婚約者に不倫されて捨てられたので全てを壊すことにしましたが、隣国王子に拾われて溺愛されながらざまぁ完了しました
――それは、あまりにも軽かった。
「リシェル・アークライト。君との婚約は、ここで破棄する」
夜会の中心で告げられたその一言は、まるで紙切れでも捨てるかのような軽さだった。
ざわり、と空気が揺れる。
視線が一斉にこちらへ集まる。嘲笑、興味、そして少しばかりの同情。そんなものが混ざり合った、濁った空気。
……ああ、なるほど。
全部、仕組まれていたのね。
「理由をお聞きしても?」
私は淡々と問うた。声は震えていない。むしろ、驚くほど冷静だった。
婚約者――アルベルト王子は、隣に寄り添う女の肩を抱いた。
その女は、わざとらしく胸元を強調したドレスを着ている。甘ったるい香水の匂いが、ここまで届いてきそうだった。
「君は冷たい。愛を知らない女だ」
「……それで?」
「私は、真実の愛を見つけた。彼女――ミレイユこそが、私の運命の相手だ」
その言葉に、会場がざわめく。
ミレイユ・フォン・クラリス。下級貴族の娘でありながら、最近やたらと王子に取り入っていた女。
そして――
(不倫、ね)
胸の奥で、何かが静かに燃え上がる。
「……つまり、あなたは婚約中にその方と関係を持っていた、と?」
「言葉を選べ、リシェル!」
「選んでいますわ。事実を申し上げただけです」
私の言葉に、アルベルトの顔が歪む。
ミレイユはすかさず、涙を浮かべて彼にすがりついた。
「ひどい……私たちは、愛し合っているだけなのに……!」
――ああ、茶番。
その仕草、その声、その表情。全部が計算されている。
だけど、周囲の人間はそれに騙される。
「リシェル様が冷酷だから……」 「王子が可哀想だ……」
ひそひそと囁かれる声。
それを聞きながら、私は静かに息を吐いた。
――いいわ。
そこまで言うなら。
「分かりました。婚約破棄、受け入れます」
「……は?」
アルベルトが間抜けな声を出す。
「ただし」
私はゆっくりと微笑んだ。
「後悔しても、もう遅いですわよ?」
その言葉に、何人かが息を呑んだ。
でも、もう止まらない。
全部、壊してあげる。
あなたたちが軽く扱ったものが、どれほど重かったのか――思い知らせてあげる。
◆
「……随分と、派手にやられたな」
夜会を後にした私に、声をかけてきた男がいた。
振り返ると、そこにいたのは見慣れない青年。
銀髪に蒼い瞳。どこか人を食ったような笑みを浮かべている。
「どちら様でしょう?」
「名乗る前に一つ。君、行く当てあるのか?」
「……ありませんわね」
家には戻れない。婚約破棄された令嬢など、価値はないと判断されるのがオチだ。
私は一瞬だけ考え、そして正直に答えた。
「なら、来い」
「は?」
「俺の国に。面白いものを見せてやる」
唐突すぎる誘い。
普通なら断るべきだろう。
でも――
(どうせ、失うものなんてもう無い)
「……条件があります」
「言ってみろ」
「私の復讐に、手を貸していただきます」
青年は一瞬、目を見開き――そして笑った。
「いいだろう。むしろ望むところだ」
「お名前を」
「レオン・ヴァルディス。隣国の第二王子だ」
――なるほど。
これは、面白くなりそうだ。
◆
それからの展開は、速かった。
レオンの国に連れて行かれ、私は保護される形になった。
そして彼は言ったのだ。
「証拠はあるのか?」
「ええ、もちろん」
私は静かに微笑む。
婚約者の不倫を疑わないほど、私は愚かではない。
手紙、密会の記録、証言。全部、揃っている。
「完璧だな」
「でしょう?」
「なら、あとは叩き潰すだけだ」
その言葉に、胸が高鳴る。
――復讐の時間だ。
◆
数週間後。
王都で、大きな裁きの場が設けられた。
アルベルトとミレイユは、誇らしげに立っていた。
自分たちが正しいと信じて疑っていない顔。
――滑稽。
「では、証拠を提示いたします」
私がそう言った瞬間、会場の空気が変わる。
次々と突きつけられる証拠。
密会の日時、やり取りされた手紙、証言。
逃げ場はない。
「こ、これは……!」
「そんな……嘘よ!」
ミレイユが叫ぶ。
でも、その声はもう誰にも届かない。
「婚約中の不貞行為。加えて虚偽の告発。重罪だ」
レオンが冷たく言い放つ。
その瞬間、全てが決まった。
「いやだ……! 助けて、アルベルト様!」
「くっ……リシェル、お前……!」
憎しみに満ちた視線。
でも、もう遅い。
「申し上げましたでしょう? 後悔しても遅いと」
私は静かに微笑んだ。
◆
全てが終わった後。
静かな庭で、私は一人立っていた。
「満足したか?」
背後から声がする。
「ええ」
振り返ると、レオンがいた。
「なら、次はどうする?」
「そうですね……」
私は少しだけ考え、そして答えた。
「生き直しますわ」
「いい答えだ」
彼は笑う。
そして、何気ない調子で言った。
「じゃあ、そのついでに――俺の婚約者になるか?」
「……は?」
「嫌か?」
「いえ、そういう問題ではなく」
突然すぎる。
思考が追いつかない。
「俺は気に入った女しか口説かない主義でな」
「随分と軽いですわね」
「本気だぞ?」
真っ直ぐな視線。
……困る。
こういうのは、ずるい。
「……条件があります」
「またそれか」
「溺愛は、ほどほどに」
その言葉に、レオンは一瞬黙り――
次の瞬間、大笑いした。
「無理だな」
「は?」
「もう手遅れだ。かなり好きだぞ、俺」
――ああ、もう。
「……本当に、面倒な方ですわね」
でも、嫌じゃない。
むしろ――
(少しだけ、嬉しい)
「覚悟しろよ。これからはずっと一緒だ」
「……はいはい」
呆れたように返しながら、私は小さく笑った。
復讐は終わった。
だけど、ここからが――
新しい人生の始まりだ。
そしてきっと。
この男に、振り回される日々が続くのだろう。
――それも、悪くない。
◆ ◆ ◆ ◆
「リシェル!!!!!」
「朝からうるさいですわね!!!!!」
結婚して三日目。
私はすでに確信していた。
(この人、想像以上に面倒くさい……!!)
