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罪と罰

作者: #

この世は法律の支配下に置かれており、法律のもとに国家の警察が犯罪者を捕まえて逮捕し拘束して法律によって定められた相応しい刑によって罰する。しかし法律を搔い潜ってまでして自ら盗みを働いたり罪のない人を殺そうとする人はたくさんいる。法律に抵触しないようにして同様のことをする人はもっといる。集団による虐めや子供の虐待(特に精神的虐待)といった見えにくい行為は法律によって裁けないことがほとんどである。それは法律を搔い潜れる限り悪いことをしてもよいとする通念というものが「共有さえできればよい」とする集団の倫理観に左右され、それに倣うことのできる者だけが主張する権限を勝ち得てしまうものだからである。もし、法に抵触するというのに、あたかも全く抵触していないかのようになされた完全犯罪を行った者を罰したいのであれば、その人は法律を武器にして裁くことができる立場にいなくてはならない。あるいは、別の通念に優る通念 (神の裁きと天秤) を用いて相手の出たところをくじいたり落とし穴にはめたりする以外方法はない。しかしやはり国自体が神の存在を認める宗教を推し進めているわけではなく、法律に支配されている以上、神の裁きよりも法律の力に頼る方が効果的であることは間違いないだろう。だからといって神が存在しているのであれば神の裁きを頭から否定する生き方をしたら法の落とし穴にはまるのがオチだ。法も結局は人が作ったものであって、いくら社会を乱さないよう巧妙に仕組んだものだとしても少数派の人の利益享受のために存在しておりすべてを正しく裁けるとは決して断定できない以上必ず落ち度があるはずだ。また、神が存在していれば、神が法律の存在を全面的に肯定しているとは断定できない。




ところで、法律において死刑囚と想定されている人なら、裁く立場にある人は死刑囚を誰でも好きに殺してよいのだろうか。死刑囚の死刑執行は法律で決められている。死刑囚を死ぬか生きるかの実験に使ったり、囮捜査に使うのはどうだろうか。いくら死刑囚とはいえども死刑と定められた命を誰か知りもしない人の利益追求に使ってしまったらそれは社会に害悪をもたらすだろう。刑罰を濫用する犯罪が増えるかもしれない。しかしながら、正当防衛として罪のない人命を救うために死刑囚の命をいただくというのなら話は別ではないだろうか。他に方法がなく、その方法でないと罪のない人の命が失われるのなら、必ずしも間違っていないと思う。もし利用される死刑囚が、殺されかけている命と同じような命を奪おうとしていた (or奪った) 犯罪者なら尚更否定することはできない。それが、刑務所にいない死刑囚であったのであれば、死神も世の中を良くするために働いているというわけだ。






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