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少女が見るよりも少女は見られていて

 息を切らせながら騒がしい教室のドアを静かに開け、後手で閉める。はじめ彼等は私が来たことには気づかず、恐らくは担任が来たとでも思ったのだろう。なにやら話し合いをしていたようだが、ドアを開けた正体が私であると認識すると、それまで騒がしかった教室は、しん、と静まり返った。今日休むと思われた人物が急に来たから驚いたのか。誰も一言も発さず私に視線を注いでいた。

「おはようございます」私が挨拶をした。しかし、沈黙のままであり、何も変わりなく沈黙と注目は続く。もとより人より発育が遅く、それだけで目立つほうではあったが、それも物珍しいというだけで、さほど注目されることはなかった。それよりも気にされないことのほうが多い、私の社交性の無さと皆との生活環境の違い、修道院暮らしなので学外に出たことが殆ど無く、話題になるようなテレビ、ゲームなどの娯楽は規則で禁じられているのが、交流する機会をさらに減らしている。また、私に関わると、あの口うるさい柏原がおまけについてくるのも、私に近寄りがたいイメージを与えているように思う。

 しかし、確かにいつもとは違うのはわかるが、ここまで注目を浴びることでもないはずだ。皆の表情を見ると驚きに満ちていて、まるで死者が蘇り歩き挨拶をしたとでも言いたげな表情であった。遅刻ギリギリに来たことは初めてではあるが、それも特に珍しい光景ではないはずだ。

 私は皆の視線を受け立ち尽くしていたが、一人の独特の口調を持つ女子生徒が口火を切り私に早口で質問を浴びせる。

「にゃにゃ?! 人形姫のメンテが終わったのかにゃ~ん! 服がちょっとぶかぶかにゃ!? 大規模戦闘で服がやぶけたのかにゃ?! 一体どこが不調だったのかにゃ? 未確認情報だと学園長の野望を阻止するため単身悪の蜘蛛型ロボットに特攻をかけたって本当かにゃ? 遅効性ダメージで帰還途中に壊れて二人がかりで運ばれたのも事実なのかにゃ?そうなると普段は重力制御で自重の軽減をしてることになるけど制御方式はやっぱり反重力エンジンなのかにゃ? 答えてほしいにゃ~ん!!」これはひどい。私に対してどんな無責任な噂が流れているというのか。ショートカットの茶髪気味で快活な表情と口調があいまって騒がしい猫のイメージを与える少女、編入生の北越葉子(きたこしようこ)が私の両肩をつかみ、割と真剣な表情でまくし立てている。先ほどの細身の風紀委員につかまれたところを触れられ、小さく声を上げてしまった。

「みゃ?!どうしたんだみゃ!?腕が痛いのかにゃ?!腕をみせるにゃ!!」そういいつつ私の服を脱がせようとするが、それは私の後ろから来た人物の声により阻止される。

「お~い、お前ら席に着け~。北越も、柊も席に着け~」なんとも間延びしたしまらない声。その声の主は私達を席に着くように急き立てる。その男は教壇に立ち。

「柊~、藤谷先生から話は聞いてるぞ、災難だったな~。んじゃ出席とるからな」間延びした声の持ち主、このクラスの担任金山が私に向かって言ってから出席を取り始める。私のクラスは二十数名程度なので、点呼もすぐに終わり。

「んじゃ、居ないのは吉原だけだな~。そんで~皆も新生活から半月経ってるのはわかってると思うけど~もう少しで一番危ない次期が来るからな~。用心しとくんだぞ~。五月は五月病っていう恐ろしい病気があるからな~。あと明日の二時限目の俺の授業自習な~。ミスカトニック大学の名誉教授が来て講演するからそれ見るんでな~。行きたいやつは先生に言えよ~」と金山がいう。

