「君は野蛮な暴力女だ」と婚約破棄されましたが、それは関節をポキポキ鳴らしていただけです。 〜腰痛持ちの「氷の公爵様」を整体スキルで完治させたら、極上の指使いに溺愛されて離してもらえません〜
「エリーゼ! 貴様のような野蛮な女とは、今ここで婚約破棄する!」
王立学園の卒業パーティー。
華やかな音楽が止まり、第一王子・アラン殿下の怒声が響き渡りました。
アラン殿下は金髪を振り乱し、私のことを指差しています。
その隣には、彼に寄り添うようにして震える、聖女見習いのミア様の姿がありました。
「理由は分かっているな! 貴様は先日、か弱いミアの腕を無理やり捻り上げ、悲鳴を上げさせたそうではないか!」
殿下が叫ぶと、周囲の貴族たちから「まぁ、怖い」「なんて乱暴な」というヒソヒソ話が聞こえてきます。
私は……深く、深くため息をつきました。
そして、残念なものを見る目で殿下を見つめ返しました。
「殿下。……姿勢が悪いですわよ」
「は?」
「右肩が下がっています。最近、執務中に頬杖をつく癖がおありでしょう? そのせいで背骨が歪み、自律神経が乱れてイライラしやすくなっているのです」
「な、何を訳のわからないことを!」
「それにミア様。私が腕を捻り上げたとおっしゃいますが、あれは貴女が『腕が上がらない』と泣きついてきたから、『四十肩の予備軍』だと判断して可動域を広げるストレッチを施しただけではありませんか」
そう。私、エリーゼ・フォン・バーンズは、三度の飯より「健康」と「筋肉」を愛する、生粋の健康オタクなのです。
幼い頃、病弱だった母をマッサージで癒やした経験から人体の不思議に目覚め、屋敷の書庫にある医学書を読み漁り、独学で「究極の徒手療法(整体)」を編み出してしまった変わり者。
人の体を見ると、どうしても「歪み」を矯正したくてたまらなくなるのです。
「うそよ! ポキッて言ったもの! 骨を折る気だったんだわ!」
ミア様が涙目で訴えます。
あれは関節包内の気泡が弾ける音であり、骨が折れたわけではありません。施術後、あんなにスムーズに腕を回していたではありませんか。
「言い訳は無用だ! 貴様のような『関節クラッシャー』は、王家にふさわしくない! 貴様は辺境の『氷の公爵』ギルバートのもとへ嫁げ!」
会場がどよめきました。
ギルバート・フォン・アイゼンシュタイン公爵。
国の北方を守る武門の当主ですが、「常に殺気を放っている」「目が合っただけで寿命が縮む」「気に入らない部下は半殺しにする」と噂される、もっとも恐ろしい人物です。
「あそこなら、いくら暴力を振るっても文句は言われまい。お似合いの処分だ!」
アラン殿下が勝ち誇ったように笑います。
私は彼を頭のてっぺんから爪先までスキャンするように観察し、最後に同情的な視線を送りました。
「……分かりました。謹んでお受けいたします。ですが殿下、忠告しておきますわ」
「なんだ、命乞いか?」
「いえ。その靴、サイズが合っていません。見栄を張ってシークレットブーツを履いているせいで、足の指が変形し始めています。このままだと……将来、歩けなくなりますよ?」
「ぶっ!!」
周囲の令嬢が吹き出しました。
殿下の顔が真っ赤に染まります。
「う、うるさい! 出て行け! 二度と私の前に顔を見せるな!」
私は優雅にカーテシーをしました。
やれやれ。あんなに顔を真っ赤にして血圧を上げて……血管が切れても知りませんからね。
◇
数日後。
私は馬車に揺られ、北のアイゼンシュタイン公爵領へと向かっていました。
雪深い山道を越え、見えてきたのは黒曜石で作られた堅牢な城塞。
いかにも「魔王城」といった風情です。
到着早々、執事に案内されて通されたのは、氷のように冷え切った謁見の間でした。
玉座に座っていたのは、噂の「氷の公爵」ギルバート様。
銀色の髪に、凍てつくようなアイスブルーの瞳。
整った顔立ちですが、その眉間には深々と皺が刻まれ、全身から「俺に近づくな」という強烈な殺気を放っています。
「……貴様が、王都から送られてきた『暴力令嬢』か」
地を這うような低い声。
普通なら震え上がるところでしょう。
しかし、私の目は誤魔化せません。
(……こ、これは……!)
