少女の午後は幻想的で
微エロ注意
午後の授業は滞りなく行われた。
全ての授業の終わりを告げる本鈴が鳴り、掃除当番と部活、委員会活動の者、そして補習のもの以外は皆下校していく。
この補習授業は毎日行われ、大体三割くらいの生徒が受けているが、テスト前には大体の生徒が補習を受ける。テスト範囲を予習するためだ。中には授業でわからないところを復習するために受けるものも居るし、内申点もあがる。
だから成績が悪いもの以外でも普通に受けているので、あまり悪いイメージはない。私も英語の補習授業を受けている。
ちなみに昨日サボった岩下は強制的に受けることになったようで、補習教室に向かっていった。
今日は日直も掃除当番もないので早々に帰りレポートを書くことにする。
廊下を出て正面玄関に向かう。古ぼけた靴箱の中からローファーを取り出し上履きとはきかえる。
中学校を出て修道院への道を歩くがなにやら騒がしい。女子生徒たちが一ヵ所にかがみこんで、きゃあきゃあと黄色い声をあげている。
「かわいい~。なんでこんなに猫がいるの~!?」
猫は七匹で車座になって香箱座りをして周囲を眺めている。女子が触ろうとすればすぐさま立ち上がり触れるなと言わんばかりに睨み付けている。
女子が下がれば、また香箱座りにもどるのであった。まるでそれは何かを待っているような仕草であった。触りたくとも触れないといった風でもどかしく思っているようだ。
「そうだ! 写真撮っておこうよ!」
女子の一人が携帯端末を取り出し、写真を撮ろうとする。すると猫たちはいっせいにその女子を見やる。
「え?」その視線にたじろぎ端末をぽとり、と落してしまう。
すかさず猫の一匹が立ち上がり端末に近づく。前足で端末をひっくり返したり、ペシペシと叩き彼女から端末を引き離す。それにつられてか、さらに二匹が携帯端末に近づく。
三匹は額を寄せ合い光り輝く画面をじっ、と見やる。他の四匹は端末を取り落とした女子生徒に視線を向けている。まるでそれは禁忌を犯した罪人でも見ているかのようであった。
女子生徒達は猫達の異様な行動に立ちすくみ、肩を寄せ合いヒソヒソと、自分たちが彼等に、何か気に障るようなことをしたか話し合っていた。
相変わらず三匹の猫は画面を叩き、意味があると知覚しているかは知らないが、表示の移り変わる様を見ている。
落した女子生徒が近づくと、視線を向けていた四匹の猫が立ち上がり、拾うのを阻止すべく近づく。びくりと震え女子は後ずさりをする。
もはや少女はその不気味さに涙目になっていた。
通学路を歩く学生は何事かとこちらをちらりと、見ると異様さに気がつかずにそのまま通り過ぎるか、異常さに気づき足を止め事の顛末を見届けようとするか二つに一つであった。
そのときである。ふらりと通学路から猫の鳴きまねをして、猫のように好奇心旺盛に近づく人物が現れた。
「にゃ~? どうしたのかにゃ~? 姫様なにしてるにゃ~?」北越である。
彼女は私の姿を確認すると飛びついてきた。私はタイミングよく後ろに下がりながら、その衝撃を和らげた。
「にゃ? 姫様、手ごたえがないにゃ?」意外に手ごたえがなく、いぶかしむ北越。
その騒動に猫の一匹がこちらを向き、再び視線を元に戻し、にゃあと鳴く。
猫の存在に気づいた猫少女は嬌声をあげる。
「にゃあ! ネコ集会にゃ!! 私も混ぜてほしいにゃ!!」
言うが早いか恐れもなく猫に近づき、ペタリと割座で座る。猫たちはそんな彼女の行動を予測できなかったのか、ビクリと震え彼女に視線を向ける。
「にゃあ! よろしくにゃあ!」顔を下げ猫に挨拶する彼女。
明らかに困惑する猫たち。携帯端末を見ていた猫の手が止まり画面が消え待機状態になる。
北越がにゃあにゃあ、と鳴いているが無害と悟ったのか、端末の三匹が再び画面を見やるが、暗く輝きを失っていることに気づき、こちらもにゃあと鳴く。それに呼応して動く四匹と一人。
「うにゃあ? 携帯に興味があるのかにゃ? 朝もそうだったにゃ。猫さんたちの流行なのかにゃ?」
その言葉に今度は女子生徒が反応する。
「どういうことなの?」
その問いに北越は元気よく笑顔で端的に答えた。
「うにゃ! 朝も端末の画面見たがるソックスって猫が居たにゃ!」
それに対して女子生徒は心当たりがあるのか聞き返していた。
「え? ソックス? どういうこと?」
彼女はこれ以上わからないと言った風に首をかしげながら。
「なんかゲームの町の猫にそっくりだって言ってたにゃ。見せたら満足して帰ったにゃ」
そういうとにゃあにゃあ騒ぐ猫たちに近づく猫少女。まさか一緒になって騒ぐつもりなのだろうか?