「先生、それに出たら授業はどうなるんです?」生徒の一人が質問をする。あわよくば授業がサボれると思ったらしいが金山が先手を打ち。

「授業は出なくでもいいけど。レポート提出な~。原稿用紙十枚」と非情にも言い放つと質問した生徒はそれでは授業と変わらないとブーイングを発する。

 しかし、他のクラスの皆は気が漫ろで先ほどから、ちらり、ちらりと私のほうを盗み見ている。やはり、ぶかぶかなブレザーや、袖を捲くったり余った部分をピンで留めたブラウス、丈が長くすねあたりまで隠れるスカートでは悪目立ちしているのだろう。ブーイングをした生徒も、こちらをちらち盗みみてこっそり携帯端末でメールのやり取りをする。

「あ、あとゲームはほどほどにしとけよ~。んとネトゲとかってやつの『幻夢郷』(ドリームランド)だっけか?なんか昏睡するまでやり続けた、とかそんな話ちらほら聞くけど、んな馬鹿なまねだけはやめろよ~、んじゃホームルーム終わりな~」そういうと担任はやはりのんびりとした歩調で職員室へと戻っていった。そして一時限目の授業の始まりの前のわずかなお祈りの時間となった。担任の金山は熱心な教徒ではなくその時間には居なくなり、こうして自由時間、自主的な祈りの時間となるのが、その途端、私のところに騒々しい質問者があらわれた。猫口調の少女、北越である。

「にゃー!にゃー! 朝ににゃにがあったのにゃ?! 教えるにゃ!」好奇心に満ち満ちた表情でこちらを見つめてくる。他者は興味はあるが触れるのは戸惑う、といったもので編入生で、私が厄介者であることを理解していない彼女に火中の栗を拾わせようと、高みの見物を決め込んでいた。

「別になにも、風紀委員に初等部の生徒と間違われただけです。私が修道院で暮らしているのも知らないようで」端的に答えた。すると彼女は驚いた猫のように目を見開き、興奮した表情で私の両肩をつかみ。

「にゅああああ!! あそこ、人が居るのかにゃ!? 人形姫様、ほんとにお姫様にゃあ!」修道院をなにやら勘違いをしている彼女は、いっそう興奮する。掴まれた腕が痛み、顔が歪む。

「にゃあ!! 腕どうしたんだにゃあ?! さっきも痛がったてたにゃ! みせるにゃ!!」と半ば強引にブレザーを引っ張られる。サイズの合わぬブレザーはいとも簡単に脱がされてしまう。

 ブラウスもまた簡単に捲り上げられてしまい、肩の下二の腕あたりに出来た痣があらわになる。彼女はそれを見てさらに名状しがたきほどに興奮し悲鳴に近い叫び声をあげる。

「にゃあああうああああああ! 怪我してる!? ねえどうしたのその怪我っ!?誰にやられたの!? ちょっと大丈夫?! 保健室に行くよ!! 保健委員の人、ちょっときて!!」あまりのことと思ってか語尾に猫真似をつけることも忘れ、私の体を抱え保健室に連れて行こうとする。いや、この場合運ぼうとする、が正しい表現であろう。軽い私はいとも簡単に他者に持ち上げられてしまう。世の少女なら軽いほうがいいと思うらしいが、ここまで軽いのは考え物であろう。

「大丈夫です。保健室に行かなくてもいいですから降ろしてください」言うが興奮した彼女には効果がない。じたばたと手足を動かし、抵抗するがこちらも効果がない。

「大丈夫なわけないにゃ!! ほら! 暴れないで保健室までいくにゃ!」語調をもどし連れて行こうとする北越。しかし、それは保健委員によってさえぎられる。

「柊がさ、行かないでいいっていってんだから、無理やり連れて行くのやめなよ」長身で様々なシールが貼り付けられ、装飾を施された携帯端末を片手に制服を着崩した少女、岩下加奈子がセミロングの髪をかき上げながら言う。しかし北越は反論をする。

