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少女の仕事

 私の所属している修道院は承知のとおり学園の付属なので教区は無いが、他の地区とは多少交流がある。

 その為今回のように修道院に誰も居なくなるときには、他の区の教会にお世話になっている。

 通常なら企業の転勤のように、住む修道院が変わることもあるが私にはそれが無い。

 要するに将来の私は、柊修道院、セントホリィ学園に就ききりになるわけだ。

 朝、お世話になっている教会の礼拝室で日課の祈りを奉げていると、二人組みの親子らしき人物が現れたのだ。

 彼らは叔父と姪で今日の清掃作業のボランティアに参加する方々だった。

 叔父のほうは白いジャージ姿でがっしりとした体形を包み、何らかのスポーツを嗜んでいるような身のこなしだった。

 姪の方は黒いジャージで、全体に何らかの魔方円が描かれている。文様からするとソロモンの召喚円のようである。

 この二人、姪のほうが曲者で天使やら終末予言やらを適当に改変し、それがさも当然であるかのように振舞ってきたので、諭したのだがちょっと調子に乗ってしまった。

 少々、出鱈目な話を胸を張って主張されたところで、そんなもの聞き流してしまえばよかったのだ。

 あそこまで相手を否定するようなことを、言うべきではなかった。修道女がそういったことをするのは喧伝が悪い。

 その為、なんとか相手を宥めようと聖書、天使等について出来るだけわかりやすく教えたつもりだったのだが。

「ふえぇぇ……」

 逆効果だったようて、泣きそうになる目の前の黒いジャージ姿の彼女を見て、失敗したと思った。

 しかしながら、周囲の人々は私の前半部分の話を聞いていなかったようで特に責められることは無かった。

 逆に教会の神父やシスターもほめてくれた。ちょっと気恥ずかしさと罪悪感で、そっぽを向きながら掃除の時間であることを示し、話を強引に流した。

「うううう……まけた……」

 どうやら、彼女の中では勝負事となっていたようだ。次に来たときのため柏原に神学を教授願おう。

 修道女が一介の学生に負けたとあっては、沽券にかかわる。

 掃除は屋内、屋外の二手に分かれる。一番初めに来た叔父と姪の二人とシスター、学生数名は屋外で、私と神父、商店街の方数名は屋内で掃除をする。


「なんだかネットゲームってやつですか? 月に五百円だからってやらせたのが間違いだったなぁ」

「そうだねぇ、ウチもそれにだまされちゃったよ」

「いやあ、ウチの息子も勉強サボってばかりでねぇ。ゲームばっかして、そろそろ取り上げてやろうかと思うんですわ」

「ウチもですわ、まったく。みやちゃんの爪の垢でも煎じて飲ませたいくらいですよ」

「みやちゃん見たいに、まじめだったらねぇ」


 商店街の方々が喋りながら広い礼拝室を掃除をしている。みやちゃんとは私のことだ。正直、恥ずかしい。

 あまりの気恥ずかしさに私は部屋の隅のほうへ行き、細かいところの掃除をする。

 修道院ほど手入れはされていないようで、部屋の隅には埃がかなり溜まっていた。

 箒で掃き清め、床をモップで水拭きしていく。

 無論その隅にある、少量の掃除用具を入れたロッカーもだ。

 掃除は嫌いではない。清潔にするのはとても大事だし、整理整頓は小さいころからきつく言われているので習慣となって身に染み込んでいる。


「あの事件は怖いですねぇ。殺人未遂だとか」

「あれ、何でその子は路地裏に居たんですかねぇ」

「あそこバス停への近道なんですよ」

「へぇ、そうだったんですか。知らなかったなあ」

「じゃあ、犯人は待ち伏せしてたってことですか? 怖いなぁ」

「いや、なんか猫を殺してたとかで、それを止めようとしたらしいです」

「やさしい子やったんやねぇ」

「そういえば、みやちゃんの学校の子だったねぇ。みやちゃんは何か知ってるの?」


 彼らが事件の話をしている中、突然話を振られて当惑した。いくばくかの逡巡のあとこう答えた。

「はい、私の同級生でした。かなりの猫好きで、多分野良猫に会いに行って巻き込まれたんだと思います。お見舞いに行きましたが……」

