3. 杞憂と現実
セフォラは院長室の前に立ち深呼吸してドアをノックした。
「お入りなさい」院長が答える。
ドアを開ける。中は明るく大きな窓から日の光が天からの光のように降り、質素な院長室を厳かな雰囲気で満たしていた。院長は大きなデスクの向こうに座っている。セフォラは中に入るのを躊躇した。
院長を尊敬する人は多い。ここで生まれ育ったセフォラにとって、院長のような修道女になりたいと思うのは自然の成り行きだった。その院長に怒られるのだと思うと気が重い。院長に喜んでもらおう思ってやったことなのに、その時の気持ちはなえてしまっていた。
モモはセフォラの横をすり抜けて中へ入り、くるりと振り返り、くいっと首を傾け、セフォラに中へ入るよう合図する。彼女は恐る恐る院長室に足を踏み入れた。すると光がユリの花を照らし、白さを際立たせて輝く。
「まあ、これは・・・」院長は、その鮮やかさに目を奪われ感嘆の声を上げる。
「院長様」とセフォラは言うと急いでドアを閉め、ユリを活けた水差しをデスクの上に置き話し始めた。
「申し訳ありません。どうしても院長様にこのユリをお見せしたくて摘んでまいりました。ユリは院長様がお好きな花です。先の国王陛下の葬儀にさえ出席なさらなかった院長様のお気持ちを考えると、いてもたってもいられず、朝の祈りをさぼって…」
「朝の祈りに出なかったのですか?」院長は目を丸くして驚く。
セフォラは「しまった」と思った。院長は、自分が朝の祈り出席しなかったのを知らなかったらしい。
院長はくすっと笑って言った。
「ありがとうセフォラ。とても美しいユリですね」
「あ、あの、朝の祈りに行かなかったというのは、決して修道女になりたくないと言う訳ではなく」突然、セフォラは別の心配をする。未だに修道女になる許しをもらえてなかったのだ。そしてアイメに「素行に問題がある」と言われていたのを思い出す。そう、慌て者なのだ。良く考えれば、自分が外へ出たことはアイメに知られたばかりだった。知っていたとしても告げ口なんてしないだろう。そうだ、ユリは他の誰かが摘んできたことにすれば良かったのではないか。「野のユリを頂いたのでお持ちしました」とか? いやいやそんな嘘はすぐばれてしまう。大体、なぜ自分はここに呼ばれたんだろう。朝の祈りをサボったからじゃないってことは、他に失敗?えっと何かやったっけ…と支離滅裂なことで頭はいっぱいになる。
「もちろんあなたの気持ちは分かっています」と院長は静かに言った。するとセフォラはほっとする。お咎めは無いらしい。そう思いながら「私の気持ち」って?「修道女になりたいのにまだ許しがないことだろうか」と心配する。元々叱れると思ってやって来たので、思考がその域から離れられず訳が分からなくなっている。
「緊急な用があります」
「はい」セフォラは、とりあえず答えた。
「昨夜、セイリオス・ライーニア将軍から連絡がありました。彼を知っていますね」
「はい、知っております」世間知らずのセフォラでもこの将軍については聞いたことがある。前国王が最も信頼する名将軍だった。
「ライーニア将軍が、今日ここに来られます」
「修道院にですか?」
セフォラは、ライーニア将軍が患者として来るのかと思ってしまった。ここは男性禁制の修道院なのに、有名な将軍が治療に来られるほどの高度な医療技術があったっけ?と考える。前王の保護の元、外からの干渉を拒み、自給自足、どちらかと言うと原始的、いや自然的な施設として慈善事業のような形で女性たちを助けてきた。そのため敷地は治療施設より農園の方が広く、自分も農園で働くことが多い。子供の世話も好きだけれど、野菜や薬草を育てるのも楽しい。そうだ、薬草があった。ライーニア将軍は薬草の治療に来られるのだ。将軍ならば御高齢だろうし、戦争で疲れておられるのか、持病が悪化したとか、また怪我でもされたのかもしれない。それだったら自分が呼ばれるのも分かる。修練女とはいえ、幼いころからの院長直々の教えで薬草に関しては自信がある。この修道院が存続できるかどうかは次の国王次第だから、ライーニア将軍にここの治療を受けてもらい、引き続き保護を受けられるようお願いしてもらえるかもしれない。やっと、自分が院長様のお役に立てる時が来たんだわ、とセフォラは興奮する。
「ライーニア将軍は、あなたに会いに来るのです」
「私にですか?」自信があるとは言え、自分が有名な将軍に知られるほどだろうかと、一瞬、不安がよぎる。とはいえ嬉しい。そこまで期待されるとは。
その間モモは、セフォラの背中に張り付いてはらはらしていた。セフォラの心は読めないが、長い付き合いなので、彼女の様子から思考が現実を離れ遠くへ行ってしまっているくらいは分かる。セフォラはちょっと振り向いてモモを見るとフフッと笑顔を見せ正面に向きなおす。院長は、真剣な面持ちで、ゆっくりと口を開いた。
「そうです。将軍はあなたの審判者。あなたを処刑するかどうかを決める方です」
セフォラは大きく目と口を開けた。
「私の処刑ですか!?」
それはセフォラにとって予想だにしないことだった。