「こんなに大きな痣なんだよ! 無理にでも連れて行かなくてどうするのさ!」言われた内容が信じられないと言わんばかりに声を荒げる。だが言われたほうは半ば呆れ顔でこう言い放つ。

「いいって言ってるならそうしとくのが一番いいの。無理やり連れてって暴れてよけい怪我したらどうすんのよ?」そういいつつ、んじゃあたしはサボるから後は勝手にと言って、保健委員は出て行った。それをなんとも釈然としない表情で見つめる北越。

 私は力の抜けた彼女から、するりと抜け出すと礼をいいだぶついている服を着なおした。

 本鈴と共に教師が教室に入り出席を取り始めた。猫口調の彼女は先ほどとはうって変わって大人しくなり沈んだ表情で授業を受けていた。


……………………………


 教室を出たあたし、保健委員を無理やりやらされてる岩下加奈子(いわしたかなこ)はもう最悪な気分で廊下を歩く。っつたくどこのどいつがウチの姫様に怪我をさせたんだか……こっちの身にもなりなさいよ。あの柏崎ババアの説教を喰らうのはあらしらなんだからね!

 きーっ!って実際言わないけどエフェクト?エファクト?じゃ絶対背景についてるのが見えるくらいな気迫で迫られてみなさいよ? もう気分最悪、ネトゲのゲンムでも行かないとやってらんない!って気分になるんだから!

 もちろんあたしらも怒りシントーだよ! あの娘、注目されると逃げたり余計我慢しちゃうんだよね。それで初等部三年のとき、とんでもないことになったんだよ!柏原は姫様が悪いようなこと思ってるみたいだけど、ありゃ柏原のババアが悪い。というわけで授業を受ける気にはなりません。なので犯人探し、まあケントーつくけど特定はちょっとむずいな。

 そんな気分で廊下を歩く。当然、サボりだから廊下になんて誰も居ない。いちおーエリート校ってことだもんね、お勉強は皆まじめだね。うん、感心、感心。

 そんじゃ、ネトゲのゲンムをやりましょうか! え? ゲンムって何かって?

 ありゃ? 金山のヤツが注意してたじゃん。やりすぎんなって。あれ?聞いてなかった?幻夢郷(ドリームランド)ってゲームだよ?

 このゲームすごいんだよ!あたしらの一番のお気に入り、あたしみたいなちょーいけてる子からオタクの子まで皆ハマッテルの! 携帯端末でもパソコンでも携帯ゲーム機でも家置きゲーム機でもネットに繋がれば遊べるんだよ! すごいよね!

 作った人はチクタクマンって人なんだって!! アハハハ、面白いハンドルネームだよね!

 お姫様にもやらせたいんだけど、あの娘、必要ないもの意外全然買わないんだよね。

 ほしいものはあるみたいなんだけど柏原がねぇ~、やっぱあいつが居るとほしいものもかえないか。ノートとか鉛筆とかたくさん買ってるみたいだけどな~。やっぱ秘密のお絵かきノートがあるのかな?観てみたいな~、お姫様のノート! かわいいんだろな~うふふふ。

 人形姫様かわいいよね! 今日のダブダブな制服すっごいかわいかったよ~! らぶりきゅーと!

 問題はあの娘、すんごいそっけないんだよね~。っていうかもう学園から出たこと殆どないってすんごい箱入りでしょ? さらに柏原のババアがうるさいからどうやって引っぺがすか考えないとだめなんだよね。だから遠くから仕草を見るのがマナーなんだよ! そうそうあの娘に気づかれないようにこっそり観るの! こっそり萌キャラなのだよ! 隠しファンクラブもあるんだよ! そこで皆、画像共有してるの。あの娘、ケータイもパソコンも持ってないから、たどり着くことは絶対にないのだよ!

