少女は不運か幸運か。
「あ~もう! うるさい糞猫だな! 気絶させっぞ! パラライズ!」
そう叫ぶと光の檻に閉じ込められた猫達が次々に、くたり、くたりと倒れこむ。
その悪夢的光景になんとか自分の手足を貫いてる矢が抜けないかと、私は必死にもがくが、それはいたずらに傷を広げただけだった。
「ごほっ! ごほっ! げふっ!」
何度も殴られたお腹が痛み、激しく咳き込む。
しかし、そんなことはお構い無しに尋問を続けてくる。
「んで、答えは?」景山がナイフを弄びながらイライラした表情でみてくる。
答えない、答えてやるものか。こいつらに何一つ渡さない。
矢に貫かれ磔にされた四肢の痛みは大きすぎて感覚が麻痺し、動かそうとしても思うように動かない。
「答えないってことはさぁ、いたぶられるって理解してる?」
イラついた表情が反転し、意地悪な笑みを浮かべながら言う。他のものも同様だ。
しかしそれは一つの暗黙の約束が出来たも同然で、私をいたぶる限り猫たちには手を出さないということだ。
「それ……で…………ごほっ!……気が……済むんげふっ!……なら……やり……な…………さ……いよ」
私は咳き込みながら途切れ途切れに言った。視界が狭い、痛みはないけど体が寒い。
「はん! そうかい! んじゃ遠慮なくさせてもらうぜ」
そういいながら私の前に躍り出る景山。
「あひゃひゃひゃひゃ!」
景山が狂った笑い声でナイフで私の頬を裂く。流れ出ているであろう血はぬるりとして汗と何も変わらない。その痛みのない感覚が自分に現実感を与えない。
私は夢を見ていたのか?
「ヒュウ! 猫の髭みてぇだ! あひゃひゃひゃ!」
「次はあたしね! さあ!」
まるで最高の遊びだといわんばかりに広げた両手にはそれぞれに革の棒が握られていた。
「ごふっ! ごふっ!」
二つをふるい肺の中の空気をたたき出すかのように滅多打ちにしてくる。
「あはははは!」
革の叩きつける鈍い音と狂った笑い声とが響き渡る。
息が苦しい。呼吸が出来ない。
彼等はなぜ、こうも笑い顔でこんな外道なことができるのだろう?
二年前から彼等は変わった。それは認めるけど、目標はあくまで私で、誰でもいいわけではなかった。
無差別に小動物を残酷に殺し、不可思議な技を使う。あまつさえ猫の神の使わした者達さえ圧倒する。
「皆! ちょっと離れて!」
離れたところから声がして、カチャリと弩を構え矢を放つ音がした。
「あぎゃ!」
失われたと思っていた痛みが再び私を襲い思考が中断する。腹部に矢が刺さっている。
「命中~! あははは!」
「おみごと! それじゃ次は俺だ!」
そうして仲良く玩具を公平に分けて遊んでいる幼児のように私をいじった。
私を切り刻み、突き刺し、叩き壊し、その度に奇声を上げ、はしゃぐ。
もうどれくらい時間か経ったかはわからない。うなだれた私の視界には赤い水溜りが映る。流れ出た血は相当な量だが、彼等はまだ猫達には手を出していない。
「いやぁ、でかい獲物は丈夫でいいな! あひゃひゃひゃ!」
視界がぼやけて誰かはわからないが、血走った目が私の顔を覗き込んだ。
意識が薄れてきた……ああ、もうだめだ。私はここで死ぬ。そして私が死んだときが捕らわれた猫達の最後でもあるだろう。
彼らがそうしない理由はない。これまで手を出さなかったのも私をただ残酷にいたぶりたかっただけだ。
走馬灯が見える。生まれてからこれまでの風景が影絵のごとく、ゆらりと焔の揺らめきと共に映し出される。
四歳の時、忙しくて中々一緒に居ることができない両親からの誕生日プレゼントの猫のぬいぐるみは私の宝物だ。一生大事にしよう。
五歳の時、遊園地で迷子になってピエロに脅えた記憶。抱きしめた猫のぬいぐるみは私の不安を紛らわした。
