宮廷内部 - 勇者と聖女の行軍 -
宮廷入り口付近には黒煙が立ち込めていた。
焼け焦げた兵士の遺体が散乱し、かつて壮麗だった石柱は炎で歪んでいる。
アルフォンスはセレストの手綱を引き、比較的安全そうな東側の厩舎跡へ導いた。
「ここで待っていてくれ」
彼が首筋を撫でるとセレストは忠実に頷いた。
リーンは既に手際よく水桶を用意し、駿馬の疲労を癒そうとしている。
二人は短い休息の後に立ち上がり、無言のまま宮廷の中心部へと歩みを進めた。
宮廷の四方から立ち昇っていたはずの炎柱はいつの間にか消え失せていた。
それは真の勇者であるアルフォンスを誘い出す為だけであったかのように。
瓦礫の山を乗り越え、焦げ付いた床板を踏みしめる音だけが響く。
焼け落ちた壁からは外の光が差し込み、廊下に奇妙な光と影の模様を描いていた。
時折聞こえるのは遠くで蠢く魔物の唸り声。それ以外は二人の足音と呼吸の音だけだった。
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宮廷内は外の荒廃よりなお惨憺たるものだった。
床に転がる甲冑は溶け落ち、壁には黒い血痕が乾いている。
かつて皇帝一族が集う謁見の間は天井が崩落し、巨大な水晶シャンデリアが粉々に砕けていた。
「あれは……」
リーンが目線を向けた先には黒焦げになった骸が数十体横たわっている。
宮廷魔術師団のローブの切れ端が炭化した肉塊に絡みついていた。
「守護魔術の防衛網を敷こうとしたのでしょうね……」
痛々しい表情で呟くリーンに、アルフォンスが低い声で言う。
「だが相手は圧倒的だったのだろうな」
彼の隻眼が悲しげに細められた。何故なら――
この場所で防衛に身を捧げた魔術師団の彼らに見覚えがあるからだ。
アルフォンスと歩みを共にした、かつての婚約者アリシアの同僚たちだった。
それだけではない……
アルフォンスの胸中に、この場所を訪れた幼き日の思い出が蘇る。
『これが国と民を守り、陛下にお仕えするという意味なんだ』
厳格でありながら自分を見つめる優しい眼差し。
当時の騎士団長にして英雄、父エドワードの背中を追いかけた日々。
この場所は彼にとって栄光と責務の象徴だったのだ。
今は――ただ虚ろな灰の海原が広がるばかり。
(お前たちが命を賭して守ろうとしたものは……)
喉元まで迫り上がってきた悔恨を堪えようと歯を食いしばる。
だがアルフォンスの隻腕は微かに震え、聖輝を握る指先が白くなっていた。
そんな彼の肩をリーンの小さな手がそっと押さえた。
「アルフォンス様……」
その温もりと言葉に込められた確信がどれほどの救いになったことだろう。
アルフォンス同様、リーンもこの惨劇の中で幾度も同様の光景を見てきた。
それでも彼女は目を背けず一歩ずつ前に進んでいる。
そして、その小さな手の中に宿る温かな光を一つ一つ分け与えている。
それこそが今のアルフォンスにとって何よりの支えになっていた。
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リーンが瓦礫の陰から呻き声を聞きつけて屈み込む。
焼け爛れた執事が半身を起こそうとしていた。
「……う…あ……」
パーフェクトヒールを唱えるリーンの手が柔らかな光に包まれ彼を治癒する。
灼熱の痕は瞬時に塞がれ、骨の砕けた手足も元通りとなった。
執事は奇跡のもとに瞬く間に治った無傷の手を呆然と見つめ嗚咽を漏らした。
さらに道すがら瓦礫に埋もれた侍女、壁際に倒れていた庭師ら九人の命を救った。
四肢の欠損者は全快し、重度の火傷や裂傷は消失。あとは傷跡のみが微かに残る程度に。
治療を受けた者の多くは貴族子息令嬢の行儀見習いや使用人階級の者であった。
戦いから無縁であった彼等彼女等の、恐怖と絶望に染まる心もリーンの触れる指先で緩んでいく。
女神の癒しは肉体のみならず精神にも作用するのだろう。そして――
聖女であるからではなく聖女のように優しい心をもつ彼女だから掬い上げていく。
かつてアルフォンスが彼女に掬い上げられたように。
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宮廷の奥へと進むにつれ、その景観の破壊の後は減って行った。
廊下の壁に掲げられた紋章もそのまま、荘厳な大理石の床も荒れた様子がない。
間違いなく魔王の元に近づいているのだろう。だからこそ破壊痕が少ないのだ。
アルフォンスの前を行くリーンの足取りに迷いはない。
初めて訪れるはずの宮廷内部を彼女は、
まるで地図を頭に焼き付けているかのように正確に歩いていく。
(聖女の加護……いや、神託なのか?)
アルフォンスはその背中を見つめながら考えていた。
宿場町オルデンからの旅路で何度も彼女が示した超常的な直観力。
魔族の気配を察知する鋭敏な感覚。聖教会の庇護下に育った彼女が、
どうして馬に乗る技術を身につけたのか。という疑問も僅かながらに感じていた。
聖女として目覚めたことが関係しているのだろうか?
聖女としての役割そのものが彼女にこのような力を与えているのか?
自らの内にある「真なる勇者の力」と向き合ってきたアルフォンスは、
その力を意識せずに使いこなせている。
リーンの「聖女としての力」も自身とおなじで――
「アルフォンス様……」
リーンの呼びかけに彼は思考の海から引き戻された。
彼女が指し示す先には重厚な木製の扉が聳えていた。
装飾金具に刻まれた二つの月と星の紋章は帝国の威信を象徴するものだ。
この宮廷における最大の空間――大謁見場。
それ以上は語らずともアルフォンスはリーンの意を汲み取った。
そして二人は歩みを止めずに進んで行く。運命が交叉するその場所へ。
前回の反響が大きかったというか予想通りショッキングだった為、
今回はアルフォンスとリーンのみの場面となりました。
本当はこの一話だけで場面転換して魔王sideも掲載する予定でしたが、
あちらは3,000文字超の魔王様の遊びが続いている為、
今回の話しを単独にして息抜きとした次第です。




