その夢、本当に“あなたのもの”ですか?
最初にそれを見たとき、ただの悪ふざけだと思った。
夢を録画できる装置。
そんなもの、あるわけがない。
「だからさ、これで見れるんだって」
机の上に置かれたそれを、友人が指で叩く。
黒い箱。
手のひらに収まるくらいのサイズ。
表面には何のロゴもない。
ケーブルが一本、だらりと伸びているだけ。
「寝るときにこれつけるだけ。起きたらスマホにデータ飛んでる」
「……嘘くせえな」
俺は眉をひそめる。
どう見ても怪しい。
というか、完全にアウトだろう。
「まあ見てろって。昨日のやつ、再生するから」
友人がスマホを操作する。
画面に動画が表示される。
再生。
最初は、ノイズみたいな映像だった。
ぼやけた光。
歪んだ輪郭。
音はない。
ただ、ゆっくりと焦点が合っていく。
「……え」
気づいたときには、前のめりになっていた。
映っていたのは、街だった。
見覚えのある駅前。
人の流れ。
夕方の光。
そして、その視点。
「これ……お前?」
「そう。昨日の夢」
映像は、確かに“本人視点”だった。
カメラが揺れる。
視線が動く。
手が映る。
足が動く。
完全に、
“自分が見ている世界”そのものだった。
「……マジかよ」
思わず声が出る。
作り物には見えない。
編集した映像とも違う。
もっと生々しい。
現実と、ほとんど区別がつかない。
「でさ、ここ」
友人が画面を一時停止する。
指で指す。
そこに映っていたのは、
見知らぬ女性だった。
「この人、誰だと思う?」
「……知らねえよ」
「俺も知らない」
そう言って、友人は笑う。
「夢の中で話してたんだよ。普通に」
「……は?」
「名前も聞いたし、会話もした。でも起きたら思い出せない」
再生する。
映像の中で、確かにその女性と会話している。
口が動く。
相手も応じる。
でも、音はない。
「音は取れないらしい。まだ」
「まだって……」
「開発中なんだとさ」
にやりと笑う。
どこまで本気なのか分からない顔。
「これ、マジでやばくね?」
その言葉に、俺は頷いていた。
やばい。
確かに。
これは、もし本物なら——
世界が変わる。
「貸してくれ」
気づけば言っていた。
「いいよ。どうせ俺、もう飽きたし」
「飽きたって……」
「だってさ、夢なんて所詮夢だし」
そう言って、あっさり装置を渡してきた。
軽い。
拍子抜けするくらいに。
「壊すなよ」
「壊さねえよ」
それだけのやり取りで、
俺はそれを手に入れた。
その夜。
ベッドに横になる。
部屋の電気を消す。
スマホを手元に置く。
装置を手に取る。
ケーブルの先端。
小さなパッドのようなもの。
「……ほんとかよ」
半信半疑のまま、
それをこめかみに貼り付ける。
冷たい感触。
特に痛みはない。
そのまま、目を閉じる。
しばらくして、
意識が沈んでいく。
いつもの眠り。
いつもの暗闇。
そして——
夢を見た。
知らない場所だった。
薄暗い廊下。
古い建物。
蛍光灯がちらついている。
足音が響く。
自分のもの。
前に進む。
誰かを探しているような感覚。
「……」
声を出そうとして、
出ない。
廊下の奥に、扉がある。
開ける。
中は部屋。
ベッド。
そして——
誰かが横たわっている。
「……」
近づく。
顔を見る。
知らない人間だった。
でも——
なぜか、
強い既視感があった。
どこかで見たことがある。
でも思い出せない。
そのとき、
その人間の目が開いた。
「——」
何かを言った。
でも、聞こえない。
音がない。
口の動きだけが、はっきりと見える。
そして——
その顔が、
ゆっくりと歪んだ。
笑ったのか、
苦しんだのか、
分からない表情。
そのまま、
視界が暗転した。
目が覚める。
天井。
自分の部屋。
「……夢か」
体を起こす。
少しだけ、心臓が速い。
嫌な夢だった。
はっきりしない。
でも、妙に印象に残る。
スマホを見る。
通知が来ている。
動画ファイル。
「……」
タップする。
再生。
映像が始まる。