 でも今日はびっくりだよ! だっていつも来てるあの姫様が全然来ないんだもん。知ってる? あの娘、皆勤賞なんだよ! 一日も休んだことないの! だからびっくりしちゃった。何があったのかって!目撃情報じゃ、寮の方から歩いてきたとか、二人がかりで連れてかれてたとかわけわかんないんだもん。心配しちゃった。そしたらギリギリにきてほんとびっくり! 皆注目しちゃったよ! 北越が聞かなかったらあたしが聞いてたよ、たぶんね。

 あれ? 何の話だっけ? えーっと、そうそう! お姫様の怪我だった!

 ああ! そうだった!犯人探しをするんだよ!お姫様を怪我させたやつのね!

 え? どうして怪我をさせられたってわかるのって? 当たり前じゃん怪我させられたにきまてるじゃん?手の形の痣なんてめったにお目にかかれないよ?

 え? 犯人ならなんでみやこさんに聞かないのかって? だってあの娘そういうこと言わないよ?

 え? なんで心配なら保健室につれてかなかったって? だってつれてったら犯人追えないし、それじゃだめでしょ? 犯人にはその二十倍返しをやっちゃいましょう!!

 え? どうやって犯人を捜すのかって?まだまだ犯人には遠いよ?

 え? あなたどうして頭抱えてるの?だいじょーぶ! あたしに任せてのんびりゲームしてれば事件解決だよ!

 う~ん、問題は『どこで遊ぶか』なんだよね…ここを間違うとちょーっと遠回りになっちゃうんだよねぇ。よし!そういう時はお友達に聞くのが一番!

 あたしは早速携帯端末を取り出してメールする。……すぐに返信が返ってきた!

 ふーむ、なるほど…じゃこの子にもメールしてこっちにも……よしよし!情報収集カンリョー!

 よーし!遊ぶ場所が決定しました。隊長!出発です! あたしは意気揚々と階段を上り、二年生の教室ならぶ廊下でゲンムに遊びにいくのだった! っとそのまえに保健室にいかないとね。うん! これで完璧!


……………………………


 一時限目の授業は滞りなく行われた。特に特筆すべきこともない。クラスメイト達が授業中に先生の目を盗み携帯端末をいじるのも、ごくありふれた光景である。それにしては些か回数が多いようだが、今日は何かの発売日であったのだろうか?漫画やゲーム、流行歌すら知らぬ私には遠い世界の出来事ようだ。今は目の前の授業に集中することにする。それ以外に私の出来ることなどない。つかまれた腕、左腕が痛みで字を書く手が時折止まるが、それ以外は全ていつも通りで既に授業も終わりに近づいていた。

 本鈴が鳴り、起立、礼の声の下、席を立ち一礼する。教師が教室から出れば、教室にざわめきがもどり次の授業の話などでにぎわう。朝の一件以来、保健委員である岩下は目下逃走中であり、その姿を見せない。次の授業は地理であるがこのままだとそれにも出席しないようだ。そういえば日直は教材とプリントを運ぶように言われていたが、今日の日直は私であったことをすっかり忘れていた。

 私は急ぎ職員室に向かう。途中の廊下で幾人かにすれ違うがやはりこのサイズの合わぬ制服は目立つのか、じっと見つめられる。特に男子生徒から奇異な視線を受ける。なるべく人目を避けるように職員室に入り、地理担当の教師から鍵を受け取る。職員室を去る際に。

「棚の上のところにあるから、背の高い人と一緒に行ったほうがいいよ」といわれたが生憎、私には頼る人物は居ない。ゆえに私は自分の椅子を持って二階にある資料室へ向かった。その途中で二つの携帯端末を両手に一個づつ手に持ってニコニコ顔で走る岩下とそれを怒れる表情で追う風紀委員とすれ違う。風紀委員には見覚えがあり、彼女は今朝、南門を監視していた人物であった。

