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「姉さん!」


 喉が痛くなるほど叫んだ。腰をかがめて、仰向けに倒れた姉さんを見下ろす。傷だらけの体からは、血があふれて止まらない。


 ルリアとダインも痛みを堪えるような、もどかしげな面持ちで姉さんのことを見つめている。


「ははっ……最後の最後に、らしくないことをしちゃったな。もう何もかも諦めて、ぜんぶかなぐり捨てたはずなのに。なんにも、期待なんてしないはずだったのに。それなのに……」


 ――かつての自分を取り戻してしまった。


 消え入りそうな笑みを浮かべながら、姉さんはそうつぶやいた。


「……でも、これでよかったんだ。おかげで、大切な人たちを守ることができた」


 姉さんは薄く微笑むと、俺たちのことを見あげてくる。

 

 その瞳に、暗い陰りはない。この頭上にある青空のように一切の曇りなく、透明に澄みきっている。


 俺が憧れていたアシェル姉さんが、そこにいた。


 俺の好きなアシェル姉さんが、己の身を顧みずに、助けてくれたんだ。


「お姉ちゃん……」


 ルリアは目尻を震わせると、瞳の奥を揺らめかせながら姉さんのことを呼ぶ。


 ダインはやるせなさそうに唇の端を噛んでいる。


「……リオン。ルリア。ダイン」


 姉さんは一人一人の顔を見あげてくると、やさしい声でその名前を呼んでくる。


「おまえたちなら、どんな困難だって乗り越えられる。どんな絶望にぶつかっても、負けたりはしない。どこまでも、どこまでも、羽ばたいていける」


 三人なら大丈夫だと、笑いながら言ってくれた。


「……ぜんぶ、姉さんがくれたんじゃないか。自由があることを、夢を見ることを、ぜんぶ姉さんが教えてくれたんじゃないか。姉さんがいてくれたから、俺は……」


 生きててもいいんだと、そう思えた。


 夢という翼を持つことができた。


 姉さんがいてくれたから、こんな最低の世界でも、希望を見出すことができたんだ。


 必死に涙を堪える俺を見て、姉さんは相好を崩してくる。


「わたしのことは、気にしなくていい。早くしないと、外部から王国の人間がやってくる」


 そう言うと、姉さんは最後の力を振りしぼって、右手を持ちあげてくる。震える手で拳を握りしめると、こつんと俺の胸を小突いてきた。


 再会の約束を交わした、あの夜のように。

 

