32. 黄昏時の荒野
野営地には、大きなテントが張られていた。ベッドや椅子、テーブル、バス・トイレ付きの野営テントは、豪華な移動型住居と言った方が良く、医師がアルスランの治療を終え、セフォラがテントの外に出る頃には日が沈もうとしていた。彼女はテントの外に置かれた椅子に座り、テーブルの上の美しい模様の入ったティーカップに薬草茶を注ぐ。そうしてお茶を飲みながら、何もない静かな荒野の夕方を眺める。広大な土地、気持ち良いそよ風、美味しいお茶。セフォラは、昼間のあの暑さが嘘のように思えた。そして、アルスランのことを考える。
初めて会った時のアルスランは、自分の首を絞め短刀をかざす勢いのあるミリタリー・アカデミーの生徒だった。ところが今、痩せ細り自分の足で立つのも難しいほど弱っている。セフォラは、彼に対してあまり良い感情を抱いてなかった。だが今のアルスランを見て、何が彼を変えてしまったのだろうと思う。
そこへヒューゴがやって来た。セフォラは、彼の匂いを嗅いだ。
「合格よ。どう?薬草のお風呂は」
ヒューゴはアルスランに「臭い」と言われ憤慨していたので、セフォラが調合した薬草の風呂に入ったのだ。ところが彼女の冗談も気に入ら無いらしく、彼はムスッとしたまま椅子に座った。
「喉が渇いたでしょ。ポタムの代わりに薬草茶を濃いめに入れてみたの」と彼女はさらに続け、薬草茶を勧める。
ヒューゴはそれを口にし、顔をしかめた。
「苦い」
「薄めるわね」
セフォラが慌てて湯刺しに手を伸ばそうとすると、
「このままでいいよ」とヒューゴは彼女の手を握ってそれを止める。セフォラはドキッとした。彼女はこんな風に男性と二人でお茶を飲むこともなかったし、触れられることもなかった。とにかく平常心を装いながら、自分の手を引っ込める。
セフォラは、無愛想なヒューゴに戸惑っていた。
「薬草風呂は気持ち良かったよ」
ヒューゴが口を開いたので、セフォラはホッとして微笑した。
「それは良かったわ。あれは匂いを消す働きがあって虫除けにもいいのよ」
「アルスランはどうしてる?」
「眠ってるわ。栄養不良なんですって。断食でもしてたのかしら。具の入ってないスープを飲ませたから、後はゆっくりと普通の食事に戻したらいいそうよ」
「そうか」
ヒューゴは、一気にお茶を飲み干すと席を立ち、「アルスランを見てくる」と言ってテントへ入っていった。
セフォラは「ふう」っとため息をつく。そして薬草茶を飲んだ。
テントから漏れる灯りは柔らかく、夕日が落ちたばかりのオレンジ色の地平線、その上に広がる明るい青、それが少しずつ濃い青に変わっていく。彼女は、こうして自然をゆっくり眺めるのは久しぶりだと思った。修道院を出て初めてかもしれない。あれからかなり経つ。アルバでは図書室で過ごす以外はすることがなかったので、余計に長い時間が過ぎたように思える。
アルバは、荒れていくキトロンの文化や芸術を保護するため、ベネッサが中心となって作られた宇宙ステーションだった。ベネッサの母は名の知れた芸術家で女優でもあり、当時の王の寵愛を得てベネッサが生まれた。庶子だった。母親も美しかったが、娘の美しさは幼い頃から賞賛されるほど完成されたもので、王は、力をつけ始めていたセイリオスを取り込むためにベネッサを妻として与えた。またそれは、美しく成長していく娘がいずれ仇となり、王にとって好ましくない状況になるのを避けるためでもあった。キトロンの王は、強い独裁者でなければならなかったのだ。
エルナトについては、そこから多くの薬草が発見されたと図書室の資料に記述されているだけで、セフォラは「エルナトの女王」について何も見つけられなかった。
「ここ、いいかな」
突然、ロイックに声をかけられたセフォラは、はっとして彼を見た。
「どうしたんだ?真剣な顔して」とロイックは座りながら言った。
「ええ、ちょっと、こんな風に自然の中にいるのは久しぶりだったから」
「ああ、サクマティ修道院は自然に囲まれていたからね」
「知ってるの?」
「もちろん、レディ・エレイーズは有名だし、自然治癒のための薬草栽培も良く知られてるよね。だから君はここに来たんでしょう?」
「え?どういうこと?」
「だってここは、キトロンのための薬草生産をすることになっているからね」
「薬草生産?ここが?」
「そのために緑化がすすめられてる。だけど、ラフリカヌス王が亡くなられて状況が変わってしまった。まあロセウスにとっては、薬草だけでなく他の作物生産もするからどっちでもいいと思うけど」
「そう・・・ああ、そうだわ。ありがとう。こんな素敵なテントを準備してくださって」