 二階資料室、真新しいドアの鍵を開け中に入る。中は入り口のドアと違い埃臭く、日焼けした壁、傷だらけの木の棚、ぼろぼろのダンボールが所狭しと置いてある。ドアだけが新しいのは、生徒が乱暴に開け閉めをするため、ついには壊れてしまい、なればいっそのこと新品に換えよう、ということになったらしい。

 私は、目当ての棚を探し出しその前に椅子を置く。靴を脱ぎ椅子の上に立ち上の棚にある教材、地図を探すが中々見つからない。もっと奥の方にあるようなので私は手を伸ばして棚を探す、と不意に手に何か軽いものが当たる。用心深く掴み、棚から取り出すとそれは古いもので、言われていた真新しい地図ではないので目当てのものではない。さらに棚を覗くともっと奥に探している地図らしきものがあった。私の短い手では届かないので手元にある古地図を使って手前に引き寄せ、地図を手に入れた。広げると確かに目的の物だ。手元の古地図を棚に戻そうとするが、その前に私の中の好奇心が古地図に興味をもち、中身を確認しようとする。

 私は好奇心のなすがままに古地図を広げた。中身は海図のようで隅に小さく『寄贈 Laban Shrewsbery』と筆記体で名が書かれていた。私用か研究用で使われたのかペンでいくつも書き込まれた箇所がある以外、別に何のこともない古い海図だ。そのはずだ。そうでなければおかしい。何故?何故私の、私の腕は震えているのだろうか?いや、わかっているはずだ。ありえない、ありえないのに……太平洋、南緯四十七度九分 西経百二十六度四十三分、南アメリカ南端あたりから少し西、その場所には海図上特に何もないところであるにもかかわらず、印がつけられこう書かれていた。


『R'lyeh Cthulhu tomb』


 ル・リヤエフ クチュウリフ トムボ 私の英語の読み方は正しくないであろう、だがそれに似た発音ではありそうだ。そしてその発音から、想起させることが出来る単語は前二つのみで、その二つに限ってはこう読むことが出来そうだ。


『ル・リエー クトゥルフ』


 夢の、空想の、虚構の産物ではなかったのか……私が見たものは現実だとでも言うのか、書いた人物は何者なのであろうか、『Laban Shrewsbery』習いたての英語ではラバン以外は読めない、ラバンとやらが妄想の果てに書いたのか、それとも私の見る夢はある一種の確定された概念で、妄想で、心疾患でありその同種患者の研究に用いられたのか、はたまた別の要因があるのか、私には見当がつかなかった。少なくとも夢以外では聞いたことがない。

 そこで私は、とりあえず求められた仕事を全うすべく教材を教室に運ぶことにする。

 古地図をしまい、使う教材を探し椅子の上に乗せ、椅子ごと持ち運ぶ。資料室から逃げるように立ち去る。ように、ではない逃げた、現実から。

 私が心の病気であることから逃げたところで、どうということはない。仮に『あれ』が現実なら逃げたところで、どうにもならない。どちらに転んでも大したことにはならない。

 このとき私は好奇心を抑えられなかったことに後悔をした。だが、私はある種の希望を抱いてもいた。夢が現実であるならば私が夢の中で行った行為、すなわち『魔術』もあるのではないか?私は『Laban Shrewsbery』という単語を頭の中で呪文のように繰り返していた。地図を寄贈するほどの人物だ、他にも何か寄贈しているだろうし、もしかしたら論文を書いているかもしれない、そうでなくとも何か手がかりぐらいはあるだろうから放課後、柏原の許可を得て図書館へ行こう、何か他にもあるかもしれない。そう考えながら私は教室に戻る。


……………………………


 猫口調ともっぱら評判で中学からの編入生、私、北越葉子はなんとも、もやもやした気持ちのまま二時限目の授業の準備をしていた。地理は苦手な科目で単語が全然覚えられない。国語もまた同じで漢字がとんでもなく苦手だ。