 そこで私はこれ以上話すべきか迷った。あれは実際に見なければ信じないだろうし、これ以上言いふらすのは良くないと思ったのだ。

「…………」

 私の沈黙について彼らは、北越のことを私の友人だと思ったのだろう、先ほどの勢いは消えうせていた。

「命に別状はないです。元気で話も出来ました」

 最低限の補足をしておく。

 幾分雰囲気は和らいで、皆「死ななくて良かった、早く怪我が治るといいね」などの感想を述べ、その後は特に会話もなく清掃作業に没頭していた。


「おつかれさまでした~」

 教会の清掃はつつがなく行われ、何事もなく終わった。

 ボランティアの方達に手伝っていただき、予定よりもかなり早めに終了した。

 〆の挨拶が終わり、人々が帰りだしたとき、声をかけられた。

「柊さん、おつかれさま~」

 いつの間に来ていたのであろうか、私の目の前に岩下が現れた。

「こんにちは、岩下さん。おつかれさまです。屋外の掃除をしていたのですか?」

「うん、途中から来てね。お母さんと一緒にね」

 その視線を向けた先には、巨躯の女が居た。

 その肌は日焼けして浅黒く、鍛え上げられた身体に似合った服装は灰色のニッカボッカのズボン、黒のタンクトップといういでたちで、その顔には見覚えがあった。

「こんにちは、日野さん。シュリュズベリィ教授はご一緒ではないのですか?」

 そう、かの盲目博士の助手、日野晶であった。いつの間に日焼けをしたのであろうか? 現在の科学ならば、一時間程度で肌を焼くことも出来る。それをする理由は不明ではあるが、来日の目的は美容も兼ねていたのかもしれない。

 しかし、驚いた。彼女が母親で、しかも岩下が娘だとは思わなかった。世間は狭いものである。

 だが、目の前の人物は一瞬、怪訝な顔をして聞き返してきた。

「…………誰だって? 日野って言ったか?」

「はい、日野さんではないのですか?」

 日野らしき人物は、ちょっと不機嫌になりながら、こう答えた。

「ああ、違うよ。日野は旧姓、そんで晶は私の妹だよ。私は姉の由梨だ」

「あたしのおかーさんだよ」

 岩下親子が口々に言う。

 彼女が姉妹であったとは意外である。

「あいつはアメリカの大学で、なんか助手やってるとか言ってたけど、日本に来たのかい?」

「はい、ラバン・シュリュズベリィ博士の助手としてこられました」

 ちょっと怒っているような雰囲気で私に聞いてきた。

「ほう、そうかい。こっちに来たなら挨拶くらいしろっての!」

 どうやら、日野はこちらに来ることを伝えていなかったようだ。

 しかし、シュリュズベリィ博士と何をしているのだろうか?講演はもう終わったのだし、することはもう無いはずである。

 彼女の愚痴を聞き流しつつ、思考していると不意に、門のほうから驚きの声が聞こえた。

「あっ!! 姉さん!?」

 うわさをすれば何とやら、件の彼女は現れた。傍らに黒セーラー服の少女を連れて。

 いたずらが見つかった子供のようにうろたえる日野。

「家に来な! 説教してやる!」

「いたい! 姉さん! 耳引っ張らないで!」

 ……何をしに来たのであろうか? 日野は姉に連れて行かれた。

 残ったのは淵田の姪である光だけである。

 彼女は呆れ顔でため息をつきながら。

「…………私たちの事、警戒してる?」

「うん、してるよー」

 母と一緒に帰ってはいなかったのか、岩下が勝手に答える。

「……貴方とは話してないの」

「柊さんに何の用なの?」

 淵田の話を無視して聞き返す。

「貴方に言う必要がない」

「……柊さんの体のこと?」

「…………なんでそう思うの? 違うわ」

「じゃ、あたりだ。柊さんに何かする気だ」

「あんた……いい加減にしないと、怒るわよ」

 段々と感情的になる淵田光に対し、岩下は涼しい顔で受け流していく。

 その涼しい顔のまま、不気味にまくし立てていく。

「じゃあ何? 作文が上手かったからセンセが呼んでる? でもそれなら二日あったよね。柏原のババアなら、経験を積ませるとか言って、お偉いセンセに会わせるでしょ?