六歳の時、親友となる三角優華と出会う。彼女は転校したばかりで不安であったのだろう。私がそっと手を差し伸べるとおずおずと握り返してきた。
七歳の時、皆とアスレチックで遊んだ。最高に楽しい。皆、あだ名で呼び合い、これからもこんなに楽しいことが続けばいいなと思う。他愛ないおしゃべり、遊び、すべてが楽しい。
八歳の時、生ける屍をみた。中学に通う人形達。場違いなほど高い塀、四隅の監視塔めいた建造物、およそ中学校というより監獄といったほうが似つかわしいつくりの建物。それらを見たあと部屋で一人猫のぬいぐるみを抱え振るえる。あんなものに変わり果てるのは嫌だ。あんなところに行くのはいやだ。私は囚人ではない。
九歳の時、皆が敵になった。それは悪夢と同義ですべてが変わった。両親には言いたくない。心配されたくない。だから私がクラスの中で孤立しているのは私の猫に異様に執着する言動のせいだ。そういうことなのだ。野良猫のように自由がほしい。
草むらの中に教科書を隠されてしまった。見つけてくれたのは汚れた灰色の猫だった。タマと名づけ飼う事にした。その三日後、タマは居なくなった。知っている殺されたんだ。
十歳の時、冬に体育倉庫に閉じ込められた。寒さに凍える体に、どこから迷い込んだ猫はとてもとても暖かい。タマを思い出し泣いた。
十一歳の時、血の気が引いた。副理事の柏原という人から入学取り消しを本当にしていいのか確認がきた。ありえない。両親も否定する。この件はいたずらとして処理された。
柏原という人は修道院の施設長でもあるそうで、学校の決まりでセントホリィ修道院の施設長は理事か副理事を兼務するそうだ。きっと立派な人物なのだろう。
十二歳の時、春、誕生日と共に入学する。普段はめったに会えないお爺ちゃんも駆けつけてくれて、盛大なお祝いとともに私は生家を離れ、学園に向かった。その先では人形のように可愛らしい子がクラスメイトであるなんて! 驚きと喜びが一辺にきて幸せの連続だ。 その子は他人と深く関わろうとしていないし他のクラスメイトも距離を置いている。なんでだろう?
ああ、猫が! 猫が! 猫の国は本当にあった! 夢の世界だけど夢じゃない!
ああ! 本当に幸せだ。私の人生はこれから猫と共に歩むのだ!
「よし、時間もないし、お前に免じて猫は殺さないでおいてやる。感謝して苦しんで死ね」
場違いな声がおぼろげに聞こえる。うるさいなぁ。
「サービスで壁から外してやるよ。泥にまみれて死ね」
ふわり、浮いた感覚のあと地面に落ちる感触。視界に眠り込んだ猫達が映る。
だめだよ、そんなところで寝たら泥んこまみれになっちゃうよ。
「じゃあな。メジャーテレポート」
しんと静まり返った。
暗くて狭い空き地の血溜りに沈む、泥と血で汚れた制服姿の私が見える。
あちこち切り裂かれている、白いブレザーが血と泥で斑に染め上がっている。赤いリボンタイはほどけ地面におちていた。フリルのついたタータンチェックの赤いスカートは切り刻まれボロボロだ。
白いショーツも靴下も血で染まり赤い下着と見間違うほどだった。
手足は変な方向に折れ曲がっている。頭部からは血を流し、顔は目が腫れあがり殆ど開くことはない、左右の頬に三本づつ切られた痕があり、まるで猫の髭のようだ。
唯一無傷なのは猫からもらった首輪のみだ。真鍮で出来ているであろう鳴らない鈴のついた首輪は見ていると吸い込まれそうな感覚を覚える。
雨音聞こえる。雨が降ってきたんだ。ああ、起こさなきゃ猫ちゃん。あれ? 体が動かない。
ざぁざぁと雨音が大きくなる。あれ? 変だなぁあまつぶなんて見えないよ? なにも感じないよ?