女子生徒達は今のやり取りから、何か気づいたことがあるらしく再びヒソヒソと囁きあう。
その間北越は、猫に混ざりその仕草を、いつもとは違う真剣な表情で観察していた。
見物人はこれ以上変化は無いと見て立ち去り始める。
やがて一つの案が出来上がったのか、女子生徒達は北越に対し話しかけてきた。
「お願いがあるんだけど、ちょっといいかしら?」
怯えながらいう女子生徒に対しあっけらかんとして北越は聞き返す。
「にゃ? にゃにかにゃ?」
びくつきながら女子生徒は言った。
「あの……私の携帯端末を拾って幻夢郷を起動させてあの猫たちに見せてほしいの」
半信半疑と言った様子でさらに言葉を続ける。
「気のせいかもしれないけど、ウルタールで似たような猫達を、皆見たことあるっていうの」さらに別の生徒が言う。
「もしかしたら画面見せたら返してくれるかも……」実にファンタジーな提案である。
その提案に対し北越は快く了解し、騒ぐ猫たちに臆せずに近づき端末を起動させる。ここでソフトウェア一覧を見ていた猫少女は疑問を投げかける。
「にゃにゃ? 幻夢郷ってないにゃ? どこにあるにゃ?」
その問いに対し起動アプリ名を女子生徒は告げる。北越はやっと見つけたと、顔をほころばせソフトを立ち上げる。
「にゃ~、これでいいかにゃ? 満足したら返してほしいにゃ」
画面が輝き、ゲーム画面が表示されると猫たちは騒ぐのをやめ、七匹全員が携帯端末を覗き込み、おもむろにその一匹が端末を口にくわえた。そして立ち上がり、くわえて帰ろうとする。
「なにゃ?! もってっちゃだめにゃ!!」
にゃあにゃあと猫たちは北越に対し鳴くが、対する北越もにゃあにゃあと言うので状況がさらに悪化したように見える。
がっしりと端末を掴み持ち上げる猫少女に対し猫も負けじとくわえたまま放さない。振り回し猫を引き剥がそうとする猫少女、それを阻止せんと掴みかかる六匹の猫たち。
にゃあにゃあと地獄めいた雰囲気の中、携帯端末をめぐる戦いはさらにヒートアップしていった。
しばらくは収まりそうにないので私は帰り、レポートを書くことにする。
北越は勝てば人間性を失い、負ければ――他人のものではあるが――携帯端末を失うことになるだろう。実に不毛な戦いである。
「ふぎゃー! ふーっ! にゃぎゃ~!!」
どちらが発したのかわからない獣声を背後に聞きながら私は通学路を歩き出す。
「も、もういいから、やめて~! 携帯が壊れる~!!」女子生徒たちの悲痛な叫びが聞こえる。
私はそれに振り返ることなくその場を去った。
……………………
にゃ~! 返すにゃ~!!
私は泥棒猫から携帯端末を取り返すべく、しっかりと携帯を握り振り回した。
「ぎにゃ~!! にゃあ!!」猫達の叫びである。
取り巻きの猫六匹は私に張り付き阻止しようとするが、私にも意地がある死んでも放すまいと両手で力いっぱい握り締める。
メキメキと携帯端末のきしむ音がするが、ここで放せば猫たちに端末を持っていかれる。ならば放す道理は無い、俗に言う大岡裁きである……あれは放したほうが勝ちだったっけ?
