落
1「彼の話」
彼はぽつりぽつりとその時の事を語りだした。
「井戸があったんですよ」
「このご時世に井戸?珍しいね」
「田舎だとそうでもないんですけど……この辺りだとまず見かけませんよね」
「この辺りの話じゃなかったのかい?」
「この辺りの話ですよ、だから僕も珍しいなと思って近づいたんですよ」
「それで?」
「井戸には転落防止用なのか蓋がついていたんですけどね」
「当然の処置だね」
「鍵も掛かっていたのですが、それはこう」
ちょちょいっと、と言いながら手をひねる動作を見せる。
「開けたのかい」
「えぇ、正確には触ったら蓋の一部が崩れたんですけどね」
「それは……蓋の役割を果たしていないな」
「昼間で良かったですよ、夜なら間違って落ちていたかもしれません」
「ふむ」
「蓋を除けて中を覗くとコンクリートが見えました」
「コンクリート?」
「蓋が腐っていても関係なかったんですよ、既にその井戸はコンクリートを流し込まれて塞がれていたんです」
「君は自分が何を言ってるか分かってるのかい?」
「えぇ、確かにあの井戸はコンクリート……もしかしたら別の何かかもしれませんがとにかく塞がれていました」
「……」
「そんな目で見ないでくださいよ、僕は正気ですよ」
内心が表情に出ていたのだろう、彼のフォローが入る。
「続きを」
「塞がれてるのなら仕方がないと井戸に背を向けたんですよ」
「それで?」
「わかりません」
「わからない?」
「えぇ、本当に何が起こったのか僕にはわかりません」
「……」
「気がつけば僕は暗闇の中にいました」
「それが君の見つかったっていう?」
「そう結論を急がないでくださいよ、まぁそうなんですけどね」
「では、その後は?」
促す私に彼は一つ頷くと再び口を開いた。
「いきなり辺りが真っ暗になりましたからね、慌てましたよ」
「それは、そうだろうね」
「周りを見回したり、腕時計を確認したり」
「時計を見たのかい?」
「見ましたよ、井戸を見つけた時の正確な時間は分かりませんけどそう時間は経ってなかったようです」
「何故?」
「昼過ぎだったからですよ、2時ぐらいだったかな」
「そうか……」
「で、とりあえず周りに何かあるかと確認したら」
「したら?」
「壁ですよ、前後左右全部壁」
「壁……ね」
「で、ふと思いついて見上げたら小さな白い光が見えまして」
「……」
「それでもしかして自分は井戸に落ちたんじゃないかな、と」
「なるほど……」
「その後はひとしきり登れないか試したり、大声で人を呼んだりしてみましたね」
「結果は……?」
「知ってるでしょう?登れず、助けが来る事もなかった」
「あぁ……」
「幸いと言うべきか、枯れ井戸だったお陰で座っても濡れませんでしたし風が吹き込まないだけ寒さはマシだったことですかね」
「その後は気づかれるまでずっとそこに居たと?」
「そうですよ、見つかるまでずっと」
そう言うと彼は口を閉ざした。
2「彼の事、井戸の事」
『彼』が見つかったのは確かに枯れ井戸の中だった。
当然だが井戸にはコンクリートなど詰められていなかった。
見つかった時点、では。
区画整理の対象になった土地にあった井戸で、彼が救出された後はすぐに埋められてしまったらしい。
そもそも、彼は区画整理の調査員なのだ。
そもそも、彼は深い井戸に落ちて何故無事だったのか。
それはクッションとなったモノがあったからだ。
井戸で見つかったのは彼だけではない。
おびただしい数の遺体や白骨が見つかったのだ。
私は彼から何があったのかを聞かなければならない。
だが、彼は井戸に落ちたショックで多少記憶があやふやになっているようだ……
3「私と彼の話」
「君と一緒に見つかったモノについて、何か覚えている事は無いのかい?」
「覚えてるも何もさっき僕は落ちた時に周りに何かあるか確認したって言いましたよね?」
「あぁ、言っていたね」
「当然、地面も調べたんですよ」
「ほう」
「何もありませんでしたよ」
「しかし、実際にはだね……」
私は置いてあった書類を取り上げ、彼に見せた。
「……この地名、僕が行った場所じゃないですよ」
「なんだって?」
「僕が行ったのは○○村ですよ」
「○○……ここは××町だよ」
「この辺りだとそこそこ有名な村じゃないですか」
彼の様子から嘘をついてる様には見えない、しかし井戸の場所は××町である。
「どこかで聞いた名前ではあるのだが……」
「聞いたことも何もここのすぐ近所でしょ?村も、井戸も」
「たしかに君の見つかった井戸は近所だが……」
一番近くにあったからこそ、彼はとりあえずここに運ばれてきたのだ。