さっきの夢だ。
そのまま、映っている。
廊下。
部屋。
ベッド。
そして——
あの人間。
「……」
息が止まる。
現実として再生されている。
夢が。
そのまま。
「……すげえな」
思わず呟く。
気味は悪い。
でも、それ以上に——
面白い。
未知だ。
記録できる。
夢を。
自分の見た世界を。
「……」
しばらく考えて、
カメラロールに保存する。
そして、
軽い気持ちでSNSにアップした。
タイトルは適当。
「夢、録画できた」
それだけ。
数分後。
通知が鳴り止まなくなった。
「……は?」
コメント。
いいね。
リツイート。
爆発的に増えていく。
「これマジ?」
「加工じゃないの?」
「怖すぎ」
「どうやってるの?」
画面が追いつかない。
「……バズってる?」
信じられない速度で拡散されていく。
ただの夢の動画。
それだけなのに。
「……やば」
笑いがこみ上げる。
もう一度再生する。
あの夢。
知らない場所。
知らない人間。
でも——
なぜか、
妙に“リアル”だった。
作り物じゃない。
想像でもない。
まるで——
誰かの記憶を見ているみたいに。
---
翌朝、目が覚めてすぐにスマホを開いた。
通知はまだ止まっていなかった。
昨夜投稿した動画は、信じられない勢いで拡散され続けている。
「……一万?」
再生数。
コメント数。
フォロワーの増加。
全部が、昨日までの自分とは別の数字になっていた。
「やばいな……」
笑いが漏れる。
ただ夢を録画しただけ。
それだけで、こんなことになるとは思っていなかった。
コメント欄をスクロールする。
「これ、実在する場所じゃない?」
「見覚えある気がする」
「この廊下、○○病院っぽい」
「……病院?」
指が止まる。
昨日の夢。
薄暗い廊下。
古い建物。
言われてみれば、
確かに“それっぽい”。
「いや、でも……」
ありえない。
夢だ。
たまたま似ているだけ。
そう思おうとする。
でも——
妙に引っかかる。
「……行ってみるか」
口に出していた。
検索する。
コメントに書かれていた病院の名前。
ヒットする。
画像。
場所。
そして——
「……」
画面を見たまま、固まる。
映っている廊下。
夢と同じだった。
完全に一致しているわけじゃない。
でも、
構造。
光。
雰囲気。
あの夢と、ほとんど同じ。
「……嘘だろ」
喉が乾く。
偶然?
それとも——
確かめるしかない。
その日の午後、俺はその場所に向かった。
古びた建物。
少し外れた場所にある病院。
入口に立つ。
躊躇する。
「……」
でも、来てしまった以上、引き返す理由はない。
中に入る。
受付。
人は少ない。
どこか静かすぎる空気。
理由をつけて、奥へ進む。
廊下。
そして——
「……」
足が止まる。
目の前の光景。
夢で見た場所。
そのままだった。
壁の色。
照明。
床の模様。
一つ一つが一致する。
「……マジかよ」
声が出る。
現実だ。
夢じゃない。
ここは、確かに存在している場所。
ゆっくりと歩く。
足音が響く。
夢の中と同じリズム。
同じ感覚。
そして——
あの扉。
奥にある、一つの部屋。
「……」
手を伸ばす。
ドアノブに触れる。
冷たい。
ゆっくりと、回す。
開ける。
中は——
夢と同じだった。
ベッド。
機械。
静かな空気。
そして、
そこに横たわる人間。
「……」
近づく。
顔を見る。
昨日の夢で見た人物。
そのままだった。
同じ顔。
同じ姿。
「……なんで」
理解が追いつかない。
夢で見た。
でも、それは“夢”だったはずだ。
なのに、
現実にいる。
しかも——
その人間は、
意識がない。
眠っている。
いや、
昏睡状態。
「……」
呼吸音だけが、かすかに聞こえる。
そのとき、
背後から声がした。
「……何か御用ですか?」
振り返る。
看護師だった。
「あ、いや……」
言葉が出ない。
言い訳を探す。
「見舞い、ですか?」
「……違います」
思わず否定する。
その一言で、
空気が少しだけ変わる。