 この胸に、熱を灯してくれる。


 そして何も思い残すことがないかのように、安らかな笑みを浮かべてくる。


「……リオン。立派な男になったな」


 そのことを伝えると、姉さんの右手が落ちていった。


 静かにまぶたを閉じていき、眠りについた。


 もう、姉さんが目を覚ますことはない。


 ルリアが声をあげて泣いている。


 ダインも顔を赤くして、目尻に涙を浮かべている。


 この身が引き裂かれそうなほどに、胸のなかに痛みが沁みわたる。


 きっとこれから先も、大切な人の死に慣れることはない。大切な人を失う度に、何度だって悲しみに暮れることになる。


 それだけは、どれだけ時間が経っても、変われそうになかった。


「……行くよ。行ってくる」


 穏やかな寝顔を浮かべている姉さんに、声をかける。返事がないことはわかっていたけど、それでも言っておきたかった。


「リオン、いいの?」


 涙で目を赤くしたルリアが聞いてくる。 姉さんをこのままにはしておきたくないんだろう。


「あれだけ派手にやったんだ。もう学院の教員たちには勘付かれている。そして姉さんが言っていたとおり、早くしないと外部から王国の人間がやってくる」


 ここに長居することはできない。姉さんを丁重に葬ってあげる時間はない。


「……それに、夢を託されたからな」


 眠りについた姉さんを見つめながら、小突かれた胸を手で押さえる。そこには熱いものが灯っていた。ずっと前から消えることのない想いがあった。


 最後にもう一度だけ、心のなかで姉さんに「さよなら」を伝える。


 別れを終えると、高々とそびえている壁を見つめる。


 ルリアも手の甲で涙をぬぐい、向かうべき行き先を見る。


 ダインも拳で乱暴に目をこすって、姉さんから視線を切っていた。


 三人で肩を並べて歩き出す。学院を取り囲んでいる白い壁のもとまで向かう。物心ついたときから、俺たちの前に立ちふさがっていた壁に近づいていく。


 そして壁に備えつけられた扉の前までくると、立ち止まった。


 この扉の向こう側に、外の世界がある。


 焦がれていた。ずっとこの扉の向こうに行きたいと切望していた。


 扉を開ける前に、振り返る。


 これまでの人生で、最も長い時間を過ごしてきた学院を瞳に映す。


 俺たちが生きてきた場所を。


「……ずっと、ここが嫌いだった。大人たちに監視されて、全てを成績で評価されて。教えられていたことだって、ウソばかりだった」


 なんでこんな場所に閉じ込められなきゃいけないのか? どうしてこんな不自由なところで、生活しないといけないのか? そうやって恨んだ回数は、とてもじゃないが数え切れない。


 抜け出せることができるのなら、すぐにでも抜け出したかった。


 この場所が消えてなくなればいいと、本気でそう願ったことだってある。


「だけど、ここには思い出がある。大切な人たちとの思い出が……」


 決して好きにはなれなかった。


 好きにはなれなかったけど、この学院には、みんなと過ごした時間がある。


 今もそばにいてくれる人たちとの思い出と、もういなくなった人たちとの思い出が。


 見慣れたはずの学院が波打っていき、よく見えない。


 いつの間にか、目頭が熱くなっていた。


 ……あふれてくる。みんなと過ごした思い出が。みんなと過ごした時間が。笑ったり、怒ったり、ここでみんなといた情景が、とめどなく胸の内からあふれてくる。


 冷たいものが頬をつたう。顔の輪郭をなぞっていき、ぽたりと落ちていく。


 ずっと、我慢していた涙がこぼれた。


 姉さんと約束を交わした夜から我慢していた涙が。


 強くなると誓ったあのときから我慢していた涙が。


 止まることなく、頬をぬらしていく。


「今日、俺たちは、ここを卒業します」


 惜別を断ち切るために、喉の奥に力をこめて言い放った。


 ……これは幻なんだろうか? わからない。


 校庭のところに立っている二人が見えた。


 うっすらとだけど、ノエルとアシェル姉さんの姿があった。淡い光をまといながら、こちらを見守っている。


 俺たちの行く先を祝福するように、やさしく微笑んでくれている。


 二人に応えるために、精一杯、強気に笑ってみせる。


 大丈夫だって、胸を張って、そう伝える。


 その気持ちが、ちゃんと届いたみたいだ。


 二人の幻は微笑んだまま、消えていった。


 小さく息をつくと、目の前にある高い壁に向き直る。


 外の世界に通じている扉がそこにある。


 もう、行く手を阻むものは何もない。


 ルリアとダインに目を向けて顔を見交わすと、二人とも頷いてくれた。


 右腕を伸ばして、扉に手をかける。これまで近寄ることさえ許されなかった扉に触れる。


 指先に力を込めると、閉ざされていた扉が、重低音を立てて押し開かれていった。


 扉の向こう側から、涼やかな風が吹き込んでくる。草木の香りがする風があたって、新鮮な空気を全身で感じ取る。


 扉の先には、どこまでも果てしのない、緑豊かな自然につつまれた雄大な景色がひろがっていた。


 ずっと夢見ていた、壁のない世界。


 何も、さえぎるものがない世界。


 胸が高鳴った。熱いものがこみあげてきて、また泣きそうになる。


 目の前にあるこの景色だけは、何があっても忘れない。


 一生この胸のなかに刻んで、覚えていよう。


 そう誓うと、仲間たちと一緒に扉を通っていく。


 壁の向こう側へと、踏み出していく。


 これまでの過去に別れを告げて、新たな未来への幸福を信じて。


 広大無辺な世界へと旅立った。


 ……翼がほしいと思った。


 そうすれば、あの壁を越えて、どこまでも飛んでいけるのに。


 どこまでも、どこまでも、羽ばたいていけるのに……。




 ――そして俺たちは、自由の翼で、どこまでも羽ばたいていく。






最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

少しでも楽しんでもらえたのなら、幸いです。



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