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家を出てすぐ右にある坂道を、気持ちの良い速度で下る。ここでブレーキを一切使わないのが俺の流儀だ。多方面の方々から怒られそうではあるが、これが坂道の醍醐味である。このために俺は、徒歩10分しかない園崎商店をわざわざ自転車で行こうと決意したのだ。
「ひゃっほーい!」
心の中で叫んだはずったが、思わず声に出ていた。誰かに聞かれていたらと考えると恥ずかしいが、そんなのかまわない。ああ、引っ越してきて、よかったことといえばこれだ。田舎のいいところ、坂道を大声をあげて降りられること。帰り道のことは…今はまだ、考えないでおこう。
坂道を下り終えたら、何もない田んぼ道をしばらく走り、小さな橋を渡ってすぐの角を右に曲がるとすぐ、そこに園崎商店はある。
(うん………オンボロだ……)
『ソノサキショウテン』とカタカナで書かれた看板は、塗装が剥がれ落ち、右上の釘が取れているのか斜め掛けになっている。サビまみれの外装も、一部のマニアには受けそうなほどにボロボロだ。地震が来たら、このあたりで真っ先につぶれるのはここだな、なんてことはもちろん口に出さずに心に留めておく。
俺は店の端にある小さな駐輪スペースに自転車を停め、暖簾をくぐった。
園崎商店は、この村で唯一の商店だ。小さな軽食から、地元の農家で摂れた野菜、ティッシュなどの生活用品も取り揃えてあり、所謂コンビニエンスストア的な役割を果たしている。
園崎商店があることは知っていたが、こうして中に入るのは初めてだ。昼間なのにも関わらず、店の中には俺以外の客はいないどころか、店の人も誰一人としていない。店中は以外にも、外からは想像がつかない程に綺麗だった。なるほど、やはり物は見た目で判断してはいけないなと改めて俺は感じた。
「すみません、どなたかいらっしゃいますかー」
「はーい、ちょっとまってくださいねー!」
奥のほうから、大きくて元気な声が聞こえてくる。その声に、なにやら聞き覚えがある俺は、違和感に首を傾げた。
(ん?今の声って………)
ドタドタと大きな足音を響かせながら、奥から顔を覗かせたのは、俺もよく知る人物だった。
「おっと!誰かと思えば、松野君やん!どしたんどしたん~!うちに何の用?」
「げ………園崎……」
園崎は制服の上から、『ソノサキショウテン』とかかれたエプロンを身につけ、いつも右耳の上につけているお花柄のヘアピンをチラつかせた。
園崎涼子。俺と同じ高校、同じクラスに通う、隣の席の同級生。常にクラスの中心にいる人物で、友達も多いらしく、いつもクラスメイトに囲まれている。村の外から引っ越してきた俺に話しかけてくる唯一の女。正直、すこし苦手だ。性格が真逆すぎる。
(そういえば、実家が小さい店をしてるって言っていたな…もっと早く気づいていたら、出会わずに済んだのに…)
存在感が大きいこいつは、相手をするだけで正直疲れる。学校での会話で既にお腹いっぱいなのに、学外で会うなんて、何の罰ゲームだ。
「あ、もしかして、私に会いに来てくれたん?嬉しいな~!でもごめんな、私彼氏おるから、松野君の情熱的な期待には応えられんわあ。ほんっと、ごめん!」
なぜ、告白もしていないのに俺が振られなければいけないのだろうか。園崎の相手をしていて疲れるのは、こういう勘違いされそうなつまらない冗談を本気で言ってくるところだ。
「なんで俺が告白したみたいになってんだ!てか、いい加減にしないと本気で彼氏に怒られるからやめとけよ」
「分かっとるうて、松野君じゃから言っとるんよ。さすが都会から来たもんは突っ込みのキレがよくって、ボケがいがあるわあ」
「別に都会から来たわけじゃねーし、そんな面白い会話でもないだろ」
「ははは!そんな細かい事気にしやんときい!」
そう言って俺の背中をバシバシ叩いてくる。痛いしめんどくさい。じいちゃんからのお使いを済ませてとっとと帰ろう。ああ、家が恋しい。
「ほんで?今日は何買いに来たん?」
「じいちゃんが頼んでたものを代わりに取りに来たんだ」
「ああ!それなら届いてるで~」
俺は、小さなレジ台の端に置かれていた少々大きめの紙袋を、園崎から受け取った。大きい割には荷物事態はそれほど重くない。中をのぞいたが、紙袋の中にさらに紙袋が入っており、まるでマトリョーシカのようだ。
「じゃあ俺は帰るから」
「ええ~!ちょっと帰るには早いんとちゃうん、お茶でも飲んで行きなよ」
「いい、帰る」
「ええええ~…ったく、松野君はほんま冷たいなあ。まあええか、また明日会えるしな。明日は終業式やけど、さぼったらあかんで、ちゃんと来いなよ」
「分かってるよ、じゃあ」
「はーい、ありがとうございまっしたあ」
園崎は両腕をぶんぶんと振り回しながら、俺を店の外まで見送った。なんだその変な見送り方。まあいい、明日の終業式さえ乗り越えれば、晴れて夏休みだ。
俺は自転車のカゴに紙袋を置き、自転車を漕ぎだそうとした。その、瞬間だった。
チリン…小さな鈴の音が聞こえる。
全く気配がしなかった背後からの音に、俺は思わず振り返る。
そこには、金色のような長い髪を左サイドにまとめ、大きな鈴つきの髪飾りを付けた女の子がいた。女の子は首にも猫のような鈴をつけ、ショート丈の華やかなオレンジ色の着物を着ていた。
「………こんにちは、松野冬馬」
女の子は小さな声でそう言うと、にこりとこちらに向かって微笑んだ。
なぜ俺の名前を知っているのだろうという疑問よりも先に、なぜかわからない既視感が俺を襲う。
(俺は、こいつを知っている………?)