私はゴクリと唾を飲み込みました。
殺気? いいえ、違います。
彼が放っているのは、殺気などという生易しいものではありません。
これは――**「激痛」**に耐えるオーラです!
見てください、あの眉間の皺。あれは眼精疲労からくる緊張性頭痛のサイン。
わずかに右に傾いた座り方は、左の腰を庇っている証拠。
そして何より、あのガチガチに強張った肩周りの筋肉! 鎧の上からでも分かります。あれは岩です。人の筋肉ではありません!
「……聞いてるのか? 俺は貴様と慣れ合うつもりは……うぐっ」
ギルバート様が立ち上がろうとして、顔をしかめて呻きました。
ピキッ、という幻聴が聞こえた気がします。腰です。今、腰にきました。
「閣下!!」
私はトランクを放り投げ、脱兎のごとく駆け出しました。
護衛の騎士たちが「なっ、襲撃か!?」と剣に手をかけますが、そんなものは無視です。
私はギルバート様の背後に回り込み、彼が崩れ落ちる前にその体を支えました。
「な、何を……!?」
「動かないでください! 今、ギックリいきましたよね!? ここで無理に動くと、ヘルニアになりますよ!」
私が叫ぶと、ギルバート様は目を白黒させました。
「な、なぜそれを……」
「見れば分かります! 貴方、働きすぎです! 筋肉が悲鳴を上げていますよ!」
私は彼をゆっくりと玉座に戻すと、素早い手つきで彼の甲冑の留め具に手をかけました。
「なっ、貴様、何を……!?」
「治療の邪魔です。脱ぎますよ!」
ガシャン、ガシャン!
抵抗する間も与えず、私は手際よく重たい鎧を取り外していきました。
露わになったのは、上質なシャツに包まれた逞しい体躯。
私は遠慮なく、その肩に手を置きました。
硬い。まるで鉄板が入っているようです。
これは……私の職人魂が騒ぐ!
「無礼者! 離れろ!」
「いいえ、離れません。このまま放置するのは、人道に反します」
私はニッコリと微笑み、宣言しました。
「私にお任せください。その『鉄板』、私が粉砕して差し上げます」
私の指先に、ありったけの力と技術を込めます。
狙うは僧帽筋の深層部。トリガーポイントの一点突破!
「せあっ!!」
「ぐあああああああっ!?」
城内に、公爵様の絶叫が響き渡りました。
騎士たちが「閣下ー!!」と叫んで抜刀しましたが、次の瞬間。
「……あ、あれ?」
ギルバート様が、不思議そうな顔で首を回しました。
ゴリ、ゴリ、という音が消え、スムーズに首が動いています。
「か、軽い……? 頭痛が……消えた……?」
「とりあえず応急処置です。ですが閣下、貴方の体はボロボロです。全身の骨格矯正が必要です」
私は仁王立ちして、彼を見下ろしました。
「契約結婚でも構いません。ですが、一つだけ条件を飲んでいただきます」
「……条件?」
「貴方の体のメンテナンスは、全て私に任せていただくこと。……いいですね?」
ギルバート様は呆然と私を見上げ、そして頬を赤らめながら……コクンと頷きました。
どうやら、私のゴッドハンドの虜になってしまったようです。
◇
それからの日々は、まさに「戦い」でした。
魔物との戦いではありません。「コリ」との戦いです。
「閣下! またそんな姿勢で書類仕事を! 机と椅子の高さが合っていません! ストレートネックになりますよ!」
「うっ……すまない」
私は執務室の環境を大改造しました。
椅子は人間工学に基づいた特注品に変更。机の高さも調整し、適度な休憩を義務付けました。
そして夜は、寝室でのスペシャルコースです。
……誤解しないでくださいね? 健全な施術です。
「んっ……あ……っ、そこ……」