「ふぎゃー! ふーっ! にゃぎゃ~!!」ちなみにこれは私の叫びである。
ほとばしる熱い猫魂が私の肉体に宿り叫ばせているのだ。
「も、もういいから、やめて~! 携帯が壊れる~!!」悲痛な女子生徒の叫びである。
私はその叫びを聞き手を緩めてしまった。猫はチャンスとばかりに引き抜き優雅に着地した。
私にまとわりついていた六匹の猫達も、次々に着地するとそのまま一丸となりどこかへ立ち去ろうとする。
私は依頼した女子生徒が呼び止めるのも構わずに、泥棒猫達を追跡する。彼らは私が追跡していると知るや否や、皆散り散りなって逃げ出した。後で合流するつもりなのだろう。
すばしこい猫達は人には追いつけないほどの逃げ足を誇るが、私とて無策で追跡するわけじゃない。
猫のように自由になりたいと模倣を続ける努力は、怠っていない。彼らの癖や性質、どのような場所を好み、どのような道筋を選ぶかなども、熟知とはいかないまでも他者よりは知っているつもりだ。
私は携帯端末をくわえていない、比較的ゆっくり動く猫を追跡する。おそらく陽動のつもりだろう。他の猫とは重ならない自分の縄張りの端へ、合流場所の正反対の所で撒くつもりなのだ。
私が囮に引っかかったと思ったのだろう、もう完全に油断しきって私を誘導する。そして案の定縄張りの端と思われる場所で完全に見失う。
そこは商店街の裏通りであった。餌場はたぶんコンビニやレストランの残飯、寝床はビル裏の暖房の室外機がおいてある場所。冬は暖かいのだ。
彼らは獲った携帯端末という獲物を、自分達の安心できる場所でゆっくり吟味するはずである。
ここが縄張りであるなら何らかの痕跡があるものだ。糞であったり、爪とぎの痕であったりさまざまなアピールがあるはずだ。ここが合流地点と離れた縄張りである。それだけがわかれば十分。
大体の猫の縄張りの大きさは約一キロ程度、七匹という数の多さとその縄張りが重なり合う場所。探せば簡単に合流場所を見つけることが出来るだろう。
私は意気揚々と猫の痕跡を探し始める。そのとき私は気がつかなかった。猫達が携帯端末になぜこれほど執着したのか、それもわざわざ縄張りから離れた、学園の生徒を狙ったのかも。明らかに普通の猫と違う行動をとる彼らを。
……………………
実に順調にレポート作成は進んだ。修道院北門の風紀委員はしっかりと職務を全うし、私は今朝のミーティングのおかげできちんと通ることが出来た。柏原は今私が日の講義内容の概要を説明すると上機嫌で褒め称え。
「ゆみこさんも民俗学に深い造詣があったのよ。ああ、血は争えないものね」と感慨深げに話す。
母に似てきたから歓喜に満ちているだけなのか……。私は母の複写ではない。
私が私室でレポートを作成したい旨を伝えると、快く了承し夕食会までの時間をレポートの作成に当てることが出来た。
「ああ、それとレポートは四百字詰めの原稿用紙十枚ですよ。多くなっても少なくなってもいけません。要点をわかりやすく規定枚数にまとめるのですよ」
にこりと微笑みながら言う。しかし。今朝見た悪夢がよぎり、その笑顔には言い知れぬ恐怖しか浮かばない。
「はい、気をつけます」
私は恐怖を抑え無表情にいう。
「あと今週末は私は修道院に居ません。ちょっと用事がありますので」そこで顔を曇らせ。
「まったく、最近の子はどういうしつけをしてるんでしょうね。カラスや猫を悪戯に殺生するなんて」
柏原の愚痴が長々とこぼれるが要約すれば、最近ちょっと遠くの町で小動物を殺してまわる人間が居るようで、学校関係者と打ち合わせを行うのだという。
それには柏原以外にもウチの学園から何人かいくと言う。こちらでも注意喚起するらしい。来週月曜の朝礼の題材がこれで決まったようだ。
「わかりました。お気をつけていってください」
一礼をして柏原の執務室から退室した。
そして現在、レポートは九割ほど完成した。後は文章の校正と内容の精査である。
ふと、時計を見やるともう午後五時半である。夕食会の時間は六時半である。少し私は思案をした。
今から夕食会を行う学園長の家に行くのはやや早い気がする。なるべくならばギリギリの時間に行きたいものなのだが、柏原がそれを許すとは思えない。
レポートが完成間近であるので少し遅れていくといったほうがいいかもしれない。何せ講義をした本人がいるのである。
彼に見せて評価をもらいたいといえば、さすがに柏原も許すのではないだろうか?