 朝の出来事を考えると、いまいちクラスの皆とも距離感があるというか、一種連帯感のようなものが皆にあってそれに入れない、というか、こう、なんというか。あ~もう!わかんない!私が編入生なのがいけないのかな?いや嫌われてるってわけじゃないよ?話しかけたらちゃんと答えてくれるし、邪険されてるわけでも、無視されるわけでもない。でもやっぱり、エリートの壁みたいのがあって打ち解けるのが難しい、ついでに勉強も難しい。

 私がこの中学に入学したいといったのは初等部四年のときだ。この中学の制服がブレザーですごいかわいかったのだ。私が通うことになっていた市立の中学の制服はセーラー服で校則が無駄に厳しいことでも有名だった。なんでも昔、相当悪かったらしく、それゆえ段階的に厳しくなりガチガチに固まった校則が出来上がってようやく普通の中学に戻ったそうだが、校則はそのまま残り続け、今も生徒を苦しめている。服装、髪型は言うに及ばず持ち物から筆記具のサイズ、筆箱、果ては使用する語句、生理用品まで事細かに決める校則はまるで監獄のようだった。勉学より規律を守ることを優先しすぎた結果、学力も最低ランクだった。なれば、多少規律が厳しくともエリート校たるこの学校に入れば、いい学歴を持てて、賞賛さえされる。この学校を選択するのは自明の理だ。

 だから私は寮生活になるとしてもこの学校に入りたかったのだ。そんな諸々の事情から私は必死に勉強し数少ない編入生枠を手に入れたのだ。周囲の友人は私が同じ中学に行かないことを恨めしそうに見て、様々な嫌がらせや悪口を言いふらされたものだが、そんなことは努力をしない人間の嫉妬として片付けた。

 私の行動が間違ってるとは思わない。むしろ正しいとさえ胸を張って言える。事実、私の両親は涙を流して喜んだものだし、その証拠としてお小遣いアップがあるのだ。

 そして現在、微妙になじめてないこの状況であったとしてもだ。皆、携帯端末を片手にメールでやり取りをしている。私は携帯を持っていない。お小遣いがあるので買えないことはないが、小学生のときは両親がまだ早いと思い持たせなかったのと、今は両親が遠くに居るため買う手続きが出来ないのだ。夏休みか五月の連休に買ってもらう予定ではある。この部分でもやはり疎外感がある。今、このクラスで携帯端末を持っていないのは、私と件の人形姫様だけだ。

 人形姫、柊みやこのことである。体躯は小さく百二十センチ程度、体重は不明だが持った感覚では恐ろしく軽い、そして黒い髪、白い肌、整った顔、成績は上の中(これは他の人から聞いた初等部の時の成績だそうだ)、言葉遣いは丁寧、常に誰よりも早く学校に来ていて登下校を誰も見ていないと、まるで、学校に付属する人形のような人物だ。クラスの皆は彼女に聞こえない場所で人形姫の名を使っていた。

 そんな彼女が今朝に限って遅刻ギリギリの時間に息を切らせ、ぶかぶかな制服で教室に入ってきたのだ。だぶだぶの制服が無理して中等部に来たおませな初等部の生徒に見えていっそうかわいく見えた。萌という言葉を体言している彼女にさらに近づき、彼女が学園のど真ん中にある修道院とやらに住んでることを知ったときには、驚きといったらなかった。

 彼女は貴族かなにかの末裔だったのだ。それならば、クラスの皆の彼女にたいするよそよそしさも納得が行く。しかし、それよりも驚いたのは彼女の怪我だ。

 左腕にくっきりと掴まれた痕のついた痣があったのだ。誰かにやられたとしか思えない。

 一体誰が彼女に怪我をさせたというのか、まったくわからない。

 現在、彼女は日直のため、地理の教材を取りに行っているが、なかなか帰ってこない。流石に教材が探せないということはないだろう。私も取りに行ったことがあるが高いところにあって取りづらい程度であるし、彼女は椅子も持っていったのだ、これで棚から持ち出せないことはないだろう。椅子を持っていく仕草もかわいいので手伝うということを忘れて見とれてしまった。不覚、ついていけばさらにかわいい仕草が見れただろうに。