暗いにゃあ、さむいにゃあ、ねむいにゃあ。
ああ、はやく行かにゃきゃ。猫のかみさまのところへ。
皆、おこして……だめにゃ、わたしがいってしらせにゃきゃ……
ああ、ねむい。おだやかな気分にゃぁ。
ああ、ねむい。ねむいにゃあ。
にゃあ、にゃあ、にゃあ、にゃあ、にゃあ、にゃあ、にゃあ、にゃあ。
にゃあ、にゃあ、にゃあ、にゃあ、にゃあ、にゃあ、にゃあ、にゃあ。
猫の鳴き声がする。それはとてもたくさんの声だ。
柔らかい毛で出来た津波が私を飲み込む、それは猫達の大群だった。
ふわふわと暖かい柔毛に包まれて私の意識は落ちていった。
天国に運んでくれるのだろうか。天国にも猫がいるといいな。
……………………………
私はたくさんの猫達に囲まれて天国にいる。そうとしか思えない。
暖かい日差しに穏やかなよそ風、春の草木の匂い。
そこは昨日の猫の神殿だ。私は猫の女神バテストの前で仰向けで横たわっていた。
見下ろす彼女が口を開いた。
「我等は密林の王の眷属にして、かの女神スフィンクスの忘れたることさえも語り継ぐものなりしなり。かつて我等の同胞を失いし悲しみにくれる幼き流浪のものは祈り、その無垢なる祈りを聞き届け屈強なる我が眷属を残忍なる夫婦につかわした。そのものどもの末路は語るもはばかれ、この地を縛る。何人も猫を殺してはならぬ、この地の掟は我等を神秘の帳で身を包み守護する。我等がこの地に居を構え幾百年のときを経た」
そよ風が吹く。なびく風は心地よく、横たわる私をくすぐる。
「その時の流れは現の世界と夢の世界に乖離を与え、目覚め人はもはやこの地を夢想することもあたわず。かつて、銀鍵を使いこの地に舞い戻るも凍てつくレン高原の先にあるカダスに向かいし者はレイク=ヴァドの玉座に君臨す、その友はセレファイスの長として悠久の時を夢の世界で過ごすものなり。」
猫たちが私の頬をなめる。そのくすぐったさがなんとも心地よい。
「しかして、今、現にて夢の世界を夢想するものが現れ、不可思議な技にて現の世に写したるなり」
猫たちが巻物を彼女の足元に運んできた。その巻物は古めかしいエジプトのヒエログリフが書かれている長い長い巻物だった。
「汝は邪教徒の企みを暴く助力のみならず、我の同胞をその身に代えて守り抜いた。十一の同胞を救いしことは、我が汝を守護するに相応しきものと認めるものなり」
女神バテストはその巻物を拾い上げ広げ、それを私に向けるとこう言った。
「我等が持ちし九つの命を汝に…………『日の下に出ための書』にて汝を蘇らせん。…………目覚むればそなたは我等が同胞、我等の言葉を知り、我等の技を持ち、我等の業を持つ…………」
彼女は不可思議な呪文を唱え始め、私の体に何かが入り込んでくる。それは暖かく全身をゆっくりとめぐり、まさに命が芽吹くかのようだ。
ごうっ!と不意に風が吹き、私の体は木の葉のように舞い上げられ飛ばされる。
そして私は宙をゆらゆらと私は沈む。体の感覚が戻ってくる。視界の暗さが、痛みが、寒さが…………
……………………………
「おい! 起きろ! しっかりしろ!」
誰かが私を呼びかける。痛む体が揺さぶられ掠れた声でうめき声を上げた。
「う……あ…………」
目を開けるとそこには見覚えのある男女が心配そうな顔をして屈み、私を見ている。
「あっ! シュウジ! 目を覚ましたよ!」泣き顔に近い少女が叫ぶ。
「よし! 動くなよ! 今、救急車が来るからじっとしてろ!」
男のほうはガサガサと音を立てながら私の体に何かを巻きつけている。
体を動かし見ようとするとすぐさま押しとどめられる。
「バカ! 動くなって! 体に矢が刺さってんだから死んじまうぞ!!」
シュウジと呼ばれた男の応急処置のおかげが痛みが引き、意識がはっきりしてきた。
私は泥の上ではなく、何かのシートの上に寝転がっているようだ。湿った土の匂いと木材の腐った臭いが微かにする。もう日が完全に落ち暗闇になり、私の近くにある何かの明かり以外の光源ないにも関わらずはっきりと周囲が見えた。
先ほどの空き地から動いては居ないようだが何か騒々しい。パトカーのサイレンの音が聞こえる。
動かせるのは首のみで、横を向くと傍らにバックライトを点灯させた携帯端末となにやら色々入っているビニル袋があった。
そしてその側で今でも泣き出さんといわんばかりの表情で立ちすくむ少女が一人。
三つ編みを解き緩くウェーブのかかった髪と、首にはジャラジャラと金銀のチェーンネックレスをつけ、白い十字架が印刷された、少しタブついた黒いロングTシャツに黒のミニスカートと白のニーソックス、ふちの厚いプラスチックメガネをコンタクトレンズに換えたそれは、学校で出会った姿と似ても似つかない一つ上の学年の風紀委員だった。
シュウジという男子高校生は、出会ったときのイメージどおりでお揃いらしい金銀のチェーンネックレスと黒い十字架の印刷された、白のロングTシャツ、下は黒のジーパンで実に遊び人といった風情だ。
何故、彼らがここに居るのだろうか?