「ここですね? ここが張ってるんですね?」
「ああっ……すごい……エリーゼ、もっと……奥まで……」
「はいはい、息を吐いて〜。脱力してくださいね〜」
寝台の上で、うつ伏せになったギルバート様が艶めかしい声を上げています。
廊下に控えている執事やメイドたちが、顔を真っ赤にして聞き耳を立てているのが気配で分かりますが、弁解するのも面倒なので放置です。
ギルバート様の体は、磨けば光る原石でした。
凝り固まっていた筋肉がほぐれると、血色が良くなり、肌に艶が戻りました。
常に眉間に刻まれていた皺が消え、本来の端正な顔立ちが露わになります。
ある日の朝食。
食堂に現れたギルバート様を見て、使用人たちが一斉にどよめきました。
「お、おはよう」
爽やかに微笑むその姿は、まさに「光の貴公子」。
アイスブルーの瞳は優しく輝き、銀髪がサラサラと揺れています。
「氷の公爵」なんて誰が呼んだのでしょう。今の彼は、春の日差しのようにポカポカです。
「エリーゼ。……昨夜はよかった」
「えっ」
使用人たちがお盆を取り落としました。
ギルバート様、言い方!
「腰の痛みが完全に消えた。おかげで朝まで熟睡できた。……君は魔法使いか?」
「ただの知識オタクです」
彼は私の隣に座ると、自然な動作で私の手を取りました。
そして、その指先一本一本に、愛おしそうに口づけを落としていくのです。
「この指が、俺を救ってくれた。……愛している、エリーゼ」
「ちょ、閣下! みんな見てます!」
「構わん。俺はもう、君なしでは生きられない体になってしまった」
彼は熱っぽい瞳で私を見つめます。
どうやら、体の歪みを治しているうちに、彼の心のストッパーまで外してしまったようです。
クールだった彼はどこへやら。今や彼は、隙あらば「揉んでくれ」「撫でてくれ」「くっついていたい」と甘えてくる、超・溺愛夫に変貌してしまいました。
「君は俺の専属セラピストであり、最愛の妻だ。……誰にも渡さない」
彼に抱きしめられると、彼の体温と、健康的な筋肉の弾力が伝わってきます。
うん、いい仕上がりです。メンテナンス担当として鼻が高いです。
……いえ、それ以上に。
この温もりに包まれていると、私もなんだか、ドキドキしてしまうのです。
◇
一方、その頃。
私を追放した王都では、アラン殿下たちが悲惨なことになっていました。
「い、痛い……! 腰が……腰がぁぁぁ!」
アラン殿下は、玉座の間で這いつくばっていました。
無理なシークレットブーツと、悪い姿勢での執務、そして毎晩の夜会による暴飲暴食。
不摂生のツケが、一気に回ってきたのです。
「アラン様、しっかりしてください! ……あいたたた、私も肩が……」
隣のミア様も、首を抑えて呻いています。
彼女もまた、高いヒールとコルセットで体を締め付けすぎた結果、自律神経失調症気味になり、情緒不安定になっていました。
「おい、医者はまだか! 治癒魔法をかけろ!」
「殿下、治癒魔法は『傷』は治せますが、『生活習慣病』や『骨格の歪み』は治せません!」
宮廷魔導師がお手上げ状態で首を振ります。
そう、この世界の魔法は万能ではありません。日々のメンテナンスを怠った体は、魔法では元に戻らないのです。
「くそっ……! 誰か、誰かこの痛みを……! そうだ、エリーゼだ!」
アラン殿下は思い出しました。
私が以前、さりげなくクッションの位置を直したり、ハーブティーをブレンドしたりして、彼の体調を管理していたことを。
私がいなくなってから、彼は急激に体調を崩していたのです。
「あいつを呼び戻せ! あいつにマッサージさせろ! これは王命だ!」