 授業までまだ時間がる、ちょっとお花を摘みたくなってきた。私は階段横にあるトイレまで行くことにした。この学校のトイレはホテルにあるようなちょっと豪華なトイレで私が本来行く予定だった中学よりも何倍も綺麗で使いやすいものだ。

 そのトイレ横、階段踊り場で一時限目の授業をサボった保健委員の岩下が風紀委員といっしょに居た。やはり説教を喰らっているのかと見ると、そうではない、泣いているのは当の風紀委員の女の子だった。恐らく年上であろう彼女を泣かせるとは恐るべき女である。

 岩下がこちらを見た、にこりと微笑み、そのまま立ち去る。残されたのは私と泣いている風紀委員だが彼女もどこかへ立ち去った。なんだったんだろうか?

 私は本来の目的を果たすと教室にもどった。そこには岩下もいた、なにやらクラスメイトと話し合いをしている。教室にはまだ姫様は来ていない。そろそろ授業の時間なのに、私は何かあったのかと、また心配になるが、探そうかと思った矢先、姫様は戻ってきた。

 抱えていた荷物を教壇の上に置くと、彼女はすぐに自分の席に戻っていった。メモを取り出しなにやら走り書きをした。そこに岩下が来て彼女に話しかける。姫様は両手を上に揚げた、その瞬間岩下はブレザーを彼女から剥ぎ取り、ブラウスの左袖を下ろし白く細い腕を露わにさせると痣に湿布を貼り付けた。すぐさま袖を上げブレザーを戻す。この間わずか三秒。早業にもほどがある。姫様は何が起こったのかわからない様子で、ぼけっとしていたが、岩下は意に介さず、彼女の机に湿布薬を置く。姫様は小さな声で。

「ありがとうございます」と言った。クラスメイトに敬語は要らないと思うんだけど。

 それにしても岩下さん、ちゃんと保健委員の仕事をしたんだ、と素直に感心する。そして、地理の先生が来た。

 二時限目の授業を告げる本鈴が鳴り、授業は開始された。びっくりしてる姫様がかわいくて授業が耳にはいらないのは、どうしたものか、と悩む。岩下は授業なんてまったく聞いていない様子で携帯端末をいじり倒していた。サボってもサボらなくてもどちらでもいっしょじゃないかな?

 今日はやけに携帯端末をいじるクラスメイト達、何かが起きてるのはわかるが、その輪の中に入れてもらえないことを、私は苦手な地理の授業を受けながら、ちょっと寂しく思った。


……………………………


 何が起きたかわからなかった。岩下に「ハーイ、バンザイしてー」と言われ、素直に従った。その後、腕には湿布が張られ、机に幾枚かの湿布がいつの間にか置かれていた。

 まるで魔法のようだ、と心の中で思いながら、携帯端末をいじる岩下を見た。何故彼女は私に湿布を張ったのだろうか? 保健委員としての責務だろうか、ならば何故、先の時には私を保健室へ連れて行こうとはしなかったのか、彼女の謎の行動に困惑しながら地理の授業を受けた。いつもならば、何のことはない授業であるが、今日は実にもどかしい、早く終わってほしいと切に願っていた。こんなことは初めてだ。走り書きをしたメモを見つめながら思った。

 『Laban Shrewsbery』彼が何者であるか突き止めねばなるまい。私の妄想がただの妄想であるのか、それともどこかで聞いたことを夢の中で、深層心理で統合し再び浮かび上がらせたのか、それとも、不可思議な神秘の業で私が彼の大司祭たちの夢を見たのか、彼が全てを知っていそうな気がしてならない。図書館で効率よく調べるにはどうしたものか思案しつつ授業を受けた。


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