 そのときに作文、もって行かせるでしょ。 あの人ならそうする。

 だったら、その時に話せるじゃない。 読んでなかったのかな、そのときは?

 それから事件で会えなかった? そんな事無いよね? お偉いセンセは事件に無関係だもの。

 もし何だったら昨日の夜にでも、叔母さんを修道院に向かわせればいいじゃない。

 そっちのほうが合理的、だって昨日は柏原センセがPTAとかで柊さん、多分一人だったでしょ?

 それなら泊まれるし、柊さんも安心じゃないの? 昨日は忙しかった? 夜なのに?

 ウチの学園って外部の人泊める宿舎あったよね。 古臭いけど豪華なやつ。 旧式の地方国立大学みたいだよね? 私立にあんな設備、いらないと思うよ? 事務が外部と人事交流するのでもないのに。

 外部から先生を招くときにしか使わないじゃない。 何で使ってないの?

 逆に柊さんをそっちに呼び出してもいいじゃない? 何でそれをしなかったの? 使ってたら呼び出してたよね? 

 何か用事あって外に出てた? 外出先で読んだの? それなら用事終わってから会えばいいじゃない?

 会うのを急ぐのは何故? 何故? 何故なの?」

「…………」

 怒りの赤い顔から一転、青い顔になった淵田は、無言のまま後ずさった。

 機関銃のような喋りだった。

「さあ、何故なのかな? 私は無関係じゃないよ? 来たのは私の叔母だもの。 貴方も同じような立場だよ?」

 その涼しい顔に貼り付けた笑みのまま、淵田に顔を近づけてこう言った。

「さあ、どうして?」

 ひたすらに不気味な岩下の姿に唖然とした。

 淵田光は小さな声で、確かにあの女の姪だな、と言うと次には、少し大きな声で早口で言った。

「……後でまた来る」

 そのまま走り去るように帰っていった。

「むー! けち! 教えてくれてもいいじゃない!!」

 先ほどの張り付いた笑みは消え、プンスカという擬音が似合いそうな怒り方をしていた。

 そして、クルリとこちらを向いた。

 私は先ほどの岩下の態度を思い出し、ビクリと身構えた。

 しかし、私の警戒など露知らずとばかりに、明るい声で話しかけてきた。

「ねえ、柊さん。何かあったら、ちゃんと言ってね。助けてあげる」

「…………」

 何も言えなかった。こいつの頭の中身が知りたい。

 無言であったのを疑問に思ったのか、首をかしげる岩下。

 だが、次の瞬間には興味を失ったのか、私の後ろの集団に目移りをしていた。

 その集団は、先ほどの妄言の姪を含む集団で、同級生なのだろう皆、指定らしき緑のジャージを着る中で、黒いジャージを着て、小さなスポーツバックを担ぐ彼女は、少々目立っていた。

 来た時にはスポーツバックなど無かった、同級生達の荷物か、あるいは預かってもらっていたものなのだろうか?