寝室の扉を勢いよく開けて飛び込んできたレオンは、満面の笑みでこう言った。
「見てくれ! 結婚記念日用の計画を立てた!」
「まだ三日目ですわよ!!??」
「先手必勝だろ?」
「何と戦っているんですの!?」
しかも紙を広げると、びっしりと予定が書き込まれている。
「朝は花束百本、その後に馬車で王都一周、昼は豪華ディナー、夜は――」
「待ちなさい最後が怪しい」
「夫婦の時間だ」
「濁し方が雑!!」
思わず頭を抱える。
いや、この人本当に王子よね?
隣国の第二王子よね?
どうしてこんな、テンションの高い犬みたいな生き物なの?
「気に入らなかったか?」
「規模が大きすぎますわ!! あと日程が意味不明!!」
「じゃあ全部やめるか?」
「極端!!」
この男、ゼロか百しかないのか。
私は深くため息をついた。
「普通でいいんですの。普通で」
「普通とは?」
「そこからですの!?」
◆
数日後。
「リシェル、デートだ」
「嫌な予感しかしませんわね……」
案の定だった。
連れて来られたのは――訓練場。
「……デートとは?」
「夫婦の共同作業だろ?」
「戦闘は違いますわよ!?」
しかも剣を渡される。
「はい」
「はい、じゃありませんわよ!!」
「俺と手合わせだ」
「却下です!!」
するとレオンは真顔で言った。
「俺に勝てたら、一日中抱きしめてやる」
「いりませんわよその報酬!!」
「え?」
「え?じゃありません!!」
というか――
「勝てなかった場合は?」
「俺が一日中抱きしめる」
「どっちに転んでも同じじゃありませんの!!」
完全に罠だった。
◆
その日の夜。
「……疲れましたわ」
「楽しかったな!」
「価値観の相違が激しいですわね」
私はソファに沈み込み、ぐったりしていた。
一方のレオンは妙に元気だ。
この体力お化けめ。
「ほら」
そう言って差し出されたのは、温かい飲み物。
「……ありがとうございます」
受け取ると、ほんのり甘い香りがした。
「疲れてるだろ」
「まあ、それなりに」
「無理するなよ」
その声音は、昼間とは打って変わって優しい。
ずるい。
こういう切り替えが、ずるい。
「……あなた、本当に」
「ん?」
「外面と中身の差が激しすぎますわ」
「どっちも本音だぞ?」
「余計にタチが悪いですわね」
そう言いながらも、少しだけ頬が緩む。
◆
さらに数日後。
「リシェル」
「今度は何ですの」
「一緒に寝よう」
「もう寝ていますわよね今」
「違う、同じベッドで」
「同じですわよ!!」
思わずツッコむ。
この男、本当に遠回しというものを知らない。
「夫婦だぞ?」
「知ってますわ!!」
「じゃあ問題ないな」
「論理が飛躍してますの!!」
じりじりと距離を詰めてくるレオン。
私は後ずさる。
「待ちなさい近い近い近い」
「ダメか?」
「ダメとは言ってませんが!?」
「じゃあいいな」
「強引!!」
そのまま腕を引かれ――
気づけば、隣に寝かされていた。
「……本当に、あなたという人は」
「嫌か?」
少しだけ、不安そうな声。
――ああ、もう。
「……嫌では、ありませんわ」
「そうか」
途端に、満足そうに笑う。
単純すぎる。
でも――
「温かいな」
「……そうですわね」
悪くない。
むしろ、安心する。
◆
「リシェル」
「何ですの」
「好きだ」
「知ってますわ」
「言いたかっただけだ」
「毎日言ってますわよね?」
「何度でも言う」
「しつこいですわ」
「愛情表現だ」
「押し付けですわ」
そんなやり取りをしながら。
私は、ふと思う。
――あの時、全てを失ったと思っていた。
でも違った。
失ったからこそ、手に入ったものがある。
「リシェル」
「何ですの、まだ何か?」
「これからもよろしくな」
「……仕方ありませんわね」
小さく笑って、私は答える。
「一生、ツッコんで差し上げますわ」
「頼もしいな」
「誰のせいですの」
――騒がしくて、面倒で。
でも、どうしようもなく温かい。
そんな日々が、これからも続いていくのだろう。
それでいい。
むしろ――それがいい。