「こちらの患者さんは、ご家族以外の面会は——」
「この人……」
遮るように聞く。
「この人、どうなってるんですか?」
看護師は一瞬だけ迷った顔をした。
でも、
やがて小さく息をつく。
「交通事故です」
「……事故」
「数日前に運ばれてきて、そのまま意識が戻っていません」
「……」
数日前。
つまり——
俺が夢を見る前から、
この人はここにいる。
「……」
喉が締まる。
夢じゃない。
これは、
未来でもない。
じゃあ、何だ。
「……」
もう一度、その人を見る。
眠っている。
でも——
違和感がある。
昨日の夢。
あの人間は、
目を開けた。
そして——
何かを言っていた。
「……」
映像を思い出す。
口の動き。
声はなかった。
でも、
確かに言葉はあった。
「……」
スマホを取り出す。
動画を開く。
再生。
夢の映像。
あのシーン。
止める。
顔のアップ。
口の動き。
「……」
何度も見る。
ゆっくり再生。
巻き戻し。
もう一度。
「……」
理解した瞬間、
背筋が凍った。
「……助けて」
そう、言っていた。
「……」
スマホを持つ手が震える。
ありえない。
だってこれは——
夢の中の出来事だ。
でも、
現実と繋がっている。
この人は、
ここにいる。
意識がない。
でも——
夢の中で、
俺に話しかけていた。
「……なんで」
答えは出ない。
でも、一つだけ分かる。
これは、
ただの夢じゃない。
そして——
これは、
俺の記憶でもない。
「……」
その場を離れる。
外に出る。
空気を吸う。
現実感が、少しずつ戻る。
でも、
頭の中はぐちゃぐちゃだった。
「……誰なんだよ」
呟く。
夢。
現実。
記憶。
全部が混ざっている。
その夜。
もう一度、装置を使った。
確かめるために。
これは何なのか。
自分が見ているものは、
本当に“夢”なのか。
眠る。
沈む。
意識が落ちる。
そして——
また、あの場所だった。
同じ廊下。
同じ空気。
同じ部屋。
そして——
あの人間。
今度は、
はっきりと分かった。
これは夢じゃない。
“誰かの中にいる感覚”だった。
視界。
身体。
思考。
全部が、自分じゃない。
なのに、
“理解できる”。
感情が流れ込んでくる。
恐怖。
痛み。
後悔。
そして——
強い、願い。
「……」
目が覚める。
荒い呼吸。
汗。
震え。
「……なんだよ、これ」
呟く。
もう分かっている。
これは夢じゃない。
想像でもない。
未来でもない。
これは——
誰かの“現実”だ。
---
それから、夢を見るたびに確信が強くなっていった。
あの場所。
あの廊下。
あの部屋。
そして、あの人間。
繰り返し現れる。
少しずつ、変化しながら。
最初は、ただ見ているだけだった。
次は、近づいた。
そして今は——
“中にいる”。
視界が違う。
感覚が違う。
でも、分かる。
これは、自分じゃない。
なのに、
完全に“理解できてしまう”。
「……」
目が覚める。
朝。
天井。
息が荒い。
汗が滲む。
スマホを見る。
動画ファイル。
再生する。
夢の映像。
でも、もうそれは“夢”には見えなかった。
記録だ。
誰かの人生の断片。
切り取られた、現実。
「……」
再生を止める。
気づいている。
これが何なのか。
でも、
まだ言葉にしたくなかった。
その日の午後、
もう一度、あの病院へ向かった。
理由はない。
ただ、確かめるため。
同じ廊下。
同じ部屋。
ドアを開ける。
中に入る。
ベッド。
そして——
空だった。
「……え」
思わず声が出る。
誰もいない。
昨日まで、確かにいたはずの人間が、
いなくなっている。
「……」
足がすくむ。
看護師を探す。
見つける。
「すみません、この部屋の人……」
言いかけて、止まる。
看護師が、不思議そうな顔をする。
「この部屋、ずっと空室ですけど」
「……え?」
「入院予定もありませんし……どうかされましたか?」
「……」
言葉が出ない。
理解できない。
いや——
理解してしまう。