 談笑しながら神父に近づき、礼拝堂で昼食をとる許可を得ると教会の中に入っていった。

 岩下はそれを見ると途端に無表情になり、彼らが入っていった教会の扉を見つめていた。

「柊さんは、この後どうするの?」

 こちらを振り向き訊ねてくる。正直、恐怖しかない。

 すべてを見透かしているのか、それとも狂気の理論を用いて論破をしているのか、わからない。

「私はこれから昼食をいただきまして、午後からは祈りと学習です」

 正直に予定を告げると、彼女は興味が無くなったようで気だるげに言う。

「ふうん、そっかー。じゃあ月曜日にね~」

 手を振りながら帰っていく。

 先ほどとは打って変わってダラダラとした態度が、あの不気味な会話が幻であったかのように錯覚させる。

 正門から出て、姿が見えなくなるまで動けなかった。

 彼女のあの変容振りを思い返し、身震いしながら教会の中に入っていった。


……………………………


 教会の中に入ると、礼拝室が最初に出る。

 いかにも教会という古典的なこの部屋は、四十人は収容できるであろう広さと長椅子を持っていた。

 その長椅子には数名の女子がキャッキャと騒ぎながら食事をしている。

 弁当を食べているようだ。

 そこの中心には少々困惑気味な、例の姪御が居て、周りの人間が囃し立てているように伺えた。

「それじゃこれ食べてみて~」

 なにやら楽しそうにしているようなので、そのまま奥へ入り食堂へ向かう。

 廊下も先ほどの掃除で磨き上げられており、薄く洗剤のにおいがする。

 最奥より一つ手前のドアが食堂である。

 中ではシスターと神父が食事を並べていた。

「柊さん、食事の準備が出来ましたよ」

 私も食卓につき、全員でお祈りを行い昼食となった。


「柊さん、大変申し訳ないのですが、今日は夕方に買出しがありますので、お留守番をお願いします」

「はい、わかりました」


 特段、何かあるわけでもない、当たり障りの無い会話を行いながらの食事であった。

 食事が終わり、片づけを手伝いを終わらせ、祈りを行うために礼拝室に向かった。

 そこにはようやく帰る女子中学生たちの姿があった。

 姪御はすでに帰って今って居るようで、そこには居なかった。

 彼女たちは私の存在に気づくと、挨拶をしてにこやかに帰っていった。

 私は気を取り直して祈りを行う。


……………………………


 祈りの後、予習復習を済ませ、夕刻、教会の礼拝室内に私は一人佇んでいた。


 夕日の入る室内はステンドグラスの鮮やかな色が、赤のフィルムを重ねたように染め上げられている。

 この部屋には誰も居ない。神父とシスターは買出しに出ていて、私はその留守番である。

 この時間以外だと魔術を練習する機会は深夜に行うよりほか無い。

 ゆえに私はその準備を行った。逸る気持ちを抑えるのが困難であったが、どうにか心を落ち着け魔術の所作に入る。

 自身の左手の平を水平に上げ、見る。右手の人差し指で左手のひらに三角を書く。

 円ではない、円は守護の陣である。三角の陣が召喚、あるいは喚起の陣となる。

 鋭角の世界から魔は入り込み、一切の角のないもので守護を行うのが召喚魔術であるという。

 少なくとも、彼から教授された魔術では、だ。他者の魔術がどうかなど、知る由も無い。

 私は銀鍵を発動させ、門を開く。

 すると手のひらから、握りこぶし大の赤々とした炎が出現した。

 音もなく燃えるそれを様々な形に操る。

 炎を人の形にし、手のひらの上で操り人形のごとく躍らせてみた。

 次に鳥の姿に変え、室内に放つ。炎で形作られた鳥は音も鳴く飛び回り、私の手元に戻る。

 鷹匠のように左手の甲に乗せ、しばし、その仕草を楽しんだ後、消した。

 音もなく消え、痕跡さえも残らぬ左手を見て、私は自然と顔が緩んだ。

 魔術が使える。それは私にとって非常に喜ばしいことだ。

 何に使うか等は考えていないが、使えるということだけで十分に満足だ。

 宗教的に言えば、禁忌そのものの行為であるが……いや、チクタクマンとて神である。

 神から加護を受け取って何が悪い?

