狂気に沈む魂の行方
森の奥深く——
昼なお暗い針葉樹林の中を、隻眼隻腕の影がさまよっていた。
かつて騎士団長だった面影はない。
服はボロボロに擦り切れ、片方しかない靴も泥だらけ。
火傷で潰れた左目には常に血膿が滲んでいる。
理性はほとんど残っていない。
彼の思考回路は単純化されていた。
(殺せ……殺せ……)
(全てを壊せ……)
まるで別の生き物のように体が動き出す。
獣道を徘徊しながら小さな魔物を見つけては襲いかかる。
キィッ!
鋭い鳴き声と共に飛び出した野兎ほどの大きさの魔物。
アルフォンスは反射的に動く。
残された右腕だけで器用にナイフを操り、一閃。
魔物の首筋を切り裂き仕留めた。
だがそれはまだ始まりに過ぎなかった。
ズル……
草むらから這い出るように現れた巨大な影。
三メートル近くある狼型の魔獣が姿を現した。
グルゥル……
低い唸り声に反応してアルフォンスは牙を剥く。
もはや人間らしい思考は消えていた。
ただ目の前にいる獲物を狩るという本能のみに従う存在と化している。
「ガアァァ!!」
叫ぶような咆哮と共に飛び掛かるアルフォンス。
鋭い爪が宙を切り、狼の前足を掠める。
一方の狼も素早く反応し、長い尾を振り回す。
その勢いでアルフォンスは弾き飛ばされた。
地面に激しく打ち付けられる肉体。
通常なら大怪我をして当たり前だろう。
だが今の彼は違った。
ピクリとも動かずに倒れ込むかと思われた瞬間、
「アァァ……!」
苦痛の悲鳴ではなく奇妙な呻き声。アルフォンスの身体は即座に反応する。
地面から跳ね上がるような勢いで起き上がり再び襲いかかる。
それは通常の人間では考えられない反応速度だった。
狼の瞳孔が収縮し警戒を強める。
(コイツは何かがおかしい……)
魔獣にも理解できる危険の匂い。
通常ならば怯えた獲物を狩る簡単な作業だ。
だが今は逆だ。獲物の方が自分より危険かもしれないという認識。
ジリジリと互いの間合いを測る時間。
先に仕掛けたのはやはりアルフォンスだった。
「ウグッ……!」
地面を蹴って跳躍し頭上から襲いかかる。
ナイフが魔物の肩に突き立てられ赤い鮮血が飛び散る。
グルォォォ!!
苦痛の雄叫びをあげた狼の反撃。
牙が空を切り裂く音が風に乗って響く。
間一髪で回避したものの頬に薄く血が滲む。
戦況は互角。だが確実にアルフォンスの方が不利だ。
隻眼であることもあり距離感が掴みにくい。
「ハァ……ハァ……」
荒い息遣いの中、徐々に体力の限界が近づいてくる。
それでも彼は戦い続けることを選んだ。
そして数十分後——
ボロボロになった身体で地面に倒れているのはアルフォンスだった。
狼も満身創痍。身体中に傷を負い血を流している。
しかしその瞳には警戒の色が宿ったままだった。
「……」
倒れ込んだアルフォンスは何も言わず虚空を見つめていた。
その時だった。
ガサッという物音とともに別の気配が現れる。
バサッ
巨大な鳥類系の魔物が空から舞い降りてきた。
翼開長五メートル以上もあるその巨躯は圧倒的な威圧感を放っている。
(まだいるのか……)
アルフォンスの理性が僅かに復活する。
だが逃げる体力など残されてはいなかった。
グワッ!
猛禽類特有の喉元から漏れる奇怪な音。
その鋭い爪が振り下ろされようとした直前、
「グエェ!!」
突如としてその魔物が悲鳴をあげた。
シュパンッと風切り音と共に飛び散る鮮血。
その背後に佇む一人の人影。
黒いマントを羽織り右手に持つのは魔法具と思われる短杖。
「間に合ったようですね……」
静かな声で呟く女性の姿。
長い銀髪が風になびいている。
彼女こそ女神フィリアにより "正式に" 選ばれた聖女リーンであった。
「この人を護るのが私の使命ですから……」
魔物は最後の抵抗を試みるも即座に次の魔法攻撃によって地面に叩きつけられる。
その光景を目の当たりにしてアルフォンスは混乱した表情を浮かべる。
「なぜ……助ける……」
掠れるような声で問いかけたアルフォンスに対し聖女リーンは優しく微笑む。
「あなたこそが本当の勇者だからですよ」
その言葉は彼の心の中に深く響いたものの、今は意味を理解する余裕すらなかった。
「まずは傷の手当てをさせてくださいね……」
リーンはそっと彼の側にしゃがみ込み治癒魔法を唱え始めた。
淡い緑色の光がアルフォンスの身体を包み込む。
その温もりに彼は少しだけ安堵し意識を失った……。
お約束な展開……