そうしよう、そう考えた矢先ドアがノックされ応じると柏原が入ってきた。
「レポートは捗っているようですね。食事会のお迎えが来ました。下で待っていますのですぐに行ってさしあげなさい」誰であろうか?
そう疑問に思いながら下へ降り、玄関口に向かう。そこにはポニーテールに髪を結い、セーラー服を着た身長百六十センチほどの少女が私のことを睨みつけていた。特筆すべきはその豊満な胸である。私とは較べ様も無いほどである。
実にうらやましい胸を持つ少女が口を開く。
「貴女が柊みやこ?」短く尋問するように問う少女。
私が肯定をすると彼女は、つっけんどんに言ってくる。
「準備はいいわね、行くわよ」
言うが否や踵を返し、スタスタと修道院を出る。踵を返した際に彼女の胸はたゆん、と揺れる。実にうらやましい。
始終無言で早足で歩く少女。何者であろうか? 柏原が不審に思わないということは知人なのだろうか? 食事会の迎えであるということは彼女も参加するのであろう。
なればシュリュズベリィ教授の関係者か、もしや日野という助手の妹、もしくは娘か? それとも学園長ゆかりの人物であろうか?
私に対してそっけないというより、嫌っているかのような印象を受けるが、私に心当たりが無い。私のほうがその発育のよすぎる胸に、嫉妬を抱くのはおかしくはないのだが。
南門を出て寮と運動場へ続く道を行く。人通りも疎らで、部活帰りであろう人々がぽつり、ぽつり、と数人歩いているのみである。
彼女はさまざまな意味で目立った。この学園の制服はブレザーなので、セーラー服は珍しくさらにその身体的特徴により、男子生徒の視線をその胸に誘導している。
自分の胸を見るがややふくらみがある程度で、これもまた偽装に過ぎない。実際は完全な平坦である。
彼女が男子生徒の視線を胸部に誘導するたび、私は燃え焦がれるような感情が彼女に対し沸き起こる、人はこの感情を嫉妬と呼ぶ。
学園長の家に向かう途中、彼女の名前を聞いていないことに気づき質問をする。
「そういえば名前を伺っていませんでしたね。差し支えなければ教えてください」彼女は短く想定の範囲内である言葉を口にした。
「淵田、淵田光」恐らくは淵田学園長の姪っ子であろう。
あの蜘蛛型の機械を好きだという少女がこいつなのだろう。
名を告げた後は再び沈黙が降り、ローファーの硬い足音と、帰宅途中の学生達の話し声のみが聞こえる。
私は彼女の斜めやや後ろについて歩く。等間隔に並ぶ植木の道を進むと一際騒がしい一団がいた。その一団には見覚えがあり先ほどの猫達に携帯端末を持っていかれた女子生徒達であった。その中になぜか岩下が居た。
「あ、柊さん。その人は誰?」私が答えるよりも早く淵田が答える。
「淵田光です。学園長の姪です。はじめまして」淵田は岩下にお辞儀をする。
対して岩下も短く名を告げ軽い感じで挨拶をするが、ややあってから驚きの声を出す。
「ふええっ!? 学園長の親戚なの!!」
目を見開き驚愕をあらわにする。他の女子生徒も驚き、ざわついている。
それをうっとうしく思ったのか、不機嫌な態度で言い放つ。
「それで何か用ですか?」
岩下はすぐに落ち着き払って用件を言う。
「柊さん、北越さんがどこへ行ったか心当たりある?」北越はどうしたのであろうか?