あの人間は、
最初から存在していなかったことになっている。
「……」
スマホを取り出す。
動画を開く。
再生。
あの映像。
廊下。
部屋。
そして——
ベッド。
そこには、
誰も映っていなかった。
「……は?」
手が震える。
さっきまであったはずの映像。
あの人間。
全部、消えている。
最初から、
存在していなかったみたいに。
「……」
呼吸が乱れる。
分かってしまった。
これは——
夢じゃない。
記憶でもない。
これは、
“再生”だ。
誰かの人生が、
終わっていく順番に、
ここで再生されている。
そして——
終わったものから、
消えていく。
「……」
そのとき、頭の中に一つの考えが浮かぶ。
じゃあ、
次は誰だ。
次に“消える”のは、
誰の記憶だ。
「……」
嫌な予感がする。
確かめるしかない。
スマホを開く。
自分のSNS。
投稿一覧。
スクロールする。
止まる。
「……」
最初の動画。
夢を録画したやつ。
再生する。
映像が流れる。
廊下。
部屋。
そして——
ベッド。
そこに、
人影がある。
「……」
昨日までと違う。
別の人物。
別の顔。
でも——
どこかで見たことがある。
じっと見る。
近づく。
映像の中の視点が、ベッドに近づく。
顔が映る。
「……」
息が止まる。
それは——
俺だった。
「……は?」
頭が真っ白になる。
もう一度見る。
同じ。
間違いない。
ベッドに横たわっているのは、
自分自身。
「……なんだよ、これ」
声が震える。
ありえない。
でも、否定できない。
顔。
髪。
体格。
全部、自分だ。
「……」
そのとき、
夢の中の感覚が蘇る。
あの違和感。
あの“中にいる”感覚。
視界が、自分じゃないのに、
理解できてしまう理由。
「……」
理解した瞬間、
全身が冷えた。
俺は、
見ていたんじゃない。
再生されていたんだ。
自分自身の記憶を。
もう終わっているはずの、
自分の人生を。
「……嘘だろ」
呟く。
でも、思い出せない。
事故の記憶。
死の瞬間。
何もない。
空白。
でも——
それが、答えだった。
だから見ている。
だから再生されている。
“終わった後”だから。
「……」
スマホの画面を見る。
動画は続いている。
自分が横たわっている。
動かない。
そのとき、
映像の中の自分が、
わずかに動いた。
目が開く。
「——」
口が動く。
音はない。
でも、
分かる。
前と同じだ。
読める。
「……助けて」
同じ言葉。
同じ口の動き。
「……」
手が震える。
スマホを落としそうになる。
でも、目が離せない。
これは誰に向けた言葉だ。
過去の自分が、
誰に助けを求めている。
そして——
今の自分は、
それを見ている。
「……」
理解する。
これは救いじゃない。
再生だ。
ただの記録。
終わったものの、
繰り返し。
「……」
ゆっくりと、スマホを閉じる。
静かになる。
部屋。
自分。
でも、それも——
“本当に今の自分”なのか、
分からない。
「……」
外を見る。
人が歩いている。
車が通る。
普通の世界。
でも——
その中に、
どれだけの“再生された存在”がいるのか、
分からない。
「……」
スマホが震える。
通知。
知らないアカウントからのメッセージ。
開く。
《それ、見えてるんですね》
「……」
固まる。
続き。
《夢じゃないですよ》
《それ、あなたと同じです》
「……は?」
画面を見つめる。
心臓が強く打つ。
指が震える。
《もうすぐ、あなたも消えます》
そのメッセージを最後に、
アカウントは消えていた。
「……」
スマホを握る。
画面には、
何も残っていない。
最初から、
存在していなかったみたいに。
「……」
静かに息を吐く。
分かっている。
もうすぐだ。
自分の順番が来る。
この“再生”も、
終わる。
「……」
ベッドに横になる。
目を閉じる。
眠る。
そして——
次に目を開けたとき、
そこに映る世界が、
まだ自分のものなのかは分からない。
---