猫達は無事であろうか?
様々な疑問は駆け込んできた警察官の声で吹き飛ばされた。
「おい! 君! 気がついたのか!? 何があったんだ?」
歳若い警官で顔には緊張の色が見て取れる。
私は端的に状況を話し、問うた。
「猫さんたちをいじめてるあいつらから猫をかばったにゃ。猫さんたちはどこかにゃ?」
一瞬、彼等の動きが止まった。私の語尾がおかしいとでも思ったのだろうか?
「あいつらのこと知ってるにゃ。あいつらの名前も住所も全部知ってるにゃ」
私はシュウジという男に押さえられながらも警官にこう話しかけた。
「わかった。少しだけ話してもらおうかな。無理はしないでね」
話し終えると警官は無線機を取り出して何やら話している。
その内容はどうやら応援部隊に情報を伝えているようだ。猫の死体が周囲にないかの確認と私が言った犯人たちの身元確認も指示している。
「にゃああああ。にゃあああ」しかし私はそのことに構わず、彼らが居ないか呼びかける。 しかし、呼びかけに応えるものは居ない。
やがて救急隊員が訪れ私を担架に乗せて運ぶ、刺さったままの矢を動かさぬように慎重に丁寧に。
私に励ましながら応急処置を的確に手早く行っていく。矢は病院に着くまで出血しないようしっかり固定され、既にしている止血を念入りに確認、補強していく。
病院へは五分もかからずについた。麻酔を打たれ緊急手術となる。
強制的な意識の消失に夢すらも見ずに私は眠る。
……………………………
はい? 彼女の容態ですか? とりあえずの危機は脱しました。
発見されてからの応急処置がよかったですね。あれがなかったら死んでいたと思います。
今のところ命に別状はありません。脳のほうはまあ、後遺症は出ると思いますが……検査してみないことにはなんともいえません。あと、腸の一部を切除しましたので食事制限もあります。頭部も打撲の痕跡がありますし、顔にも大きな傷が……残念ですが傷が残るでしょう。ええ、かわいそうなことです。
しかし、複数人で滅多打ちの上に全身をナイフで切り刻んで、おまけに弓矢で手足と腹部を打つとは……残酷なことをしますね。生きてるほうが奇跡ですよ。
それで柏原さん、彼女のご両親と連絡つきました? ええ、ええ、なるほど土曜日にこられるんですか……。
そんなに忙しいのですか? 彼女のご両親は……そうですか。大手銀行の頭取と参議院議員さんでしたか……それは忙しい方たちですね。
う~んそうですか……まあ、こちらで出来る範囲の検査は行いましょう。
学園長先生は警察ですか、なるほど確かに大事件ですからね。
え? はい、面会は可能です。まあ、そうですね。彼女の励ましになると思いますよ。
ええ、午後からのほうがいいですね。はい、それでは、お疲れ様でした。
……………………………
いやあ、まったく困ったモンですな。
はい、学園長先生。被害者はそちらの生徒さんで間違いありませんね。
ええ、彼女、猫を追っかけて事件に遭遇したみたいですから、例の小動物虐待の延長線上でしょうね。
まったく困ったモンです。犯人の手がかりなんてつかめやしない。
彼女の証言があまり当にならないのもまったく困ったモンです。
ええ、彼女の証言する人物はちょっと物理的に犯行が無理なんですよ。
いえ、アリバイっていうか、まあ電車で三時間の所を最低でも三十分で移動しないと無理なんですよ。暴行も加える時間はちゃんと含めてあります。それでその時間です。
向こうの署と学校に連絡とったんですが、まあそういうことです。あれだけ大怪我して失血していれば意識も朦朧としてくるモンですよ。まともに話せただけまだマシです。
ま、彼女自身の怪我と足跡から複数犯ってのは確実ですがね。
まったく困ったモンです。
ブンヤ対策もしとかないとダメですね。あいつらか大げさに書くのが大好きですから、気をつけないとあることないこと書かれますよ。
