1 乙女ゲームに転生
「よし! 隠しルート解放だ!」
その瞬間、視界がぐらりと揺れた。あれっ? と思った時にはもう遅い。意識が、すうっと遠のいていく。
……当たり前だ。
ここ三日間、ほぼ睡眠ゼロで乙女ゲームの攻略をしていたのだから。
私、高橋美咲は、どこにでもいる普通のOLだ。先輩の愚痴で盛り上がり、後輩のミスの尻拭いをし、理不尽な修正依頼にも笑顔で対応する。今日も今日とて愛想笑いを張り付けて生きている、平凡そのものの社会人。
そんな私の唯一にして最大の趣味――
それが、乙女ゲーム『ロゼリア・クラウン』である。
庶民だと思っていたヒロインが、実は聖女だったと判明し、王子や公爵令息、騎士団長に溺愛される。
よくある設定。正直、テンプレの極みだ。
にもかかわらず。三十路に片足を突っ込んだこの私が、ここまでドハマりしたのには、れっきとした理由がある。
それは――
推しが、かっこよすぎるから!!!!!!!
以上! 異論は認めない!!
いや、弁解させてほしい。最初からここまでハマる予定はなかったのだ。(※言い訳だが)
もともとこのゲーム、「最近彼氏ができちゃったの♡」とか言い出した友人が「もうやらないから」と押し付けてきたものだった。
暇つぶしのつもりだった。本当に。
なのに――
ルーカス・エーヴェルト・ノクス。
彼に出会ってしまった。
黒髪に、満月のように輝く瞳。無口でミステリアス。王家の影を担うノクス公爵家の嫡男。闇を背負っているくせに、ヒロインには一途で、愛が激重。
こんなどタイプなキャラが、現実に存在していいわけがない。
反則だろ。
こんなの、好きにならない方が無理じゃない?
……と、話がそれてしまった。とにかく、私は、隠しルートを解放した瞬間、意識を失った。
次に目を開けたとき、見慣れない天井が視界に映った。
白く、高く、繊細な装飾が施されている。
天蓋付きのベッド。重厚なカーテン。窓から差し込むやわらかな朝日。
病院? いや、こんな豪華な病室があってたまるか。
体を起こそうとした瞬間、さらりと長い髪が肩を滑り落ちた。
視界に入った手は子供のように小さく、爪は整えられている。
……私の手じゃない。
混乱する間もなく、扉が勢いよく開いた。
「――リリアーナ様! お目覚めになられたのですね!」
泣きそうな顔のメイド姿の女性が駆け寄ってくる。
……は?
待って。
リリアーナ?
それって確か――
『ロゼリア・クラウン』の悪役令嬢ポジじゃない!?
いや、落ち着け。
リリアーナなんて名前、たまたま同じ別人かもしれない。
ここがゲームの世界と決まったわけでもない。
そう自分に言い聞かせた、そのときだった。
「リリアーナ様!!」
ほとんど悲鳴に近い声で、幼い姿のメイドが私の手を両手で握った。目元は赤く腫れている。三日間泣き続けたようなひどい顔だ。
「お目覚めになられて……本当に、よかった……!! 私がどれほどご心配したことか……!」
心臓が、嫌な音を立てる。
「……モミザ……?」
恐る恐る名を呼ぶ。
メイドは一瞬だけ――ほんの一瞬だけ、表情を止めた。
それは涙でも安堵でもない。
確認するような目。
「はい。モミザでございます」
完璧な侍女の微笑み。
ぞわり、と背筋が粟立つ。
蜂蜜色の髪。控えめなそばかす。
思い出す。
原作の断罪イベント。
悪役令嬢リリアーナの行動を逐一王妃へ報告していた専属侍女。
そして舞踏会で証言し、リリアーナ失脚の決定打の一つとなった存在。
それが――モミザ。
つまり。
ここは『ロゼリア・クラウン』の世界。
そして私は、悪役令嬢ポジ。
リリアーナ・セレスティア・クラリア・アストレア。
推しと絶対に結ばれない、負けヒロイン枠。なんなら追放もされる。
……詰んだ。
その事実を理解した瞬間、視界が再びぐらりと揺れた。
「リリアーナ様!?」
モミザの声が遠ざかる。
ああ、神様。
せめて推しの顔を拝んでからにしてくれませんか。
そう思いながら――
私は、本日二度目の気絶をした。