「それはデルフィーヌ女王のおかげだよ。元々この国の人々はテント暮らしが多かったんだ。今は宮殿に住んでおられるけど」
「デルフィーヌ女王?女王様なの?」
「そうだけど。どうかした?」
驚くロイックに、セフォラは苦笑いする。
「いいえ、えっと、あの、前に『エルナトの女王』って聞いて、誰なんだろうと思ってたから」
「エルナトの女王?それって、もしかしてレディ・エレイーズのこと?」
「ええっ⁉︎」
セフォラは、院長が『エルナトの女王ではない』と言っていたのに囚われ、エルナトの女王は他にいると思い込んでいた。院長がエルナトの女王である可能性はあったのだけれど『違う』と言ったのだし、そもそもエルナトの女王は存在していないのではないかと思ったりする。
「エルナトは、ここからさらに奥にある惑星の、大きな一枚岩の名前で遠くからでも見えるんだって」とロイックは続けた。「惑星の湿度は高くて生命力が強いらしい。最初の居住者が持ち込んだ植物があっという間にはびこり、どんなに開墾してもすぐにジャングルに戻ってしまうんで、人は住むのを諦め、後になって植物ハンターがやってきて、エルナトのあたりで薬草を見つけ、その薬草をレディ・エレイーズが修道院で栽培できるように改良されたそうだ」
「それでレディ・エレイーズがエルナトの女王だというの?」
「うーん・・・僕も良く分からないけど、君は、それを誰から聞いたの?」
その時、セフォラは、なぜか「これに答えてはいけない」と思った。
「私も小耳に挟んだだけよ」
「ふーん、そうなんだ」
彼の言い方から、セフォラは、ロイックが何かを探ろうとしているように思えた。
「まあ、いいんじゃない。ゲルノア王は薬草に興味ないみたいだし」
「でも薬草を育てるのは大切だと思うわ」
「そうだね。だけど僕はポーだから関係ないね」
セフォラは、ポーとは何のことだろうと思った。それにヒューゴは、ロイックがポーであるがゆえに気に入ってない様にも思えた。
「ポーって?苗字なの?」
「いいや、僕はバイオロイドなんだ。だから薬草はいらない。ポタムも飲まないしね。ポーはシリアルナンバーを意味していて、ポーという科学者の名前から取られたんだ。だから僕はキトロン人じゃない。君も普通のキトロンじゃないようにね。いや、君の方が正当なキトロン人かもしれないけれど」
「私が正当なキトロン人?」
「そう、君の祖父は禁じられていた遺伝子操作をやって、君をキトロンが遺伝子操作される前のオリジナルに戻すことに成功したんだ。なんで死刑になるような研究をするのか、僕には理解できないけど」
セフォラは、初めロイックが何を言っているのだろうと思った。キトロン人は遺伝子操作によって体も能力も他の民族より秀でた人間になることができた。ところが、荒い気性のゆえに争い事を好む人種にもなってしまった。確かに自分は、普通のキトロン人とは違う。その自分が、祖父の罪によって生まれたとは初めて聞くことで、誰も教えてくれなかった。それは、自分の出生により、祖父と母、それに母が愛したレイネの命をさえ奪ったことになったからだろうか。
「禁じられていたって、どういうことなの?」
ロイックはセフォラを見る。彼女には、彼の口元がうっすらと笑っているように思えた。それは自分を慰めようとする笑みなのか、それとも蔑む笑みなのかは分からない。
「キトロンの科学は、分不相応に進歩しすぎたんだよ。その科学の力で完璧な人間を作ろうとしたのに失敗してしまった。それで人間への遺伝子操作は禁じられたんだけれど、遅すぎたんじゃない。ラフリカヌス王は滅びへと向かう国民を救おうとしたのに、暗殺されてしまったしね。アルバも生き残り計画の一つだったんだけど、戦争が始まると同時に、この暴力的な国民はアルバをさえ見放した。もう誰も止められない。まあ、最後の切り札は君かもしれないけど」
「私が?」
「無理かな。気にしないでくれ。戯言さ」
ロイックは立ち上がる。すでに夜の帳が降り、地平線から惑星が昇ってくるところだった。
「まるで月のようだね。こっちの方が月だなんて忘れてしまいそうだ。君もここに住む?君にとってこの国の方が、キトロンより住みやすいと思うよ」
「ここに?」
「ああ」とロイックは昇っていく惑星から目を離さないで言う。「それから、僕はバサンの遺伝子を持ってるってことを覚えておいてね」
「それは、あなたがバイオロイドだってこと?」
セフォラにはバイオロイドが何なのかも良く分かってなかった。
ロイックはまた口元に笑みを浮かべる。
「まあ、そういうことさ」