ほう、さすが一流校ですな。報道対策はバッチリですか。ええ、用心はしといたほうがいいですね。
ああ、いそがしいったらありゃしない。まったく困ったモンです。
発見者の方もそちらの生徒さんですね。いや、イマドキの若者って感じでしたね。
なんでもカップルでちょいと近道をしようとしたみたいで、そこで血まみれで倒れてる彼女を見つけたそうです。
あら? 会って話したんですか? そうですか、意外と礼儀正しいですよね。
へぇ、そいつは意外だ。風紀委員さんだったんですか。そうは見えませんでしたねぇ。
ま、通報とか応急処置とかしっかりしてましたから冷静だなとは思いましたが……
ほう、普段はそうなんですか? メリハリはきちんとつけてるんですねぇ。
よく、今時の若者はって文句がありますが、わたしらのときよりずっとましですなぁ。
まったく困ったモンです。
……………………………
朝から学校はこの噂で持ちきりだった。いや、事件というべきだ。
「ねえ、北越さん。入院したみたいよ」
「なんか重症みたいね。お見舞いとかできるのかしら?」
「それで、なんで襲われたんだ?」
「俺は猫と間違えられたって聞いたぜ?」
「ぶっ! そりゃねえだろ。いくらなんでも」
「そういや北越って親、何やってんだ? 自営?」
「さあ? フツーのサラリーマンじゃね?」
「襲われたってやっぱ性的にか?」
「そりゃぁ……なぁ……」
そこらかしこで噂話が絶えない。様々な憶測が飛び交い、ざわつく教室内で静かに机に向かうのは私だけだった。
ただ一人、噂に混じるでもなく、かといって予習するわけでもなくぼんやりとしていた。
古山から聞いた事件のあらましは柏原と学園長から直接聞いたもので、そこらの噂より精確で私は噂話に参加する資格もない。ただ私が情報を発表する場にしかならない。
それは彼女を食い物にするかのようで、私はそんなことをしたくない。
それに担任の金山から発表があると思うが、クラス数名が代表してお見舞いに行くことになっている。
私は修道院の代表として修道服姿で行く。そう古山から言いつけられている。
何気なく私はチクタクマンの腕時計を見る。
それは周囲の状況のなんら関係なくカチカチと時を刻む。それと同じで私には被害者がクラスメイトである以外はなんら関係ない。深い付き合いがあったわけでもない。
しかし、心が痛む。噂好きの古山から聞いた顛末はこうだ。
ネットカフェで遊び終えた彼女はおそらく野良猫をかわいがろうと路地裏に入ったらしい。
すると件の小動物狩りの犯人たちに出くわして猫をかばい、大怪我を負った。
そこにウチの生徒が近道をしようと通りかかり救助された。
あの語尾が猫の鳴き声の彼女は、本当の猫のように好奇心旺盛であったがゆえに事件に巻き込まれたのだ。
なんともいえない気持ちになった。彼女が襲われる道理などまったくない。
犯人に法の鉄槌が下ることを祈る。しかし、聞くところによると犯人は未成年者らしい。
未成年ならば最悪お咎め無しなどということも非常識ながらありえるのが恐ろしい。
この法制度はいささか理不尽と私は思っている。未成年と声高に叫べば免罪符のごとく無罪に近い処遇で野に解き放たれる。犯罪に年齢は関係ない、精神薄弱というならば大人でも精神鑑定をするのだから、そこに重きを置いて保護する必要があるのか?
「ねぇ、柊さん。ちょっといいかな?」私が思索に耽っていると後ろから声をかけられた。
「なんですか?」振り返り見ると吉原が私に向かい話を持ちかけてきた。
「柊さんは院長先生から何か聞いてないかい? 北越さんの容態とか」
私は彼を見据え無言で居る。彼の意図がわからない、彼女の好意があるのか、ただの好奇心か……
吉原は野次馬根性で聞いてると勘違いされたと思ったのか、あわてて首を振り。
「いや、お見舞いとかさ。行くなら修道院とかから話しがあるかな、と思って」
確かにそう考えるのは道理ではある。しかし、吉原がここまで積極的であっただろうか?