 神の使徒として、使命を全うするのであれば、それはそれで信仰に適っている。

 名前をつける事憚れる神を信仰するのならば、彼がそれであっても問題は無いだろう。

 千の無貌、いうなれば総て偽名であり、ニャルラトホテプの名すら、本当の名であるか疑わしいのだ、それは名が無いのと同じ事だ。

 なれば彼こそが、我らの信仰する神と言うべきだろう。

 少々傲慢な考えだが私の信仰に彼が答え、導き賜れた。そういうことだ。

 今まさに、己の信仰をさらに邁進することを、誰に言われるでもなく、己自身で決めた。

 そう、修道女としての自覚をさらに深めたのだ。そう思うと自然に体が祈りへと動く。

 手を組み、跪き、祈る。体に染み込んだその仕草は、心にまで染み込んでいくかのように、私は歓喜に包まれていた。

 聖句を唱え、ひたすらに祈っていると、不意のゴトリという音が聞こえ、私は身構え、警戒した。

 ガタガタと大きく、何かが動く音が聞こえた。振り返るが誰も居ない。入り口も閉じている。

 私は神経を研ぎ澄ませ、音の場所を探る。

 恐らく見られたであろう、魔術を行使する姿を。口封じをしなくてはならないかも知れない。

 別に殺すわけではない、言いくるめるだけだ。手品の練習だとでも言えば大抵納得するだろう。

 そう考えながらあたりを見回すと、隅にあるロッカーが突然、ガタンという音と共に扉が開いた。

 その音に私は、すばやくロッカーに近づき音の正体を確かめた。

 ……なんだこれは?