「それなら一緒に見に行きましょうよ、ここで喋ってるより僕も何か思い出すかもしれません」
「ふむ……」
そして、私は彼と連れ立って出かけた。
4「井戸の話」
「ほら、ここですよ」
現場につくと彼は開口一番言った。
「こんな所に井戸があったのか…」
近所だというのに私はこのような場所に井戸があるとは全く知らなかった。
「あれ、この井戸埋められたんじゃなかったですっけ?」
彼は井戸を覗き込みながらそんな言葉を口にする。
「君が引き上げられてすぐに埋められたと聞いたんだが……そう言えば工事をやっている様子も無いな」
そして、私も井戸に近づき……覗き込んでみた。
「ね?埋まっているでしょう?」
井戸は、淵の少し下で埋められていた。
「今、君は埋まっていないと言わなかった……」
暗転
振り向き、彼の方を向いた瞬間視界が真っ暗になった。
「な……!?」
突然の事に思考が真っ白になる。
「すいませーん」
そんな声が聞こえる。
「……」
呆然と声のする方を見る……頭上だった。
「この井戸に人を落とすにはこうしないとダメなもんでー」
井戸……そこで気づく、ここは井戸の底か。
「君が……落としたのか?」
とても聞こえるとは思えない私の呟きに彼の言葉が返ってくる。
「いやー、正確にはあなたが井戸に落ちただけですよー」
落ちた?落下の時の浮遊感は全く感じなかったのだが……
「説明……して貰えるだろうか?」
上がることより先にそんな事を聞いたのは……もうこの上に私が帰る事は無いだろうと何となく理解していたからだろうか。
「いいですよー」
軽い返事と共に彼の……井戸の話は始まった。
「とりあえず、何故私を落としたのだろうか?」
「僕も前の人に落とされたんですけどね、その人もその前に誰かに落とされたらしいんですよ」
「だから……自分もやってやれと?」
「やる必要がありましたので」
「その理由を聞きたいんだ」
「次の人を見つけないと、死ねないんですよ」
「なんだって?」
「その井戸に落ちた時点で半分死ぬんです、でも次の人を見つけて落とさないとそこからずっと出れないんです」
「言っている意味が分からないのだが……」
「こういう事ですよ」
返事は上からではなく、すぐ横から返ってきた。
「君も……今落ちてきたのか?」
「いいえ、僕はずっと前から……数十年前からここにいましたよ」
「では、上にいたのは君ではないのか?」
「あれは僕の一部みたいな……まぁ、あなたにもすぐにわかりますよ」
「……それで、何故私なんだ?」
「あぁ、それは誰でも良かったんです」
「誰でも……」
「強いて言えばあなたがこの近くを通ったからでしょうか」
「通った……私には記憶がないのだが」
「無くて当然です、この井戸は誘われた人にしか見えませんから」
「では、君を運んできた人たちは?」
「その人たちの事、思い出せますか?」
「勿論だ、電話番号だって聞いたし君の事だって……」
「では、その人たちの名前ぐらい言えますよね?」
「名前……」
そうだ、人を預けたと言うのに彼らは名乗っただろうか?そもそも私は彼らとどんな会話を交わした?
「思い出せないでしょう?」
「……」
「そういう舞台だったんだから仕方ないですよ」
「舞台?」
「井戸に落ちて記憶が錯乱している人間から話を聞く……そういう舞台だったんです」
「……○○村なんて何故嘘をついたんだ?」
「よく分かりませんけど町名変更とかあったんじゃないですか?」
「あ」
その一言で思い出した、○○村はこの辺りの旧名だ。
「僕が落ちた頃は○○村だったんですよ」
「そうか……」
「さて、これぐらいでいいですか?」
それを機に彼の気配がふっと離れた気がした。
「待って……まだ聞きたいことが……」
「これは忠告ですけど、そんなどうでもいい疑問より早く自分を思い出したほうがいいですよ?」
「自分……?」
「舞台の設定のせいであなたは自分を見失っている、思い出さないと……次の人を探しに行くこともできませんよ」
「次……」
そして、彼の声は聞こえなくなった。
5「私の話」
こうして私は暗闇に一人取り残された。
頭のどこかでは無駄と思いつつも、一通り大声を出しよじ登ろうと試みた。
それが無駄だと確認した頃には日は暮れていたらしい。
天井にぽつんとあった光は消え、完全な闇が私を包んでいた。
そして私は、彼の最後の言葉を思い知ることになる。
何も、思い出せない。
彼と喋り始める前の事が何一つ思い出せない。
家族の事、仕事の事、趣味の事……何一つ。
私の記憶もこの井戸の様に枯れてしまったのだろうか?
体の感覚が薄れ、闇の中に溶けていく感覚。
そういえば……
わたしのなまえはなんだっただろうか?