私は心当たりがないことを告げ逆に聞き返すと、歯切れの悪い調子で岩下は言う。
「猫がね、この子の携帯盗ってっちゃったの。それを北越さんは追っかけてったんだけど」そこまでは知っている。岩下がさらに続きを言う。
盗られた女子生徒は、携帯端末をインターネットから遠隔で操作し、位置情報を追跡したそうだ。
岩下の持つ携帯端末に、この学園から街に向かう追跡のマーキングがなされている。
それを女子生徒たちは追いかけたのだが、最後に表示された空き地で電源が切られたか電波が届かなくなったようなのだ。彼女たちはその空き地で片方のローファーが落ちていたのを見つけたのだという。
無論、携帯端末は無く、さらにそのローファーはこの学園のものであり、恐らくは北越のものではないかと思われる。
「……なにをどう聞いても犯罪の匂いしかしませんが、警察には連絡しましたか?」淵田は冷静に言う。
「まだだけど、もう少ししてそれでも見つからなかったら、警察に通報するつもりだよ」
岩下のその言葉に女子生徒は半泣きになりながら、北越を止められなかったことを後悔している。
沈黙があたりを支配する。中学生である私達に出来ることは限られている。日が暮れ逢魔時に差し迫っている。
女子生徒は耐え切れず大声で泣き喚いた。自身のせいで犯罪に巻き込まれたのだと己を責め、それを周りのものになぐさめられていた。
そしていよいよ学校と警察に連絡するという段階になったとき、不意に猫の鳴き声が聞こえた。
「にゃ~、携帯みつけたにゃ~!!」否、人語も混ざっている。
気配なく現れた岩下は泥だらけで、猫達との壮絶な戦いを物語っている。高々と挙げられたその手にはピンク色の携帯端末があり、自身が勝者であることを誇るかのようであった。
その姿に女子生徒は感極まり、北越に抱きつく。チリンと澄んだ鈴の音が聞こえた。
どこから聞こえたのだろうか?
「もうこれで猫さん達は携帯盗らないにゃ。安心していいにゃ!」北越が誇らしげに言う。
実に断定的に言うその首には、幅一センチほどの黒い革のチョーカーが巻かれており飾りとして鈴がついていた。音はそこからしたのだろう。
北越が動くたびにチリン、チリンと鳴るそれはまるで猫の首輪のようであった。猫を追いかけたときは着けていたであろうか?
「人騒がさせね。まったく、でも良かった。事件じゃなくてね」岩下はため息をつきつつにこりと笑う。
「にゃはっはっ!! ごめんだにゃ!!」
なにやらテンションの高い北越。そんな彼女達にあきれたように淵田はそっけなく別れを言い、今度は私の手を引いて早足でその場を立ち去るのだった。
……………………
学園長の家の前では昨日の蜘蛛型機械が鎮座していた。部品が抜かれているのか天辺についている風車が微かに動いているが足は微動だにしない。
「いいものよね。伯父さんがうらやましいわ。こんなに大きいの作れる場所とお金があって」
本当にうらやましそうに言いながら家に入る淵田。中ではもう殆どの準備が終わっていた。
中に居たのは淵田学園長、シュリュズベリィ教授、その助手の日野だけであった。いささか人数が少ないがこれは前日に大々的な夕食会を開いているためでこちらはごく個人の夕食会だからだそうだ。なるほど、だから学園長は渋ったのか。
テーブルに並べられたオードブルも大学購買――食堂業務のサービスだ――で注文したもので、質より量を優先したようだ。本当に内輪での夕食会である。
学園長が飲み物を配り終えると会はすぐさま始められた。
いたって普通の夕食会である。学園長と教授は学術的な話と昔話に盛り上がり、私に気を使った日野があれこれ話をしてくれた。
実地で研究をしている者の話は、実に面白く午前中の講義と合わさり、講義中は語られなかった失敗談など普通では聞けない稀少な話を聞くことができた。