 一瞬、私の頭が状況を把握できなかった。いや、ありえないと思った。

 なぜならそこに居たのは、下着姿の少女、例の一番乗りの姪御が目隠しをされ倒れていたのだから。

 タオルのようなもので、モップに結わえられている少女は、自力でもがいて、拘束を抜け出していた。

 拘束するというより、ロッカーの中に立てかけておくというような結わえ方だった。

「あうぅ……ぐすっ……だれにも言わないでぇ……」

 無論、そのような要請は却下である。

 まずは外出中の神父に連絡するため、彼の携帯端末の番号を思い出していた。


……………………………


 数時間後、礼拝室内は沈黙に包まれていた。

 室内には、彼女……古馬楓(こばかえで)、彼女の両親と刑事である叔父、神父とシスター、そして私がいる。

 誰も、何も話さず、三十分が過ぎ去っていた。

 最初、私の連絡で神父たちが急ぎ帰宅、シスターが付っきりになり神父が両親に連絡を行い、両親と叔父が到着。

 警察沙汰はやめてと懇願する彼女ではあったが、何があったかを、いや、『誰が』やったかを彼女は言わなかった。

 だが、叔父には見当がついているようだ。

「あの時、一緒にいた子達ですね。あの学校指定ジャージは同級生ですか?」

 ようやく、口を開いた叔父はやわらかく尋問している。

「…………」

 震えながら怯えた目で叔父を見ているが、何も言わない。

 それに罪悪感を覚えたのか、叔父は何もいえなくなったようだ。

「何とか言ってくれよ! 何があったんだ? 誰がやったんだ?」

「病院に行った方が……」

 両親が口火を切ったがそれをさえぎり楓は言う。

「何も聞かないで……変なことはされて……ない」

 震える声で、ささやくように言ったその姿は、早朝の私に向かって妄言を吐いた姿を想像できないほどであった。

 そして、また沈黙が落ちる。

 神父とシスターは遠慮しているのか、彼らの会話に入っていくことが出来ない。

 時折、神父たちが宥めるように話しかけても、反応は芳しくなく、聞き役に徹して状況を打開する機会をうかがっている。

 数十分ごとに似たような会話が繰り返されては沈黙する、という繰り返しであった。

 埒が明かない。

 楓は話したくない、両親と叔父は何があったか知りたい、神父とシスターは会話に入れない。

「…………」

 手詰まりであった。

 私は孤児であるため、家族というのがどういうものなのかわからない。

 だが、修道女として私には出来ることはある。

「このままでは夜が明けてしまいます。少々本来の目的とは違いますが、あちらを利用しましょう。顔を見られながらだと、話しづらいでしょう?」

 そういって私は告解の部屋を指差した。

 続けて言う。

「楓さん。あの部屋の中で話したことは、誰にも言いません。神に誓います」

「…………」

 悩んでいるようだ。

「別に、何があったかなんて話さなくてもいいですよ。何か話したいことがあれば、それを話してください」

「…………聞かなくていいの?」

「無理に聞きたいとは思いません。あなたが話したいことでいいのです」

 彼女に近づき、言う。

「なんなら、朝の続きでもかまいませんよ? どうです?」

「う……それは……」

 確かに、準備も何もしていないだろうから、続きを行うのは気が進まないかもしれない。

「嫌なら話さなくてもいいですよ? 無言ならこちらから話しかけますから、答えたいのだけ答えてください」

 幾許かの逡巡の後、彼女はうなずいた。

「うん、わかった。ちょっと話をするだけなら」

 そして、ゆっくりと告解の部屋に入っていった。

 パタンと少し分厚い木製の瀟洒な飾りのついたドアが閉じた。完全な防音で室内は、外部の音が聞こえないし、内部の音も聞こえない。

「……ありがとう。大変申し訳ないんだけど、一つお願いを聞いてくれるかい?」

「いいえ、誰も入らせません。私一人のみです。話も漏らしません」

 親の頼みであろうと、決してそれだけは認めない。

 私は彼らがさらに何事かを言う前に、背を向いて歩き、彼女の入った告解の部屋の反対側に入っていった。

 いや、入る前に彼らを見て一言。

「拷問されても喋りませんよ? 彼女が話しても良いといったこと以外は、ですが」

 釘を刺しておかないと恐らく、聞き出そうとするだろう、それはさせない。

 何かをいいたそうにしている彼らを彼らを尻目に、私は部屋に入った。


……………………………


 告解の部屋。要するに己の罪を話し、許しを得る部屋である。

 自白を強要するわけでないし、今のように罪なきものから、供述調書をとるようなことをする部屋でもないが、中での会話は絶対に外に漏らさない約束である。

 こちらも古典的な告解の部屋で、木の格子を組み、濃い黒の網をはさんだ窓が一つと木製の椅子が一つ、筆談用に受け渡しのポストのような窓が右隅にあった。

「その扉は鍵がかかります。どうぞ鍵をかけてください」

 そう言って私は返事を待たず、自分の入ってきた扉にも鍵をかける。

 遅れて返事があり、カチャリ、カチャリと二回音が鳴った。二回目は彼女が鍵をかけた音だ。

「それでは、どんな話をしましょうか?」

「うん」

 席につき話しかける。

「あの……柊さん」

「はいなんでしょう?」

「柊さんは、普段どんな生活をしてるの?」

 私は簡単に修道院での生活を説明した。

 朝早く起きて学習の後、祈りと朝食、沐浴を済ませ学校へ行く。

 学校から帰れば、ボランティア活動か学習の後、祈りと夕食、その後は自由時間だが、私の場合は学習に当て、沐浴後、就寝である。

 休日もそれに準じる。学校がボランティアと学習になる程度のものである。

 そんな話をすると彼女は押し黙ってしまった。

 椅子のきしむ音がその場を支配しかけたとき、再び彼女が口を開いた。

「そうなんだ……大変じゃないの? そんな生活」

「選択肢はありませんでしたから、しかたありませんよ」

「えっ?」

「孤児なんですよ。たまたま、運営者が両親だったというだけです。遺言で引き取られたのが修道院ってだけです」

 前学園長が私の親だったということだけだ。あとを継いだ淵田は、あれでもかなり真面目に仕事をしているらしい。

 無論、少々ヒステリックで学生からは評判のよくない柏原院長も、教鞭をとりつつ修道院の運営を行っている優秀な人物である。

「そうなんだ……私なんかよりずっと偉いよ」

 衣擦れとキイという椅子の軋む音が聞こえる。

「私なんか……私なんか……ぐすっ……あぅ」

 鼻をすする音とすすり泣く声が聞こえる。

 私は何も言わず、彼女が落ち着くのを待った。

 やがて、泣く声はとまった。

 楓はとつとつ、と話し始めた。

「柊さんは……偉いよ、そんな生活」

「偉くなんて無いですよ」

 少し照れくさくなった。

「楓さんは普段どんな生活を送られているのです?」

 だから逆に聞き返した。

「ん、私なんてそんな大したことないよ」

 彼女の普段は一般家庭の女子といったとこなのだろうか?

 朝は寝坊気味に起き、母の作った朝食を食べ学校に、帰ってきたら漫画とゲームを夜中まで。

 深夜アニメ鑑賞で授業は居眠りに、日曜日は小物を買いに商店街まで。宿題は大体すっぽかす。

 堕落した生活のように思えるのは、私の生活が厳しいからだろうか?

