33. アデーテの白いドレス
「オイラは、ロイックは好きだな」とモモが言った。
「そうかしら、彼は親切だけど良く分からないわ」
夜は更け、セフォラとモモは、小さいテントの中のベッドの上に寝転がっていた。テントの柱に掛けられたランプの周りを、小さな美しい羽蟲たちが光を求め、妖精のように飛び回っている。
「バサンの遺伝子を持ったバイオロイドってことは、ヒューゴの親戚みたいなもんだよ」とモモは続ける。
「そのヒューゴが、ロイックを気に入ってないみたいじゃないの」
「ヒューゴは変なやつだよ」
「モモは、アルスランだって嫌いだったでしょ」
「アルスランはセフォラを傷つけたじゃない。ロイックからは悪い成分が出て無かったよ」
「ロイックがバイオロイドだからでしょ」
「何それ、オイラがロボットだから似たようなもん、ってこと?」
「あーもう。大体、バイオロイドって何なの?アンドロイドとどう違うの?」
「バイオはアンドロイドより生命体に近くて・・・」
「そう」
セフォラは、気のない返事をした。難しい話になると、その情報は頭に留まらず、すり抜けていく。とにかくモモは、生物が皮膚から蒸発する水分を分析し、危険があればそれを察知して自分を守っているのだと分かっている。そう考えると、今日のモモはアルスランに警戒してなかった。まあ、あれほど弱っていたら他人に危害を加えることなんてできないから当たり前か、と思ったりする。そしてそれは、次の日も同じだった。
「あっ」とセフォラが慌てて手を差し出す。
アルスランが、持っていたスープのお椀を落としたのだ。
「だから私が食べさせるって言ったのに」
セフォラは、慌てて汚れたブランケットをベッドから外す。
「すまない」
アルスランは謝り、うつむく。セフォラは、そのしおらしさを見て、かなり弱っているのだなと思った。そして新しいブランケットに変え掛け、お椀にスープを入れ、スプーンですくってアルスランの口に運ぶ。アルスランはゴクリと飲んだ。
「こんなに弱ってしまうなんて。死んでしまうところだったじゃない」
「人は簡単には死なないよ」
弱っていても、アルスランの減らず口は変わらない。セフォラは、彼らしいと逆に嬉しくてニッと笑う。
セフォラは、アルスランに初めて会った時から、彼の心の奥にある何かしこりの様なものを感じていた。それは彼と向き合った時の目の鋭さにもあった。とはいえ彼の態度は、女の自分から見れば、男のエゴのようでもあり、厄介だとも思う。
「いや、突然に死んでしまうこともあるな」とアルスランが言った。
「突然に?」
セフォラは、どういうことだろうと思ったが、そのままアルスランにスープを飲ませ続ける。アルスランはスープを飲み終えると、後ろのクッションに体を倒し目を閉じた。
「今更こういうのも何だが、初めて会った時、君に悪いことをしたと思ってる。自分を止められなかったんだ」
「あの時は、私は短剣を突き出したから、あなたは自分の役目を果たそうとしたんでしょう」
「そうだな、君は白いドレスを着ていた」
「白いドレス?」
「ああ・・・アデーテの白いドレスだ」
それからアルスランは黙り、眠ったようだった。
セフォラは、アデーテの白いドレスとは何だろうと思った。自分の白いドレスは、修道院を出る時に院長が準備してくれたもので、潔白を主張するもの。そして短刀を突き出す作法は、自分の主張が確固たるものであることを表すものだと聞かされていた。アルスランが自分自信を止められなかったのは、自分が短剣を突き出したからなのか、それとも自分の白いドレスのせい、またはアデーテの白いドレスなのだろうか。
セフォラが、汚れたブランケットをテントの裏に出すと、そこにヒューゴがいた。
ヒューゴは二人の会話を聞いていたらしく考え事をしているようだった。
「ヒューゴ、アデーテの白いドレスって聞いたことある?」