意外なことに学園長も教授の弟子であったそうだ。教授から聞かされたという学園長の当時の様子など、別に興味のないことまで聞かされた。
隣に居た姪は興味津々と言った表情でつぶさにその話を聞いていた。時折、話を聞いて意外であるといった表情で伯父である学園長を見たりして、彼がその視線と話の内容に気づくと、日野に対しそれ以上のことを言わないよう懇願する、といった情けない態度を見ることができた。
そのやり取りを教授は低い笑い声を出しながら楽しそうにみていが、私はそれらの話についていけず、ただ傍観するのみであった。
「そういえば柊さんはあまり食べませんね。体調が悪いのですか?」日野が私があまり食事に手をつけないため心配になっていう。
「いえ、小食なものですから」事実である。
「それにしても本当に中学一年なの? 小学校低学年でも通用しそうね。私と同い年とは思えないわ」
豊満な胸を持つ淵田の姪が、昨日のことを知ってかしらずか皮肉を込めた口調で言う。
「よく間違われます」短く低い声で言う。
そのやり取りに日野は遠い目でつぶやく。
「大きいよりはマシですよ、私なんて生まれてこの方あだ名がマウンテンですから。小さくてお人形みたいな小さな体にあこがれたものです」
大は小を兼ねないらしい。彼女はタンクトップとミリタリーパンツというラフな格好で鍛え上げられた筋肉を余すところなく見せていた。
「筋肉をつけると体の成長が阻害されると聞いて頑張ったんですが、結果は……」
百七十を超えた巨躯の女が悲しそうにいう。それに対し教授はふむ、と一息つき琥珀色の液体の入ったグラスを置き評価する。
「それは筋肉のつけすぎた場合だな。適度な筋力トレーニングは成長を促すのだよ。君の今の姿は理想的なトレーニングの賜物だよ。実に素晴らしいじゃないか」
齢百を重ねても乙女心は理解できないらしい。その言葉を聞きさらに悲しむ彼女。
学園長のほうが乙女の機微に敏感だったようで、話題を変えようと話を私にふってくる。
「そういえばみやこ君、腕の怪我の具合はどうだね? 痣はもう残ってないかね?」
「はい、大丈夫です。風紀委員の方も謝罪してくれましたし、問題ありません」
風紀委員は明日報告するといっていたが、もう学園長の耳に入ったのか。だが柏原は何も言ってはいなかった。
「……ふむ、風紀委員か……」なにやら考え込む学園長。そこに光が口を挟む。
「風紀委員にぃ怪我をさせられたのぉ? あなたなにやったのよ」ややろれつが回っていない口調であった。
いぶかしみながらも昨日のことを大まかに説明すると彼女は笑い始めた。この様子におかしいと思った学園長が彼女の持っているコップを取り上げ、中身を確認するとその正体は教授の持ち込んだ蜂蜜酒であった。
琥珀色の液体の入ったガラスコップを取り上げられると不満げに文句を言う光。頬は高潮し目はうつろであり、それでもなお自身はまともであると主張する。
「おじさんたちばっかのんでずるーいぃ」
かなり度数がきついようでアルコールが体をめぐり始めるともう完全に泥酔してしまったようだ。
「この子はお酒にすごい弱いんだ。前にもウーロンハイを間違って飲んで大変な目にあったよ」
そういうと禿げた頭をかきながら学園長はさらに言葉を続ける。
「困ったな。私たちはこれから用事があるから外出しなきゃいけないんだ」
学園長は姪を介抱しながら私に彼女を介抱してくれるよう頼んできた。
私が承諾すると学園長はすぐに柏原に連絡をとり、それは快く了承されたようだ。
会は彼女の泥酔という形で幕を下ろし、主に教授と私が片づけをおこなった。学園長と日野は姪を寝室に運びこみ、寝かしつけた。
教授と日野は一足早く外に出て車を準備して、学長と私は姪っ子のために水を用意していた。
「それとバケツも用意しておいてくれ。吐くと思うから」姪のためにはマメな男である。