「柊さんは、わがままなんて言いそうにないね。それだけでもすごいよ」

「……私だってわがままを言わなかったってことは、ないですよ」

 一呼吸置いてゆっくりと語る。

「むしろ、わがままでしたよ。級友たちがゲームや漫画の話で盛り上がっても、会話に入れないのはやるせなかったですね」

 だから小学三年の時に不満をぶつけて夏休みに『家出』をしたのだが、大事件になった。

 逃げ出した先が悪かった。ボランティア活動で清掃中に見つけた小さな化学系の廃工場だったのだが、薬品が適切に廃棄されていなかったのだ。

 事件としては、不法投棄の薬品が化学反応で発火したことになっており、公式にも事故として扱われている。

 運よく爆発は逃れたが、その姿を目撃されて放火したように思われたのだ。

 そして、柏原の拷問めいた『お仕置き』が始まった。

 後にこの誤解が解け、お仕置きは終わり、お小遣いをもらえるようにはなったが……。

 右胸に手を当て、当時のことを思い出して身震いする。

 柏原はこのことを誰にも言わなかった。彼女と私だけの秘密である。いや、これからは古馬も秘密の共有者である。

「ねえ? お仕置きってどんなのだったの?」

「あまり聞いて面白いものではありませんよ。なにせ放火魔と思われていましたから」

 飢餓のマスクをつけたまま昼はコウノトリに、夜は地下室でジベットの中であった。

 途中からはずっとジベットになった。定期的に出されて、マッサージを受けていたが、時間の感覚は完全に消失していた。

「……コウノトリって何? ジベットって何?」

「ああ、中世ヨーロッパの拷問具です。どちらも拘束具ですよ。コウノトリは体を折り曲げて固定するんです。体がしびれて苦しみます。ジベットは言うなれば人型の檻です。まったく身動きできません」