「ああ、アデーテは、アルスランの幼なじみだったんだ。開戦後に街が攻撃された時に死んでしまったけどね」
「ええっ!じゃあ、アルスランの家族も亡くなられたの?」
「アルスランの母親はすでに亡くなってたし、他に家族はいない。戦争が始まった頃、俺たちは野外訓練中で、たまたまその街に物資の供給で入ったんだ。アデーテは街の商人の娘だったから、アルスランのことを聞いて会いに来たんだけど、その時、彼女は白いドレスを着ていた。今でも良く覚えているよ。白は、彼女にとって純粋にアルスランのことを思ってるという意味だったのかもしれない。そしてアルスランに『迎えに来てくれたの』って言ったんだ」
「アルスランがそう約束してたの?」
「どうだろ。アデーテは、あどけなさの残る可愛い女の子で、君くらいの背格好だったかな。その時俺たちは、アルスランをからかったんだけど、アルスランは彼女のことを覚えてないようだった。十年ほど故郷に戻ってないって言ってたしね。まあ、十年間も思い続けるなんて、よほど彼女はアルスランを好きだったんだろうね。大商人の娘と売春宿から買われた妾の子では身分が違い過ぎたし、だからアルスランは、ライーニア家から迎えが来た時、そう約束したのかもしれない。あんな可愛い子から言い寄られたらアルスランだってまんざらじゃないと思うけど、からかう俺たちの前で否定したんだ。それから数日後に街の人々は皆死んでしまったから、今思うと彼女に悪いことをしたね」
セフォラは「ああ、それで」と思った。
アルスランは『自分を止められなかった』と言った。おそらく彼は、アデーテを覚えてなくて、答えてやれなかったことを悔やんでいるのだ。とはいえミリタリー・アカデミー生徒の彼に何が出来ただろう。「彼女を街から連れ出していれば」と何度も思ったに違いない。そうして彼女を救えなかったと悔やむ気持ちは怒りとなり、白いドレスを着た自分に向けられてしまったのではないか。
「なぜアルスランは、ポタム中毒を克服しようと思ったのかしら」
「なぜ、か。彼はレイネ・デュパールの話を聞いて変わったよね」
「レイネの?」
「ああ、元々アルスランは、ミリタリー・アカデミーに合わないようだった。兄やライーニア家の名前も負担なのかもしれないしね。アデーテのことにしても、身分とかそういうものが煩わしかったんじゃないかな」
その時、野営の表の方が騒がしくなった。誰かが「デルフィーヌ女王様だ」と叫んだ。
セフォラとヒューゴが表へ出ると、女王がアルスランのテントへ入って行くところだった。二人は他の従者たちと共に従って中へ入る。するとすでに、アルスランのベッドの傍らには小さな男の子がいた。女王の一人息子、成人したら王となるシャミル王子だ。
「シャミル王子は、アルスランに懐いてたね」
いつの間にか二人の後ろに付いていたロイックが言った。
それを聞いたセフォラは、意外だと思った。セナ邸で子供の世話をしていた時、アルスランは子供たちを煩がっていたので、子供が嫌いなのかと思っていた。とはいえ、この王子は、キトロンのように粗野ではなく親しみ易く可愛い。アルスランは、キトロンの子供達を騒がしいと思っていたのかもしれない。自分だって知っていたのに、子供たちを集めてその乱暴さにびっくりしたのだから。
そしてセフォラは、デルフィーヌ女王の美しさに魅了された。女王の美しさは、ベネッサとは全く違う。ベネッサの美しさは完璧なものだった。ところがこの女王の美しさは、形ではなく内面からくるもので、人を惹きつけ、心を和ませるものがある。
「院長様と似ている」とセフォラは思った。違うとすれば、院長の美しさは、慈悲深さのある温かみのあるもので、女王の美しさは、母親のような情の深さを感じさせるものだ。
デルフィーヌは、アルスランと言葉を交わし、そして振り向くと、セフォラを見てにっこりと笑う。
セフォラは少しかがみ、全てを包むかのように微笑むこの女王に頭を下げた。