私は言われるままバケツと水の入ったペットボトルを寝室に運び込みベットのそばの収納机に置く。寝室は素材こそ豪華ではあるが簡素なつくりでその収納机と大きなダブルベット、オーク材の収納扉、そしてマドから蜘蛛型機械の風車が見えるのみである。
再びリビングに戻ると学園長は残り全ての片づけを終えて私を待っていた。
「では行ってくる。すまないが頼んだよ」
そういうと素早く私の唇にキスをしてそのまま振り返らず出て行く。私は洗面所で念入りに歯を磨き、シャワーで念入りに体を洗った。
下着姿で寝室に入る。学園長のベットはダブルベットなので二人が寝ても十分な広さがある。
光はなぜか下着姿でふらふらとしながらも起きていた。セーラー服は足元に散らかっており恐らくは自分から脱ぎ捨てたのであろう。そしてその片手には水の入ったペットボトルではなく、なぜか蜂蜜酒の入った瓶があった。
ペットボトルの置かれていた収納机の引き出しが開かれており、その中から取り出したようだ。
こちらのほうには気づいてはいないようで、ブツブツと悪態をついているようで怒りに顔が歪んでいる。
「お酒、飲まないほうがいいですよ」
私はそういいながら近づき瓶を取り上げようとすると彼女はそれを振り払い怒声を上げる。
「うるさい!! あんたなんかにわたしのきもちがわかるか!!」
既に手がつけられないほどに酔っ払い、さらに体をわなわなと震わせる。
「あんたが……あんたは何も知らないで……」
抑えきれない怒りが漏れ出しているかのようであったが、私には恨みを買う心当たりはまったくない。恐らくは酔っ払って前後の区別がつかなくなっているのだろう。
「大丈夫ですか? 横になったほうがいいですよ」
私はとにかくこれ以上飲ませないようにするため、暴れる彼女から瓶を取り上げた。
酔っ払う少女はわめき再び酒瓶を取ろうとする。それを阻止すべく立ちふさがり掴み合いになったが、私が力負けして押し倒されてしまった。
両手を押さえられ学園長の姪の顔が私の上に来る。彼女の背後には風車の映る窓が見える。
「返せ、私の銀鍵を……」
荒い息をつき獲物に喰いかからんとする獣のようにいう。否、目の光りが尋常ではない。まさに獣そのものだ。
「な、何のことかわかりませんが」
私は内心を恐怖に塗り固められていたが、何とか冷静に声を発することが出来た。
しかし目の前の獣にはそれが不服のようで、さらに怒りを私にぶつける。
「しらばっくれるな!! その右胸のヤツだ! それは私の物だ!! 返せ!」
そして何語かわわからない言葉をわめいたが、私にはなんら抵抗は出来なかった。
「アトラク=ナチャよ!! 供物を捧げん! 願わくばその御身を借らん!」
そう言うが否や私のソフトブラに喰らいつき引きちぎる。引きちぎった彼女の顔を、口を見て私はさらに恐怖した。
彼女の口に二本の牙が生えていた。その質感は昆虫のものであろうか。学園長の姪らしきものはその牙で下着を引きちぎったのだ。
ねちゃりと音がする。彼女は私から手を離し立ち上がるが、私は動けない。
手が粘着質のなにかで床と接着されているようだ。
立ち上がった彼女の顔には牙はない、背後に見える窓の情景に変化が起きる。外に鎮座している蜘蛛型の機械、その風車が沈み込むように下がっているのだ。
ありえない情景、そして目の前の下着姿の少女は残酷な言葉を言い放つ。
「さあ、その右胸のピアス。引きちぎっても返してもらうわよ」
完全に正気の目ではない。彼女手が私の右胸に触れようとした。その時さらに不可解なことが起きた。バチリと静電気が爆ぜる大きな音がして目の前の少女が吹き飛び、床を転がり壁に体をしたたか打ちつけた。
「あぅ……つつ……伯父の野郎ぉ……防護術……」
そういうと彼女は気を失ったようで、ふつりと倒れこみそのまま動かなくなる。
そして私も不可解すぎる目の前の現象から意識が遠ざかり気を失った。