「うあぁ……」

 絶句している。

「虐待とかで訴えないの?」

「訴えてどこに行くのです? それにあの時は私のせいだと、と思っていましたし」

「なるほど、いきなり爆発したらそう思うね」

 ずいぶんと彼女も饒舌になってきた。

 私も他には言えないような恥ずかしいことや。些細な失敗談などを語ってしまっていた。

「……おかしいですね。告解を受ける側が告解しているなんて」

「あははは。 そうだね」

 笑いあった後、しばらく沈黙が訪れた。

 そして、不意に彼女から意外な言葉が放たれる。

「どうして、ロッカーの中に居たのか話すよ。一緒にいた子達のこともね」


 ことの始まりは、一年前でホンの些細なことだったらしい。

 『幻夢境』というネットゲームが出始めたばかりだった。

 当然、皆も夢中になりそのゲームをやる。

 準備するものは実に簡単だった。ネットへの接続環境と毎月五百円。

 この程度ならば今時の親ならば用意してくれるらしい。

 クラス中とまでは行かないが、彼女の友人グループは楽しんでいた。

 だが、それは一ヶ月ほどで終わりを告げる。

 彼女たちがゲームのしすぎで昏睡し、入院したのだ。

 一週間ほどで目が覚め、退院したがその後は『幻夢境』を遊ばなくなっていた。

 そして、彼女たちは楓にゲームをやるようには勧めてくるのだ。

 それが妙に気味悪く、楓はゲームを退会し別のゲームを始めた、そこからの一年は地獄の幕開けだった。

 嫌がらせといじめの連続だったらしい。詳しくは話したがらなかったが、どうやら今日のようなことが度々あったらしい。

 流石に半裸でロッカーに閉じ込めはしなかったようだが、それに近いことはされていたらしい。

 ちなみに彼女のジャージは、ロッカーの上の水の入ったバケツの中に入っていた。

「もう訳が解らないよ。前はあんなに魔法とかラノベとかそういうことで話とかしてたのに……」

「まさに、わけがわかりませんとしか言えませんね」

 だが解ったことがある。『幻夢境』は黒だ。このゲームが昏睡を引き起こしている確率は異常である。

 どういうゲームなのか彼女から聞き出せれば、チクタクマンから授かった使命を全うできる。

「ところで、その『幻夢境』というゲームはどのようなゲームなのですか?」

「そういえば柊さんはゲームとかやってないんだよね? そこから話し始めるよ」

「お願いします」

 説明のよると『幻夢境』は、MMORPGというものらしい。不特定多数の人間が仮想世界で互いに干渉しあいながら生活を行うもの……らしい。

 その中で割り振られた資源を有効活用しながら複数の所持資源を増加させる。

 この場合の資源とは当該ゲームのキャラクター情報、アイテム、資金等のことを言う。

 それらを他者との競合、または協力により資源を獲得してい過程を楽しむものらしい。

 ゲーム使用者は、キャラクター情報の制限された操作のみを行うところが重要のようだ。

 その制限のなかで有益な行動を行うと制限が解除され、さらなる行動が可能となり資源の増加を効率的に行うことが可能となる。

 ただし、キャラクター情報は無限に増大出来るわけではなく、いくつかの制限があり、行動をとるために有益な資源を組み合わせ、効果の増大を図ることが、重要であるという。

 また、零和有限確定完全情報遊戯ではなく、勝者が複数人出現しうるため、仮想世界内では競合よりも協力体制の方が圧倒的に多いらしい。


「何を言ってるのか理解出来ないよ……」

「昔読んだ論文等を元に解釈しましたが……」

「そ、そんなに難しく考えないで!!」


 ここからが重要なのだが、このゲームの地名情報等が夢の世界に非常に酷似しているのだ。

 どのように情報を得たのかは知らないが、少なくとも夢の世界に行くことの出来た人物であろう。

「製作者の氏名、年齢等は公開されているのでしょうか? 資本関係や会社情報等は基本公開されているでしょうが……」

「うんとね、このゲーム個人で運営してるゲームだよ。なんかサーバーを借りて、WEB決済代行でやってるみたい」

 意外な答えがでた。てっきりそこまでのゲームであるなら、巨大資本による開発かと思っていたが……

「それで、製作者のハンドルネームがチクタクマンだったかな? 三年くらい前からかな? 口コミでちょっとづつ広がったみたい」

 チクタクマン……彼が関わっているのか? さらに詳しく聞いてみることにする。

「なんか地方の怪談からとったって書いてあった。 子供をさらう怪人なんだって」

 既視感がある、並列世界にも似たような話があった。どうやら彼は関係が無いらしい。

 だが、チクタクマンを名乗るものが居るというならば、その存在は消しておくべきであろう。

 その名はすでに這いよる混沌のものだからだ。後先など関係は無い。

 人如きが神に逆らうなど、不遜である。

 当面は製作者を突き止めることが目標のようだ。


「もう、学校に行きたくない。どこにも私の居場所なんてないよ」

 言いたいことはすべて言い切ったのだろう。ため息と疲れた声が聞こえた。

「どこか別の場所に行きたい。すべてを捨ててもいい」

 彼女は十分に情報を提供してくれた。もし万が一彼女が『幻夢境』を使用し、昏睡したならば厄介なことになる。恐らく人格を変える何らかの要素が、それに含まれている可能性があり、彼女が餌食になった場合、私の今後の行動に支障が出る。

 よって彼女を隔離、保護しなければならない。

「ちょうどいい場所があります。私の修道院に一時的に来てはいかがでしょう?」

「え? いいの?」

 彼女は意外そうな声を上げた。

「無論です。もともとそういう場所ですから。 ただし、ゲームも漫画も娯楽もありませんよ? 先ほど言った私の生活をそのまま体験してもらいます」

「う……」

 どうやら、何も無いというのが躊躇させるようだ。

 ずいぶんと悩んでいるようだが、やがて意を決したように答えた。

「うん、ちょっと修道院で暮らしてみる。ぜんぜんだめかも知れないけど、がんばるよ。 よろしくね」

「そうですか、こちらこそよろしくお願いしますね」

 そう言い席を立つ。ほぼ同時に鍵を開ける音がした。


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