私の記憶ではどちらかといえば目立たないし、特に何かを主導して動くような人間ではない。
時々、理由が不明で休んだりはしているがその程度である。
私は正直に古山から聞いた彼女の容態と担任から話があるであろう見舞いの話を出した。
私の話を好奇心から聞いていたクラスメイト達が顔を青ざめさせながらポツリ、ポツリと漏らす。
「マジかよ……信じらんねぇ」
「切り刻むって……全身を?………嘘……」
「殺す気マンマンじゃねぇか……襲われたってホントにかよ」
「犯人捕まってねぇんだよな?」
「怖えぇよ! 集団で武器持って殺しに来るって……」
「意識あるまま、なぶり殺しとか……」
皆、北越の容態が思ったよりも深刻であったことに驚き、さらに犯人がまだ捕まっていないことに恐怖した。
しかし、話を振った本人は恐ろしく冷静にさらに情報を求める。
「他には? 彼女から何か聞いたとか? 犯人たちの特徴とか」
生憎その情報は持っていない。そう告げると彼は興味を無くしたかのように短くこう告げた。
「そうか、ありがとう」そしてすぐに己の席に戻っていった。以後は会話に加わることもない。
そして教室は彼らが想像していたような生易しいレイプ事件などではない、明確な殺意を持った残忍な殺人未遂事件であったことに騒然となっている。
先ほどまでは携帯端末をいじる者もいたが、もはや誰もそれに興じるものは居らず事件の話題で持ちきりであった。
私は再び一人ぼんやりと窓の外を見た。
窓の外は俗に言う今にも泣き出しそうな空で気持ちをさらに陰鬱にさせる。
そして再び何気なく腕時計を見やる。今日はホームルームの代わりに全校集会を行う予定なのでそろそろ廊下に並んで体育館に行く時間になる。
そのタイミングで担任の金山は入ってきた。
「おう、皆も聞いてると思うが北越が事件に巻き込まれて怪我してなぁ」
概略をぼかして言うその顔は寝ていないのか、憔悴しているようにも感じられる。
皆は先ほど私から概要を聞いてしまったため深くは聞こうとはしない、それが金山には疑問に感じられたようで、多少いぶかしんでいたようだったが、気を取り直し全員を廊下に並ばせると、すぐさま体育館に移動させた。
やはり廊下に出ても他のクラスもざわついており、皆、不安と好奇心が入り混じった会話をしているようだ。
「厄介なことは重なるもんだなぁ」先頭でポツリと漏らす金山の愚痴。
その愚痴の以後は無言で皆を体育館まで連れて行く。
体育館もやはり騒然としており、教頭先生の号令でもなかなか静かにならなかった。
しかし、学園長が演壇に上がりよく通る静かな声で一言。
「静かにしなさい」
その一言に皆が一様に沈黙する。
シンと静まり返った体育館の中で学園長はゆっくりと落ち着いた声で話し始めた。
「君たちもニュースで知っていると思うが、痛ましい事件が起きた」
学園長はこう切り出すと事件の概要を説明し始めた。彼女の怪我の内容は詳しく話さず、また不用意に路地裏や治安の悪いところに行かぬよう忠告をした。
当分の間は繁華街で先生達が巡回を行う旨と外出を自粛するように伝えられた時、生徒たちは面倒なことだと、ため息をついていたが、それは事件の残忍さを知らないからだ。知っていたら自ら出歩くという危険な行為はしないだろう。
淵田学園長からの説明は十五分くらいであっただろうか。さほど長くなく、しかし要領を得た分かり易い話であった。
その後は教室に戻り金山から見舞いに行くメンバー選びが始まった。
立候補が上がり、学級委員長と保健委員の岩下、そして意外なことに吉原が立候補した。
彼は北越に好意があったのだろうか? どうやらクラスメイト達もそれに感づいたが、状況が状況だけに囃し立てることはしなかった。
私は修道院を代表して行くので候補には入らない、行くときの服装も学生服ではなく、修道服である。
メンバーが決め終わると金山はこう言ってホームルームを締めくくった。
「今日の俺の授業、全部自習な。後でプリント渡すから日直は職員室にこいよ」
