エレイーズのことを考えていた。修道院を出てかなりの時が過ぎたのに、未だ何の音沙汰もない。それは院長が元気にしている証で、こうして、ここで平穏な生活が続けばいいと思ったりする。祖国は今、戦争中だ。修道院が焼かれたのも、敵からの攻撃を避けるためだったが、セフォラは、自分が戻れないようにするためでもあったと気づいていた。
セフォラが育った修道院は、傷や病で虐げられた女性たちを保護する施設だった。外国人や体に障害を抱えた者たちも多く、セフォラは自分が普通のキトロン人と違うとは思わなかった。それに気づいたのは、彼女が修道院を出た後で、院長が自分を守っていたからだと知った。孤児の自分を不幸だと思わなかったのも、尊敬する院長を誇りに思い、少しでも近づきたかったからだ。世話係だったアイメは、厳しくても愛情深く、門番だった夫のベノワも、セフォラに触れるのを許されなかったが良く話し相手をしてくれた。
セフォラは、自分の胸に手を当てる。そして院長が言ったことを思い出す。
『わたしは、エルナトの女王ではありません』
あれはどういう意味なのだろう。それは院長の、セイリオスへの言葉だった。
人はセイリオス・ライーニア将軍を尊敬し賛美する。院長を尊敬しながら素直に育ったセフォラにとっても、セイリオスに憧れるのは当然だった。ところが弟のアルスランは違う。セフォラは、アルスランは自分を嫌っていると思っていた。同じ孤児として育ったのに、自分が院長やセイリオスに憧れるのを気に入らないのかもしれない。彼のセイリオスへの思いは、自分とは違う。兄の足跡に従いたくないと思ったとしても、戦時下にミリタリー・アカデミーを退学するのも腑に落ちない。そしてヒューゴ。彼も父親との間に違和感があるように思えた。その上、ロイックのことも好きでないようだ。またロランは・・・
「セフォラ様、お客様がおいでです」
セフォラは、はっとし後ろを振り返る。そこには宮殿の召使いがいた。
客とはキアラとロランのことで、セフォラは空港へと向かった。
ロセウスはまだ未開発で、空港とは名ばかり、平地の荒野を平らに地ならししただけのものだ。彼らの乗った輸送船はすでに埃っぽい平地に降り立っており、すでに荷物を出し入れする大きなドアは開いていた。
セフォラはキアラを見つけると「キアラ!」と叫び、走り寄って抱きついた。キアラの弟と妹のティボとリルも一緒だ。そして、キアラの左手の薬指に指輪があるのに気付く。それはロランの薬指にもある。二人は結婚していたのだ。
「あなたたち、そんな間柄だったの?」
繁々とセフォラが二人を見つめるので、彼らは恥ずかしそうに笑った。戦争が激しさを増したのに伴ない、市場の人々はセナ邸に避難し、ロランの故郷も攻撃され家族を失い、次第に二人は気持ちを通わせるようになったのだ。
「ロランは、ジョセがミリタリーアカデミーに入るのも助けてくれたのよ」
「家族を失った者同士、長男のジョセが軍人の家系を継ぐから、俺はキアラと、新しいロラン・ファシェの家系を作ろうと思ってるんだ」
「おめでとう、キアラ、ロラン。そして、こんな遠くにまで会いに来てくれるなんて嬉しいわ」
すると二人は、またお互いを見てふふっと笑う。
「実は、私、妊娠したの」
「えっ?」
「もちろんセナ邸でも出産できるんだけど、ロランは軍人としての務めがあるから、セナ夫人に相談したら、ここへ来るように勧められたの」
セフォラは、目を輝かせてキアラの手を握った。
「じゃあ、ここで赤ちゃんを産むの?」
「ええ」
「素敵!私、修道院で出産のお手伝いしてたから任せて!」
するとティボとリルが慌てて声を上げる。
「俺だって!」
「あたしも!」
するとセフォラは、にっこりする。
「二人とも頼りにしてるわよ。こんなに大きくなったんだし大丈夫よね」