アラン殿下は半狂乱で叫び、自ら騎士団を引き連れて、北の公爵領へと向かいました。
もちろん、腰痛を押しての馬車移動です。その揺れがどれほどの地獄か、想像に難くありません。
◇
アイゼンシュタイン公爵邸。
門の前には、やつれ果て、杖をついた老人……いえ、アラン殿下が立っていました。
「エリーゼ! 出てこい! 私の腰を治せ!」
悲痛な叫び声。
私はギルバート様と一緒に、玄関ホールへ出向きました。
「……誰だ、あのゾンビは」
「元婚約者のアラン殿下です。……ひどい猫背ですね。あと骨盤が歪みすぎて、歩き方がペンギンみたいになってます」
私が冷静に分析すると、ギルバート様は不快そうに眉を寄せました。
「私の妻に会いに来たのが、あんな不健康な男とはな。……不愉快だ」
ギルバート様が前に出ると、アラン殿下は「ひぃっ!」と後ずさりました。
今のギルバート様は、健康そのもの。肌は輝き、背筋は伸び、溢れんばかりの生命力(と男の色気)を放っています。
ボロボロの殿下とは、雲泥の差です。
「ぎ、ギルバート! その女を返せ! そいつは私の専属整体師になる義務がある!」
「……断る」
ギルバート様は短く告げ、私の腰を抱き寄せました。
「エリーゼは私の妻だ。そして、私の専属だ。……彼女の指一本たりとも、他の男には触れさせん」
「なっ……! 貴様、王命に逆らう気か!?」
「王命? 腰痛でまともに公務もできない王子の命令など、聞く価値もない」
ギルバート様が殺気……ではなく、圧倒的な「健康オーラ」を放ちました。
あまりの眩しさと覇気に、アラン殿下は気圧され、
グキッ。
「ぎゃあああああああ!!」
腰をやってしまいました。
その場に崩れ落ち、動けなくなる殿下。
ミア様も助け起こそうとしましたが、彼女もまた「あだだだ! 四十肩が!」と叫んでうずくまります。
「……哀れだな」
ギルバート様は冷たく見下ろしました。
「日頃の不摂生と、他人への配慮のなさが招いた結果だ。……エリーゼ、あんなものを見る必要はない。目が腐る」
「はい、旦那様」
ギルバート様は私をお姫様抱っこしました。
軽々と。腰への負担など微塵も感じさせない、完璧なスクワットフォームで。
「帰ろう。今日は君に、新しいストレッチを教えてもらう約束だったな?」
「ええ。ペアストレッチですよ。体が密着しますけど、いいですか?」
「……望むところだ」
私たちは門を閉じ、屋敷の中へと消えました。
外からは「痛いぃぃ!」「助けてぇぇ!」という悲鳴が聞こえてきましたが、寒空の下、彼らがどうやって王都へ帰ったのかは知りません。
まあ、温泉地で湯治でもして帰ることをお勧めしますわ。
◇
その夜。
広いベッドの上で、私はギルバート様の背中に乗っていました。
「ぐっ……そこ……効く……」
「はい、凝ってますね〜。でも、だいぶ柔らかくなりましたよ」
私の指が、彼の筋肉を捉えるたびに、甘い吐息が漏れます。
「エリーゼ……。君のおかげで、俺は生まれ変わったようだ」
彼はくるりと体勢を変え、私を抱きしめました。
至近距離で見つめ合う瞳。
「心も体も、君に救われた。……一生かけて、この借りを返すよ」
「ふふ、高いですよ? 私の施術料は」
「ああ。俺の愛と、財産と、これからの人生全てで支払おう」
重なる唇。
彼のキスは、とても優しくて、そして情熱的でした。
健康第一。
でも、たまには愛の熱に浮かされて、のぼせてしまうのも悪くないかもしれません。
だって、私には世界一の旦那様(健康体)がついているのですから。
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