皆、普通なら喜ぶところであるが、彼女の容態を考えると素直には喜ぶことは出来ない複雑な気分で金山を見送った。
……………………………
授業は金山以外に自習はなかった。教科の先生方は勤めて平常に授業を行い、事件になるべく触れぬようにしていた。
いつもくだらない親父ギャクを飛ばす国語の先生などは、ギャグを一切飛ばさず淡々と授業を進め、いつもよりペースが速く、キリがいいからと授業時間がまだあるにもかかわらず残りを自習として、誰よりも先生が授業に手がつかなかった。
昼休みなどこの事件で持ちきりで、皆携帯端末を片手に主要なニュースサイトを覗き、めぼしい情報がないか漁っていたが、報道管制が敷かれているらしくめぼしい情報はなかったようだ。
誰もが身近に起きた残忍な事件に恐怖していた。
姿無き犯人たちはこの街にまだ潜伏している可能性が高い。そう考えるとこの学園も安全とはいえないかも知れない。
この土日で犯人達が動かなければ長期にわたり恐怖を振りまくだろう。
午後の授業も今一身に入らず週末の宿題も出なかった。先生方も恐ろしくてしょうがないのだ。
授業が終わり放課後となった。今日は補講を行わないと全体で決められた。
日のあるうちに全員が帰宅するよう命ぜられ、小学校の方は午前授業のようでもう既に全員が帰宅している。
見舞いに行くメンバーは金山の車で病院に向かい、その足で全員帰宅することになっている。
私は急ぎ修道院に戻り、修道服に着替えを済ますと待ち合わせ場所の南門へ向かった。
そこに居たのは金山ではなく小学のときの担任、藤谷だった。
無精ひげを生やした男は不機嫌にこう言った。
「金山先生は急な用があるとかで俺にお鉢が回ってきた。けっ! 生徒よりも大事な用ってのはなんなのかね?」
金山に対する不審をあらわに貧乏ゆすりをしながら、私を待っていたようだ。
他の面子はもう来ていたようだった。
「おう、お前で最後だ。とっとと行くぞ」
藤谷にせかされながら教員宿舎の駐車場に向かう。
まだ午後三時半を少しまわったところで日は高いはずだが、朝からずっとの曇り空は日を隠し薄暗く、陰鬱な雰囲気を醸し出していた。
教員宿舎への道には私たちのほか誰も居らず、ペタシ、ペタシ、コツコツコツと藤谷のサンダルと私たちのローファーの足音以外は時折吹く風でざわめく木々の音だけだった。
「なあ、幻夢郷ってゲーム知ってるか?」
唐突に藤谷から質問が来た。
「ん? うん、知ってるよ? それがどうかしたの?」岩下が驚きながら答える。
「流行ってるのか? そのゲーム止めといたほうがいいぞ」いきなり何を言うのか、まったくわからない。
困惑する私たちを尻目にさらに言葉を続ける藤谷。
「ウチのクラスの生徒が二人、そのゲームやってる最中に気を失って、まだ昏睡状態のままなんだ。最近、そういうのが多いらしくてな。忠告してるわけだ」
考えすぎと笑い飛ばす学級委員長と岩下、神妙な顔つきになる吉原。
私はゲームをしたことが無いので興味が無い、それよりも興味があるものが出来たから、もうそれを欲することは無いだろう。
まあそれが洋服とかお洒落な装飾品というのならば話は別だが。
女とは自分を美しく見せたいという欲の塊であり、私も例外ではないからだ。
着飾るのに理由は要らない、半ば本能のようなものである。
「大人の話は聞いとくもんだぞ? でねぇと大変なことになってもしらねぇぞ」
あきれ気味にいう藤谷に苦笑しながら応じる二人。ずっと無言の私と吉原。
そうこういっているうちに駐車場についた。
藤谷の車は型の古い一般大衆用の安価な軽自動車で、基準改正前のだそうで現在走っている軽自動車よりも一回り小さかった。
私の体は小さいので詰込んで乗るために後部座席の真ん中に、両脇には学級委員長と吉原が、助手席には岩下が座った。
「んじゃ、行くぞ」短く言うと車を発進させた。
病院には十五分程度で着き、特に話すこともなくやや狭い思いをしながら病院まで移動した。
次回、病院へ