「もちろんさ!」
とティボとリルは叫んだが、三人の周りを飛び跳ねる子供たちに、セフォラはセナ邸での騒動を思い出す。
「オイラはちょっと不安」
と言ったのは、セフォラの背中に張り付いていたロボット犬のモモだった。
それからセフォラは、毎朝一番に薬草畑の端に建てられた小さな家へ行くことになった。そこに住むキアラの様子を見るためなのだけれど、それだけではない。彼女らの家の周りの畑が荒れ広がっていく、という問題をどうにかしなければならなかったのだ。
「やっぱりね」とモモ。
「うーん。これ以上、家を遠ざけられないし」
キアラたちの家は、すでに三回も移動している。デルフィーヌ女王は、キアラを宮殿で世話すると言ってくれたのだが、キアラは、身重の自分が弟と妹を制御するのは難しいと辞退した。ロセウスの人々は、アルスランがポタム絶ちの時の騒動を思い出し、畑の端に彼女らの家を建ててくれた。ところが、ティボとリルは、薬草を引き抜き、ふかふかの畑で転がるのが大好きなのだ。
「囲いでもする?」モモは引き抜かれて萎れた薬草を拾いながら言った。
「キアラのお産も近いし、それしかないかもね」セフォラもため息をつく。
「御免なさい」とキアラは謝るばかりだ。「それでもここの薬草は助かっているのよ」
キアラたちは、ロセウスに来る前からポタムを飲むのを辞めていた。セナ邸に集められた子供たちには、もはやポタムを与えられていなかった。代わりにロセウスで栽培された薬草茶がふるまわれている。市場から避難していた大人たちも、ポタムを絶たない者たちはセナ邸から出て行き、ふるいにかけられているのだという。
「ふるいにかけられる?」
「ええ、セナ夫人は、ラーウスという惑星に移住できる者たちを集めているの。そこにはポタムが無いんですって。行くか行かないかは自由だけど」
「それで、キアラは行くの?」
「ええ・・・」
とキアラの顔は曇った。
「私は行きたいけど、ロランは行かないと思う」
「どういうこと?」
「彼は軍人だから。私の父も軍人だったから分かるの。彼は軍人を辞めない。でもキトロンの国土で安全に住める所は少なくなってるわ。私は、生まれてくる赤ちゃんとティボやリルを守るためにラーウスへ行こうと思ってるの」
「あなたが行きたいのをロランは知ってるんでしょ?」
「たぶん」
「それって、良く話し合った方がいいんじゃない?」
「そうね・・・」
セフォラは、ロランがキアラたちを連れてきた時、彼がすぐにロセウスを発ったことに驚いていた。もちろん、ロランが緊急の休暇を取ってわざわざキアラたちを送ってきたからだけど、ロランは早く軍に戻りたいようだった。ロランは以前のように明るかった。だが、少し変わったようでもある。少なくとも、アカデミー・カデットのロランではなくなっていた。
「ラーウスは、ここからさらに遠い辺境にある恒星の周りを回ってる惑星の一つだそうよ」とキアラが言った。「熱帯のジャングルが広がっていて、とても人が住めそうな惑星ではないのだけれど、エルナトの辺りの高原地は比較的に住みやすくて」
「え?今、何て言った?」とセフォラ。
「熱帯のジャングルが」
「そうじゃなくて、高原の名前」
「ああ、エルナト?空に向かって一枚岩が突き出してるから、その名前が付けられたんですって」
セフォラは、エルナトはそんな辺境の惑星ラーウスにあったのに驚いた。エルナトへの移住計画。そして戦火を逃れてきた民を率いる女王。セイリオスは院長に、そこの女王になってもらいたかったのだ。
「院長様は、私が誇りに思う方」とセフォラは、院長が修道院で人々を助けたように、エルナトでも女王として人々を救ってもらいたいと思った。
その数日後、セフォラに、院長のレディー・エレイーズが爆撃によって死亡したという知らせが届いた。




