15. 市場
市場はセナ邸の裏門あたりで開かれていた。普段着姿のセフォラと三人のカデッツはセナ夫人と会うため門の外に出た。路上店は門の横両脇に並んでおり行き交う人々も多い。セフォラは賑やかな市場の様子にワクワクしながらセナ夫人を待っていた。ところがいつまでたっても夫人らしき人は現れない。痺れを切らした彼女は、横に座っているモモにぼやきはじめた。
「モモは『面白いことがありそう』って言ってたよね。どういう意味なのかなー」
モモは彼女を見上げると首をかしげた。セフォラはそのまま独り言を続ける。
「確か、修道院を出た日の朝も『特別の日』だって言ったんじゃなかったっけ。最悪という意味では特別の日だったけど。ううん、あの日以来、最悪は続いてる」と言って彼女はカデッツを見た。
彼らは目立たないように離れたり近づいたりしながら自分の警護をしてくれている。そしてふと、こんなに多くの人に囲まれているのに、自分はひとりぼっちだと思った。モモ以外、自分には友達などいない。
「私、アルスランに避けられてるみたい。嫌われてるのかな」
「彼があなたを避けてるのは気になるからでしょう」とモモを挟んで隣りにいる粗末な服を着た女が答えた。聞き覚えのある声、セフォラは彼女を見て驚く。
「セ、セナ夫人!?」
夫人はセフォラを振り向きにっこり笑った。夫人は市場の雰囲気に同化していて気づかなかったのだ。
「いつからここにいらしたんですか?」
「あなたたちより前からよ」
「じゃあ、ずっとここに!?」
「そうよ、あなたたちがなかなか気づかないからどうしようかと思ってたの」
三人のカデッツも慌てて二人の元に集まり夫人に会釈する。彼らも驚きを隠せないが、きまり悪そうでもある。セフォラの横に誰がいるのか気づかないという失態を犯してしまったのだ。セナ夫人は「ふふっ」と笑うと歩き始めた。その後ろをモモはぴょんぴょんとついて行き、くるっと振り返ると尻尾を振る。まるで「来ないの?」とでも言ってるようだ。
「あいつ、知ってたんだ」とヒューゴが悔しそうにに言った。そして四人は夫人の後を追う。
セフォラもモモにしてやられたと思った。公爵夫人は市場のおばさんでしかない。店々の者たちや客たちと普通に会話し全く違和感がないのだ。平民の出だと聞いたけれど、こんな所で育ったのかもしれないと思ったりする。そして「アルスランがわたしのことを気にしている?」と思うと顔が熱くなるのを感じる。夫人にその意味を聞きたかったのだけれど、市場の果物や野菜、色鮮やかな布や服、様々な雑貨などに夢中になりそんなことはすぐに忘れてしまった。
突然、モモの「キューン」という悲鳴がした。
「こいつは誰の物だ?俺が買う!いねーのか?」
モモは、大きな男の手で高々と掲げられていた。
「モモ!」
その男は、叫んだセフォラを振り向くとニヤリと笑う。セフォラは緊張し、三人のカデッツが彼女の周りを囲む。
「おめえがこいつの持ち主か?え?いくらで売ってくれる?」
「これは売りものじゃない」と答えたのはアルスランだった。「それにこれは不良品だ。俺は二度もこいつに噛まれた」と言って手のひらを男に向かって掲げる。それはモモが噛んだ跡ではなかったが、治ったとはいえざっくりと切れた傷跡には説得力がある。モモとしては「不良品」と言われるのは不本意だが仕方ない。男がモモを見たので、これ見よがしに口を大きく開けてギザギザの歯を見せた。
「ガス、そいつはこの娘の物さ。返しておやりよ」と後ろから夫人が言った。
「アデライド!」とその男は夫人を見ると、ポイッとモモをアルスランの方に投げた。アルスランは慌ててモモを落とさないように捕まえる。モモはスルスルと彼の腕を登ると、後ろにいるセフォラの頭の上にピョンと飛び降りた。
「久しぶりじゃねーか。ここんとこ顔を見せないんで忙しいんじゃないかと思ってたんだ」とガスという名の男は嬉しそうに言う。
「まあそんなもんだね。どうだい?商売の方は」
「そこそこかな。戦争が始まって仕入れが難しくなったもんもあるが、忙しくもなってもいる。よそ者が多く入ってきてるな。ところで、このおぼっちゃまたちはお前さんの客か?」と彼は言って、夫人と共にその「おぼっちゃまたち」を見る。セナ夫人はくすっと笑って目を細め、それには答えず商売の話に戻る。彼らは「おぼっちゃま」と言われたのが気に入らない。だがこんな荒くれ男たちのいる市場でそう思われてても仕方がない。
その時ヒューゴは、人混みの中で、小さな男の子の手がにゅっと店頭に積まれたビスケットの方へ伸びるのに気付いた。
「お前、金持ってるのか?」
男の子はビクッとして手を止める。そしていつのまにか後ろに立っているヒューゴを見上げ、ニッと笑うとビスケットを二つ取って逃げた。
「待って!」とセフォラは叫び、少年の後を追って走り出してしまった。




